その30
私は爽やかな恭一以外の彼の姿も知っている。それは祐子は知らない恭一の顔。無精ヒゲだらけで目が血走っていて悩んでいる恭一。
私と恭一は「あの日」から会ってない。私が絵を持って帰ってしまったから、恭一はもう一枚、私にくれたものと同じ展示用の絵を描かなくてはならなくなったからだ。さすがにそれは邪魔できなかったし、恭一が作業している作業室は軽々しく遊びに来られるような場所じゃなかったのはわかっていたから。
あれから大変だったと思うけど、怒ったりしてないかな。怒っているようには見えないけど。
「良くここがわかったね」私の心配をよそに恭一は話を続けた。
「あっちこっち探したんやけどね」そう言ったのは祐子だった。「絵、どないしたん?」
「ああ、あるよ」恭一は言って、手招きした。私と祐子は絵の具の臭いがいっぱいの部屋に入った。
「どうしてこんな所にいるの?」みんな絵は講堂とかロビーとか目立つ所に展示しているのに、どうして恭一だけこんな所にいるのだろう。
恭一は言葉を言う前に頭をボリボリかいていた。その様子がいかにも「わけあり」って感じだった。
「うん、描き上がったら誰にも見せたくなくなっちゃってね」などと言い出した。「それで、ここに展示してたんだ」
展示って?
ここに飾っておいて誰も見に来ないんじゃ展示の意味がないと思うけど。
それに誰にも見せたくないんじゃ絵を描いている意味がないんじゃない?
広海は誰かに見てもらいたくて道端で絵を売っていたのに。どうして恭一は自分が描いた絵を見せたくないのだろう。
そりゃ、私も「天女」の絵を貰った時は誰にも見せたくないって思ったけど、やっぱりキレイに描いて貰ったんだからみんなに見て貰いたい。
どうしてこんな人が来ない場所に展示しているんだろう。
「絵、見せてくれるん?」
私がいろいろ考えている間に、祐子は行動に移る。
「ああ、いいよ」と恭一は言った。
「で、どこにあるん」祐子は聞いた。てっきりこの部屋のどこかにあるかと思った。
「見えない?」なんて恭一は立ったまま言った。私たちはうなずいて見せた。
すると恭一は、
「俺の後ろにあるよ」と言った。
あった。
絵はあった。恭一の後ろに。
というよりも恭一は絵を背にして立っていた。私たちは口を開けてそのままの形で固まってしまった。
それは「絵」というよりも「壁画」だった。巨大な壁画。
作業室の壁一面が恭一の作品になっていた。
私は通っていた中学の体育館に、ピカソの「ゲルニカ」の巨大なコピーが飾ってあったのを思い出した。でも、この恭一の絵はそのゲルニカよりも大きい。私にはとても大きく見える。
それは仏陀の絵だった。
金色の法衣というのだろうか、それをだけを身につけて横たわる仏陀。白い花びらが散っている中で仏陀が横になっていた。
涅槃の様子。
説法の旅の果てに仏陀は床に伏せる。そして故郷の方を向いて、横たわったまま入滅、つまり死ぬ。その様子が作業室の壁一面にあった。
仏陀は目を閉じた私だった。
とても穏やかな満足そうな顔をしていた。
もちろん体も私。本物の仏陀は男の人だけど、この絵の中で横たわっている仏陀は女の人。
横たわる私の絵からは体にぴったりとした法衣だけを着て横たわる女の人の体の曲線からくるエロチックさも金ぴかの法衣の俗っぽさも伝わってこない。
お話にあるように沙羅の木の下で入滅を待つ仏陀の静かな様子しか伝わってこなかった。
とても静かな絵だった。目を閉じて思いに耽っている私。目をつむっている私ってこういう顔しているんだ。
あの日、無理矢理作業室に押しかけた夏の夜。
恭一が描いた私は赤い靴を履いて赤いドレスをフリフリさせてで赤毛をなびかせて踊っていた。
そう。天女の絵。
ところが今日の私は仏陀になっていた。
「あれ?」
声に出したわけじゃないけど、私の感想は正直「あれ?」だった。短い期間でこれだけの巨大な絵を描き上げたのはすごいと思う。
けど?この絵は・・・。
どうしてこの絵になっちゃったんだろう?あの楽しく踊っていた赤い天女の私はどこに行ってしまったのだろう?
天女だった私は、どうして静かに命が消えるのを待っている仏陀になっちゃったんだろう?
私が恭一から天女の絵を貰ってしまったからか?恭一が無理して新しい絵を描いたからなのか?
なんでこの絵になっちゃったんだろう?
恭一には悪いけど、この絵がたくさんの人に見られなくて良かった。この、ほとんど人が来ない美術室でひっそりと展示されていて良かった。
この絵はスゴイ。本当にスゴイと思う。
恭一が描いた仏陀の絵はすごい。大きいだけじゃなくて圧倒するものがある。今までの恭一の絵からは感じることができなかった圧倒的な迫力があるし、細かく精密に描かれているのは相変わらずだし、とても完成された絵だと思う。
素人の私が言うのもなんだけど、絵の完成度としては私が貰ってしまった「天女」の絵よりも「仏陀」の絵の方が高いだろう。
「仏陀」の絵はすごいけれども、私は「天女」の私の方が素敵だと思う。
私はこの仏陀の絵を欲しいとは思わない。
なんか・・・・、
見ているだけでお線香のにおいが服に付きそう。
天女の絵はみんなに見てもらいたい。
でも仏陀の絵をいろいろな人に見て欲しくない。ここにいる三人、私と恭一、それに祐子の間だけにとどめておいて欲しい。
何故かわからないけど、そうして欲しかった。
読了ありがとうございました。
今後もごひいきによろしくお願いします。




