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ポートレイト  作者: 岸田龍庵
マリアさまとわたし
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その2

本作の主人公は、「海部屋」の主人公、沖田広海の親友、嵐山京子さんです。


海部屋の後半は彼女の出番が多かったので、覚えてくださっている方が多いことを期待しております。

 そこで出てくるのが「マリア」という名前。


 その頃、私は祐子に勧められたこともあって、映画研究会というサークルに入っていた。

 この映画研究会というのは、活動と言えば「個々に映画を鑑賞する」というだけ。別に感想文を書くわけでもないし、難しい映画議論をするわけでもない。自分たちの好きな映画をとりあえず見る。私と祐子は「かっちょいい男が出ているハリウッド的娯楽大作映画」ばかりを観ていた。



 実は、この映画研究会には実はもう一つの側面があった。一つは私達みたいな「娯楽映画大好き」ミーハー派。

 もう一つは、フランス映画みたいな芸術色満点の作品をたくさんみて芸術論をまくしたてている人達の派閥。彼らは自分たちの事を「ヌーベルバーグ」とか言っていたけど、私と祐子は好んで難しい映画を見る人達を「オタク派」と呼んでいた。

 その映画オタク派が秋の学園祭に向けて不穏な動きをしていたのを知ったのは、いい加減映画三昧の日々に飽きたころだった。



「映画に出演してくれないか」

 今まで喋ったこともない先輩のお誘いがあった。

 作品の名前は「路地裏の天使」。

 役柄が主人公で、その名前が「マリア」。

 ちょっと、迷いがあった。いくら大学のアマチュア映画研究会が作る映画とはいえ、主役。当然、演技なんてやったことがない。小学校の演芸の時間でも、いつも「その他大勢」役だった私に主役など務まるわけがない。

「なんで演劇部の人に頼まないのかな?」

 と、最初はウジウジ考えていたのだけれど、すんなり引き受けてしまった。

 理由は祐子も映画作りに参加するというなんともイージーな動機。 

 祐子はもう役目が決まっていてセリフとかを釣り竿みたいなのにひっつけたマイクで録音するスタッフとして参加することになっていた。

 祐子が参加するから私も参加した。



 動機はそれだけじゃなかった。心機一転というのがあった。

 何かわからないけど、気分を思い切り変えてみたかった。

 多分、心の底には沖田広海の抜けた穴を埋めようと思っているフシはあったはず。でも、この時の「心機一転」は本当になんとなくだった。誰に出もある何となくだとおもう。それがもう一つの理由。

 この「なんとなく」が私に不幸を運んでくることになるとは、何となく考えていた私にはわかるはずもなかった。

 もし、事前に脚本を読んでいたら、多分引き受けていなかったと思う。というよりも「なんとなく」だったから内容も聞かないで引き受けてしまったのだけれども。



 この「路地裏の天使」という作品は、娯楽超大作だらけのハリウッド映画ばかり見てきた私には到底理解できない作品だった。

 渡された脚本を読んでも作品が伝えようとしている意味がまったくわからないのだ。




 大まかなストーリーは、美人だけど、ヤク中アル中その他多くの中毒症で、なぜか浮浪者の「マリア」が、同じ浮浪者のおっさんたちに愛を与えていく。

 平たく言えばセックスをさせてあげるのだ。マリアはその見返りとして、おっさんたちを殺して、生き血を飲んで、さらに美しくなっていくというものなのだが・・・。

 この中身を私はまったく理解できなかった。話は無茶苦茶、セリフはほんのちょっと。



 脚本を読んで一番最初に頭の中に出てきた言葉は「辞めます」だった。でも、それを口にできなかった。マリアが出てくる場面以外は撮影してしまっていて、私が降りたら完成しない抜き差しならない状態だった。

 この作品は、ウチの学校の映画研究会に「映像化できない脚本」として代々受け継がれてきた作品らしい。この意味不明な作品が受け継がれてきただけでも私には十分意味不明だったのだけれども。




