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炎壁

 冬の入り口の時期であり、冷え込みが厳しい朝もやの中だった。


 ガルシアに釘を刺されたものの、結局魔獣化してなんとか結界を破ろうと傷だらけになりながらまた時を過ごしたブルーエルは、石塔から出てきたフリージアの姿を見て愕然とした。


 灰色の空の下、武装した僧兵に囲まれながら馬が牽く荷台の上に置かれた檻の中で、フリージアは目隠しと猿轡をされ、後手に縛られている。


 そして薄汚れたワンピースの裾から覗く、その細く白い足には鉄球がつけられているのが見え、まるで重罪人の護送にもみえるその様子にブルーエルの頭に血がのぼった。


 どういうわけかネリとルドラー、それから他の天使たちの姿はないことを疑問に思ったブルーエルだったが、これ幸いと馬車のあとをつけることにした。


 隙を見て荷馬車を破壊し、フリージアを奪還してやろう、そう思ったのだ。


 だがどうしたことだろう。


 馬車に近づいた途端、魔獣化が強制的に解除され、ブルーエルは微量な魔術で出来る人の姿さえ保つことさえできなくなってしまったのだ。


 ブルーエルの頭部には獅子の耳と尾、水牛の角。背には一対の翼が現れ、本来の悪魔の姿に戻ったブルーエルは魔獣になっている時よりも非力になり、檻の破壊は選択から消えてしまった。


しかしそんなことには構わず、ブルーエルはフリージアに声をかけた。


「フリージア、僕だよ! ブルーエルだ! 」


 最後に自分の羽を見たのは何年いや、何百年前かも忘れてしまったブルーエルだったが、そんなしばらくぶりに見た自分の翼を精一杯動かしてなんとかフリージアが入った檻のそばに降り立つことができた。


「ブルー……?」


 ブルーエルがこっそり呼びかけるとフリージアは辺りを探るように頭を動かした。


 乾いた唇から漏れたフリージアのかすれ声は荷車の車輪に搔き消えそうなほどか細く弱々しい。


 けれどもブルーエルの耳はそれを容易に拾い上げることができた。


「フリージア、僕が君をきっと助けるから。だから、もう少しの辛抱だよ」


(いけません、ブルー、檻には細工が……っ! )


 悪魔の姿となったブルーエルの声は、周囲を囲む僧たちには聞こえない。


 だがフリージアは違う。


 彼女はブルーエルが近くにいることを悟られまいと思念でブルーエルに返答した。


「構うものか! 君をここから出す! 」


(檻に触れてはなりません、ブルー! )


「───ッ?! 」


 フリージアの警告は間に合わず、ブルーエルは檻に触れたと同時に大きく後方に弾かれた。


 荷台から放物線を描き、朝の湿り気を帯びた地面に背中から叩きつけられ、あまりの衝撃に口から心臓が飛び出そうになって激しくむせると、背中の痛みがさらに増して、ブルーエルは身を丸めて痛みを逃そうとする。


「── ゲホッ、── ……ッ…… 」


 だんだんと車輪の音が遠ざかって行く。


 そして荷馬車と離れたことでブルーエルは魔力を使える状態に戻ったことを感じた。


 惨めに地面に転がっている場合ではない、と思いながらも全身に走る痛みにブルーエルは歯を食いしばり唸ることしかできない。


 視界に入った掌は赤黒く焼けただれていて、冷たい外気が触れるだけでジンジンと疼いた。


 痛みに悶絶している間にもう音も聞こえなくなってしまった。


 荷馬車に早く追いつかねばとブルーエルは慌てた。


 とにかく動けるようにならないとどうにもならないと、冷たい地面に頰をつけたままの状態で呼吸を整え、治癒術を使うために傷ついた場所に意識を集中させる。


 ブルーエルは植物の力を借りて癒しの術を使うことができるのだ。


 フリージアの治癒術や、ガルシアなどの天使が使う治癒術とは比べ物にならないくらいの小さな効果しかないが、それでも動けるくらいにはなるはずだ。


(大地に秘められし癒しの力よ。その身に宿す緑の輝きよ…… 我が呼び声に応じ我が身を癒し給え)


