一章 滑稽な殺人 1-3
学校の帰り道、私は駅の近くに出来たというホームセンターに向かう。
朝、釘咲君の他にも知り合いに何人か聞いたのだが、やはりそこ以外の店を聞く事はなかった。あまり素行のよろしくない友人なんかは、美術室から盗めと言うけど、汚いし簡単には盗めないという点を考慮していないので没案となった。……勿論最初から盗む気なんてなかったけど、面倒の観点から後で教師に見つかり怒られるのを考えると、ちゃんと買った方がいいと判断した。使った後、綺麗な状態で戻せないのだし。
名が知られている店だと万が一のときに足がつく可能性があるから嫌だったが、しょうがない。妥協は必要だ。妥協により円滑に進むのは、下らない人間関係だけだけど。駅前と目印があるので歩いてすぐ、道に迷うことなくホームセンターは見つかった。
「……大きい」
それを見て、私の想像をはるかに超えた佇まいを見て、思わずため息に似た言葉を漏らしてしまう。ホームセンターは四階建てで、その四階全部がそうらしい。こんなに凄いのが出来ていたなんて知らなかった。
店に入ると、さらに驚くべき事が私を待ち受けていた。
「ん、遅かったですね」
「え、なんで燈莉が……って釘咲君もいるんだ」
私はそこにいた人物を見て、驚きの声をあげる。そこにはクラスメイトの釘咲君と、同じくクラスメイトの灯夜逆燈莉がいた。
この二人が一緒にいる事に疑問はない。何故なら二人は付き合っているから。いわゆるカップルというやつである。しかも馬鹿がつく程ベタベタだ。学校が終って放課後のデートというのは理解できるが、ホームセンターでデートというのはどうだろう。最近の流行なのだろうか。
「なんでこんなとこでデートしてるの?」
「してねぇよ!」
「新鮮さを求めて」
「求めてたのか!?」
私の疑問に燈莉愉快な回答をしてくれた。釘咲君は相変わらず突っ込みしかしないつまらない男だった。私と燈莉が揃った時、釘咲君の突っ込みは二倍になる。忙しく大変そう。やめないけど。
釘咲君が倦怠期なのかと燈莉に尋ねるが、燈莉は燈莉で本来の目的を話してくれた。
「私達はニーニーの買い物に付き合うために、ここにいるのです」
「そうそう。なんか色んな奴にノコギリ何処で売ってるか聞いてただろ? だから気になってさ」
釘咲君の言葉を聞いて、うざいなぁ、と思ってしまった。約束していたのならともかく、勝手に先回りして待っている辺り、断られると解っての行動だろう。野次馬的な興味と言える。
燈莉は私の思考を感じ取ったのか、目を伏せた。
「深夜は好奇心ですが私は心配心で……」
「おい待て、それじゃ俺がなんか嫌な奴みたいだ。それに心配心ってなんだよ」
「深夜は、『好』きで『奇』妙に『心』が揺らぐですが、私は『心』を『心』に『配』るのです」
「意味が解らない!?」
二人とも、私の行動が心配で来たみたいだ。学校でノコギリを売っている店を聞く女子高生なんておかしいだろう。うざいと思ったのは訂正しよう。大事な友達だ。自分の時間を使ってまで、こうして私なんかのために来てくれたのだから。
よく解らない感動系の流れでまとめようと思ったけど、少し引っかかる。 あれ……もしかして大きいお店じゃ足がつくとか思ったけど、今の時点でもマズイ?
