天使 (挿絵有)
ブルーエルはとん、と軽く地面に着地し、人型に戻ったのだが、結局力尽きて膝から力が抜け、そのまま顔から地面に転がった。
セフィロト結界の中で魔獣化という無茶をしたためか、ブルーエルが着ていた事務服はボロボロになっている。
ズボンも裂けてまるでダメージジーンズのようにあちこち破れ、むき出しになっている肌のあちこちから血が流れている。
だが体の痛みよりも呼吸をするたびに響く、頭が割れるほどの頭痛がつらくてブルーエルは浅い呼吸を繰り返しながら動けずにいた。
「ブルーエル、いま回復を……」
ガルシアに抱きかかえられて着地したフリージアは、地面に横たわって荒い息をついているブルーエルの元へ駆け寄ると、大地に手を当てて目を閉じた。
セフィロトの結界を出て、ガルシアからもらった天照布が封印の印を無効化した今なら魔術を使えるのだ。
「大地の母アシェラトよ……癒しの女神よ……」
フリージアの言葉に応じるようにブルーエルの元に白く輝く魔法陣が現れて、光が彼を包み込んだ。
「アシェラト女神の光癒術か。古い術だな」
それを見たガルシアは感心してつぶやいた。
魔法陣の中央に横たわったブルーエルは、春の日差しのようなやわらかな暖かさを感じて、痛みにしわを寄せていた眉間からは力が自然と抜け、荒かった呼吸も落ち着きを取り戻していった。
「先生……私の祖母から受け継ぎました」
ブルーエルの呼吸が落ち着いたのを確認し、安心したフリージアはガルシアの独り言に答えた。
「お前の母親の系統か?」
フリージアの答えに興味を惹かれたのか、ガルシアはまだひざまずいて術を使っているフリージアの側へとやってきた。
「父です。母は普通の人で。私が祖母から魔術を習うことを快く思っていませんでしたが……」
フリージアはまだ大地に手をつけたままガルシアに答えた。
「そういえばお前の家族は?」
「こういう時代なので……」
「すまん、俺が軽率だった」
察してくれというフリージアのその様子に、ガルシアは決まりの悪そうな顔をして俯き、乱暴に頭を掻いてため息をついた。やらかした、と自覚しているのだ。
やがてブルーエルを包み込んでいた光が消え、ゆっくりと立ち上がった彼の傷は全て癒えていた。
だが、衣服の破れた部分はそのままだった。さすがに魔術といえども服まで元には戻せない。
「助かったよ、フリージア」
「よかった……っ!」
あんなにひどかった頭痛も治まって気分も爽快になったブルーエルがお礼を言おうとフリージアの方を向くと、飛びかかってきた彼女に強く抱きしめられ、驚きに目を瞬かせる。
牢の中ではフリージアに触れると痛みがあったが、ガルシアのストールのおかげか、抱きつかれている今はそれを感じない。
ブルーエルはおずおずと手を回し戸惑いながらもフリージアの背中をポンポンと叩く。
「もう無茶なことはしないでください!無理に魔獣化してあなたが死んでしまうのではないかと……!」
「うん、ごめん」
悪魔は死なず消滅するのみという言葉は飲み込んで、恐る恐るフリージアの髪を撫でた。
多分、こうするのが正解なのだろうと思いながら何度か髪を撫でていると、次第にフリージアが落ち着いていくのがわかった。
「イチャイチャするのは全て終わってからにしたらどうだ?」
蚊帳の外に置かれたガルシアが呆れたようにいうと、二人は慌てて離れ、距離を取った。
「ところであなたは一体……」
フリージアが再び何度目かの質問をすると、ガルシアは驚きに目を見開いた。
「え?今更それを聞く?俺様びっくりだよ」
「いえ、先ほどから何度もお名前を伺っているのですか教えてくださらなかったので」
「え、いや、見てわからない?」
自分を「俺だよ俺」と指差しながら言うガルシアの問いに、困惑した顔でフリージアは首をかしげた。
「待って待って、んー、ちょっと待って?ねえ、金髪碧眼のイケメン熾天使といえば?……わかるでしょ?」
「存じ上げません……申し訳ありません」
必死な様子のガルシアに申し訳なさそうに真面目なフリージアが謝った。
「え?ガチで?天使の中でもアイドル的存在の俺様を知らない?」
「現実を認めろよ」
追い討ちをかけるようなブルーエルの言葉に、ガルシアはがっくりとうなだれた。
「えーー……ショックなんですけど」
「フリージア、彼はガルシアだよ」
真っ白になって打ちひしがれているガルシアの代わりにブルーエルが答えると、フリージアは驚愕の表情でガルシアを二度見、いや四度見した。
「熾天使ガルシアですか…?!まさか……そんな、まさか!!」
「そのまさかですよ。イケメンすぎて驚きましたか?」
フリージアの口調を真似しておどけるガルシアを見るフリージアの目はこぼれ落ちてしまいそうなほど驚愕に見開かれている。
「だってガルシアといえば冷静沈着、優雅で華麗、誰も彼もが魅了されると言う……」
「その通りじゃないか。さすが俺様。人間もわかってるなぁ」
「僕はだいぶ誇張されてると思うが」
ブルーエルの言葉に失礼な、とガルシアは肩をすくめた。見た目だけは本当にいいのに、すぐふざけるのが彼の大きな欠点だ。
「で、そんなことよりもこれからどうするんだ?」
「とりあえずディウス様のところに行く」
ディウスの元ならば……魔王が張る結界の中ならば、天使たちも手を出せないはずだ。
それにフリージアを魔界へ連れて行くにしても、人の世界と魔界をつなぐ扉の番人でもたるディウスの許可が必要だ。
「それは困りますね」
「っ?!」
「フリージア!!」
突然どこからか伸びてきた鎖がフリージアに巻きつき、あっという間に目の前から消えてしまった。
そして鎖の元には見たことのない天使がいた。
天使はその手に鈍く光る銀のメイスを持っており、鎖はそこから出ていた。その鎖によってフリージアは天使の元に手繰り寄せられてしまっていた。
天使といえば皆美しい顔立ちだが、その天使は無表情なせいで冷たい印象を与えてくる。
深緑の装束に身を包んだ長髪の天使の癖のない髪が夜風に吹かれてサラサラと舞う。
「脱獄だなんていけませんね…魔女は処刑されなくてはならないのですから」
無表情な天使は低い声でぼそぼそとフリージアの鎖を締めながら言った。鎖に絡め取られ、無理やり引っ張られたフリージアの表情が歪む。
「ネリ……お前か……」
ガルシアの言葉に無表情の天使は少しだけ口角を上げた。
ネリのイラストは由毘七緒様に描いていただきました!