プロローグ
何故こうなった。
豪華客船のパーティーに招かれた僕はテーブルクロスの上に華やかに広げられた器に、豪勢に盛り付けられた食事をただただ貪っている。
食ってなきゃやってられないじゃないか。
この客船、ただのバカみたいにでかい船というわけではない。
僕を含めた総勢10人がメインの招待客であり、いずれも僕とほぼ同い年くらいの者たちである。
同じようなパーティーが各地10箇所で開催されているらしいが、ホントかどうかさえ怪しい。
だが問題はそんなところではない。
それは僕達が招かれた理由に全ては依存している。
「どうかしたの?」
ローストビーフを口一杯に放り込んで、風船のように膨れた僕の頬を、次いで額を見つめるその人は言った。
背は低く、華奢で髪は前髪以外胸の位置で揃えられている少女がそこに居た。
歳相応の僕から見るとどう見ても年下にしか見えない少女は、初対面でタメ語で話しかけてくる生意気な娘ならしい。
まぁそれを言うなら僕も同じなので『人懐っこい』と言い換えておこう。なんとなくだよ文句あんのかコラ。
「むっへほふ、ほおへもへえふぁほ」
口に詰め込んだ食べ物が咀嚼と唾液によって分解されつつあり、形を成さないぐちゃぐちゃな状態でその人の目に入る。
「ははは。何言ってるのか全然分かんないや」
その女、確か名前は橘夕日だったかな。
ソイツはやはり僕の目ではなく眉根を見ながら喋っていてる。
「えっと…」と何かを言い出すのに躊躇っているかのように顔は渋く、目と眉間を交互にチラチラ視線を動かす。
僕の口の中の汚物を気にすることなくその人は言うが、おそるおそる額を見ていたのはどうやら僕が眉間にかなりの皺を寄せていたからなのだと気付く。
ゴクリと音を立てて内容物を飲み込んでから眉の皺を開いた。
「これで満足か」
僕の素っ気ない返事に対して、何故だか心から満たされたかのようにパァっと表情が晴れる。
「うん!出来れば笑ってたほうがより好青年に見えるね」
「ほっとけ。てかこんな状況で笑える奴の顔を拝んでみたいね」
「あはっ、それもそうだねぇ。んじゃ、またあとでね!」
なんだか楽しそうなソイツはブンブンと大袈裟に手を振ってから、後ろ髪を引かせて出口の方へと駆けていった。
キュッ。
「ん?」
だが、何かを思い出したかのように立ち止まって後ろを振り向くと、両手をメガホン代わりにして叫ぶ。
「これからこの十人で頑張ろうね!」
面倒くさい奴だなと思いつつも僕が片手をあげて返ずると、とても幸せそうな満面の笑みをよこし、また回れ右をして部屋から出ていった。
「なんだったんだ、アイツ」
「あなたのことを心配していた、違いますか?」
「うぉうっ」
まさか独り言に返事があるとは思わなかったのでたじろいでしまうと、隣の声元はクスクスと笑う。
殺すぞ。
と脳に浮かべながら、そういう目つきで睨んでいただけなのだが「あなたの能力じゃ無理ですよ。ふっふっふ」との返事があったので僕の思考は瞬時にそこに辿り着く。
「あー、そうかアンタ心を読む能力者だな?」
声に出していない言葉に答えたということはまぁそういうことなんだろう。
「いいえ」
違うのかよ。
「はい」
心を読めると知らなかったら会話になってないぞ。
「そうですね。ですが、少し読心能力とは異なるものですから」
「へぇ、でも考えている内容が分かることには変わりないだろ」
「まぁ、そうですね」
だったら初めから首肯すればよいものを、さっきの女といいコイツといい面倒な奴ばかりだ。
「私は近衛彰と言います。これから長らくお世話になると思いますので、以後お見知りおきを」
「僕は知り合いになりたかないね」
「それはあなたの本心じゃありませんね」