 痛みで声が出ないブルーエルが心の中で詠唱をすると、木々に絡まった蔦がスルスルと解け、ブルーエルにその身を這わせてきた。


 彼らがその身に蓄えた大地と太陽の温かな力が葉や茎から伝わってくる。


 そしてブルーエルは自身の自然治癒力も内側から上げていき、蔦の力と引き合わせて螺旋のように二つの力を練り上げ、それを四肢に行き渡らせるイメージをした。


 だんだんと傷ついた部分の痛みは和らいで行き、爛れた掌も修復されていく様子が視界に入り、ブルーエルはホッと息を吐いた。


 呼吸をするたびに痛かった背中ももう痛まない。


「フリージア、今行くから……!」


 ようやく起き上がれるようになったブルーエルは魔獣化し、荷馬車の轍を追って駆け出した。


 森を抜け、ブルーエルはフリージアの檻を乗せた荷馬車を見つけた。


今度は同じ失敗はしないと、力を奪われる前に自分の力を封じて悪魔の姿に戻った。


 そしてひらりと荷台に飛び乗ると、ブルーエルの気配を察したのか、フリージアの声が頭に響いた。


(ブルー、無事だったのですね。よかった)


 きっとフリージアを救い出す機会はあるはずだとブルーエルは考えていた。


 檻を壊すことはできないから、フリージアが檻から出された時がチャンスだ。素早くフリージアを抱えて魔獣化し飛び去る算段だ。


 軋む音をあげる荷馬車がついにアンネルの街に入る。フリージアの姿を見た民衆たちはブーイングや罵声を浴びせた。


「どういうことだ……?! 」


 その光景はブルーエルが想定していたものとはかけ離れたものだった。


 アンネルに住む殆どの人々は怪我や病気などでフリージアの治療を受けていた。


 だからブルーエルは彼らが悲しんだり解放を願ったりするのではと思っていた。


 しかし予想に反して中には石を投げる人までおり、助けてもらった恩を忘れてよくも、とブルーエルは腹立たしく感じた。


(恩を忘れてこんなことをするなんて許せない……許さない……ッ!! )


 ブルーエルは檻から離れて魔獣化すると怒りに任せて咆哮した。


「なんだ……?」


 ブルーエルの姿は人々には見えないが、その重苦しい怒りの気配は空気を震わせ、人々のブーイングと石を投げる手を止めさせた。


「魔女だ、魔女の力だ……! 」


 誰かが叫ぶと悲鳴が上がり、さらに大きなブーイングやののしり声が降りかかり、さらには石だけでなく分厚い本や靴まで飛んできた。


「恥を知れ人間ども!! 」


(ブルーエル、おやめなさい! 契約により命じます、静まりなさい)


 牙を剥いて今度は全員をまとめて魔界へ送ってしまおうをと考えたブルーエルの口を雷の紐が縛り上げた。


(怒らないでください、ブルーエル。みんなと同じにしなければ、疑いの目を向けられてしまいます……そうすれば次は自分が処刑される……身を守るには仕方のないことなのです)


 彼女を見ると目隠しをしているのにブルーエルが何をしようとしているのかが見えているようで、フリージアは首を横に振った。


 魔女の処刑は、それを民衆たちがどのような風に見るかも監視されており、魔女に同情する様子を少しでも見せれば仲間だと疑われ、拷問にかけられるというのは周知のことで、いわば公開処刑は魔術師仲間をあぶり出すためのふるいのような役目も持っているのだ。


(ブルー、彼らをちゃんと見てください)


 民衆の顔をよく見れば、一見魔女を恐れているだけのようにも見えたが、そこには苦悶の自らの良心との葛藤があるのか、辛そうな表情浮かべているのがわかった。


 フリージアに向けて投げられたほとんどの石や物は檻に阻まれ届きはしなかったが、それでも何個かは檻の隙間を通ってフリージアに当たっている。


(こんなことをしなくてはならないのか。人というものは何故、自分の気持ちに背いて、自分を守るために他人を傷つける道を選ぶのか……)


 ブルーエルは愕然としてほんの少し硬直していたがすぐに魔獣化を解き悪魔の姿に戻ると、フリージアの側へと降りた。

檻に入ることはできないが、近くにいればこうして身を盾にして投げられるものから彼女を守ることはできる。


(ブルー、もういいの、いいのです……私はあなたが傷つくところは見たくないの……だから、やめてください)


「目隠しされてるから見えないでしょ。ってぇ」


 背中に触れる檻は暖炉から取り出したばかりの火かき棒のように熱い。


 だがそれを気にしていたら飛んでくるものからフリージアを守ることはできない。


 ブルーエルは飛んできた石が額に当たった痛みも意識の外に追いやってフリージアに言葉を返す。


(屁理屈言わないで。これは契約者としての命令です、離れなさい)


