嫁との出会いの章
※最初に投稿した小説が長かったので分割したものです。
俺に有無を言わせる暇なく鮑三娘は声高らかに勝負の始まりを宣言した。しかし、俺は殺し合いという非日常の恐怖に竦み、まるで動けない。
「悪く思うなよ!」
山賊はそういうと大きく刀を振りかぶり、振り下ろす。
終わった。今度こそ死んだ。
刀がスローモーションで俺の脳天に迫ってくるのが見える。
これが死の瞬間に全てがゆっくりに見えるってヤツか。走馬灯っていうんだっけ? 違うかな。どうでもいいや。
さようなら、お父さん、お母さん。俺はこんなわけわかんないとこで変な女に裏切られて山賊に殺されます。育ててくれてありがとう。冷蔵庫のコーヒーゼリーは妹にでもあげてといてください。
刀が俺の頭まであと20センチに迫る。
死を覚悟し、強く目をつむった。
「ガキィ!」
金属がぶつかる音がした。
「ほう」
女が感心したように呟く声が聞こえる。
「テ、テメェ!」
山賊が叫んでいる。 どうやら俺はまだ生きているらしい。恐る恐る目を開けると、俺の両手は剣を頭上に横に構え、盗賊の一撃を防いでいた。
「往生際が悪いんだよ! おとなしく死んどけや!」
怒り狂った盗賊は何度も刀を振り下ろすが、俺は体をさばくだけでの盗賊の攻撃を完璧に避けきっていた。
「やるではないか。剣で受けるまでもなく、体さばきだけ十分ということか。先ほどとは別人のようだ。戦ったことがないと言ったのは嘘か?」
違う。戦ったことがないといったのは本当だ。ケンカなんかしたことがないし、ましてや殺し合いなんて。しかし、体が勝手に動く。まるで長年鍛錬を重ねたように。俺の体ではないみたいだ。体が戦いを覚えている。体が戦えと、生き残れと叫んでいる。
「さっさと死ねやぁ!」
盗賊は大きく上段に刀を振りかざし、突っ込んでくる。
「今だ!」
刀を中段に構え、脱力。下に重心を落とし、その勢いのまま地面を蹴り、滑るように山賊の懐に踏み込み、刀を突き出す。
突き出した刀は盗賊の胸に突き刺さり、心臓を貫いていた。
「そ、そんな……」
そういうと、盗賊は動かなくなり、その場にぐずぐずと倒れた。
俺も思わず刀から手を放し、その場にへたり込む。勝った。助かったんだ。
しかし、安堵も束の間、俺は自分のやってしまったことを自覚した。殺ってしまったというべきか。いくら襲われたからといえ、人を殺してしまった。取り返しがつかない事をしてしまった。言いようのない後悔と焦燥感胸にせり上げてくる。俺は一体どうしたらいいんだ。そんなことを考えていると、
「やるではないか! 見直したぞ。最初はどうなることかと思ったぞ」
感心したように女が山賊の死体に近寄り、突き刺さっている刀を抜き取る。
「俺、殺っちゃったのかな」
「ああ、見事に盗賊を殺してのけた。お主、いい腕をしているな」
「な、なあ、俺どうしたらいいと思う? とりあえず警察行って自首したほうがいいかな? 俺、人生で「私が殺しました」なんて刑事ドラマみたいなセリフを言う日が来るとは思わなかったよ。こういう時、正当防衛って認められるのかな。でも、殺すまでやっっちゃうと過剰防衛になっちゃうのかな……」
「なにをブツブツと言っておる。全く妙な奴だ。山賊風情にビビりまくっておると思ったら鮮やかな剣技で盗賊を倒す。かと思ったら殺したの殺さないだので大騒ぎ。わけがわからんぞ」
「でも実際俺、人を殺しちゃったわけだし」
「この乱世、盗賊を一人や二人殺したところで何ともないわ。かえって役人どもは感謝するだろうさ。なにせそこら中に黄巾党だの董卓軍だのの残党が山賊に身を落としてうようよしておるからな」
「ちょっと待って。今何て言った?」
「だから盗賊の一人や二人殺しても何ともないと――」
「そっちじゃなくて! 黄巾党だの董卓軍って言った?」
「ああ、そうだ」
「黄巾党に董卓軍って三国志の?」
「何だ三国志って」
「三国志は三国志だろ! ってそうか。三国志は後になってこの時代の物語にタイトルとしてに名付けられた名前か。OKわかった。質問を変えよう。ここはなんていう国で、今の皇帝は誰だ?」
「本当に妙な事を聞く奴だな。ここは漢で、献帝陛下が現在の皇帝陛下に決まってるだろう。もっとも戦乱の世だ。漢もいつまでもつかはわからんがな」
「漢……! 漢王朝の献帝の時代。劉備、曹操、孫権が天下を争った、三国志の時代じゃねえか。俺、本当にタイムスリップしちゃった? まさか本当にそんなことが……」