どうかな。
彰はくっくと笑い、手に持っていたグラスの中身をクイッと一口であおった。
「我々はこれからどうなるんでしょうね」
再び注いだスパークリングシャンペインの揺れる水面をどこか遠くを見るように眺める彰が呟く。
「まず最初の三年間を生き延びられるかだな」
「やはり来るのでしょうか」
「そりゃ来るだろう。誰だって命は惜しいからな」
皿に盛ったカプレーゼとやらにたっぷりとオリーブを付けてムシャムシャと咀嚼する。
トマトの果肉がジューシーでなかなかにウマイ食い物だなと考えると、隣の奴は不躾に心を読んでまたもクックッと笑い声をこぼす。
「来るさ、必ずね」
この災厄の初まりは、一週間前にあの黒い男が僕のもとを訪ねてきたときだった。
その時のことをチラッと思い出すと、再び隣から喉を震わせる音が聞こえる。
コイツは心を読める上にかなり厄介で一番長く生き残りそうだな。
僕達はいずれお互いに殺し合わなければならないというのに呑気な奴だ。
まぁ、ここでボリボリ飯を食ってる僕が言えた立場ではないが。
とても愉快そうな隣の奴のことは無視して、僕は一週間前の黒い男との会合に思いを追随させていた。
[新宿]
ギィ…
木目の古い自室のドアを開くとソイツはそこにいた。
僕の持つ最高級ソファーにどっかりと腰を落とし、だらしのない格好で座っていた。
だが、そんなことはどうでもいい。
まず目に入ったそれが明らかに他の物と違う空気を放っている。
「お前、頭…」
その人物(?)の頭部にあたる部分は存在せずポッカリと空洞があるのみで、そこからシュウシュウと闇が溢れている。
まるで昔読んだ異国の本の中に出てくる妖精、デュラハンのようである。
その男は、いや、タキシードを着ているだけで男かどうかすら分からないソイツはバッと両腕を水平に広げる。
広げた腕の裾がチョコレートが溶けるように滑らかに四方に拡がり、それに引っ張られるようにして二の腕あたりの布がシルクがうねるような錯覚を起こさせながら八方へ伸びていく。
「う、うおおおおおおお」
腰を抜かす僕に構うことなくソイツは部屋一面に広がり、そして全体を覆い尽くした。
最初から存在しなかった男の頭部から湯気のように湧き出す暗い闇がボードの形を作り、そしてその粒子状だった暗黒は固化して黒板のように変化した。
フシュッ。何らかの消失音と共に、今僕と男がいるこの部屋の明かりが全て男の放つ闇によって包まれた。
男の頭部に浮かぶ黒板だけが、火の玉もさながらの薄明かりを放っているからなのか、まだ残暑残る九月だというのにかなり肌寒い。
その薄く青い光を放つ板に文字が浮かび上がる。
『こんにちは』
現在の時刻は午後四時。
普段の僕なら、こんにちはを挨拶として使う時間ギリギリかな、などと場に不適な考えを脳裏に浮かばせて黙りこけるところだったが、そんな余裕は全く無く背筋に気持ち悪いものがダクダクと流れていくのを感じる。
『あなたは夜ノ風京都様でお間違いないですね?』
「あ、ああ」
自分の名前を確認すると、吹き出す冷や汗を拭きながらなんとか返事をすることが出来た。
『声紋認証確認出来でした。ナウろーでぃんぐなか』
その板は不快になるほど読みにくく、汚い変な日本語を使う異国人の方がまだマシだと思えるくらいの酷い表記である。
「なう?ろーでぃんぐ?」
『完了』
「何か終わったのか」
『ルールを説明します』
「ルール?」
『来年の四月から執り行われる能力争奪戦に向けて、今からあなたに特殊能力を授けます。それを上手く使って、他の能力者が持つ九十九の能力を奪い、あなたの持つものと合わせて百の能力を集めて下さいます』
