お姉ちゃんは天使。
今日も僕は、家の玄関でお姉ちゃんのハイヒール(一昨日履いていた熟成二日目)に鼻を突っ込んで匂いを胸一杯に吸い込みながら、お姉ちゃんが帰ってくるのを待っていた。
僕の名前は、姉ヶ崎啓太。
自他共に認めるお姉ちゃんが大好きなシスコンの高校一年生。
以前は、家の門の外で待っていたのだけど、
「お願い! ご近所さんの目がどんどん冷たくなるの! お願いだから、お願いだから家の中で待ってて!」
と両親が泣いて頼むので今は仕方なく家の中で待っている。
まぁドア程度なら、あってもなくてもお姉ちゃんが近づいてくればわかるからいいんだけど。
ちなみに、僕の耳は五百メートル先のお姉ちゃんの足音を聞き分けることができ、僕の鼻は洗濯後の衣服からでもお姉ちゃんの匂いをかぎわけ、僕の目は1キロ先のお姉ちゃんを見つけることが出来る。
幼い頃からお姉ちゃんだけを追いかけていたらいつのまにか出来るようになっていたから、きっと誰にでも出来る。
僕のお姉ちゃんは一言でいって天使だ。
まず見た目が天使。超可愛い。アイドルや女優をスッポンだとしたら、お姉ちゃんはガーネットスターだ。
別にこれは僕がシスコンだからひいき目になっているわけではなくて、周囲も認めてる事実である。
お姉ちゃんが天使なのは見た目だけじゃない。
性格も天使だ。
誰にでも分け隔てなく優しい。
道で困っている人がいたらすぐに助けてしまう。泣いている子どもがいたら、泣き止むまでそばにいてあげる。
ティッシュ配りのティッシュは必ず受けとってお礼をいうし、宗教勧誘の人の話も最期まで聞く。
優しいから、ナンパを断ることも知らない。
声をかけてくる男について行ってしまうし、求められたら断ることを知らないから応えてしまう。
だから僕は四六時中お姉ちゃんのことを監視して、間違いが起こる前にお姉ちゃんを助けている。
あぁ、お姉ちゃん、早く帰ってこないかな。
ちなみにお姉ちゃんは僕の通う高校で国語の教師をしている。
通勤使っている車には盗聴器とレコーダーを積んでいるし、お姉ちゃんのスマホには僕に居場所を知らせるアプリをこっそり入れてあるから安心だ。
アプリによるとお姉ちゃんは放課後、国語教員の準備室でしばらく仕事をして、その後職員室に移動していた。おそらく会議でもあったのだろう。どれも明日レコーダーを回収すればわかることだけど。
今は車で帰ってくる途中だ。
僕の計算だとあと三分二十八秒後にうちの駐車場に車が到着。
そこから四十七秒でお姉ちゃんはこのドアを開けるはずだ。
うふ、うふふ、うふ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんが帰ってきたらお姉ちゃんが「ただいま」と吐き出した息を胸一杯にまずは吸い込もう。僕はお姉ちゃんの体臭から体調を知ることが出来るから、お姉ちゃんの疲れ具合がわかる。
会議のある日はいつもよりも疲れているから、きっと今日は少し酸味があるんだろうな。
そんなことを考えていたらお姉ちゃんの車が駐車場に帰ってきた。
「?」
おかしい、まださっきから三分十五秒しか経っていないのに。
僕は少し不信感を覚えた。
お姉ちゃんが通る道の信号の切り替わる時間を把握している僕がお姉ちゃんの帰ってくる時間を外したのは、これまでに三度。
帰り道の途中で、急に飛び出してきたボールを避けた、とかそういう出来事があったときだけだ。
駐車場に車が着いてから、一分が経過して、お姉ちゃんが車から降りてきた。
「??」
おかしい。お姉ちゃんの歩幅が違う。お姉ちゃんの足音から歩幅まで聞き分ける僕の耳が、聞き間違えるはずがない。
お姉ちゃんの足音は、もっとこう、聞く人の心をふわふわとさせる音をしている。
お姉ちゃんが、ドアの向こうに立った。
ドアの向こうにある匂いは確かにお姉ちゃんのものだ。予想よりも甘酸っぱさが強いから、相当疲れているのがわかる。
けど、けど。
だけど、お姉ちゃんならそんなところで立ち止まったりしない。
いったい、どういうことだ?