「嫌だ……断る! 」


(やむを得ません……無力化ラエド


「ぐ……フリー……ジア、どうして……」


 フリージアが唱えた途端、ブルーエルの全身が凄まじい脱力感に襲われ、荷馬車の上に崩れ落ちた。



 フリージアを入れた檻は石や物を投げられながらもカサテリアの広場中央についた。


 体に力が入らないブルーエルは荷馬車が停止した勢いで荷台からレンガで舗装された路上へと放り出された。


「……くっ……フリー……ジア……っ」


 受け身も取れずに全身を硬いレンガに打ち付け、痛みに呻きながらも目でフリージアを探すと、ようやく檻から出された彼女を見つけた。


 彼女は目隠しを外され、だが猿轡と後手に拘束されたままで中央に立つ円形の台に建てられた木の柱に向かうように僧兵から言われ頷いていた。


 フリージアは鉄球を引きずりながら、裸足で民衆の中をルドラーの部下の僧侶たちに囲まれ進んでいく。


 流石に僧侶に物が当たるのははばかられると思っているのか、民衆たちはフリージアへ罵声を浴びせるだけで物を投げることはしなかった。


「行くな!フリージア、止まるんだ!! 」


 刻々と迫る処刑の時間。この先に起こるおぞましいことがわかり、ブルーエルは震え、涙を溢れさせた。


 ブルーエルの計画ではここでフリージアを連れ去るはずだった。


 しかし、今の自分は体を起こすことさえままならないでいる。


 だが当のフリージアは恐怖に顔を歪めるでもなく、淡々と前を向き歩いている。


「フリージア……待って……」


(泣かないでください。私が死んだら魂を煉獄の天使から奪ってください。その魂はあなたのものになるのですから)


 ずっと一緒ですよ、という言葉に首を振る。


「違うんだ、フリージア……僕は君の魂が欲しいわけじゃない……ずっと、ずっと一緒に暮らしていきたいんだ。契約なんてもうどうでもいい、君をこの場から救いたい……!」


 フリージアには言っていなかったが、魂になれば、ブルーエル自身や魔獣の糧となり、吸収されてしまう。そうすれば永遠に触れることも、冗談を言い合って笑うこともできない。


(ブルーエル……)


 フリージアは丸太の立つ縁台にたどり着くと、目隠しの奥で力なく微笑み、空を見上げた。


「君はまだ十六歳だ。これから学ぶことも、見ることもたくさんある。美味しいものだってまだ食べてないものがたくさんある……なのに……っ」


 その時、耳をつんざくような鋭いトランペットのファンファーレが広場に響いた。


 何事かと振り返ると 人々の間を縫って聖職者の一団が進んでくる。民衆は口々に先頭に立つルドラーの名を叫んでいる。


 ルドラーの背後にはネリとその部下だろうか、数体の天使が揃っているのが見えた。


「ネリ様、悪魔が!」


 ブルーエルを見つけた天使がネリに告げたが、ネリはブルーエルを一瞥して蔑むような目を向けてきた。


「捨て置きなさい。この“ヘト”の結界の中ではどうせ何もできません。見なさい。人の姿にもなれず、悪魔の姿を保つのも精一杯のようですよ」


 ネリの言葉に天使たちも侮蔑の眼差しをブルーエルへと向ける。だがそんなことにかまっている余裕はなかった。何とかして、この場からフリージアを救いたい。ブルーエルの頭の中にはそれしかなかった。


「これより、魔女フリージアの浄化を執り行う」


 深い紫の聖衣をまとったルドラーが声高に仰々しく告げる言葉に、熱を帯びた民衆の雄叫びが重なり、空にこだました。


 そんな雄叫びを手で制し、ルドラーはフリージアの両脇にいる兵士に告げた。


「拘束を解き魔女を浄化台へ」


 両脇を抱えられていたフリージアは拘束具を外された。だが猿轡だけは外されない。呪文の詠唱を防ぐためだろう。


「この魔女は悪しき方法によって神を冒涜し、人々を神の愛から遠ざけました。何故か。それは彼女の魂が汚れているためです。彼女はいま炎によって浄化され、神の愛に触れるのです。神が彼女を許せば、彼女は生還するでしょう。許さなければ……わかりますね?さあ、彼女の生まれ変わるる様子を皆で見届けましょう」


