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ポートレイト  作者: 岸田龍庵
笑顔のわたし
14/68

その14

モネですかね クロード・モネ

「睡蓮」とか「列車の到着」とか

「ルーアンの大聖堂」が好きです

「あのー、絵じゃないっていうのは、どういうことなんです?」


「絵っていうのは描き手の解釈というのがあればこその絵なんですよ。

 例えば、風景にしても人物にしても、見たそのままを描くというのは無理なんです。写真ではないから。

 そのままの事を写し取りたいというのなら写真の方が早いし確実だし。

 もちろん写真には写真の良さがあって、撮影者によって同じ被写体でも捉え方は違います。簡単に言うと正面から撮るか側面から撮るかで意味が違うものになります。

 

 じゃあ、なんで写真ではなくて絵を描くかといえば絵描き自身の目線とか考えが反映されるから画家の作品として価値があるわけです。

 写真では出せないタッチ、色使い、構図、狙いその他様々な要素が浮き出てくるから絵として成り立つわけです。


 自分たちが見たままの絵を描こうと試みた印象派の画家たちでも自分たちの目というフィルターを通して絵を描くわけですから。

 逆に言うと自分たちの目を通して、自分たちの考えなり物の見方を投影したものが絵になりうるわけです。

 かのピカソが言っていたのは『私は見たままの絵は描かない、考えた絵を描く』と。

 ところが、この絵はどちらかといえば写真に近い。

 造形を正確に捉えるデッサンともまた違う。

 この人は写真を描こうとしている。

 絵の技術を使って写真を撮ろうとしている、と表現するとちょっと解りにくいかな?この絵からにじみ出てくる迫力は絵としてのものでなく、どっちかといえば写真が持つダイナミズムですね」



 すごい長い丁寧な説明が終わった。部長さんには丁寧に説明していただいてありがとう、と言いたいんだけれど、部長さんの話の半分も理解出来なかった。

 ダイナミズムって何?

 一般人の私に理解出来たことは「絵じゃなくて写真」ということくらいだった。



 写真。


 そう言われてみれば絵よりも写真に近い。と随分と簡単な事がどうしてわからなかったのだろう。簡単な事だからわからなかったのかも。

「ところで、これ誰が描いたの?学生?それともプロ?」と部長さんは聞いてきた。

「えっ?」そんな事を聞かれるなんて思ってもみなかった。

「あのーそのー」なんて言えばいいんだろう。


 そう言えば、水野恭一は、

 ストーカーじゃなかったし、知り合いというわけでもないし、友達でもない。

 なんでこんなんで悩むんだろう。変な汗が出てきちゃった。



「気を付けた方がいいですよ」部長さんは何の脈絡もなく言った。

「へっ?何をです?」

「昔から多いんですよ。『モデルにしたい』なんて言って実はナンパが目的だったなんて話は良く聞きますから」

 そうなんだ。そういうナンパのやり方もあるんだ。

「まったく絵描きの風上にも置けない輩が増えてきて困る困る」と部長さんはぶつぶつ文句を言っていた。

 ナンパ。

 その言葉が頭の中でグルグル回っていた。




 モネとカミーユ。

 図書室という場所にはあまり足を運ばない方だ。

 なぜなら図書室にあるような書物では新しい情報は手に入りにくいから。

 反対に図書室は古い情報の宝庫だから、今の私が知りたいことに関してはもってこいかもしれない。画家とモデルの事に関しては。

 美術部の部長さんから仕入れた情報で、画家とモデルの関係を調べることにした。

 なんで絵描きとモデルの関係なんて調べる気になったかというと、部長さんが最後に言った。

「モデルになってくれと言ってナンパが目的だった」と言ったことが引っかかったからだ。

 そうでなくては絵とか芸術に疎い私がこんな事柄を調べるワケがない。




 私は本当はナンパされているだけなのだろうか?

 その辺りが結構引っかかる。

 だから調べなきゃ。


 モネの名前くらい一般人の私でも知っている。

 自宅の庭に池を作って睡蓮を浮かべた「睡蓮」の絵は美術の教科書なんかで見たことがある。

 ただ、その奥さんのカミーユという女性のことは知らない。



 私はモネという画家の生い立ちから調べ始めた。

 腕白小僧だった少年時代。

 異端とされて印象派と蔑まれていた売れない時代。

 印象派を象徴する画家になって次々と作品を発表する絶頂期。

 家に池を造って、理想の絵を描き続けた晩年。

 当たり前かも知れないけど、今ではみんなが知っている画家のモネでも最初からみんなに認められていたわけじゃない。



 やっぱり私でも知っている大芸術家のピカソが若い頃は奥さんと一緒に外出が出来なかったという話を聞いたことがある。

 なぜならピカソは外出用のズボンを一本しか持っていなくて奥さんと交代でズボンをはいて出かけるしかなかった・・・。



 人生の最後に自分の好きな風景を書き続けられたモネも若い頃はとても貧しかったらしい。

 貧しい頃からカミーユという女性の名前が頻繁に出てくる。

 でも、お金に余裕があって自由に好きな絵を描くことが出来た時代には彼女の名前は出てこない。

 モネの妻、カミーユは若い頃に亡くなっている。

 彼が画家として認められるのを見ることなく亡くなっている。


 その彼女、カミーユの名前が後世に、私にも読まれるくらいに知られるようになっているのは皮肉にも彼女が画家モネのモデルだった絵が残っていることだった。

 とりわけて私の目を引いたのは、カミーユという女性が死の間際であっても、モネは彼女の絵を描いたということだった。

 題名は「死の床のカミーユ」。そのまんまだ。

 逆に言えばモネは死ぬまでカミーユという女性をモデルとしてしか見ていなかったということなのだろう。

 モネとカミーユの間には子供がいた。

 結婚も正式にしていた。でも、カミーユは自分が「私はモネの妻なんだ」って思ったことはあるのだろうか。

 というよりもモネとの家庭を本当に楽しんでいることが出来たのだろうか。




 モネはカミーユを奥さんとして見ていたのだろうか。

 それもと、モデルとして?

 なんか感じ悪い。

読了ありがとうございました。


モネの「光(つまり一瞬)を捉える」というのはいくつかの作品で、直接的に間接的に使っています。


今後もごひいきによろしくお願いします。

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