二章 遠路の山
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私たちはニーニーの家を後にし、とりあえずこの近辺の山を探す事にしました。闇雲に手当り次第に。
常日頃、迷い人を探すなんて探偵みたいな真似事をしていない一般人の私達は、しかしそれに近いモノを愛読書とする私は、ニーニーが本当に山に行ったのか確証もありませんが、何もしないよりは何かして当たればラッキーの精神で行くしかありません。
「って言っても、どこらへんの山を探すんだ?」
「とりあえず、一時間から二時間程度で行ける場所ですね。死体を持っての移動、それに恐らく、夜中の内に作業を終らせたいのなら、これくらいじゃないとダメだと思うのです」
「まあ、多分ニーニーも埋めたらすぐ帰ろうと思って……あれ?」
自分の発言に疑問を持った深夜が首を傾げます。
「どうかしましたか?」
「なあ、俺達ニーニーを探してるんだよな? でも、今日帰って来なかったって事は、ニーニーは二時間程度の距離じゃなくて、もっと遠い場所に行ったんじゃないか?」
その考えはあながち間違ってないと思いますが、私は否定します。
「いえ、それはありません。それだけ移動するのに、時間的に見ても危険です。ニーニーが父親をバラバラにしたのは、運び易くする為でしょうが、昨日ノコギリを買ったあとにやったとしても、すぐに終る作業には思えません。」
人を切り刻む作業がどれほどかかるかなんて知りませんが、ニーニーは別段運動が得意だったり力が強かったりすることなく、何処にでもいる女子高校生です。それ相応の時間がかかったと推察できます。
「それからニーニーは一度シャワーを浴びているみたいでした。風呂場を掃除することを考えても、簡単に考えてざっと二、三時間はここで使ってしまうでしょう。もっとかかったと考えてもいいくらいです。そこからバラバラになった死体を鞄に積め、運ぶとしても、人一人を運ぶのは困難です。十分で行ける距離だとしても、下手をしたら倍、もしかしたらそれ以上はかかると思います」
「男でも難しいかもな。それにあの親父さん、意外に重そうだし」
肥満ではなくとも、中高年の平均体重を考えれば大体の予測はできます。
「そうなると電車自体がなくなります。夜間列車や寝台列車を使えば遠くまでいけると思いますが、あまり長い時間乗っていると、恐らく臭いが……」
「死体って、すぐに臭うもんなのか?」
「いつ死んだか解らないですが、例え腐っていなくても、死体の匂いというのは目立ちます。不審に思われた時点で危険にもなります。ニーニーも何か、香水をかけて誤魔化していると思いますが、誤魔化せるにも限度はあると思いますし、安全を考えるならさっさと埋めるでしょう」
埋める、という点についてだけを否定した回答。別の、もっと遠い場所の答えにはなっていません。深夜はそれで納得したのか、よしと頷きました。
「何の手がかりもない状況だもな。出来ることからやるか」
「ええ、それではコンビニに行きましょう」
「コンビニ?」
「地図があるでしょう」
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自動ドアを抜け、パンの種類が少なくて有名なコンビニ入ります。店員は一人しかおらず、客は私達以外誰もいません。今日も同じようなパンしか売っていないのが原因でしょう。
コンビニに着くと、さっそく私は深夜に指示を出しました。
「さて、手当たり次第に探して下さい」
「はい? 俺が? 一人で? 燈莉は?」
深夜の何もしないつもりなのか、という視線に私はややムッとした表情をし答えます。
「私は家に帰ってパソコンで調べます」
「そっちの方が早いじゃん! ここで調べる必要なくない!?」
「いえ、まだ貴方が私の家に入るのは早いかと」
「…………」
きゅんきゅん。深夜の切なく潤んだ瞳で私の心が潤います。そのためにここへ来たと言っても過言ではありません。
雨の日に捨てられた子犬が不良に見つけられ傘をプレゼントされると思いきや、ちょっと触られ「やっぱり犬って可愛いな」なんて意外な一面を見せつけながらも傘を貸すなんてことはせずそのまま帰ってしまったのを目撃した隣のクラスの教師の如き視線を私に向けてきますが、私は時間がもったいないのであっさりと別れを告げるとそのまま帰宅ルートに入ります。
ものの数分、正確には十分程度の時間をかけ、家に着きました。到着です。
