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石牢

フリージアを救うために鏡の道を通り、街へ向かったブルーエルはある人物と接触します。

 ブルーエルが入った鏡の道は、上下左右に鏡があり、合わせ鏡になっていてブルーエルのすがたが無限に連なっている。

 同じ風景ばかりで方向を見失いそうになるが、足元の銀色のマス目状の道だけを数えながらながら進む。周囲を見渡すとあっという間に自分がどこにいるかわからなくなるからだ。


 ブルーエルが目指すのは、70番目のマスにある、右側の鏡だ。

 薄暗く鈍い色をした銀の道のしんとした空間には、ブルーエルが急ぐ靴音だけがやけに大きく響いている。


(フリージア……)


 フリージアが捕まったのは自分を守るためだった。香炉のせいもあるとはいえ、下級天使の羽の一対も奪えず、屈辱的な敗北だった。

 悔しい。

 あまりにも悔しくて自分のことが情け無く、苛立ちが収まらない。

 鏡に拳をぶつけたくなるような衝動を、拳をぎゅっと握って堪えた。


「絶対助け出す……」


 決意を胸に、やがて目当ての場所にたどり着いて鏡の道を抜けると、一瞬の眩い光が走った後、書斎のような部屋に出ていた。

 背後には今しがた鏡の道の出口にしたてきたスタンドミラーがたっている。

 壁に寄せられた本棚の前には大きな仕事机があり、事務服に身を包んだ部屋の主が難しそうな顔をしてペンを手に 何かを書いている。


「あの、ディウス様失礼します」

 彼、ディウスはブルーエルにきづいていないようで、もう一度少し大きめに声をかけるとようやく顔を上げた。

 端正な顔立ちに、少し癖のある黒い髪の青年だ。

 彼は魔界で南方の地を守護する魔王でもある。今は人間界と魔界を行き来して主に、人間と契約した魔族たちのサポートを行っている。


 魔王の時は燃え盛る炎のような赤い髪が特徴的な彼だが、今は人と同じ黒い髪で、派手な顔立ちを隠すために黒縁のメガネをかけて地味な事務員のようないでたちである。


挿絵(By みてみん)


「ブルーエル。来ましたか」


 聞くものに安心感を与える彼の低い声を聞くと、焦っていた自分の心が少しずつ落ち着いていくのを感じた。


「大体わかっています。街も騒がしいですからね。魔女が新たにとらえられた、と」


 ディウスが呟いた魔女という言葉にブルーエルの耳がピクリと反応する。きっとそれはフリージアのことだ。


「どこにいるかご存知ですか?!」


 知っているならば話が早い、と作業机に手をついて、身を乗り出しディウスに詰め寄った。

 そんなブルーエルの勢いに圧されたディウスが苦笑して、ブルーエルを手で制止しながら作業机にあったマグカップを手に取り、もう冷めているであろう紅茶に口をつけた。


「まさかあなたの契約者だったとは」


「絶対助けます」


 ブルーエルの言葉に一瞬瞠目したディウスは、大きく息を吐いた


「あなたからは白檀の香りがしますね。大丈夫ですか?あれは天使の頃は上質の香でしたが、今の我々には猛毒ですよ」


「はい、すみません……」


 慌ててブルーエルはディウスから距離を置いた。

 実はその昔、ブルーエルもディウスも階級こそ違うが、ともに天使であった。

 白檀は、天界にいた頃は嗅ぎ慣れた心地の良い香りだったが、衣服に染み付いた微かな香りに今は頭がクラクラする。


「これに着替えなさい。だいぶ楽になるでしょう」


 ディウスはロッカーから予備のものとみられる作業服を取り出してブルーエルに渡した。ブルーエルはありがたく受け取ると、ディウスに示された衝立の向こう側で作業服に着替えた。


 はたから見れば同じような服装になった二人は、人間の会社で働く同じ職場の同僚……というか上司と部下のようだ。

 ディウスより小柄なブルーエルには少し大きいので、魔法を使ってサイズを調整した。

 衝立から戻ると、いつの間に用意したのか応接セットのテーブルの上には淹れたての湯気が上がっている紅茶が置かれていた。

 室内には紅茶の匂いに混じってリンゴの香りが漂っている。

 ブルーエルはディウスにうながされるがままソファに座った。


「ディウス様、僕には時間が……」


 階級が上のディウスに逆らえず従ったものの、ブルーエルは気が焦って縋るように彼をみた。


「アップルティーです。どうぞ」


「でも僕……」


「少し落ち着きなさい。私がこれから話すことを、あなたはきちんと聞く必要があるのですから」


「はい……」


 ブルーエルはディウスに返事をし、アップルティーに口をつけた。冷えていた体の芯から温まっていき、心もだんだんと落ち着いてくる。

 ほぅっとため息をついたブルーエルの頰に赤みが戻って来たのを見て、ディウスは安心したように微笑んだ。そして机の上から何枚かの書類を取ると、ブルーエルの直角の位置にあるチェストに腰を下ろした。