多くの人に話を聞きに行った時点でそれは考えるべきことだった。終わってしまった過去なので深く考えないことにしよう。そもそも、疑われるような状況に陥らなければ問題はないんだし。二人とは長い付き合いだから、しょうがない。こうなるのは、ある程度予想していた。
しがらみというのは、長ければ長いほど、絡みつくのだから。
「そう、でも私はノコギリを買いに来ただけよ? 心配するほどの事じゃないわ」
「まあそうなのですが、ただの暇潰しと思って下さって結構です」
「心配心がどっかいっちゃってますよ燈莉さん?」
やはり燈莉は面白い。こんなことを言っているが、何か考えがあってついてきたのだろう。わざわざ放課後のデートを私のために使う辺り、友情の厚さが伺える。
来たものはしょうがいないので、私達三人は二階にあるノコギリ売り場に向かった。ノコギリ売り場ってなんだと思ったけど、なるほど、納得した。 そこにはおよそ数十、数百のノコギリが売られていたのだ。壮観という言葉が似合うが、売り場担当にはなりたくない部門だった。
「すげえ……ノコギリって、こんなに種類があったんだ……」
釘咲君が感嘆の面持ちで呟く。大小様々色々な形のノコギリが、綺麗にびっちりと並んでいるのだ。むしろこれは実用性があるのだろうか、というようなものまで置いてある。種類を豊富に、実用性を無視したものもあるところを見ると、インテリアとして飾っても良くはない。どう考えてもノコギリが飾ってある家には行きたくない。猟奇的な結末しか予想できなかった。
インテリア風のノコギリゾーンを素通りし、私が欲しいのはよく斬れる鋭く凶器的なノコギリが欲しいので、実用性重視の無骨なデザインが並ぶ売り場に向かう。
私も一応女子なので、あまりこういった分野に詳しくない。沢山のノコギリが並んでいる中どれがいいのか悩む。こういう時は男子に聞こうと、呼んでもいないのについてきたこの中で唯一の男子である釘咲君に聞いてみることにした。
「ねぇ釘咲君。人を簡単に切り刻めるノコギリって、どれかしら?」
「怖い! 怖いよニーニー!」
何の役にも立たない突っ込みしかしない釘咲君を無視し、自分で決めるしかないようなので吟味する。とりあえず、値段も安価で、けれどあまり安すぎると使えない場合があるので気をつけて、使い安そうなノコギリを買うことにした。お値段は二千円に届くか届かないかのノコギリを手に取る。手にフィットする感覚があり、使いやすそうだった。この値段がノコギリの価格で安いのかどうかは知らないけど、これを買うことに決める。決めたら後は早い。他人の恋路を邪魔するのは馬に蹴られて死んでしまえと言うし、これ以上二人のデートを邪魔するのも気が引けたので、というのは嘘だが、これ以上関わられると面倒なので、私はさっさと帰ることにした。
「それじゃ私、もう帰るね」
「ん? もう帰るのか?」
「二人の工具デートを邪魔できないよ」
「どんなデート!?」
恐らく私が帰るなら二人は普通の一般的なデートに移行するので、工具デートはしないだろう。工具デートで喜ぶのは男子同士の生物学的になんの価値もないカップルだけだ。
私がノコギリを買いに会計に向かおうとした、その時。
それまで黙ってつまらなさそうにノコギリを眺めていた燈莉が、呼び止める。
「ニーニー」
こちらを向いて、真っ直ぐ見つめて、何かを考えている瞳が私を問い質す。
「これから、何をするんですか?」
それは、確信にも核心にも触れず、だけど確信と核心に近い質問。
嫌に嫌に、不気味さがする問いかけ。
私はその問いに、即答できなかった。このノコギリの用途が解るわけないが、それでも何か勘付かれたのではないか、そう思ってしまうほど、燈莉の瞳には私を伺う、怪しむ色が見えた。
「……家に帰るだけだよ」
事実ではあるが足りない言葉を口にする。返答を聞き、燈莉は私が持つノコギリに目をやった。
怪しむように、疑うように。
「ノコギリを持って?」
「……ノコギリを持って」
緊迫か緊張か、きっとそれは私だけが感じているのかもしれないが、異様な空気に空間。さらなる問いかけが私を襲うと身構えていると、燈莉は、そうですかと言って黙ってしまった。
どんな質問をしても意味がない、そう理解したようだ。
私はこれ以上ボロを出さないために、そそくさと帰ることにする。
「つーかノコギリなんて何に使……っておい! 何処いくんだよ!」
「帰るの。それじゃあね」
私を見る四つの目から逃れるように、足早にその場を去っていく。
ああ……本当に、怖い。燈莉にはばれちゃったかも。
まあそんな事を気にせずに、さっさと家に帰ろう。家では父親が待っている。バラバラになるのを待ちながら。
∴ ∵
私はノコギリを肩に担いで、家路につく。途中でコンビニによって何か買いたかったが、ノコギリを持ったまま入る勇気がないのと、微妙にノコギリが邪魔だったので諦めた。ノコギリを持ったままコンビニに入れるだろうけど、奇異な視線を受けるのは避けたい。これ以上ノコギリを持った女子高生の姿を目撃されるのは、父親がバラバラで見つかった時に不利になるので控えたかった。
コンビニまで来てしまえば家はすぐそこで、ものの五分ほどでオンボロアパートが見えてきた。鍵を開け、家に着き荷物を降ろす。バックとノコギリ。そのまますぐに行動するつもりはないが、念の為というのも変だが、父親の状態を確認しておこうと風呂場へ向かう。風呂場では相変わらず父親が血だらけで倒れていた。風呂場に死体があるだけでその空間が異様な空気に包まれているが、どこに死体があってもその空気を感じるので気にはしない。 むしろ、他に気になることがあった。
……少し、匂うかな?
