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薔薇の天使(三)

 あまりの眩しさに目を閉じ、さらに腕で遮っていたガルシアは、瞼の向こうから感じる光が弱くなったのに気付くと、何が起こったのだろうかと恐る恐る目を開いた。


 光の量はツァフがアシェラトに戻った時のそれよりもはるかに多かった。


「何……? 」


 目の前の光景に息を飲んだガルシアは、勢い余って唾液が迷子になり激しく咳き込んだ。


 そこにいたのは、勝利の女神アナト、雷鳴と嵐の神バアル・ゼブル、双子の豊穣神ロットとロッタ。


 だが彼らだけではない。先ほどまでいなかったはずの冥界の神モト、女神アルラトゥ、海の神ヤムまでもがそこにいた。


 懐かしい地に呼び出された、ガルシア以外の誰もが古の姿を取り戻していたのだ。


「ああ……またこの姿を目にすることができようとは……」


 目の前に突然現れた冥界の神に驚いたゼブルが後退った。


「モト、お前たちもいたのか」


 ゼブルが柘榴の色から金に変化した瞳を歪めて警戒心をあらわにすると、灰色の髪をかきあげながら、モトは彼をバカにしたように鼻を鳴らした。


 かつて主神であり神々の父でもあるエル・エリオンが神々を取りまとめる王を決めるとき、兄であるモトを差し置きゼブルが選ばれた。


 そしてそれに腹を立てたモトはゼブルを冥界に閉じ込め死を与えたことがある。


 そのことからゼブルはモトを警戒しすぎるほどに警戒している。


「モト、また木っ端微塵にされたくなければ妙な気を起こさぬことだ」


 ゼブルを背にかばうように前に出たアナトは腰から下げた剣を鞘から抜き、その鈍くひかる刃先をモトに向けた。


「す、するかよ! 相変わらず血の気の多いやつだな」


 夫であるゼブルを冥界から連れ戻しに来たアナトに切り刻まれたことがあるモトは、大量の冷や汗をかきながら友人である小柄な海神ヤムの背に隠れた。


「大丈夫ですわ女神アナト。今の彼にそのような力はございません。わたくしたちは天界にも魔界にもいかずにずっとこの地にいたため、力を失い小さきものとなっておりましたもの」


 夜空のような艶やかな黒髪を流し、紺のナイトドレスに身を包んだ冥界の女王アルラトゥが、頭を飾っているベールを揺らしながら言った。


 腕を飾るラピスラズリが光り、小さな鈴が空気を転がす。


「今戻ったのは姿だけ。それにこれ以上を望むなど、おこがましいことですわ」


「ふん……命拾いしたな、モト」


 アルラトゥの言葉にアナトは剣を鞘にしまうが厳しい視線をモトから離すことはなかった。


「しかし、小さきものとなった我らは間も無く消えゆく定めであったが……」


 幼い少年の姿をした海の神ヤムが自分の小さな手の平をまじまじと眺めながら呟いた。


 そしてモト、アルラトゥ、ヤムの三柱はアシェラトの持つ光り輝く魂を愛おしげに眺めた。


「あの魂の持ち主は、人の世の混乱においても我らへの信仰心を強く持っていたのだな」


「ええ。ですから、カヌアン最後の姫巫女フリージアへ、我らカヌアンの神々の祝福を与え、彼女の門出を安らかなものにするのです」


 ヤムの言葉に返答したアシェラトは麦の穂でフリージアの魂を撫でた。カヌアンの大地から湧き上がった螺旋状の粒子となった癒しの力が白い魂に触れ、魂は人の姿へと戻るのだ。