「独り言の多い男だのう。私はもう行くぞ。急ぎの用事があるのでな。道に迷ったのならばこちらの方向に下れば一本道が見える。あとはその道を下ってゆけば村に出る。なに、心配するな。ここから村へは歩いて二里(約八キロメートル)ほどだ。そう遠い距離ではない。では、さらばだ。よい勝負を見せてもらった」
「お、おい!」
そういい残すと鮑三娘は乗ってきた馬にまたがり風のように走り去ってしまった。ちくしょう。どうせなら俺も後ろに乗っけていけってんだ。しかしあいつ、とんでもない女だ。いくら山賊に襲われたからといって、いとも簡単に人間を二人斬り殺した。あまつさえ、今、ここが古代中国の漢王朝。いわゆる三国志の時代だとぬかした。そんなことあるわけがないだろう。第一、本当に三国志の時代にタイムスリップしたとしたら、言葉が通じるわけがない。山賊とも鮑三娘とも普通に会話ができたではないか。きっと俺をからかっているに決まっている。
鮑三娘が指した方向に山を南に下ると山道が見えた。言われたとおりに道を下ると、山を出て、広い平地に出た。何とか山から下りることができた。しかし、周りに何もない。見渡す限り草原が広がり、狭い一本道が続いている。少し不安になったがまあいい。きっと歩いている内にコンビニか何かあるだろう。そこで助けを求めればいい。
そう思って歩き始めた俺の期待は無残に打ち砕かれる事になる。何もない。コンビニはおろか、民家すらない。それどころか、アスファルトで舗装された道すら見えない。俺の住んでいた町にこんなに土の道が続く場所なんてあったっけ?
2時間ほど何もない道を歩き続けると、ようやく平屋の民家らしき建物が集まる集落が見えてきた。助かった。とりあえず、ここはどこかを教えてもらおう。
しかし、徐々に集落に近づき、はっきりと民家の様子が見えてくるにつれ、俺の足は止まった。集落を見渡すと、どれも木造の壁に白い塗料を塗っただけの藁ぶき屋根の簡素なつくりをしている。まるで中国の歴史映画のセットのようだ。なんだここは。しかし臆していてもしょうがない。誰でもいいからここはどこかを聞かなくては。そう思い、勇気を出して村に入る。 しかしそこには信じられない光景が広がっていた。村の人間は皆、粗末な着物を着ており、洋服の人間は一人としていない。平成が終わり、次の時代に移ろうとしている日本にこんな村があるはずがない。まさか、あの女が言っていたことは本当なのか。ここは現代の日本ではない。俺は三国志の時代にタイムスリップしてしまったというのか。
受け止めきれない現実を前に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。これから、どうしたらいいんだ。村の人間がよそ者を見る目でいぶかしげに俺を見てくる。だめだ、一旦この村を出て、もう一度状況を整理しよう。そう思い、村を出ようとすると、
「関索様! よくぞお帰りになられました!」
張りのある気合の入った声が響いた。見ると、老人が胸の前で拱手(片手の握りこぶしをもう片手で包む中国式の挨拶)し、俺の前で跪いている。
「すっかり大きくなられて。じいはうれしくてうれしくて涙が溢れそうでございます!」
そういう老人の目頭には本当に涙が浮かんでいた。
「もしかして、俺に言ってる?」
「もちろんです、関索様! もしや、じいの顔をお忘れですか! 無理もありません。最後にお会いしたのは関索様がまだ8歳の頃でしたからな。あれから10年。武術の修業を終え、このように立派になられた関索様に会うことができようとは。天に感謝せねばなりますまい」
「あのさ、じいさん。感動してるとこと、悪いんだけど、人違いじゃないかな? 俺は関索って名前じゃないんだけど。確かに似たような名前してるけど、俺は関索じゃないよ」
「何をおっしゃいます! 確かに最後にお会いしたのは10年前なれど、顔を見ればじいにはわかります。あなた様は関索様でございます。それに、ほら!」
老人はおもむろに俺の上着を脱がせ、俺を半裸に剥いた。
「じいさん、何すんだよ!」
「右肩に彫られた花吹雪の入れ墨。修行の旅立ちの前、戦や事故、何があっても関索様とわかるように関索様の母上様が彫られたものでございます。これがあなた様が関索様であるなによりの証拠でございます」
そう言われ、俺は恐る恐る右肩を見た。俺の右肩には確かに、華やかに散る花吹雪の入れ墨が彫られていた。
