ネリ
天使ネリの襲撃を受けた三人。フリージアを守れるのでしょうか…
その身にまとう深い緑で夜空に同化してしまいそうなネリはガルシアを見たまま口角を上げた。
「高位のあなたが私の名をご存知とは光栄ですね」
ふふふ、とネリは嬉しそうに言う。だがその表情は相変わらず目が笑っておらず、無表情なままだ。
「茶化すな、ネリ。おまえがセフィロトの術式や天界の結界を人の世に持ち込んだのか?」
怒りを抑え、冷静に話そうとゆっくりとした口調でガルシアが尋ねる。いつものお調子者という感じは全くしない。殺気すら含むその声音に、ブルーエルは対峙する二人を黙って見ていた。
「ええ、この街の浄化に必要なことでしたので」
平然と答えるネリは、それが重大なことだとは認識していないようだ。
「何が必要なことだ!禁忌だぞ。天界の知識を人間界に持ち込むなど…!」
「現場のことをたいして知りもせず一方的に責めるのはやめていただきたいですね」
ガルシアの怒りは心外だとでも言うようにネリが肩をすくめる。夜風に吹かれた長い髪が流れる。
「あなたはご存知でしたか?この街の汚らわしさを。我らが主以外のものにすがりつき、悪しき方法で望みを叶える堕落した惨状を」
「悪しき方法、だと?」
「病や怪我をまじないを使って治癒させたりすることですよ」
フリージアや魔術師たちは医師たちが手に負えないと放棄した患者たちを主に診ていた。
フリージアの場合、必要があれば先ほどブルーエルを治療したように光癒術を用いたりもした。
それは主神の加護以外にすがる行為であり、ネリの言う悪しき方法なのだろう。
「それを主が厭うとでも?人々の幸せこそが主の望みであり、祈りだ」
「現場を知らない方はこれだから話になりません。聖櫃展開」
「っな!」
驚く間も無く、ガルシアはネリの言葉に応じて現れた四角い空間に閉じ込められてしまった。
「それは休息を与えるする“アイン”の結界です。ガルシア様はお疲れのようですからそちらでゆっくりなさっていてください」
ガルシアを労わる口調は柔らかだが、相変わらずの無表情でそう言うと、ネリはブルーエルの方をゆっくりと振りかえった。
そして腰からもう一本のメイスを取り出すと、フリージアを奪われ呆然としていたブルーエルめがけて振り下ろした。
メイスの先端が柄から外れ、鎖を伸ばしてブルーエルに向かって飛んでいく。
「なに?!」
鎖に気づくのが遅れ、顔面に向かって飛んできたメイスの先端からとっさに庇おうとした左手首に勢いよく鎖が巻きついた。
(熱い……!)
「苦しいでしょう?セフィロトの術式を組み込んである鎖です。ふふ、手首が熱くて焼き切れそうでしょう?」
「……ぐっ!」
力を入れてネリの方へに手繰り寄せられそうなのをこらえる。だが容赦なく引かれる鎖はギリギリと肌に食い込み、ジリジリと焼け付くような痛みが増していく。
「ネリ、俺をここから出せ!」
ガルシアは透明な壁を拳で叩くがビクともしない。
剣を抜き、何度切りつけても音も立たないし、刃が当たる感触さえなく、ただ怒鳴ることしかできない。
「無駄ですよ。ご存知の通り“アイン”が意味するのは休息、待機です。すべての攻撃は無効化され、ただそこにいることしかできなくなります」
鎖を引きながらも視線はブルーエルに向けたまま言葉を続ける。
「ガルシア様が悪魔と馴れ合うなんてありえません。きっとこの悪魔にそそのかされたんですね。私が今この悪魔を消して、あなたを解き放って差し上げます」
「ブルー!」
(フリージア……)
ブルーエルは目を閉じた。なにを迷うことがある。フリージアのためなら片腕など惜しくはない。ブルーエルは一気に魔力を増幅させた。
「魔獣化ですか?させませんよ!」
メイスの先端から光がでて、さらにブルーエルの全身を光の縄で拘束した。灼熱を放つ鎖と光の縄で息もできないくらいに締め付けられて、生きながら焼かれるようだ。
「─────っ!」
ブルーエルはなんとか呼吸を維持して痛みに耐える。
「ブルーエル!」
フリージアの布を裂くような悲鳴が夜空に響いた。
(これはアシェラト女神では分が悪い……主神エリオンにお出ましいただくしか……一か八かですが……)
まだフリージアは主神の力を借りたことはない。
信仰はして来たが、戦闘を好まない神なので応じてもらえないかもしれない。
だが、主神でなければこのネリの拘束から誰も逃れられないだろう。
「万物の王エリオンよ、我が呼び声に応じ、あらゆるものを始まりのものに帰せ!」
(どうか、どうか応じてください、主神エリオンよ───ッ!)