またも読みにくい表記に目を擦りながら読み進めていくと、それには色々納得出来ないことが書かれていた。
「能力って…あの能力か?心を読んだり、魔法の力で人の怪我を治したりする異国の本に出てくるようなアレのことか?」
ビクビクともゾクゾクとも形容し難いが、恐怖には変わりないだろう感覚を伴って尋ねると、その板が僅かに縦に傾いた。
「頷いたってことでいいんだよな」
再び青白い光を縦に揺らし、板を体に水平に戻したところでようやく文字が浮かび上がる。
『その集め方はいたってシンプル。相手を殺せばいいのです。能力を使って殺すも銃や刀で殺すも自由』
「こ、殺す!!?人を…か?」
『ただ、決まりがいくつかあるです』
板は僕の問いかけに対して答えない所を見ると、どうやらその面には予め何らかのカラクリで仕込まれた文字しか出てこないようだ。
『その一、三年以内に勝負がつかなければ全員の首が飛びます』
「はあっ!?」
ヤバい。これはヤバい。
絶対何かヤバい物に片足突っ込んでるだろコレ。
それより最初の登場から胡散臭すぎたんだよ。
何故あのとき逃げなかったのだろうかと後悔している間に文字はどんどん連なっていく。
ちなみに今逃げないのは真っ暗な上に、このタキシードから出てきた闇に拘束されていて動けないからだ。
それを分かっていて狼狽えない程度には僕の頭は冷えているらしい。
『その二、能力者は能力者にしか殺せないが逆は違う』
「つ、つまり…能力者ではない人間を能力者が殺すのは自由ってことなのか」
コクリとタキシードの首もとが揺れているということはそういうものなのだろう。
だが、その時の僕は理解するのが精一杯でそのルールの絶対的矛盾に気付けなかった。
『その三、能力者は生存期間中歳をとらない』
前の二つに比べ、メリットしかないその事項に僕は思わず安堵の息を漏らしていた。
「つまり、その奪い合いで勝った奴は不老不死。それがこの殺し合いの報酬…か」
『全ての能力を集めることに成功すれば、百年間だけ能力を酷使出来、さらに百年間の肉体的時間凍結を手にすることが出来ます』
「百年!?たったそれだけかよ…まぁ、でも時間凍結されるのなら他人より百年長く生きられる上に、その間は能力者だから外的要因で死ぬこともないってことか…でも死ぬリスクにしては少し高い気がするな…ってちょっと待て」
ここである疑問が浮かび上がったので、無視されるのも忘れて声に出してしまう。
「百年経った、そのあとはどうなる」
その問いに答える、いやそれは違うな。
予測されていたかのように板にはこう書かれていた。
『もしあなたが生き残ることが出来れば、百年後、また我々があなたのもとへと赴き、全ての能力の回収へ向かいます』
そうか、それでようやく解放されるのか。
だが実際そう甘くはなかった。
『そして、その優勝者は次回の争奪戦に参加して頂きます。勿論能力はランダムで一つという他の参加者と同じ条件です』
「この戦いで勝ち続けるか、死ぬかの二択しかないのかよ…」
僕はそれまでの人生を勉強のみに費やしてきた。
やりたいことがなかったわけではない。
友達と遊びたかったし、恋愛もしてみたかった。
だが、大学に行き、就職してしまったあとでもそんなものはいくらでも出来る。
そう楽観視して、これまでひたすら勉強して少しでもいい就職先をと考えていたのに…
たとえ逃げ続けたとしてたった三年しか生きられず、僕はなにもできず、抗えずに死んでいくのか。
そんなの…そんなの…
「酷すぎるじゃないか…これまでの努力が報われないなんて…残酷すぎるじゃないか」
自分でも気付かない内に大粒の涙が溢れだしていた。
このまま負けるのか?自分に。
ただ何もせず、死んでいく自分を呪って終わってしまうのか?