何だこれ。俺、こんな入れ墨を彫った覚えはないぞ。こんな入れ墨してたら温泉もプールも入れなくなっちまう。でも東京オリンピックが開催されるから、タトゥー入れてる外国人向けにそこらへんの規制は緩くなったりするのかな。いや、そんなことはどうだっていい。問題はなぜおれの肩にこんな入れ墨が入れられているのかだ。もし俺が三国志の時代にタイムスリップしただけたというのなら、こんな入れ墨は彫られていないはずだ。だとすればだ。
俺は一つの仮説に至った。
俺が現代の日本から三国志の時代に単純にタイムスリップしたのではない。俺の魂だけが三国志の時代にタイムスリップし、関索の肉体に宿ったのだ。それならば今までの全て事が説明がつく。今の俺の肉体は関索のものだから、関索が入れた右肩の入れ墨は当然そのままだ。さっき俺が山賊を倒した剣術は関索が長年修業し、身につけたものなのだろう。本当の俺の肉体ならばあんな動きはできない。そして今、俺が何気なく話している言葉。当たり前に話し、聞いていたから気付かなかったが、これは日本語ではない。中国語だ。そしておそらく、現代の中国語ではなく、三国志の時代の中国語なのだろう(現代だろうが三国志の時代だろうが俺に中国語はわからないが)。
つまり、俺の魂が関索の体に宿り、関索の持つ能力をそのまま使えると言ったところか。
「先ほどから考え込んでおられるようですが、いかがなされましたか。長旅でいささか疲れているようですな。一休みしていただきたいところですが、まずは母上にご挨拶をしなければ。ささ、まずは家に向かいましょうぞ」
そういうと老人は強引に俺の手を取って足早に歩きだした。仮説を確かめるべく、今の俺の肉体をよく確認したいところだったが仕方ない。これからの当てもないことだし、とりあえずこの老人についていくしかない。
少し歩くと、村の中心に出た。そこには他の家よりも立派な造りをした、石壁に囲まれた広い屋敷があった。
「さあ関索様、お帰りなさいませ」
老人に導かれるがまま屋敷の門をくぐる。広いには庭には池があり、沢山の果実をつけた木が植えられていた。村の他の家と比べると、随分と裕福な家なのだろう。さすが関羽の息子の実家だ。そのまま俺は屋敷の一番奥の部屋の前まで案内された。
「胡金定様、関索様が帰られました!」
そういうと老人は部屋のドアを開けた。
「関索、よく帰りましたね」
部屋には美しい着物を美しい女性と一人の痩せた老年の男が座っていた。胡金定と呼ばれたその女性は年齢は30そこそこと言ったところか。若々しく見え、20代といってもおかしくないほどだ。この人が関索の母なのだろうか。
「10年の修業、辛かったでしょう。よく頑張りましたね。母はうれしいですよ」
そういうと関索の母と名乗った女性は俺の側に駆け寄り、俺をギュッと胸に抱きしめた。俺の顔が柔らかい豊満な胸に埋められる。いかん。この状況は経験の少ない17才には刺激が強すぎる。急いで胸から顔を離し、この状況をどうしようかと頭を悩ませる。
「母上、お元気そうでなによりです。お会いしとうございました」
とりあえず、話を合わせることにした。拱手して「母上」に跪く。まずはこの状況を乗り切る。それからどこかに逃げて体制を整えて、現代に帰る方法を探さねば。
「母も関索に会いたかったですよ。立派に成長しましたね」
そういうと母上は俺の頭をよしよしと撫でた、優しく笑った。見ているだけで心がほぐされ、癒される女性だ。歩く母性と言っても過言ではないだろう。
「ありがとうございます、母上。ところで、そちらにおられる方はどなた様ですか」
俺は痩せた男を指して尋ねると、痩せた男はうやうやしく拱手して答える。
「ご挨拶が遅れました。私、商人の鮑員外と申します。本日は娘と共に、胡金定様にご挨拶に参上した次第でございます。このようなめでたい日に立ち会う事ができ、光栄でございます」
なんだ。ただの商人か。関索の実家にいるのだから、この人が関羽かと思った。確かに関羽のトレードマークである長いひげはないし、赤ら顔と言われている関羽にしては顔色が悪い。なによりオーラがない。この人が関羽だったらがっかりしてしまうところだった。
しばらく母上は俺を撫でていたが、姿勢を正して座りなおすと、急に真面目な顔をした。俺も慌てて座りなおす。
「関索。これから私はあなたに大切な話をしなければなりません」
「大切な、話とは」
「あなたの父上についてです」
ん? 父上について?
