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焦燥

 きらめく星々を見上げても、どこを探してもネリの姿もフリージアの姿もない。


 冷たい夜風が紅潮したほおを冷まそうとするが、その気温差に肌が刺すように痛むだけだ。


 ブルーエルとガルシアはフリージアを連れ去ったネリを追いかけ石塔まできたのだが、ネリの仕業かその周囲にさらに結界がはられており、そこから先へはすすめなくなっていた。


 熾天使のガルシアでさえも入れないその結界は、おそらく全てを無効化する「アイン」の力を使っているのだろう。すべての侵入を拒む強力な結界が二人の前にたちはだかっている。


 そんな結界を壊そうとブルーエルは魔獣化して何度も巨体をぶつけたり、炎を吹きかけたりしたが、「アイン」の結界はビクともしなかった。


 そのうちブルーエルの前足の爪が剝げ、血が吹き出した。体当たりを繰り返した腕も肩も痛みにもう上がらない。魔獣化する力もなくなり、ブルーエルは元の悪魔の姿になってその場にうずくまっている。


 再び契約者を奪われてしまったショックにブルーエルには彼女を救う術を考えることができなくなっていた。


「ブルーエル…… 」


 思い知らされた現実に身を小さくして愕然とするブルーエルへ、ガルシアが遠慮がちに声をかけ、その背にあるエメラルドグリーンの羽を一枚抜いた。


「すまない……俺は何もできなかった」


 ガルシアが抜いた羽をブルーエルにかざすとキラキラと金の粉がブルーエルにまとわりつきその傷を癒していく。


「そんなことない。お前はフリージアを牢から連れ出してくれた。それに、今だって僕を……。役立たずなのは僕だけだ」


「そう言うな。俺はネリには手も足も出なかった。結果、彼女は……」


 かすれ声で自虐するブルーエルに首を振り、ガルシアはひらひらと一枚の羽をブルーエルの傷口へあてがっていく。


 癒しの天使ではないガルシアは聖なるものの対となる存在になってしまったブルーエルを完全に回復させることはできない。


 だがそれでも魔力を分け与え、人の姿に変えるくらいまで回復することができた。


 剥がれた爪も、上がらなくなった肩も元どおりだ。


 だが打ちのめされた彼の心は元には戻らない。


「フリージアにまた助けられた……」


 ブルーエルは自分が不甲斐なく、情けなかった。


 悪魔が契約者に二度も助けられるなんて。


 そして一度は取り返したはずの彼女をまた奪われるだなんて。


 あまりの無力さに怒りさえ浮かんでこない。


 本来なら、ブルーエルはフリージアに知識を与えるために召喚された存在だ。


 だから彼女を守ることは契約に入っていない。


 彼女がいなくなればブルーエルは契約から解放され、自由になれる。


 だがそうなれば彼女の魂を得ることはできなくなる。


 悪魔となった自分にとって、善良な彼女の魂は他のどの魂よりも価値のあるものだ。


 悪魔の誘惑に堕落せず、負けずに魂を輝かせたままでいられる数少ない意思の強さを持った存在がフリージア。


 その魂を得ればブルーエルの魔力はもっと強力になるだろう。


 でも魂が欲しいから彼女のそばにいるわけではないと、薄々ブルーエル自分自身感じていた。


 だがどうしてなのかそれだけがわからなかった。


 彼女がひどい目にあうのも、悲しい思いをするのもブルーエルには耐えられなかった。


 そんなことは考えるだけでも嫌だ。


 彼女には笑顔でいて欲しい。自分のしたいことをして、生き生きとして過ごして欲しい。


 森の中の実りに頬を緩ませ、星の輝きに目を輝かせていた彼女のままでいて欲しかった。


 なのに何故、フリージアは閉じ込められ、傷つけられているのか。


(僕が弱いからだ…… )


 もともと戦闘は得意ではない方だが、それでも地獄を束ねる身としてフリージアのことを護れると思っていた。


 だが実際はなんの役にも立たない、ちっぽけな悪魔だ。


「とにかくディウスのところに帰ろう、な? 」


 ブルーエルの肩をぽんと叩いてガルシアが空気を変えるように明るく言った。


 二人して腐っていても物事が好転するとは思えないからだ。

 気分だけでも変えていかないと、とガルシアは考えたのだが。


「僕はここにいる。なんとか結界を破ってあそこに行く」


「無茶だろ……あそこに通用しないってのは思い知ったはずだ。今はディウスの知恵も借りねぇと」


「僕は行かない」


「ブルー、お前なぁっ! 」


 てっきりブルーエルも自分と一緒にディウスの元へ行くのだと思っていたガルシアだったが、頑なにその場を動こうとしないブルーエルの様子に、思わずその小柄な体をつかんだ。


