心情
ブルーエルは五年ほど前に、知識を欲するフリージアに召喚されて人間界にやってきた。
長い時を生きる彼にとって、人間との契約は単なる暇つぶしであった。
契約の対価となる人の魂は悪魔にとっての嗜好品で、人の世における酒のようなものだ。
なくても困らないが、あれば無駄に過ごす魔界の時も少しは味気が出てくる。
だから、フリージアに召喚され契約を求められた時も暇つぶしにいいかと狡猾な契約書を作り、適当に願望を叶え、いつも通り魂を頂くつもりだった。
だが、いつもの人間たちとはフリージアは違った。
召喚されてすぐ、彼女の魂の美しさにブルーエルは心を奪われた。
白く輝く彼女の魂が欲しくてたまらなくなった。
何がなんでも彼女と契約をし、魂を奪おうと契約書を作った。
だがそう簡単に事は運ばなかった。
フリージアは契約書の粗をさがし、何度も書き直させて自分に不利な契約を結ぶことは絶対にしなかった。
ブルーエルは書き直しをさせられるのにうんざりして、結局彼女の望む通りに契約書を書き換えたのだ。
契約に関しても、“悪魔”が得意とするはずの狡猾さも持っており、賢い彼女はブルーエルの何枚も上手であったのだ。
そして、天文学と薬草学の知識を与えるという契約のもと、彼女の命が尽きるまで彼女に従うことになり、ブルーエルは人間界にとどまっている。
召喚された時は異形の悪魔そのものの姿であったが、人間界で過ごすために今は人間の姿に変化している。
金の髪にオレンジの瞳、背格好はフリージアより少し年上の、18歳くらいの青年。
彼が異形の姿に戻り魔界に帰る時は、彼女の魂を得た時である。
だが最近、ブルーエルはいつまでもこの世界で彼女と過ごしたい、そう思うようになっていた。
今まで騙し、魂を奪ってきた愚かな人間とは違い、賢く、彼の知識を正しいことに使いたいという純粋な気持ちに初めて触れ、堕天使でもあるブルーエルは、過去に天使であった頃の気持ちを呼び覚まされるようであった。
彼女といると、不思議と魔界で過ごしていた時のささくれた気持ちも落ち着き、天界にいた頃のような穏やかな気持ちでいられるのだ。
「あ、見えましたよ、ブルーエル! あそこです。 あれが昔使っていた家です」
過去の思い出に浸っていたブルーエルだったが、弾むようなフリージアの声にハッとして思考を現実に引き戻し顔を上げた。
そこは蔦に覆われて、ほぼ廃墟となっていて、どう見ても家というよりも掘っ建て小屋といった様子である。
「ここ? 大丈夫なの? 」
いろんな気持ちを込めてそういったのだが、フリージアは気にもとめずにドアを開けて、というよりも開けた瞬間ドアは外れてしまったのだが、中に入って行ってしまった。
慌てて後を追って中に入ると、埃とカビ臭さが漂ってきて、くしゃみと咳が止まらなくなった。
「ねぇ、本当にここで暮らすの?! 」
涙目になりながら鼻と口を手で覆ってフリージアに再確認をする。目も鼻も喉も痒くてたまらない。
「はい。 時戻りの術をかけますから、安心してください」
いつの間にか自分だけ鼻から口にスカーフを巻きつけ覆いをつけたフリージアがそういって杖を振ると、光の粒子が周りを取り囲んだ。
ブルーエルはそのまばゆい光に思わず目を細めた。
やがて光が収まり、目を開くと家の中は見違えるように綺麗になった。カビ臭さもない。
「もしかして君、僕以外とも契約してるの? 」
時を戻す魔術はブルーエルの領域ではない。
もっと高位の魔族のものだ。
基本的に人の魂は一つ。
だから契約できるのも一生に一回だけだ。
だがフリージアほどの賢さがあれば、数体の魔族と取引することさえ可能だとブルーエルは思っていた。
「いえ、先生から教えていただきました」
その言葉に、内面に燃え上がった嫉妬の炎はすぐに消え去った。
「本棚にこれをいれてください。 私は薬草棚の整理をするので」
フリージアの契約者は自分だけだとほっとしながら、柔らかに笑うフリージアから本を受け取った。
「ねぇ、フリージア。 ここ、本当に見つからないよね……?」
ふと不安がよぎる。こんなにもあちこち転々とすることは今までの契約者にはなかった。
「大丈夫です。きっと森の木々が守ってくれますよ」
そういって、ブルーエルの杞憂を吹き飛ばすような柔らかな笑顔でフリージアは答えた。