恐る恐る、といった様子でドアが開かれた。
「た、ただいまぁ」
「おまえ誰だ!!」
「きゃっ!」
僕はお姉ちゃんの姿をした不審者に飛びかかった。
「お、おまえ誰だ……って、な、なにを言っているのかな? わたしはケータくんの大好きなお姉ちゃんだよ! だから離れて——」
「嘘をつくな!!」
僕はお姉ちゃんの身体に抱きついて、スンスンと匂いを嗅ぎ、胸を揉み尻を触る。
「きゃあああああ!! な、なにするの!? なんで匂い嗅いでるの胸揉んでるの!? へんたい! 変態!!」
「うるさい黙れ、服を脱げ」
「きゃっ、や、やめて! お願いだから服を取らないで、やめて! やめてー!!!」
僕はわめくそいつにお構いなしに、ワイシャツを剥ぎとる。ボタンがブチブチと飛んでいったがかまうもんか! 続いてキャミソールに手をかける。
「お、お願い、お願いだから下着だけは……」
「うるさい」
「キャアアアアアアアア!!!!」
ビリ、とキャミソールも剥ぎ取った僕は、お姉ちゃんの身体をじっくりと観察する。
右の胸を持ち上げて、影になっている部分を確認。
「ひゃん」
さらに、足をムリヤリ開かせて左太ももの付け根を確認。
「くそ!」
「ぐすん……ぐすん……なんなの……なんなのこれぇ……」
「おまえの肉体・匂いは確かにお姉ちゃんのものだ。お姉ちゃんの身体のほくろの位置まで全部知っている僕がそれは保証する……だけど、おまえはお姉ちゃんじゃない!!」
「え、ほ、ほくろの位置まで全部知ってる、ってどういうこと!? っていうか、匂いでわかるってなんなの!? 弟だよね、頭大丈夫!?」
「お姉ちゃんをどこへやった! 返せ! 返せ!」
僕はそいつの胸をぐにぐにと揉みしだきながら声高に問い詰めた。
そこへ、騒ぎを聞きつけて母親がやってきた。
「どうしたの!? ちょ、啓太!? アンタ、ついに……」
「母さん、大変なんだ、お姉ちゃんが攫われた!」
「お母さん、助けて! ケータくんがおかしいの!」
「バカめ! お姉ちゃんはお母さんなんて呼ばない! お姉ちゃんはマミーって呼ぶんだよ!」
「こら啓太!! いい加減にしなさい!!」
「ぶへっ」
僕は母親の怒りの鉄槌を右の頬に受けた。
「アンタがお姉ちゃんのことを異常に好きなのはわかっていたけど……まさかこんなことになるなんて……ごめんね、夏美」
「ううん、助けてくれてありがとう、お母さん」
お姉ちゃんの肉体に入った何者かは、母親と、ひし、と抱き合いながら、こちらへと恐怖の眼差しを向けた。
「啓太、アンタは自分の部屋にいってなさい! お姉ちゃんには近づかないこと!! いいわね、今夜は家族会議よ!」
自分の部屋へと強制送還された僕は、親指の爪を口に含んだ。この親指の爪の形はお姉ちゃんと僕が唯一似ているところで、僕を落ち着かせてくれるんだ。
くそ……お姉ちゃんがどうなったのか。絶対に突き止めてやる。
ギリ、と指を思わず噛みしめ、滴る血の味を感じながら僕はそう決意した。