襲来 (挿絵有)
その異変は、いつものようにブルーエルとフリージアが街へ出かける準備をしている時に起こった。
突然耳鳴りがし始め、ブルーエルは割れるように痛み出した頭を押さえて床にうずくまった。
「なん……だ……これ……頭が……」
「どうしました?ブルーエル、大丈夫ですか」
内部から頭蓋骨を破壊しようとするような衝撃が絶え間なく与えられ、あまりの痛みにフリージアの質問に答えられない。
ブルーエルは崩れるようにして床に四肢を投げ出し頭を抑えながら転げ回った。それと同時にドアが乱暴に開かれ、武装した十数人の僧侶たちが入ってきた。
「突然何ですか?!」
あっという間にフリージアとブルーエルは彼らに拘束されてしまった。
唖然とする二人の前に、僧侶たちの間を割って入ってきたのは、一目で高位とわかる藍色のローブをまとい、聖帽を被った壮年の僧侶だった。
「こんなところに家があるとは、驚きましたねぇ」
僧侶は呑気につぶやくと香炉を床に置き、あたりをまじまじと見渡した。
香炉からはもうもうと煙が舞っており、辺りに白檀の香りを漂わせる。
(あの香炉のせいか……いや、それだけではないな)
頭痛の原因を見つけてブルーエルは歯ぎしりした。彼の背後に、五体の天使たちの姿があったのだ。
一対しかない羽の数を見たところ、下級の者たちのようだが、彼らは口々に何かを唱えている。おそらく聖句だろう。それが香炉と合わさって、ブルーエルに体調不良を起こさせているようだ。
「何かご用ですか?」
普段は温厚なフリージアだが、壮年の僧侶には敵意を隠さずにきつい眼差しで問いかけた。
「わたしはルドラーと申します。あなたが魔女だという訴えがありましてね」
だがそんな彼女の強い眼差しを気にもとめず、淡々と言葉を告げるルドラーに間違いないか、と言われて出てきたのは先日森で助けた木こりであった。
「は、はい!この女です。間違いありません」
「あなたは……!」
二人はあまりの驚きに言葉を失った。
「だ、そうですが……この者と面識は?」
「たしかに私は先日この方を助けましたが……」
困惑して答えると、ルドラーはにっこりと微笑んで手を打った。
「そうですか。彼の言うことが正しいのならば、あなたは魔女なのですね」
「え、待ってください、私は薬剤師です!証書もあります!!」
額に入れて壁に飾っておいた薬剤師の証書にフリージアが目をやると、その視線を追ってそれを見つけたらしいルドラーはため息をついた。
そして部下の一人に額を外させ、持って来させて本物かの確認を始めた。
「どうやら本物のようですね……。最近、罪もない女性を魔女と偽って差し出してくる輩が多いんですよ。報奨金をせしめようという悪人が多くて……またこのパターンですかね…」
チラリと木こりに視線を流すと、木こり自身にはフリージアが魔女だという確証かなかったようで、悪事がばれたという焦りのためかバツの悪い顔をして頬を赤く染めた。
「まあいいでしょう。さて……ところで、そちらの彼は?」
「私の助手です」
「見たところ、体調が優れないご様子ですが……」
「急な寒さに体調を崩しているもので」
ブルーエルは 早口でそれだけ答えるのがやっとだ。
「ブルー、あれは……」
先日視力を強化したフリージアにも、ルドラーの背後にいる天使たちの姿が見えているのか、表情がこわばっている。
天使たちはブルーエルからは視線を外さず、無表情のまま聖句を唱え続けている。
彼らの顔立ちが整っているぶん、まるで教会に飾られている石膏像が動いているかのようで不気味な光景だった。
「季節の変わり目は体調を崩しやすいといいますからね。そうだ、良い薬があるんですよ」
そう声を弾ませながら、彼は懐から瓶を取り出してブルーエルの顔の前に差し出した。
ご丁寧に蓋まで開けてくれ、鼻を直撃したそのひどい臭いにブルーエルは顔をしかめた。
「ローズマリーを聖水で煮出した教会の薬です。よかったらどうぞ」
ブルーエルは口を引き結び、絶対口を開こうとしなかった。いや、開くわけにはいかないのだ。悪魔にとっての毒を自ら飲む馬鹿がいるものか。
「先ほど言いました通り、私は薬剤師ですのでお薬は間に合っています!」
ルドラーは フリージアの言葉を聞いても、ブルーエルから視線を外さず薬を近づけてくる。
「そんなことを言わずに、試してみてくださいよ。毒じゃないですよ?……普通の人間にはね」
「ぐ……っ」
(この男、僕を悪魔だと見抜いているのか…?!)