「あなたがいくら姫御子だと言っても所詮は忘れ去られた神話のもの。それにあなたの力は封じましたよ。忘れたのです───……何?! 」
ネリが言い終わらないうちに、空から光が差し込みブルーエルの鎖とガルシアを閉じ込めていた空間、そしてフリージア自身を拘束していた鎖を消滅させた。
「何?!」
フリージアの腕にある、ガルシアのストールのはぎれを目にしたネリは目を見開き、忌々しげにガルシアを見遣った。
「それは天照布……まさか、ガルシア様……」
「確かに多くの方は信仰を捨てました。ですが、私は捨てていません。信仰する者が存在する限り、私たちの神々は消えません!」
自由を得たガルシアとブルーエルは再びネリに対峙した。ブルーエルは身体中がしびれていたが、構わず魔獣化する。
「この、汚らわしい魔女が!」
「きゃッ!! 」
ネリはフリージアの髪を掴むとそのまま持ち上げ、フリージアの腕に巻いてあった天照布を乱暴に剥ぎ取って投げ捨て、さらに光の縄で後ろ手に拘束した。
焼きごてでつけた魔力封じの力が戻り、フリージアはもう魔術を使えない。
「ネリ!」
「おっと、それ以上近づかないでもらいましょうか。この魔女がどうなってもいいのですか?」
剣を抜き、斬りかかろうとしたガルシアと魔獣化し唸りながら牙をむくブルーエルに、ネリはフリージアを人質にして二人を牽制する。
「卑怯者め!」
ブルーエルがグルグルと唸る。怒りのあまり、炎のたてがみが大きく揺らいだ。
「この魔女を傷つけたくなければ、そこから動かないことです」
ネリはフリージアの喉元に刃を突きつけ、後退りする。
ブルーエルもガルシアもなす術なく、卑怯な天使を睨みつけることしかできない。
「悪魔は仕留められませんでしたが、見ていてくださいガルシア様。今に私はこの街を浄化し、熾天使の地位まで上り詰めてみせますから」
そう言ってフリージアを抱えると、ネリは二対の翼を広げて空へと羽ばたいていった。
「フリージア!!」
夜空にブルーエルの叫びが響いた。
美しい夜空をこれほど苦々しい思いで見上げたのは初めてだった。
ーーー
「戻りました」
そう言ってネリは乱暴にフリージアを投げ捨てる。冷たい石の床に体を打ち、その痛みにフリージアは体を丸めて小さな悲鳴をあげた。
ルドラーはうずくまって震えるフリージアの元に歩み寄ると、その細い顎に手をかけた。
「姑息な魔女めが、よくもてこずらせてくれましたね」
聖職者らしからぬ怒りを目に宿しながら、ルドラーはフリージアの細い顎に添えた手に力を込めた。
フリージアは顎を砕かれそうな痛みをこらえ、ルドラーの目をまっすぐ睨み返した。
「二度と逃げられないように光も届かない地下牢へ入れておきなさい」
フリージアはルドラーの部下によって猿轡を嵌められ、さらには目隠しまでされた。
そして全身を動けないように拘束され、窓もない地下牢に放り込まれたのだった。
冷たい石の上に敷かれた藁の上で、フリージアは深くため息をつくと目隠しの奥で静かに目を閉じた。
ネリは追加で出たキャラなんですが、名前を考えている時、ネリケシが目に入ったのでそこからとりました。
ネリが使う天使文字は実際の本で見たやつです。アインという文字なのですが、ネリに「アイン」と言わせると某レジェンドコメディアンのギャグになってしまうのでやめました…^^;
天使文字参考文献
『大天使に出会える本』
セオリン・コルテンス著
宇佐 和通訳
KKベストセラーズ
2008年9月9日初版第1刷発行