玄関を開けると、出る時よりも静まった肌寒い空気が流れており、誰も帰宅していないのが解ります。ニーニーの家に居たのも、時間にして一時間も経っていないので当然でしょう。それに、お父さんとお母さんは仕事でしょうし、休みなど関係ない職種でしょうし、お姉ちゃんは大学が楽しいようでなかなか帰ってきません。いない方が何かと都合がいいと思いますが、やはり居れば助かる反面もありますが今は邪魔なだけなので特に気にせず自室へ向かい、パソコンの電源を入れ周辺の地図を表示させます。
いくつか入力と検索を繰り返し、調べた結果、見つかった山は五つ。
一番近いのはここから三十分程度の距離ですが、どうやら山と言っても大した山ではないらしく、人を埋めたりするのにはあまり向いてないようです。恐らくここではないでしょう。他の三つも似たような感じで、除外し残った中で唯一良さそうなのが、ここからニ時間程度で行ける山でした。その山の駅を調べたところ、山の方角は本当に山しかなく、意外に寂しいところらしいです。ただ、登山家の方たちは、こういう山の方がいいとレスに書いてありますが。真夜中に登る登山家はいないでしょうし、いないかなんて知りませんが危ないと言いますし、恐らくここと当たりをつけてみてもいいでしょう。
違ったら、また探せばいいだけです。間違えてはいけないわけではないのですから。
時間がないだけで、何度もリトライできるのです。時間なんて、もう既に遅すぎると言ってもいいくらい経ってしまっているのですから。
私はパソコンを閉じ、深夜が待つコンビニに向かいます。かかった時間はそれほどではないですが、それでも深夜を待たせている事には変わりません。気持ち急いでコンビニに向かい、しょぼくれて地図をパラパラと捲る深夜にまったく気なんて使ってないアピールをしてツンデレの下地を作りつつ拾い、そのまま駅に向かいました。
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「乗換えとかはあんの?」
「いえ、この電車で乗っていけば着くそうです」
電車は混んでいて、座れそうにありません。ゴールデンウィークの効果は絶大のようですね。皆競うようにどこかに出かけていますが、よく見れば、目立つのは学生と思しき年代の若者と家族連れです。社会人になってしまえば祭日に休めるとは限らなくなるようで、祝祭日なんてものは実際社会に出てない人種か、家族を持つサラリーマンの方々くらいしか恩恵を受けていないのかもしれません。適当に空いたら座ろうと、大学生や高校生くらいの集団が携帯ゲームをしながら座っているのを蹴飛ばして退かせてやろうかと思いましたが、ゲームをするのは構わないのですが場所を考えてやってほしいと常々思いますし、電車で化粧をするのと同じくらい迷惑行為であると自覚がないのが今の若者かもしれませんが、それはごく一部ということも認識しなくてはいけません。最近ではそれに加えてスマホが入り込んでいます。そういえば、わざわざ家に帰ってパソコンを開かなくとも今はスマホで色々できるのですが、私は機械音痴なので勝手が解らず、深夜は未だガラケーなので限界があるのでした。若者なのに時代に置いていかれています。
三十分してある駅に着くと、乗客のほとんどが降りてしまいました。どうやら乗り換えの場所らしいです。乗り込んでくる乗客も少なく、座るスペースがかなりできました。私と深夜は三人用座席に二人で座ります。ちなみに優先席ではありません。お年寄りは大切に、です。
あまり話を聞かれたくはない内容なのでここを選んだ理由もありますが、なんだかこの席は好きなのです。端に座れば片側から人の視線が遮れる。電車の際、私はいつもここに座ります。肘も置けますし。
「で、これから山に入るんだけど、なんの準備もしなくてよかったのか?」
「準備? そんなのいつもはお風呂に入る前に済ませています」
「そうだね、今日はまだお風呂入ってないから準備してないってことだね」
「ニーニーの居場所を探る事しか考えてなかったことに何か問題でも? 山登りなんて靴と虫除けスプレーがあれば問題ないです」
私の自信満々な答えに深夜は笑顔で頷いてくれました。さすが彼氏です。
「毎年山で遭難する人っているよなー。山に入る前に何処かで買うか」
「きっとその人達は山を舐めているんでしょうね。あ、虫除けスプレーとか欲しいですね」
「あとは食事だな。何も食べてないし、腹ペコのまま山に登るのは嫌だ」
「それから帽子も欲しいですね。日焼けが心配です。私の絹肌に傷がついてしまいます」
「どれどれ」