 ガルシアはブルーエルをまたこの場で無茶をさせるために回復したわけではない。


 だが、ガルシアの怒声にびくりとその身を震わせたブルーエルのオレンジの瞳に怯えた色を見つけ、ハッとして手を離す。


 怒りと呆れが混じる言葉が思わず出てしまって口を押さえてばつが悪そうに頭を掻いた。


「だって、僕がいない時に何かが起こってフリージアが…… そうなったら僕は…… 僕は……っ! 」


 考えうる最悪のことを言葉に出したくなくて、ブルーエルは唇を噛んで俯いた。


「……勝手にしろ。だが、ディウスを悲しませることはするなよ」


 思わず怒鳴ってしまったことが気まずくて、ガルシアはそれだけ言うと、振り返らずに夜空へと舞い上がった。


 日付が変わってほんの少し経った頃。夜風がカーテンを揺らして来客をディウスに知らせた。


「その様子だと、どうやら思いどおりにはいかなかったようですね」


「思い通りも何も……」


 ディウスに迎えられて、冷たい夜風とともに窓から入ったガルシアは羽をたたむと、金の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻いてどっかりとソファに腰を下ろした。そして憔悴した様子で顔を手で覆うと大きなため息をついた。


 本来の計画であれば、ガルシアはブルーエルとフリージアをここへ連れてくるはずだった。


 なのに、二人はここにはいない。


 嫌な予感にディウスは眉をひそめた。


「ブルーエルは?それから、彼の契約者はどうしたのです? 」


 アンステラが変わってから契約者を救うと出て行ったまま消滅した同胞も少なくない。


 不安な気持ちを抑えてディウスはガルシアに尋ねた。


「契約者は一度救ったのだが、また奪われた!ブルーはあそこに残るとさ。ったく、俺はなんのためにあいつを回復したんだっての。作戦を練り直さねーとだろうに」


 イライラを抑えるためか顔を両手で覆ったままガルシアがぼやく。


 そんなガルシアの様子にディウスは戸惑っていた。こんなに苛立ち憔悴するガルシアをみたことがないからだ。


 ディウスは戸惑いを悟られまいと苦笑してアップルティーをカップに注いだ。


「すみません、彼のことは私に免じて許してやってください」


 契約者を失うかもしれないという気持ちは、かつて同じ思いをした同胞たちをたくさん見てきたディウスには痛いほどわかっていた。


「ディウス……」


 ディウスが差し出したカップを受け取り、ガルシアはそこから立ち上る香りに困ったような顔をしてディウスを見上げた。


「俺様、今はコーヒーの気分なんだけど」


 不思議と落ち着く香ばしいあの香りが恋しいのだ。


 答えは分かっているものの、ガルシアは一応自己主張してみる。


「あいにく我が家にはアップルティーしかないので」


 予想通りのディウスの答えにガルシアは諦めたのか、アップルティーで少し唇をぬらしてからテーブルにカップを置いた。


「正直ここまでとは思わなかった……セフィロトまで持ち込まれてるとは想定外だったよ」


「セフィロト、ですか」


 世界樹とも呼ばれる聖なる樹の名前にディウスは困惑した。


 そのようなものが人間界に持ち込まれているなど前代未聞だ。


 セフィロトのことをくわしく知る天使は高位の存在に限られる。


 しかしそれを人の世に持ち込むのは禁忌だと下級天使も含めて誰もが知っているはずだ。


 だがアンネルという街の異様な魔女裁判の数字からみれば、それなりに高位の天使がセフィロトの技術を用いて関わっていたのならば説明はつく。


 悪魔たちがさらわれた契約者を救おうとしてもできないのは当たり前だろう。


 聖なる樹の前で、悪魔となった元天使たちは無力だ。


「すまない、これは全て天界の落ち度だ。俺がなんとかする。なんとかしないとダメだ」


 ガルシアは天使たちの上に立つ者として責任を取らなくてはならない。


 普段はそんなこと全く意識しないで過ごしているのだが、いや、そのせいでこのような事態に陥ったようなものだろう。


「主天使ネリは消す。俺様のプライドにかけて消す」


「いいのですか?天使の処分には決まりごとが多いはずですが」


「お前が立ち会え。元熾天使だろ。第三者さえいれば問題ない」


「またそんな無茶を」


 天使の処分に元は天使といえども悪魔が関わるなんて聞いたことがない。


「あいつは俺を無力化させることができるからな。念には念を入れないと。天界の力が無理なら魔界の力を使う。俺一人では心もとないんでな。第一天界に戻ってる暇もないし」


 ガルシアを無力化させたと聞いて、ディウスは驚きに目を見開いた。ネリという天使は主天使ながらこの熾天使をそこまで追い詰めることができるのか、と。


「天界の技術も知識もこれ以上この世に置くこともできない。破壊しなければ」


 ガルシアのつぶやきにディウスは頷いた。


 魔王としても聖なる樹のようなものは近くに置いて欲しくない。


 破壊は大賛成だ。


 かつてはその樹の恩恵に与っていた身だが、瘴気の漂う魔界に体が慣れた今、聖なる木は毒でしかない。


「兎に角、俺は悠長にしている暇はないんだ。これ以上あいつを人の世に関わらせることはできない」


 いつもはふざけているが今はそんな気配をかけらも見せないガルシアの言葉に、ディウスは彼の本気を感じた。


「わかりました。私もこの異常事態はなんとかしなければと思っていました。あなたの手助けを、微力ながらいたしましょう」


 この件を解決すれば契約者を失う悪魔たちの嘆きもなくなるだろう。


「では、早速ですがガルシア。セフィロトの塔の中の様子を教えてください」


 眠る必要がない悪魔と天使の密談は、夜が明けるまで続いた。

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