「分かっているとは思いますが、危険ですよ。何しろ今の魔女狩りの指揮をとっているルドラーという男……、こちらでも色々調べているのですが、どうも……ね」


「あの男のこと、ご存知なのですか?」


 ブルーエルの問いにディウスは机の上から持ってきた紙の束を渡した。


「各町の魔女狩りの実績を書いたものです」


 手渡された書類に目を落とすと、そこには各街の名前と数字が記録されていた。今、自分がいる街の数字だけが他の街に比べて一桁多い。

 多すぎる。誰が見てもわかる、異常な数字だ。


「魔女狩りの横行するこのご時世ですが、各地の報告をみてもこの街だけが突出して魔女狩りの成果が多いんです。きっと何かありますね……」


 たかだか人間一人でここまで魔女狩りの件数を伸ばすのはおかしいというのだ。


「彼に下級天使が付いているのも知っていますが、もっと何か裏がありそうな、なさそうな…」


「何があったって僕は諦めません。とにかく、捕まった魔女が運ばれるという場所を教えてください」


 ぶつぶつと 悩み始めたディウスの言葉を遮ると、人と同じ色に変化させたこげ茶の瞳をまっすぐに見つめた。


「危険は承知ですね」


 しばらくの沈黙の後、ため息をついて立ち上がると机の引き出しから地図を出してきた。


「街のはずれのここに石塔があります。今までと同じなら、そこに一度魔女を連行、尋問して自白を得てから処刑することになっているようです」


「自白って……」


「捉えた人間が魔女だという確約を得て、処刑の大義名分を得るためです」


「そんな……」


 フリージアは魔女だと自分から名乗り、連行された。すでに自白しているようなものだ。

 ディウスの話が本当であれば、処刑まで時間がない。すでに彼はフリージアを処刑する大義名分を得ている。


 フリージアのことを考えるといてもたってもいかられず、ブルーエルは礼もそこそこにディウスの部屋を飛び出した。



「念の為、彼に連絡をしておきましょうか……」


ブルーエルが残した、まだ温かいままのアップルティーを見やりながら、ディウスは額に手を当ててため息をついた。




 薄暗い、冷たい石の壁が四方を囲む牢のなか、壁から伸びる鎖に手足を拘束された状態でフリージアは監禁されて居た。

 その部屋の片隅には火鉢があり、その中には炭が赤々と光っている。

 火鉢の中には鉄の取っ手がついた何か飛び出していて、墨をかき混ぜる火箸だろうかと思ったが、それは太く、火箸のようには見えなかった。


「さぁ、魔女に聖なる印を」


 ルドラーが告げると、やけに体格のいい男が火鉢から赤々とした焼ごてを取り出し、それをためらいなくフリージアの白く細い腕に押し当てた。


「っ…!」


 ジュワッと皮膚が溶け、肉が焼かれる音がすると同時にこの世のものとは思えない激しい痛みが襲う。

 かつての仲間たちもここで同じような目にあったのだろうか。いや、自白するまでもっとひどい目にあった者もいるかもしれない。

 気絶しそうになりながらも、負けてたまるかと必死で歯を食いしばり意識を保つ。

 敵の只中で意識を失ったらどんなことになるか、考えただけでも怖気が立った。


 焼きごてがようやく肌から離れたが痛みのせいで全身に浮いた脂汗と冷や汗が引かない。

 汗をかいたせいで体はどんどん冷えていくのに、焼ごてを受けた部分は脈打つようにジンジンと激しい痛みを与えてくる。


 ルドラーは火鉢を下げさせ牢から出すとフリージアに向き直った。


「聖なる刻印は悪しき者からあなたを守るためのものです。あなたに祝福を」


 そう言ってルドラーは牢を出ようとしていたが、フリージアはそれを止めた。


「あなたには天使がついている。それはご自身もわかっておられるようですが」


 荒い息で問いただすと、半分出ていた体を戻し、再びフリージアに向き直った。


「はい、とても光栄なことです」


「ならばなぜ、罪もない人々の命を奪うのですか。それが天の意思だとでも言うのですか?!」


「あなたに罪がないとでも?」


 荒い呼吸を深呼吸してととのえる。


「確かに私はあなたたちの言う悪魔を召喚、使役していました。ですがそれは人を救うための薬学や占術の知識を得るためです」


