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後悔(三)

「さ、今はまず、空腹を満たしましょう。全てはそれからです」


 ディウスがいそいそと差し出した皿の上に並べられていたのは、クリームチーズの上にスモークサーモンがのせられ、その上にバジルソースがかけられた一口サイズのオープンサンドイッチだ。


「いただきます……」


 上に乗った具材を落とさないように齧ると、バジルの香りが鼻に抜けていく。

 チーズの酸味とスモークサーモンの甘さがちょうどよく、舌を喜ばせる。


「さ、お茶もどうぞ。オニオンスープもありますからね」


「あの、ディウス様、これって……」


 手渡された紅茶の香りがいつもとちがうので、ブルーエルは驚いてディウスを見上げた。


「私はアップルティーがいいと思ったのですが、妻がストレートで持っていけと……本当は私はアップルティーがいいと思ったのですけど」


 少し拗ねたように言うディウスに苦笑して、ブルーエルは紅茶のカップを傾けた。


 濃厚な茶葉の風味が口内のスモークサーモンの香りとクリームチーズの油分をさらって行く。


 オニオンスープは澄んだ琥珀色に玉ねぎが浮かんでいて、口に含むと玉ねぎの甘さが広がる。


 温かなスープはブルーエルの体を芯まで温めてくれて、満腹感と幸福感を感じさせてくれる。


「……ディウス様、人の魂を傷つけずに魔界に連れて行く方法ってどんな物があるのですか?」


「え?」


 ブルーエルはスープカップをソーサーの上におくと、ふと以前から思っていた疑問をディウスに投げかけた。

 思いもよらないブルーエルの質問にディウスは少し困ったように眉を下げた。


「ディウス様の奥様って、もともと人間だったと言う噂がありましたが、ご存知でしたか?」


「そういえばそんな噂もありましたねぇ」


ブルーエルの言葉にディウスは「ふむ」と唸って腕組みをした。


 それはブルーエルたちが天界から魔界に堕天してすぐの話だった。ディウスが人間の娘を魔界へと連れてきて娶ったという噂が流れたのは。


 しかしその娘の姿は魔界の誰も見たことがなく、ディウスもその噂を肯定も否定もせずにおり、そのまま人間の世界での仕事を与えられたので、誰も確認することはできず真偽は不明だった。


だが先ほどディウスの口から「妻」と言う言葉が出た。ディウスが人間の娘を娶ったと言う噂は本当かもしれない。


 だからブルーエルは期待を込めて、脇で給仕をしているディウスを見上げた。


 ガルシアがもし、魂を返してくれたらフリージアと一緒に魔界で過ごせるかもしれない、と思ったから。


「もしかしてあなた、フリージアさんを魔界へ連れて行こうと……」


 驚くディウスにブルーエルはうなだれて首を振った。


 彼女と魔界で暮らしたいのはブルーエルの望みであって、フリージアの望みではないかもしれない。


 彼女が望まなければ魔界へ連れて行くことはできない。


「わかりません。彼女の魂が僕の元へ戻ってきたとしても、僕は彼女がどうしたいのかが全然わからなくて……」


 それに魔界行きを彼女にははっきりと断られている。


 しかし選択肢は多いほうがいいだろうと思い直し、ブルーエルはディウスの返答を待った。


「たしかに人を魔界で生かす方法はありますが……きっとフリージアさんは魔界では暮らせないでしょう」


「そんな、なぜです? 」


 ディウスから返ってきた予想外の答えにブルーエルは納得がいかなくて立ち上がったのだが、それをディウスは手で静止し座るように促した。


「ガルシアから聞いた話では、フリージアさんはアシェラトの光癒術を使役するほどの力を持つ、カヌアンの姫巫女だとか。おそらく彼女の魂は魔界を拒むでしょうし、魔界も彼女を歓迎しないかと」


「フリージアがそれを望んだとしても、ですか?」


 なおも食い下がるブルーエルにディウスは頷いた。


「はい。アシェラト女神といえばカヌアンの地母神。カヌアンの最高神エル・エリオンの妻にして神々の母です。あなたもご存じでしょうが、ゼブルをはじめ、ロッタやロットなどカヌアンの神々の一部は現在魔界で共に過ごしています。ですがアシェラト女神は今、天界で智天使ツァフとして過ごしています」


 元は天使だったブルーエルも、ツァフのことは覚えている。


 穏やかな性格の慈愛に満ちた天使だ。


「ツァフは一度も魔界の瘴気に触れたことがなく、ましてや彼女の加護を受けるフリージアさんも姫巫女として癒しと浄化の力を持つとなると、清浄な力は魔界の混沌とした力とは大きく反発するものなので。どうしても魔界へ連れて行くのならば……そう、これまでの契約者にしたのと同じく、彼女の魂を喰らい、あなたの血肉としていくしかないでしょう。もっとも、そのような方法はあなたの中には無いのでしょうが」


「当然です!」


 契約当初は価値の高い嗜好品としてしかフリージアの魂に魅力を感じていなかった。


 しかし今は違う。彼女の魂を嗜好品と見ることに嫌悪感がある。


「ほら、あなたも彼女の清浄な力に影響されて変わりましたもの。かつての天使だった頃に近い考えを持つようになっている」


 ディウスはアップルティーで口を湿らせ、言葉を続ける。


「私たちの役目は彼らから困難な状況を乗り越えるための努力や学ぶ機会を奪い、安易な道を選択させ、堕落させ、試練を乗り越え魂の経験値を得る機会を奪うことです。ですがあなたは彼女を堕落させることなど端から考えていない」


 逆に、天使の役目は正しい道を選択できるようにサポートすることだ。だがあくまでもサポートだけだ。


「成長するための選択肢など先回りして潰し、堕落の道だけを残して仕舞えばいいのにそれをしなかったのですから」


 むしろ、しなかったというよりもフリージアの契約の結び方が上手すぎて抜け穴がなく、小細工が出来なかったというのが正しいのだが、ブルーエルがその状況を変えようと彼女に抵抗せずにいたのも事実だ。


「地獄を統括しているあなたをそのように変えるほどの人間の魂ですから、やはり魔界で過ごすのには向かないでしょうね。私ならお勧めしません」


 肩をすくめて少し戯けるディウスにブルーエルは肩を落とした。


「でもディウス様の奥様は?なぜ魔界で過ごせているのですか」


「妻が魔界にいたのはほんの少しだけですよ。すぐにこちらへの出向が命じられましたからね。それにフリージアさんと違って彼女は普通の人間でしたから、結界を張った私の城の中だけなら過ごすことができていました」


 ディウスの妻の姿を誰も見ていないというのは、城から一歩も出ていなかったからなのだ。


「うう……僕はどうしたら……」


 ディウスの妻の話は全く参考にならないとブルーエルは頭を抱えて唸った。


「ブルーエル、ここで悩んでいても仕方ありませんよ。食事も終わりましたし、そろそろガルシアの待つ忘却の川へいきましょうか。あそこへ行けば、何か考えが浮かぶかもしれませんよ」


 ディウスは空気を変えるように手をパチンと合わせた。


「は、はい」


「私はこれを下げて来ますので、あなたは先に事務室へ行っていてくださいね。そこの階段を登った先です」


「わかりました。あの、奥様によろしくお伝えください。お料理、とても美味しかったです」


 ブルーエルに嬉しそうに頷くと、ディウスは空になった食器類を持って部屋を出ていった。


 そしてブルーエルはディウスに言われた通り階段を登って事務室へと向かったのだった。

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