四月の終わり頃だからか、それとも昨日私と一緒にシャワーを浴びたせいか、やっぱり生ものは腐るのが早いのかもしれない。あ、いや、やっぱり臭いはしないみたいだ。異様な空間の空気に当てられたのか、異臭を放っていると勘違いしてしまったのかもしれない。いくら陽気がよくとも、そうそう簡単に腐るなんてありえないだろう。本当は一息ついてから取り掛かろうと思っていたが、ここで休憩を挟むと、怠惰がやる気を上回ってしまいかもしれない。面倒なのは避けたい性格なので、明日は休みだし、片づけることを片付けてから休んだ方が気が楽だ。私は自分に活を入れ、すぐに行動する自分にエールと称賛を送り、さっそく父親をバラバラにする準備を始めた。
服は汚れてもいいものに着替える。それに適しているのが父親の服だった。安物のTシャツと、下は茶色の短パン。大きくてダボダボだが、捨てることになるだろうし、気にしないでやることにした。何より自分の服を汚したくない。着替えを終えると、新品のノコギリを持って風呂場に行く。
まず、腕を切り落とすか……。
大の字に仰向けに倒れている父親の右肩に右足を置き、左足は滑らないよう気をつけて、脇腹あたりにずれない様に足を置きながら、二の腕辺りから切り始める。
…… …… 服が 巻き込む …… ……
…… 血が 飛んだ …… …… ……
――――グズ グジュ ザ グジュ――――
…… …… …… …… 肉の油が 刃にこびり つく ……
…… …… 取れた …… 落ちた …… ……
不快な音が風呂場で反響する。父親から放たれた肉音は、壁に当たり跳ね返り、私の鼓膜へと侵入する。嫌でも拾う引き千切られる音。正直、気分がいいものではない。それでも、これはやらなくてはならない。ああ、気持ち悪い。
――ジシュ ユジュ ビュジュス――
――ジュグ ガッ ガギギ――
感触が硬くなる。骨に当たったらしい。私はよりいっそう力を込め、ノコギリを引く。
――ギギギ ギコギコギコ ブチ――
十分後、どうにか右手を切断する事には成功した。成功したのだが……これは思ったよりも重労働だ。何より、最悪に気分が悪い。ただこういうのは、一回休んでからやるよりも、一気にやらないとやる気が失せる。気を取り直して、今度は父親の左肩に右足を置いて、また切り始める。
――ザジュ グジ ズ ズズズ――
――ギギギ ギコギコ グジジ――
それから私は、左腕・右足・左足・頭と、三時間にわたり父親を六つの肉塊に切り分けた。
「ふー」
私は切り分けた四肢と頭を、それぞれビニール袋に入れる。身体はゴミ袋に入れた。無駄にでかいから入れるのにも苦労する。そして匂いが出ないように、家にあるだけの防臭剤を袋に入れて、台所に置いた。他に置ける場所がなかったのだ。ノコギリも後でどこかに処分する為に、とりあえず流しに置いておく。なんだか台所に色々表現したくない物が散らばる惨状になってしまった。これらが台所に置いてあるというのは、薄気味悪いを超えてしまうだろう。
一通り終えると、汚れた風呂場を洗う為、また風呂場に行く。今日も風呂を使うのだ、あのままにはしておけない。残りの作業は掃除だけだと、私は楽観に楽観を重ねた気軽さで風呂場に戻る。風呂場の床は凄い事になっていた。
父親の血、髪の毛はまだ許せるが肉に皮膚。
これは……凄い。
そこら辺のホラー映画よりも凄惨な光景になっている。映画なら絶対モザイク必須だろう。むしろ映像化したくない。きっとこういうのを見て、肉が食べられなくなるのだろうと思った。どうしよう、野菜よりも肉が好きな私は困ってしまう。でもトラウマになるほどショックを受けているわけではないので、時間が解決してくれるだろう。とりあえず流れなさそうな肉と皮膚を取ることにした。人間の肉だと思って拾うより、牛肉だと思って拾う方が気が紛れるかと思ったけど、なんだか本格的に肉が食べられなくなりそうだったので何も考えずに拾うことにした。今日の夕飯に肉はやめておこう。
ふと顔を上げると、風呂場の鏡が私を映している。お湯を使っていないので湯気で曇ることもなく、私の姿がはっきりと見えた。そこに写っていたのは、無表情で、顔から足の先まで人間の血で汚れている、女子高生が写っていた。ホラーだった。
風呂場を綺麗にしたあと、自分自身も綺麗にする為に、お風呂に入ることにした。
時刻は二十時。疲れた。
まず、顔を洗う。ゴシゴシと両手を使い、丁寧にこびりついた血を落とす。少し硬くなっていたけど、落とす事ができた。次に、髪、身体と洗っていく。髪は悲惨だった。血がこびりついていて、落とすのに時間はかかるし、本当に落ちているのかも解らない。念の為に四回洗ったけど、落ちてるかな。