「嫌だ。そんなの死にきれるわけないじゃないか…やってやるよ。この醜い残酷な世界で誰よりも長く生きてやる!!」
胸に熱くたぎる衝動を吐き出すように板に向けて唾混じりの叫びを飛ばす。
板はそれに答えることはなかったが、タキシードが何度か頷く。
その仕草は人間と何ら変わりないものだったので、涙が止まらないほど怖いはずなのに思わず吹き出しそうになる。
そんな僕とタキシードを無視して板は続きを紡いでいく。
『この争奪戦を信用していただくために、まずあなたの一番嫌いな人間を脳内から読み取りましたので、その人物を殺しますしました。明日の新聞などを確認するといいでしょう。ちなみにその人物は弥七屋幾三ます』
弥七屋幾三、確かに僕が最も嫌う人間であることは間違いない。
それを何故だか知っている奴が言うことは全て真実なのだろうと呑み込まざるをえない。
「そんな簡単に…お前らは他人を殺してしまうのか…悪魔かよ」
『あなたはこれから最低でも九十九人を殺さなくてはならない。それだけの覚悟がないのなら、あなたはまず間違いなく一番最初に死ぬでしょう。何故ならあなたは最強と戦わなくてはならないからです。』
「最強…?どういうことだよ」
『前回の優勝者は既に万全の準備を整えています。百の能力を酷使し、世界の皇帝として君臨している存在。』
おいおい嘘だろ。
まさか殺り合わなければならない相手ってのは…
「東雲雨竜かよ」
東雲雨竜。
彼はこの世界に皇帝として君臨し、全ての国を束ね統括している。
反抗勢力は全て惨殺。
その凶悪さはかのドイツの独裁者ヒトラーなど比ではない。
噂によると手から口から火、氷、雷を放ち、その拳は大地を穿ち、睨む物全てを黄金へと練金してしまうという。
このタキシードの話が全て本当なら、それらの噂は十中八九真のことなのだろう。
百の能力を持ってすれば、この世界を征服するのも容易いことなのだろう。
だが…
「勝てるわけないじゃないか!!たとえ奴の能力が一つになったところで、奴の軍事力があれば僕たちなんて…」
僕の、いや。東雲雨竜の参加を知る全ての争奪戦参加者の答えを予測していたのだろう。
仄かな明かりの中で板は青白い文字でこう刻んだ。
『あなたは今無謀だと考えているでしょう。しかし、そのために決まりその二が存在するのです』
「能力者は能力者にしか殺せないが逆は違う…」
気付けば先程奴の顔面に書かれていた文字を反芻していた。
『だからあなたは戦える。戦わなくてはならない。その人間を殺さなくてはあなたは生き残れないのです。ご健闘を祈るます』
その文字を最後に板切れから発されていた光は少しずつ小さくなり、やがて真っ暗な闇だけが取り残された。
ただ、暗闇に目が慣れてくると、その板には同期中と白い文字で書かれているのが分かる。
「同期中…?何と…」
ガコッ。
不可解な音がした。
忍者屋敷から隠し扉などが現れるときの石段のズレるような音。
一瞬遅れて目に入ったのだが、タキシードの頭部で固化した板が僕の広げて縛られた両の足の間に落ちていく。
先程まで固形だったとは思えないようなバシャアッというバケツの水を打ち付けたかのような音を響かせて、ソイツは霧散した。
音はガラスが割れるように辺りへ拡散していく。
「うおおおおおおおお、っぶねぇ!!!」
『あっ…』
僕の悲鳴に答えた?ようにそのタキシード…の頭から喉を鳴らすような声が響く。
正確には板が床に落ちて闇に溶けてから、もとに戻った首から発されているのだけれど、もうこの際そんなことはどうでもいいので放っておこう。
『まぁたミスっちまったなぁ。あっはっはっは。参った参ったァ。いやぁ百年も経つと修正すんのわっすれちゃうもんだねぇ。なっはっはっは』
なんとも愉快極まりない声が響く。
今の僕の心境とは真逆のその声の明るさに驚いてしまい、しばらく口を開いたまま呆けていたが、やがて我に帰るとその違和感に気付いてしまう。
「お、おまえ…喋れるのかよ」
『今君たち全員は思っているだろうなぁ。何故会話が出来るのにしないのかと。そんなこと決まってるじゃないか』
ゴクリと生唾を飲むと、ソレが食道を通過して胃まで運ばれている感覚が何故だか分かってしまって気持ちが悪い。
『そんなの僕が面倒くさいからさ』
「は?」
思わぬアンサーに僅かコンマ二秒の時間が静止した。ように感じただけだが。
『あと、面白いからだよ。最後のコールのために僕が出てきたときの君達の驚き様がねぇ』
「こ、コール?」
『さぁて、お喋りもこの辺にしておいて始めようか』
声のトーンを一つ落としたタキシードが宙に浮き、その声が響いて闇の中に溶けていく。
『これより、百年百能力争奪戦を開始する!!』
拡散した声が止んだときには既に奴の姿と闇の世界は消えていて見知った自分の部屋になっていた。
だがそんなことに気付かないくらい暫くの間僕は呆然と宙を眺めて続けていた。
そして我に帰った時には膝はガクガクと震え、背中はグッショリとシャツを濡らし、ひきつった頬には幾筋もの涙が軌跡を作っていた。
「はは…なんだよ…だっせえなぁ…なんで泣いてるんだよ、僕は」
死にたくない。
その思いだけが胸のあちらこちらから響いてきて、耳を覆いたくなる程にうるさい心臓の鐘は激しく、強く打ち付けられていた。