後悔(一)
ブルーエルが目を開けて1番最初に目に入ったのは見知らぬ天井だった。
チョコレートカラーの落ち着いた茶色に、金で均等にます目が引かれている。
フリージアの家の天井はベージュの細い板が何枚も並べられたものだ。
上体を起こし、周りを見渡すが、自分の記憶の中にはない場所だ。
ベッドの下に敷かれたカーペットは濃い赤で、まるで魔法陣のような幾何学模様が描かれている。
(ここは……僕はまだ人間の世界にいるのか……?それとも、これが夢というやつなのだろうか……)
本来であれば眠らないブルーエルは夢というものを見たことがない。
だが肌に触れるふかふかのベッドの感触や、シーツから香る石鹸の香りは現実感があり、とても夢のようには思えなかった。
フリージアの家にあった本で読んだ、夢か現実かを確かめる方法に頬をつねると書いてあったのを思い出したブルーエルは自分の頰をつねってみた。
「痛い……」
頰をさすりながら額に手を当てて考えるが、木こりを地獄に送った後の記憶がない。
契約者のフリージアが亡くなったことで魔界へ強制転送されたのかとも思ったが、今いる場所は明らかに懐かしさを感じるはずのブルーエルの居城ではない。
それに窓からは、常に暗い魔界では見られない濃いオレンジの夕日が差し込んでいる。
やはりここは人間界なのだとブルーエルはようやく理解した。
「………」
理解した途端、ブルーエルは喪失感に天を仰いで、全て夢だったらいいのに、と手のひらで顔を覆った。
ブルーエルは目の前でフリージアを喪い、ガルシアに彼女の魂を奪われた。
でも、それらは全て夢で。
フリージアはまだ生きていて。
「ブルーエル、気がつきましたか?」
なんて言いながら、あの扉から不意に入ってくる。
そうだったらどんなにいいか。
でもそうじゃないのをブルーエルは知っているし、彼女の最期の姿も覚えている。
今も炎に焼かれる彼女の姿がまぶたに焼きついていて、フリージアを救えなかったという大きな後悔に胸が押しつぶされそうだ。
「フリージア……」
窓から差し込む夕日と同じ、オレンジの瞳からあふれてくる涙を抑えられず、それは何滴もシーツに吸い込まれていく。
彼女の魂はもう煉獄に行ってしまったのだろうか。
「フリージア……」
ブルーエルは柔らかな毛布を抱きしめた。
「フリージア……」
逢いたい。
「フリージア……」
触れたい。
「フリージア……」
声が聞きたい。
「フリージア……!」
君が恋しい……。
ブルーエルを縛り続けたその名をつぶやく度に、願望があふれてくる。
今更ながらに彼女への思いを再確認して、ブルーエルは自らを嘲った。
ただの人間なのに、これほどまで心をとらわれるなんて、おかしい、と。
いや、フリージアはただの人間ではなかった。カヌアンの姫巫女の末裔で、賢さも力も経験もブルーエルの比ではなかった。
だからこそ今までの怠惰で堕落した人間より魅力的に感じた。
一緒にいて飽きることがなかった。───というよりも逃亡生活でもあったので、飽きる暇がなかったというのもあるが。
何度目かの引っ越しの後、二人で星空を見上げた夜、本当は恋心と自覚しておきながら、自らそれを見ないふりをした。
契約者であるフリージアにに恋心を伝えて拒否されるのが怖かったから、気に入っている、と偽った。
ブルーエルの心にあるのは後悔ばかりだ。
彼女がブルーエルの気持ちに気付いていたかは知らないが、あくまでも二人は契約で結ばれた主従関係なのだと釘を刺しにきたフリージアは、落ち着きがなく少し動揺しているようにも見えた。
ブルーエルは気に入っているだけだと告げた時の、拍子抜けしたようなフリージアの顔を思い出して苦笑を浮かべた。
(本当は好きだったって告げたら、君はどう反応したのだろう……)
もしかして、脈があったのかな。
ブルーエルの言葉に赤面した彼女の顔を思い出してそんなことを思っても、もうブルーエルの気持ちを彼女に告げることはできないし、ブルーエルが彼女の気持ちを知ることはできない。
煉獄へと持ち去られた彼女の魂がブルーエルの元に戻ることはないのだから。
幸い部屋には誰もいない。
枕に顔を埋め、膝を抱えてブルーエルは気の済むまで涙を流し続けた。
(僕は、なんて愚かな……)
望んでも望んでも、時間は元には戻らないと知っているから、涙と一緒に自分自身さえ溶けて、消えてしまえばいいのにと、ブルーエルは声を押し殺して泣いた。