「今まで私はあなたの父上が誰であるか敢えて話しませんでした。父上への思いがあなたの成長の妨げになるかもしれなかったからです。しかしあなたももう18才。立派な男として成長しました。あなたは父上の名を聞き、歩むべき道を知らなければなりません」
思いつめたように母上は目を閉じ、沈黙した。場に重苦しい空気が流れる。でも、父上ってあの人だよね。
「あなたの父上。それはあの漢王朝の末裔、劉備様に使える劉備三兄弟が一人、関羽雲長様です」
母上は目を開き、ゆっくりとそう言った。
知ってた。
ゴメン母上。俺、知ってた。だって本にそう書いてあったもの。関索の父は関羽だって書いてあったもの。すごい大事な真実を話すみたいにもったいつけて話してたけど、俺普通にその話知ってたんだ。うん。なんかゴメン。
「なんと! 関索殿はあの関羽雲長様のご子息であらせられたか!」
横で商人の鮑員外がものすごい勢いで驚いている。俺も本当はこういうリアクションすべきだったんだろうな。
「ええ。かつて、私は関羽様の妻でした。しかし、関羽様は劉備様と桃園で義兄弟の契りを結ばれた後、天下のために働くため、後顧の憂いを断とうと、張飛様とお互いの家族を殺すことを決意なさいました」
「え、ちょっと待って。それマジ? お互いの家族殺すって関羽と張飛外道すぎやしない? あいつらそんなことやってたの?」
俺のツッコミを意に介する様子もなく母上は話を続ける。
「しかしその時すでに私は関羽様の子、関索、あなたを身ごもっていたのです。命乞いをする私を哀れに思った張飛様は私をこっそりと逃がしてくれました。その後はあなたも知っての通りです。あなたを八つの年から遠い山奥にいる師の元で武術の修業をさせたのも、全てはあなたを立派な男として、関羽様の息子として恥ずかしくないように育てるため。関索。あなたはこれから蜀に向かい、関羽様の元に行くのです。そして、息子として、立派に父上の役に立ってきなさい。それがあなたの使命です」
わからない。俺には話の流れが理解できない。なんとか逃げ出して、関索を立派に育てたまではわかる。でも、その息子を自分を殺そうとした関羽の元で働かせるって正気か? フツーは「私を殺そうとした男なんて二度と会いたくないし、息子も会わせるもんですか!」ってなるのもんじゃないの?
「それは素晴らしい! 関索様、父上の元で立派にお役目を果たして下されば、胡金定様もこれほどうれしいことはないでしょう」
鮑員外も嬉しそうにそう言っている。二人共そう言っているということは、きっとこの時代では何があっても親のために尽くすのが正義なのだろう。現代の日本の価値観とはかなりずれている。鮑員外はうんうんとうなづきながら俺を見る。
「ところで関索様はもう結婚はなさっておられますか?」
「いや、俺まだ高校生だし。結婚とかはまだ……」
「それはちょうどいい。ここでお会いしたのも何かの縁。ぜひ私の娘を妻にもらってはいただけませんでしょうか?」
「え、いきなりなんの話? 妻?」
「これ、鮑三娘こっちへ来なさい!」