「爽やかな香りで頭がスッキリしますよ」
ルドラーは細身で気の弱そうな見た目よりも、思った以上に力の強い男だ。体は兵士に拘束されているが、力を入れて噛み合わせているブルーエルの顎をつかみ、口をこじ開けて無理やり薬を飲ませようとする力は顎が砕けそうな痛みすらある。
「やめてください!彼には手を出さないでください。彼は私を手助けしてくれているだけの善良な方です。魔女狩りが目的なら、私を連れて行けばいいでしょう?!」
ブルーエルの様子にたまらずフリージアが声を上げると、それまでルドラーの手に入っていた力が抜けた。彼はゆっくりとフリージアに視線を向け、ニタリと笑った。
それはまるで蛇が獲物を見つけて鎌首をもたげた時のような不気味な動きだった。
「ご自身が魔女であると認めるという事ですか?」
「私が認めようと認めまいと、どうせ連れて行くつもりだったのでしょう?拷問を受けるくらいなら潔く魔女だと認めます」
フリージアの言葉にブルーエルは愕然とし、木こりはニヤリと笑った。報酬が貰えるのが確定したからだ。
「では、街まで連行いたします」
後ろ手に縛られたまま、フリージアは乱暴に立たされて引かれていく。
「──っ、まて!!」
追いかけようとしたが、ルドラーについていた五体のうち、二体の天使がブルーエルに槍の切っ先を向け、立ちはだかった。
「一対の羽しか持たない下級天使風情が、身の程を知れ!」
「何を言う。悪魔ごときが笑わせるな!」
ふりおろされた槍を受け流し、背中にまわりこんで、翼の生える背中に蹴りを入れる。吹き飛んだ天使は仲間にぶつかり、絡み合ってもんどりうった。
天使がぶつかった戸棚は大きな音を立てて天板が外れ、中に入っていたカップや皿が床に落ちる。中にはフリージアのお気に入りのカップもあったのに。
だが後悔などしている余裕はない。
相手にできないわけではないが頭痛と漂う悪臭のため集中力も欠ける。
この状況でニ対一はかなり分が悪い。
痛みに脂汗をかき、悪臭に顔をしかめつつも飛びかかってくる天使を躱してやり過ごしていたが、ブルーエルは耐えきれず頭を抑えてついに膝をついた。
もう動けそうにもなかった。
「もういいだろう。この様子じゃ、どうせこいつはしばらく動けないだろうし」
ブルーエルを見下ろし、天使たちはそういうとルドラーたちの後を追って出て行った。
部屋の中央にはブルーエルの動きを封じるためだろうか。香炉が置かれたまま、白い煙が相変わらずもくもくと出ている。
「くそっ!」
ブルーエルは忌々しいその香炉を思い切り蹴飛ばした。金属の蓋がはずれ、灰が床に散らばった。
割れそうな頭を抱え、ふらつきながらなんとか階段を上り、与えられた自室へと向かった。
(僕も街に行かないと)
ふらふらとおぼつかない足取りでブルーエルは部屋の隅にあるスタンドミラーの幕を除けた。
悪魔は鏡を使って移動する。鏡はあらゆる場所にある抜け道なのである。
人間のフリージアといる時の移動手段はフリージアに合わせて徒歩だが、今は自分一人だけだ。
魔力の制限こそあれ、移動魔法位は使える。
鏡の前に立ち、額の汗をぬぐって呼吸を整える。
そして鏡の行く先をイメージして鏡面に手のひらを当てた。
「我が名はブルーエル。鏡の道よ、我が名を鍵として開け」
ブルーエルの言葉に共鳴するように鏡が輝き、そこが水面のように波打った。試しに手に力を入れてみると、鏡の中に入った手の向こうに空間を感じることができた。
「よし……」
通行できるようになったのを確認すると、ふらつきながらブルーエルはそのままスタンドミラーの道へと入っていった。
ルドラーのイラストは由毘七緒様に描いていただきました!