再会
フリージアは冷たく凍える石牢の中にある、小さな簡易ベッドに腰掛けていた。
焼きごてを押し付けられた場所はいまもジンジンと痛みを持っていて、内側から焼かれているようだ。
少し前まで横になっていたのだが、汗だくになって湿り気を帯びた服は冷たく、起き上がって毛布にくるまっていた方が幾分か寒さを感じずに済むからだ。
天井近くにある小さな窓というには空気穴のために開けられたようなほんの少しの隙間だが、きらめく星空が見える。
ブルーエルに強化してもらった目でみなくとも自分の時は、明日終焉を迎えるのだとひしひしと感じていた。
ブルーエルは大丈夫だろうか、思案する。ルドラーの香炉でひどく体調を崩しているようにも見えた。とにかく無事で居てほしいとフリージアは紺碧にきらめく星を眺めながら、冷える石牢の中で白く色づいたため息を吐いた。
ふと窓から見えた夜空から自分の手元に視線を戻すと、なんだかさっきよりも暗く感じて、顔を上げるといつの間にか目の前に見たこともない青年が立っていた。
彼はルドラー達が身にまとっているような灰色や紺のローブではなく、ジャケットもパンツスーツも白一色に統一され、アクセントのように七色のストールのようなものを巻いているいう、どちらかというと派手な出で立ちである。
着こなし方を間違えばチンピラにしか見えないという服装だが、彼の整った容貌はそれをゆるさず、しかも彼の髪の色は見たことのないような艶やかな金の髪をしていて、見惚れるほどに美しい。
薄暗い牢の中で肌まで白く輝いて見え、それは服装が白いからではなく、まるで彼自身が光り輝いているようにも見えた。
フリージアはそこまで考え、ようやく気づいた。
彼は天使だということに。
その背中に折りたたまれた深緑の翼を見つけ、フリージアは戦慄した。もしかして彼はルドラーの仲間だろうか。
フリージアが緊張に身じろぎした時に、その足につながれた鎖が重たく擦れる音を立てた。
「あなたは何者ですか?!」
「全くあいつ、俺様をなんだと思ってるんだ……」
鎖の音に沈黙が破られたと感じたフリージアは意を決して、低く鋭い声で目の前の天使に問うが、彼は思案にお取り込み中なのか、全く気付かない。
「あ、あの……」
意を決して尋ねたはずなのに、出鼻を挫かれた途端に張りつめたフリージアの心もしおれてしまい、ブツブツとつぶやいている天使を警戒しながら恐る恐るもう一度声をかけてみた。
すると、険しい顔をした天使は唐突に顔を上げてフリージアに問いかけた。
「おまえがフリージアか?」
「そうですが……あなたは?」
「ふーん、お前が、ねぇ……」
「何ですか、一体」
その低い声は尊大で、ぶっきらぼうで、乱暴であったが、天使だからだろうか。
何故かずっと聞いていたい気持ちにさせられる。
天使に整った顔でまじまじと見つめられ、居心地悪くフリージアは彼の視線を避けるように顔を左下に向けた。
「お前にこれを渡すよう頼まれた」
ぶっきらぼうな様子で天使が投げて寄越したそれを、フリージアは慌ててキャッチした。
何だろうかと手の平を開くと、そこにあったのは小さなコンパクトだった。
フリージアは自分のものではない、見覚えのない無地のアイボリーのそれを開くと、そこには使いかけのひび割れたファンデーションと、焦げ茶色に変色したパフが入っている。
さすがにこのパフは使いたくないなと思いながらのぞいた鏡には、疲れ切った自分の顔が映っていた。
「これで死に化粧でもしろということですか?」
しかしパフはどう見てもお肌に悪影響がありそうな色をしている。どうせ死ぬのだからなんでもいいだろうと思っているのだろうか。
フリージアがコンパクトを閉じて怒りを込めた視線を投げかけると、天使は慌てた様子で両手と首を振った。
「違う違う。俺は敵じゃない。誤解しないでくれ。それに、化粧をしろなんて誰も言ってないだろ。それは、『道』だ」
「まさか……でも、そんなのありえない……だって……ここは彼には危険すぎます」
「お前を救うことができるのは、あいつだけだって、お前も知っているんだろう?」
天使の言葉に一つの可能性を思い立ち、即座に否定したが、そうであって欲しいと言う望みが自分の中にないわけではない。
「何? 」
突然コンパクトが熱を持って輝き出し、フリージアはその熱さに驚いてコンパクトを放り出した。
カラカラと石の上を滑って勝手に開いたコンパクトの露わになったミラー部分が強い光を放っている。
まるで真夏に空高く登った昼の太陽の光を反射しているような強い輝きに、フリージアは目を開いていられなくて目を閉じた。
「フリージア!」
聞き覚えのある声がしてうっすらと目を開くと、光はすでに収まっていて、牢の中はすでに暗闇に包まれていた。
まだ目が慣れていないためか、フリージアのぼやける視界の中央に人影が見えた。
「ブルー……? 」
眉間にしわを寄せて目を凝らすと、そこにはフリージアが契約した悪魔、ブルーエルがそこに居た。
彼の足元にはコンパクトが転がって居て、役目を終えたその鏡はもう輝いていなかった。
ブルーエルがコンパクトに繋がった鏡の道を通ってやって来たのだ。
「よかった、無事だったんだね」
離れてからたったの数時間だが、数年間ぶりに会えたように錯覚するのは、それほどブルーエルに会いたいと思っていたからだろうか。
「ブルー!」
フリージアは彼の元へ行こうとしたが、重たく冷たい鎖がそれを阻んだ。
「何それ……そんなもの、僕が」
「待て、お前はこれに触れるな」
天使は鎖に触れようとしたブルーエルを制止し、スラリと剣を抜いて壁につながっている鎖を断ってくれ、自由に動けるようになった。
まだ足首についている枷と鎖を引きずりながら、冷たい石の床を裸足のまま進むフリージアを、駆け寄って来たブルーエルがその腕の中に搔き抱いた。
「ブルーエル……!」
「遅くなってごめんね……」
ブルーエルの言葉にフリージアは彼の胸元に顔を埋めたまま首を振った。
胸がいっぱいで言葉が出てこない。
焼きごてを押し付けられた時も泣いてたまるか、とも思いながら堪えていた涙が溢れてくる。
「ここはあなたには危険なのに、どうして無茶を……」
「契約者を守るのは僕の役目だ。それに、君は僕が来ることを望んでいただろう?」
「でも……本当に来るなんて……」
「君の望みを叶えるために、僕はいるんだ」
ブルーエルの腕に込められる力が強くなるのを感じて、フリージアも彼の背中に回した腕に力を込めた。
ブルーエルからは人のような体温は感じられない。
どんなに人の姿に似せても彼は人ではないのだと思い知らされる。
それでも彼にとっては危険なこの場所に来てくれたことがフリージアはとても嬉しかった。
「来てくれてありがとう、ブルーエル」
きつく抱きしめれていたその胸を少し押して離れるとフリージアは顔を上げて、泣き顔にも見える笑顔で自身が契約した悪魔へとそう、震え声に伝えるのがやっとだった。