私が生腕を擦りながら言うと、深夜が腕をなでなでしてきました。
「……て、てりゃっ!」
喉元に全力でチョップをしてあげると奇妙な声をあげました。
「ぐげぇぶふっ!?」
「何をするのですか。油断も隙も気持ち悪い」
鳥肌が立ちました。ぞわぞわって。ゾクゾクッではないです本当です。だって嫌ですし、触るとかありえないですし、触られて嬉しいと思う人なんていないですよふざけてるんですか深夜は。異様に顔が熱くなりますがエアコンが効いていないようです。車掌に文句を言ってやりましょう。
隣を見ると、コミカルにクリティカルしたチョップのダメージから立ち直れないのか、咳き込んで咽ている深夜が苦しそうに恨みがましげに見てきます。
「なんですかその眼は? 深夜が悪いんですよ突然そんな破廉恥な行為をしてくるから」
「いや、謝ろう? まずは謝ろうぜ? 本気で結構本当に痛いというか苦しいんだけど」
「私への愛にですか?」
「ちが……くないけどね! 愛しすぎて苦しんでるね今うん!」
「深夜ったら……こんな誰もいないところでもう。どうせなら大衆観衆の前で恥ずかしい事を言って下さい」
「はんっ」
深夜はひどくぞんざいに壮大な態度をします。生意気です。生意気に生意気なことを言い出しました。
「いいぜ、ただしその時はお前も恥ずかしいだろうがなっ!」
「あ、ヒクイドリ」
「ウソマジで!?」
ヒクイドリはインドネシアやオーストラリアの熱帯雨林に生息しているので、日本にいるはずはないのですが、深夜は無邪気に窓の外を見ています。ふふ、バカめ。
欲しいもの、必要なものを挙げていたので、深夜が車窓に釣られているうちに付け足します。
「それから私、歩きやすい靴も欲しいです」
「ヒクイドリどこ……え?」
「山に入るなら動きやすい服も必要ですね」
「ストップ! ストップです燈莉さん!」
「なんですか? ヒクイドリは見つかりましたか?」
深夜が慌てて私の欲しいモノリストを遮ります。
「いいってそんな生物もうどうでもいい。あの、それはもしかしてもしかしなくとも」
「深夜は付き合っている彼女に何も買ってあげないんですね。靴も服も心さえ」
「恋人の関係ってそんなだっけ!? むしろ俺は結構プレゼントしてる方だと思うんだけどな!? 今つけてるネックレスも俺があげたものだし!」
少し安っぽい私のネックレスを指差し言います。こんなもので私の心を満たそうなど甚だちゃんちゃらです。メロメロくらいにしかなりません。
「まあ服や靴はまだ今度にして」
「くそう、また今度なのか」
今はふざけている場合ではないので許してあげることにし、本当に必要なものを考えることにしました。
「一応必要なものは虫除けと食べ物ですね」
「買ったら山だな。ところで、ヒクイドリは……」
おバカなことを言う深夜。第三者から見ると、恋人同士が山に遊びに出かけているように見えるでしょうか。本当だったら、今日はニーニーも入れた三人で、映画でも見て何処かお店で食事して、遊んでもいいと思っていました。
デートでしたけど、二人の方がいいですけど。三人も、好きです。嫌いじゃありません。
ニーニー。今何をしているのでしょう。父親を殺してしまった事に怯えているのでしょうか。
それとも父親を埋めるところを人に見られて警察に捕まっているのでしょうか。
それとも、それとも。
考えれば考えるほど、沢山の様々な想像が頭をよぎります。私は今、例えニーニーが父親を殺していたのだとしても、ただ会いたいからという理由で探しているのかもしれません。
人を殺したことを怒る為に会いに行くのではなく、
人を殺したことを嘆く為に会いに行くのではなく、
ただ、ニーニーに会いたいから。
そう思う事で、私はニーニーに会う免罪符を持つことができるのです。
本当は、私は一体どういう気持ちでニーニーに会いたいのか。
本当に、人を殺したかもしれないなんて異常な世界の人物と、会いたいのか。
私の手を、深夜が握ってきました。突然の行動に驚きつつ深夜を見ると、笑っています。柔らかく、心落ち着くそんな深夜の顔を見て、私は。
「恋人同士だと思われたどうするんですか」
「恋人同士じゃないんですか!?」
いつも通りに接する。握った手を離さないよう固く握りながら、私と深夜はニーニーに会い行きます。
電車の中、私と深夜のいつも通りの掛け合いが、笑いと共に響いて……
その中に、ニーニーの声はないまま……。
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