 彼らの言う悪魔は、かつては、古の時代には神と崇められていたものもいる。ブルーエルは元天使だ。

 フリージアの家が代々信仰している神も、彼らにとっては悪魔の一柱とされてしまっている。

 処刑された仲間の中には古の神の巫女だったり、神官だったりするものもいた。

 中には命を奪う術を与えるものもいるが、ブルーエルも含めてそれ以外の、薬学や天文学、語学などの知識を与えてくれる存在も多くいる。

 人のための使役も悪になるなんて、納得いかなかった。


「良いことに力を使ってきたから、自分のしたことは悪ではない、罪ではないとおっしゃりたいのですか?」


「私が知りたいのはそういうことではありま

せん。私は代々大地の神を信仰してまいりました。あなたたちの神が来るまでは……地母神の巫女として祖母たちは教えを守ってきました。あなたたちが見捨てた人々も救ってきました。あなたがいままで処刑した人の中には医師もいたと聞いています。あなたの言う神がいるというのならなぜ、貧しい人や病に苦しむ人を救わないのですか。あなた方が見捨てた方を救うためにしたことは罪になるのですか?!」


「病や貧しさは神の与えた罰なのです。あの者たちはやがて神の愛と偉大さに気づくはずでした。ですが、あなた方が悪しきものを使い、彼らの気づく機会を奪ってしまった。これは大きな罪です。だからあなた方魔女はこの世にいてはならない者なのです。神の偉業の邪魔ですから……!」


「………」


 まるで劇役者のように大げさな身振りでルドラーは話を続ける。


「私のしていることが正しくないとお思いですか?ならばなぜ天使が私の元へ来たのです?天使が来たということは、私のしていることは正しいということの証明なのです!」


 拳を握って自信たっぷりに言い切ったルドラーに、フリージアは絶望を感じた。この男には何を言っても話が通じなさそうだ。


「あの時、彼の姿を強制的に暴露し、連行しようと思えば出来ました。ですがそうしなかったのはなぜだかわかりますか?」


「……?」


 フリージアがいう悪魔をブルーエルだと知っている口ぶりに、やはりルドラーはブルーエルの正体を見破っていたのだと知った。


「人の心は弱い。簡単に欲望に流されます。悪魔が実際に存在してそれを使役することができることが知られれば、同じように悪魔を使役し、楽をしたいと望み、堕落するものも数知れず出てくるでしょう……あなたのようにね」


「私は堕落してなど…」


「自分で努力せず、他の力に頼って知識を得ているのです。それを堕落と言わずになんといいますか?それこそ罪なのです」


「……っ」


 返す言葉が思いつかず、フリージアは唇を噛んだ。


「天使を見ることができるその目も、悪魔からもらったのでしょう?」


 ルドラーの蔑むような視線に呆れと怒りが湧いてくる。


「なぜ……なぜそこまで我々術者を目の敵にするのです」


 フリージアの問いにルドラーは両手を広げた。


「この世は神のものです。そして人は神に作られた存在です。神以外信じるものなど不要です。ですが、あなた方魔女たちは平然と神以外にすがります。それは到底許されることではありません」


 狂信的な言葉と、ぞっとするような視線でフリージアを見る。それはおぞましくて不快で、思わず視線を外した。


「聖なる印を得た今、心安らかに明日を待ってください…もっとも、ここには絶対悪魔は入れませんが」


 ルドラーは表情を戻し、いやに穏やかな声音を使って牢から出て鍵を閉めて去っていった。


 残されたフリージアは牢の小窓から見える小さな星空を仰いだ。


(ブルーエル……無事でしょうか…)


 痛む傷跡を抑え、フリージアは膝を抱えて俯いた。癒しの術も知っているが、なぜかここでは呪文が全く機能しないのだ。


(ブルーエル……)


 心細さと痛みに胸が押しつぶされそうだ。白い頰を夜露のような涙がつい、と伝った。

ブルーエルが、鏡をつかって移動する描写ですが、これは昔読んだ魔術書の実践編かなんかに、【鏡の中に悪魔を喚起するという記述があったので、それを参考にしました。

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