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薔薇の天使(一)

 白い星々がきらめく深い藍色の空の下、ガルシアは白く輝くフリージアの魂を入れた筒を抱えて薔薇の生い茂る庭園の庭を歩いていた。


 彼が歩いているのは天界にある天使たちの居住区だ。ここには彼が面会を求める高位の天使がおり、ガルシアはその天使に会い、ある目的を達成するために天界へと戻ったのだ。

 

 ガルシアは四季折々の植物が咲き誇る百花の園を抜けると白い円柱に挟まれた、赤茶色の樫で出来た重厚な扉の前に出た。


 扉には薔薇の彫刻が隅々まで施されていてとても華やかで荘厳だ。


 その扉の前で立ち止まると緊張を手放すかのように彼は深呼吸をした。


 深く吸って、ゆっくりと吐くと顔を上げてドアノブに下げられたリングを扉に当てる。


───コツ、コツ、コツ。


 固く乾いた音が広い廊下に響いた。


「───どなたかしら」


 少しの間をおいて扉の向こうから落ち着いた、少し低めの柔らかな女性の声が返ってくる。ガルシアは咳払いをして姿勢を正すと、相手には見えないのに90度のお辞儀をして答えた。


「熾天使長ガルシアです」


「どうぞ、お入りなさい」


 名乗ると入室を許可する言葉とともに、ギィ、と重い音を立てながら扉が勝手に開いた。


 扉の向こうに見えたその部屋には赤、ピンク、橙などの色とりどりの薔薇が咲き乱れ甘い香りで一杯だ。正面奥には小さな滝もみえ、それは小さいながらも涼やかな飛沫を上げている。


「失礼します」


 足元には野原のように芝が生き生きと茂り、小さな小花が揺れている。


 ガルシアのいるここは外ではない。なのに、生き生きと輝く彼らの姿に、ここは室内ではなく外なのではないかと錯覚させられるほどだ。


 滝の前にたどり着くと、初夏の日の光のような波打つ金の長い髪に薔薇の花冠を飾り、薔薇の花びらを重ねたようなドレスに身を包んだ智天使ツァフの姿がある。


 彼女はマラカイトグリーンの瞳を細め、ふふふ、と小さく笑った。


挿絵(By みてみん)


「あなたとお会いするのはいつぶりかしら、ガルシア」


「そうですね、大戦以来かと」


「平和なことは良いことだわ。───それで、今日は何用です?」


 ガルシアの答えに頷くと、ツァフはかたわらに咲く大輪の赤い薔薇の花弁をなぞって問いかける。


 だが親しげな彼女を前に柄にもなくガルシアは緊張していた。


 彼女は天使になる前は女神であった。


 その彼女にしか頼めないことで訪れたのだが、なんと切り出したら良いか言葉が出てこず、ガルシアはあちらこちらとエメラルドの瞳を彷徨わせた。


「ガルシア、どうしました?その持っているものはなんです?」


 そんなガルシアを怪訝に思ったツァフが近寄り、彼の手に握られた筒を見つけた。


「あ、あの、これ……なのですが」


 フリージアの魂が入った筒を差し出すとツァフは首を傾げた。


「純白の……この魂の持ち主はとても純粋に、清廉な生きかたをされてきたのでしょう……この魂がどうかしたのですか?」


「は、はい……実は……」


 ガルシアはフリージアの魂についてツァフに説明した。彼女は人の世界で魔女とされ、処刑されたのだと。


「それは……人の世界には手を出さないとの我らの決まりを破った者がいるのですね」


 その被害者はフリージアだけでなく、数多くいると知ってツァフは悲しげに俯いた。


「はい。その始末はもう俺がつけたので、人の世界は次第に落ち着きを取り戻すはずです」


「まあ、お仕事が早いこと。さすが熾天使長ですね」


 ツァフの真っ直ぐな褒め言葉にガルシアは頭を掻きながら曖昧に返答をした。


「俺があなたの元に来たのは、他でもありません。智天使ツァフとしてのあなたではなく、カヌアンの地母神アシェラトとしてのあなたに話があって来たのです」


 ガルシアの口からその名が出た途端、にこやかだったツァフの表情から笑みが消えた。


 カヌアンの地母神アシェラトはツァフの過去の名前である。


 気が遠くなるほどの昔、人の世界がまだできて間もない頃、彼女はカヌアンという土地で信仰される女神であった。

 