 だが現れたフリージアのその姿は火刑で焼けただれた姿のままだった。虚ろな表情でうなだれているのは火刑の直前に槍で貫かれた時の姿勢だからだろう。


「これは……」


「ひどい……!」


 その最後の姫巫女の思いもよらない姿にカヌアンの神々は怒りに打ち震えた。


「本来であれば魂の傷はレテを流れる時に少しずつ癒されるものなのですが、なにやら、ガルシアにはこの魂の回復を急ぎたい事情がある様子」


 レテとは天界にある川で、忘却の川とも呼ばれる。肉体を失い、天界へ戻った魂の生前の記憶などを洗い流し、傷を癒した魂が次の生へと向かう場所だ。


 カヌアンの神々の視線を一身に受けたガルシアはアシェラトの言葉に困惑して頭を掻いた。


 ありもしない罪に問われ、火刑で傷つけられたフリージアの魂の治癒は、本来であれば早くて数百年。遅くて千年はかかるものだ。


 命の花を散らすその瞬間まで彼女は平気な様子を崩さなかったが、心──魂は傷ついていたのだ。


 いまガルシアの目の前に現れた不完全な彼女の魂の姿がそれを物語っている。


 天界からネリが降りなければ。


 セフィロトの情報が持ち出されなければ失われなかったはずの命だ。


 フリージアだけではない。カヌアンの信徒たちの命も、だ。


 信徒たちはフリージアを通してカヌアンの神々を見ていた。


 彼女の魂を癒すことは信徒たちをも救うことにつながるかもしれない、とガルシアは考えたのだ。


「そんな事情はいいから早く、ねぇ早く治してあげないと」


 しかしガルシアが頭の中で整理したことを神々に説明しようとした時、フリージアの痛々しい姿に耐えられない、と半泣きのロッタがロットの裾を引いて言った。


「そうだな。アシェラト、俺たちをこの場に呼んだ理由もその事情に関わりがあるのだろう」


 ロットが妹を宥めながらアシェラトを見上げると、アシェラトは笑みを浮かべながら麦の穂先をフリージアへ向けた。


「初めは私一人で対処しようと思いました。ですが思ったよりも彼女の魂が負った傷は深く、私一人の力では癒しきれるものではありませんでした。そのためにあなた方を呼びました。皆の力で、我らの最後の姫巫女であると彼女の魂の傷を癒しましょう」


 アシェラトの言葉にカヌアンの神々はうなずくと、フリージアの魂に掌を向けた。


「我らカヌアンの神々による最後の祝福を、カヌアンの終の姫巫女フリージアに与えん。願わくば、次なる生へ向かう彼女の魂に幸多からんことを」


 アシェラトが癒しと祝福を言祝ぎ、麦の穂を振るった。すると虚ろな表情のままのフリージアの足元から螺旋状の光が発生し、彼女を包み込んでいく。


「困難は成長の糧となり、あなたの力となるだろう。恐れることはない。あなたには我らカヌアンの神々の守護がある。臆すことなく、信念を持って進めるよう───っなに?!」


 ところが、言祝ぎの途中で突然フリージアを包んでいた光の球が弾けた。


 まるで花火のようにカヌアンの大地へと弾けた光の粒たちはやがて人の姿を取った。


 フリージアと同じく、虚ろな目をして前屈みになっているそれらは老若男女、様々な年恰好をしている。


 彼らはみんな、カヌアンの信徒である。


「ガルシア、このことは最初に教えて欲しかったのですが」


「いや、俺もまさかフリージアがこんなに魂を抱えていたとは思わなかった……普通、人間がこんなに他人の魂を背負えるわけがない」


 アシェラトの震える声には動揺が隠しきれていない。ガルシアもまた、自身の予想以上の出来事に天を仰いだ。


 出てくるとしても、せいぜい信徒たちをまとめていた、フリージアの補佐をしていた人物くらいだろうと。


「フリージアは姫巫女として、命の花を散らしていった信徒たちの全ての魂をその身に隠していたのか……。おそらく体のどこかに鍵を作り魂を縛っていたのだろうな」


 命を失ったら煉獄やレテではなくカヌアンの姫巫女フリージアの元へ来るように。


 処刑により生を終えた彼らは墓を建て手厚く葬られることもない。


 フリージアの存在自体が彼ら信徒にとってすがることができる、死後の唯一安らげる場所であり、フリージアもまた魔術の師である父方の祖母から引き継いだ際に姫巫女として彼らの墓標となることを受け入れていたのだろう。


 フリージアの強い魂の光は、信徒たちの魂の光でもあったのだ。


「ガルシア、あなたは……、あなたはこの件に関しての一体どこまで知っているのです。熾天使のあなたしか知り得ないこともあるのではないのですか?」


「いいえ、俺が知っていることはもうありません……というか、彼女が魂を抱えていたことも予想はしていましたが知りませんでした。アシェラト女神、そしてカヌアンの神々よ。あなた方には迷惑はかけません。この件に関しての責めは俺が全て負います。だから、彼女と彼らを……頼みます」


 フリージアに縛られていた複数の魂は彼女から解放し、魂の傷を癒して再び輪廻の流れに乗せる必要がある。


 だが100を超える数の魂だ。緩やかな魂の回復を命じている天界のルールを無視し、人の世で失われし神々の力を使ったというこのことが露見すれば、翼を失うことになるかもしれない。もちろん、最悪は消滅となることだが。


「言われなくても彼らは私たちの守るべきカヌアンの信徒たちです。彼らに祝福と新しい道を示すのは神として当然のことです」


 ガルシアの覚悟に触れ、アシェラトはカヌアンの神々を見渡した。誰もが不安な顔一つせず、アシェラトの言葉に頷いた。


「見せてさしあげましょう、私たちの力を。カヌアンの子らに最後の祝福と、新たな道しるべを……!」


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