身体は顔と同じで、簡単とは言えないけど、落とす事ができた。マンガなんかだと匂いが残っているとか言われそうだけど、匂いを嗅いでも特に感じず、石鹸のいい香りしかしない。女の子はいい香りしかしないのだ。私はざっとお湯で体を流すと、溜めておいた湯船に浸る。
「う……ああー」
気持ちいい。疲れが流れていく、お湯に溶けていく感じだ。お風呂がこんなにも気持ちいいなんて、初めてかもしれない。ヤバイ、寝ちゃいそう。眠気が襲ってくる中、私は百まで数えてからお風呂を出た。百に意味はない。何故百なんだろう。のぼせそうだった。
お風呂から出て、私はパジャマに着替える。風呂から出ると、匂いが鼻についた。お風呂上りで色っぽい雰囲気があるか解らない私ではなく、部屋の中にたちこめるまでいかない、それは注意しないと解らないくらいの、ほんの微細なもの。それでも私が気付けたのは、昨日から私の周りを漂う環境のせいかもしれない。辺りを見回して、念のために自分の匂いを嗅いで台所を見ると、そこには匂いの根源がいくつもの袋に入った状態で放置されていた。
今は四月が終わり、もうすぐ五月になろうという季節。
勿論、暖かく昆虫や動物たちも活発に活動を始める季節なのだが、どうやら父親の肉に寄生している微生物達も、活発に動いているらしい。だから春と夏は嫌いなんだ、と考えたのだが、そもそも人体はこんなに早く腐敗するものだろうか。もしかしたら、肉袋に詰まっている排泄物系の匂いが漏れているのもかもしれない。気持ち悪い。
明日はゴールデンウィーク初日。ならば、遠出するのにもちょうどよく、父親をどこかに捨てるか、埋めるのに絶好のチャンスだった。善は急げだ。
私は鞄を取り出すと、その中に自分の服、懐中電灯、それから虫除けの為のスプレーや山登りに必要だなと思った物を入れた。今着ている服は動きやすい服に着替える。随分前、十年近く前に父親が買ったキャリーケースを取り出す。それは、家族三人の荷物が入るくらい、大きなキャリーケースだった。父親が、全員で分散して持つよりも、こっちの方が楽だと言って買ってきたもの。使われたのは、温泉に行った時の一回だけ。
私はその中に、父親を入れる。腕を入れ、足を入れ、身体を入れ、最後に、頭を入れる。入れる度に、父親の身体の微妙な硬さの感触に気持ち悪くなった。柔らかさにかもしれない。ファスナーを閉める。これで父親の運搬は比較的楽になったと言ってもいいだろう。そこで、また匂いがした。今度は勿論、キャリーケースからだ。やはり、近くに人がいなければ解らないだろうが、電車などでは周りにいるだけで解ってしまう可能性がある。本来、こんな簡単に死体が匂うなんてことはないはずだが、どうやら一緒にお風呂に入ったのがまずかったみたいだ。お湯をかけてそのままで、湿気を十分に吸い込み、腐りやすくなっていた……香りやすくなったのかもしれない。少し考えて、香水をかける事にした。ハーブの香りのする、沢山かけてもあまり嫌な感じにはならないもの。袋に満遍なくかけて、ファスナーを閉じて、改めて匂いを嗅いでみる。うん、生臭いというか、変な匂いは消えた。どちらかというと、臭いというより、血生臭い臭いがしていたのだ。そう簡単に腐りはしないが、血の匂いは漂う。だが、やはり香水のかけ過ぎはよくないらしい。嫌な匂いではないのだが、やはりキツイものがある。でもまあ、父親の匂い程ではないからいいだろう。私は出かける前に忘れ物がないか探す。余計な物を持たず、そして必要な物がないか。一通り確かめて、特に何もなかったので、私は鞄とキャリーケースを持って家を出た。
向かうは電車で二時間ほどかかる山。車は多く通るが、余程の山登りが好きな人でないと誰も来ないようなところ。昔、父親に連れて行ってもらった事のある山だった。別に父親は、山登りが好きだったわけでもないけど。
ガラガラと静寂の中、質量を持った音が響く。通りには誰もおらず、まだ寝静まるには早いだろうに、人の姿は見られなかった。凄く重いキャリーケースを引きながら、時折休憩しながら歩いていると、街灯が少ない中でも視界が明瞭なことに気付き、空を見上げる。
まばらな星に、月が見えた。
道には、人の気配がなく、静寂。月だけが、私を見ていた。
時刻は二十二時五十七分。あと一時間程で、ゴールデンウィークが始まる。
さぁ、もうすぐだ。
私の生涯最低最悪の、ゴールデンウィークの幕開けは。
 