 ルドラーの言葉が終わると同時に待機していた 聖歌隊が歌い始める。


 ただの歌だろうとおもっていたのだが、だんだんとブルーエルは息苦しくなって意識が重くなり、うずくまった。


 フリージアが丸太のある縁台に続く階段を一段、また一段と登るたびに軋む音が聞こえ、彼女に忍び寄る死の影をちらつかせる。


 やがて壇上にのぼると、フリージアは立てられている一本の丸太にしばりつけられた。


 それを見た民衆の歓声が一段と大きくなる。


「フリージア……」


 見れば彼女は青ざめ震えている。今まで気づかなかったが、彼女はずっと死の恐怖とたたかっていたのだ。


 フリージアはブルーエルに目線を遣ると、怖いはずなのに少し青ざめた顔でわらった。


(やはり、いざとなると怖いですね…)


 足元には乾燥させた藁が敷き詰められ、そこに僧侶たちが油を撒いている。


 だがどこか他人事のような気分でフリージア自身、観衆の一員になった用や気持ちでその様子を眺めていた。


 恐怖を感じている自分と、それを見ているもう一人の自分。


 魂が分裂、乖離しているような錯覚にフリージアは少し安堵していた。


 自分は木の柱に縛り付けられているはずなのに縄の感触さえ夢の中のような今は感じない。


 火で炙られるのも、全て夢で目覚めたらベッドの上にいるかもしれない、と。


「僕に願ってくれ、ここから救えと。どんなことをしてでも僕が君をここから逃すから!」


 すがるように階段を駆け上がりブルーエルはフリージアに懇願した。だが、フリージアは首を振って微笑んだ。


「僕は君のずっとそばにいたい。君は違うの?頼む、願ってくれ。僕に君をここから救えと!! 」


 だがやっと視線を上げたフリージアの顔は、熱風に苦悶の表情を浮かべていた。


(ありがとう……でもあなたが傷つく姿を、私はもうみたくないんです)


「君が望んでくれさえすれば、ここから僕は君を救えるんだ! 」


(何と引き換えにですか?あなたはそれで無事と言えますか? ここにはネリや、ほかの天使たちがいるのに)


「それは……」


 契約のためフリージアには嘘がつけないブルーエルは口をつぐんだ。


 おそらく、フリージアを救えたとしてもブルーエルの消滅と引き換えになるだろう。


(私が助かっても、あなたがそばにいないのであれば無意味です……それにあの牢から私を助けてくれた…それだけでもう、十分です。ありが……っ!)


 言葉の途中で、つと、彼女の口の端から滴り落ちるものが目に入る。


 その鮮やかな色に恐ろしいものの正体に震えながら視線を下に移すと、彼女の左右から腹部に深々と兵士の突き出した槍が突き刺さっていた。


(この場から……早く離れてください……ここには、あなたを傷つける、あの天使の、ネリが……)


「嫌だ!」


 離れたくない。


 失いたくない。


 そこでようやく、ブルーエルは自覚した。自分はフリージアが愛しいのだと。


(わたし……は、魂となって、あなたと……と、共に……だから、煉獄の鎖から私をまもってください。あなたと、ともにいけるように……)


「フリージア!」


(ブルー、あなたを……召喚して、良かった……今……まで、ありがとう。これからも、あなたのそばに……)


 しかし気持ちを告げることは叶わず、もうフリージアの声は聞こえなくなってしまった。


「フリージア!!!! 」


 風に巻き上げられ、油を追いかけた炎が壁のように吹き上がった。身長を優にこす高さになった炎にブルーエルは驚き思わず後ずさった。


 人の肉が焼ける、なんとも言えないすえた臭いが民衆の興奮を煽るのか、歓声はより一層高まっている。


 彼女が好きだ。笑顔で、何事にも一生懸命なフリージアが大好きだ。


 彼女を失いたくなかった。


 でもフリージアは炎の壁の向こうに行ってしまった。もう笑顔を見ることも、触れることもできない。


 ブルーエルは彼女に望まれなければなにもできない。


 悪魔だというのに、契約の元でしか行動ができないという制約がある人間界では、死者を束ねる地獄の総裁という肩書きなど何の意味もない。


 自分は無力なのだ。


 そして契約者の死は、ブルーエルが人間界に居る理由を失わせる。


 魔界への強制転送魔法が発動したのか、ブルーエルの周囲を光の粒子が舞いはじめる。


 それはフリージアが完全に命を失ったことを示す作用だ。

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