 アシェラトはカヌアンの主神エル・エリオンの妻であり、全ての神の母でもある。


「この魂に触れれば、全てがわかるはずです……あなたには」


 ガルシアはそう言って円筒を傾け、白く輝くフリージアの魂を戸惑うツァフの手の平へとのせた。


「あぁ……っ!!」


 次の瞬間ツァフの体は悲鳴と同時に光に包まれた。そして、それが収まると彼女は別の姿に変化していた。


 あまりの眩さに目頭を揉みながら目を開いたガルシアはその姿を見て驚きに言葉を失った。


「懐かしいわ……この姿になるのはこちらへ来て以来だから」


「ツァフ……いえ、アシェラト女神」


 ガルシアは驚きながらも古代の女神の姿へと変化したツァフに跪いた。


 熾天使よりも女神の姿になった彼女の方が格上である。


 彼女の瞳の色は変わらないが、鳶色へと変わった長い髪を後ろに流し、その頭に花々をあしらった緑の冠を戴いている。


 衣服も薔薇の花の色から深い緑の草原のような色のドレスに変化し、その手には収穫を表す稲穂と鎌が握られている。


「私をこの姿に戻すことができるなんて、この魂の持ち主の信仰心はとても篤いものだったのですね……ガルシア」


「はい」


 アシェラトは愛おしそうに触れた、白く輝く魂から手を離してガルシアへと視線を移した。


 美貌の地母神の持つ濃い緑の瞳に捕らえられ、ガルシアは苦笑いをした。


 女神の姿の彼女にはいつも以上に緊張してしまう。


「皆を呼びます。よろしいですね」


「皆、とは……」


 その言葉が問いかけの時のように語尾が上がるものではなく、拒否を許さない同意を求めるトーンだったことに驚きながら、彼女が呼ぶといった存在に心当たりがないガルシアは首を傾げた。


「かつてのカヌアンの神々です。この魂の持ち主は我らカヌアン最後の姫巫女。私たちが見送らねば」


「えぇ……いや、しかし、それはちょっと……困る、かなぁ……なんて」


 古代のカヌアンの地において信仰を集めていたカヌアンの神々は、主神エル・エリオンが天界に戻った時、共に天使として天界へと入り、しばらく過ごしていた。


 だが、現在その一部は堕天し魔界で過ごしている。


 堕天した者もこの場に呼ぶ、というアシェラトの言葉にガルシアは戸惑った。


 天界と魔界はかつては敵対していたが、 今は昔ほど激しく対立する間柄ではない。


 だがさすがにかつて神々だったからとはいえ、彼女の居室に呼ぶというのは天使の長として承諾できない。


 それに堕天し魔界と呼ばれる地で過ごしている者にとって天界の空気は猛毒である。


 そもそもガルシアが彼女にフリージアの魂を預けたのは、魂を次の生に見送ってもらうためではない。


 あらぬ罪を着せられた上、火刑により傷ついた魂を癒してもらうためだ。


 それはアシェラトとなったツァフが魂を受け取った時点で彼女に伝わったはずなのだが。


「そんなに怖い顔をなさらないで。あなたが私に託した役目はこの魂を癒すことだとわかっております。とにかく場所を移しましょう」


 ガルシアの懸念を悟ったのか、言うが早いかアシェラトは持っていた鎌の刃を打ち鳴らした。


 すると風景が一瞬で変わり、そこは緑の葉が茂る葡萄畑と、一面の麦の穂が風にそよぐカヌアンの地であった。

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