 このマリアを演じるに当たって、監督の(監督役と言った方がいいのかも)先輩から「マリアの気持ちになれ」なんて言われたのだが、わかるわけがない。こんな人間いないし。路地裏でセックスするような人間の気持ちなんかわからない。生き血なんて飲みたいと思ったことなんて一度もないし、飲んだこともない。

 私にとって意味不明な「路地裏の天使」というものが映像化出来ない理由の一つは、マリア役がいないということだった。



 私だって、こんな意味不明の役ということを最初から知っていれば引き受けていなかった。だれが血だらけの役なんてやりたがるもんか。

 もう一つの理由は予算。ウチの学校は運動部系にちょっと力を入れていた。従って文化系は肩身が狭かった。その力関係は当然、経費にも反映されていて、自主映画を作るどころの騒ぎではなかった。

 その貧乏映画研究会に、どういうわけかお金持ちの新入生が入ってきたらしい。先輩諸氏はその新入生を騙してお金を出させて(もちろん親のお金なんだろうけど)晴れて映画を作れることになった。主役とお金、そしてオタク先輩諸氏の情熱。この三つが揃って初めて作れる映画が「路地裏の天使」だった。



 私は「そんな大それたモンかい」と思っていたが、先輩諸氏、それもこの未完の脚本を代々継承してきたヒトタチには大それたモンだった。そのことは撮影現場に表れていた。

 恐ろしいくらい気合い入りすぎの撮影現場だった。私とか祐子はともかくとして、メガホンをとったり、カメラを担当している先輩諸氏はもうこの作品に命を懸けているようだった。みんな目からヤバイ光線でも出ているみたいな血走っていた。すべてのカットを取り終えた時に監督(役)の先輩は緊張のあまり気絶してしまったのだから。

 そんな撮影現場、いや修羅場で「イヤです、降ります」なんて言えるほど私は根性も度胸もなかった。



 かくして鬼気迫る中、撮影は粛々(しゅくしゅく)と進み、めでたくクランクアップを迎えた。

 撮影期間は一週間。

 そのたった一週間が私にはとっても長かった。

 受験勉強よりもきつくて、肉体的にも精神的にもヘロヘロになってしまった。

 撮影していたのは夏まっさかりの八月第一週。

 撮影が終わったら、私は夏バテで寝夏休みを過ごすハメになった。

 夢に血だらけの私が出てきて、私を襲ったり、襲われたりで。

 私がクソ暑いのに家でうなされている間に、気合い入りまくりの先輩たちによって編集作業が行われていたらしい。




 休み明け。

 私と祐子は学校の視聴覚室に呼び出された。

「今から、『路地裏の天使』の初号試写を行います」

 自信満面に宣言する先輩諸氏。薄暗い視聴覚室に聞こえるまばらな拍手。そして始まった。

 カラカラとフィルムが回る。

 全体的にトーンを落とした暗い画面。

 金属のお皿とフォークをこすり合わせたような耳障りなBGM。

 派手に飛び散る血。

 私じゃない私がスクリーンの中で、赤毛を振り回して発狂している。



 試写が終わった後の、帰りの電車から観た夕焼けの空を私は忘れない。



 この世の終わりだった。いや、この世の終わりとはこういう色の夕陽が落ちるのかと思いながら家に帰ったのを覚えている。

 祐子はさすがに気の毒に思ったらしく、関西弁を駆使した悪態を先輩諸氏にまき散らして抗議してくれた。

 でも、私にはもうどうでもよかった。

 バカだった。もっと慎重に構えていれば、こんなことにはならなかったはず。自分の馬鹿さ加減に頭が痛くなっていた。


 裸を見られるよりも恥ずかしい。


 心機一転と、何となく挑んだ映画主演に完全に打ちのめされてしまった。

 その私に更に追い打ちをかけたのは、この映画が学園祭で上映されるという事実だった。

読了ありがとうございました。

引き続きよろしくお願いします。

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