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一章 滑稽な殺人 1-2


 ボーっと天井を見ていたが、今の体勢が気分的に非常によろしくないと思い至った。どれくらいの時間こうしていたか解らないが、十分や二十分ではないと思う。死体の体温がどれほどで冷たくなるのか知らないけど、覆いかぶさっている父親は生暖かいままだ。気持ち悪いことこの上ないので、父親をどかして立ち上がり、自分がどんな状態なのか確認する。確認するまでもなく、血まみれの姿だった。

「あー……」

 服に血が染み込んでいる。これは、洗って落ちるだろうか。

 まずは何より不快でしょうがない血だらけになった服を脱ごうと思ったが、視界の端に父親の死体が入る。父親をこのままにしておく事はできない。 通報する、という考えは私になかった。不可抗力とは言え、救急車を呼んだら警察が付いて来る。事故であるのだが、常日頃から虐待紛いの暴力を受けている私を知っている近隣の皆様は、私が耐え切れずに刺し殺したと考えるだろう。同情の目は向けられるかもしれないが、同情なんていらないし、警察の御厄介になるのも面倒だ。それに痙攣が治まってしまった父親が助かる保証などなく、脇腹を刺しただけなので高確率で助かる可能性は残されていたが、私はより簡単に、安易な選択である殺人の隠ぺいを選んだ。それは考える暇もなく、反射など入る余地もなく、歩く為に足を動かすといった無意識に近い選択だった。

 どうせ片付ける時また汚れるだろうし、着替えるのはそれからでも遅くはない。二度手間は面倒だ。私は着替えるのをやめて父親を風呂場へと運ぶ事にした。運ぶと言っても距離的に数メートル。長くはないが短くもない。一人で行くなら一分もかからないが、父親を連れて行くには苦労と疲労が合わさる距離だった。さすがに持ち上げるなんて腕力を持ち合わせていない為、父親の脇を持ち、運ぼうと……お、重い……。死んだ人間とは想像以上に重く、風呂場までの数メートルが考えていたよりも長く感じられた。生きている人間は、多少こちらが運びやすいように体の位置などずらすが、死体となると全てこちら任せ。労力は倍以上。やっとの思いで風呂場まで運び込む。 風呂場に引きずり込んだ拍子に手を放した為、ゴンッと父親の頭が床に叩きつけられたが気にしない。疲れた……さて、この後どうしようか。

 風呂場まで運んだはいいけど、イレギュラーな出来事。父親が勝手に転んで、たまたま私が持っていた包丁に倒れこんできた。なんと不運な父親だろう。まあそれはどうでもいいとして。

 死体を処理する為の道具なんて、常時家にあるわけがない。……バラバラにして、何処かに埋めるのがいいだろうか。バラバラなら、運ぶのにも楽だろうしと、私は今しがたの苦労を思い出しながら考えた。よく事件なんかで死体をバラバラにして隠すのを聞くが、捻りがなくてつまらないと思っていたけど、突発的な状況に陥ると、中々他に手なんか思いつかないものだった。やはり常套手段が一番なのだろう。変に凝ったことをするよりも、昔から使われた手段は使われてきただけの実績があるということだ。明日、学校の帰りにでもノコギリを買ってこよう。

 先の目処が一応ついたので、とりあえずシャワーでも浴びてすっきりする事にした。さすがにこの血だらけの服をいつまでも着たままは嫌だった。

 その時、重大な事実に気づく。

 何故忘れていたのだと、自分を呪ってしまいたくなるほどのミスだ。

 風呂場には父親の死体。風呂は一つしかない。大抵のご家庭でもそうだろう。しかしこの時こそ、私は自分の家に風呂場が二つないのを嘆いた。どうして私の家には風呂場が一つしかないのだ。今その風呂には、入浴の目的ではないが父親が静かに横たわっている。私が入るためには、父親を外に出さなければいけない……?

 数分悩んだ後、私は服を脱いだ。面倒だったので、その夜、私は父親の死体と一緒にシャワーを浴びるという、人生で一度あるかないかという貴重な体験をする羽目になった。恐らく一度もない体験だった。貴重さも絶対ないと思う。危ない人みたいだなと思ったのは秘密。

 風呂から出て、私はすぐに寝る。折角作った夕飯も、今はあまり食べる気がしない。死体を見たせいだろうか。他にも色々な事が起きて疲れたというのもあるけど、まずは何より、明日は学校があった。熱もないのに休むわけにはいかず、私は電気を消して目を瞑る。おやすみなさい。


      ∴      ∵


 朝は普通だった。

 いつも通りの時間に起きて、いつも通りの朝食を食べる。うん、昨日の味噌汁を温めただけだけど、中々美味しい。カレーみたいに一晩寝かせて美味しくなるという話は聞いたことがないけれど、味噌汁も置いた方が美味しくなるのかもしれない。食事を終え、食器は帰宅してから洗おうと流し台に置き洗面台に向かう。髪を軽くセットし、身支度を終え、学校に向かう準備は出来た。

 ふと、学校に行く前に風呂場を覗く。そこには昨日の姿のままの父親が倒れていた。脇腹に刺し傷があるが、服が血で滲んでよく見えない。昨日一緒にお風呂に入ったから、服が濡れて張り付いていた。乾くまでもう少しかかりそうだ。こうして見ると、朝見るのと夜見るのでは随分印象が違う。怖いって言うか怖くないって言うか、気持ち悪いって言うか気分が悪いって言うか。なんだか複雑だった。生ゴミを出し忘れた感じだ。

 ん? なんか違う?

 いつまでも見ているわけにはいかないので、私はさっさと家を出る。

「いってきます」

 家の鍵を閉めて、歩き出す。

 私は徒歩で学校に通っている。実際そんなに遠くなく、健康にいいから歩こうと思っての事だ。勿論バスも出ていてそっちの方が断然早いけど、交通費のことを考えると大した距離ではないので遅刻しそうなとき以外は歩いて通う事にしている。学校まで歩いて十分弱。そんなにかかるわけでもない。朝の清々しい空気を吸いながら学校へ向かっていると、背後から私を呼ぶ声が聞こえてきた。

「おーいニーニー!」

 確認するまでもなく誰だか解る。なんだか朝登校する際、この男とよく出会う。それは大変不本意で、でも嫌じゃない程度の煩わしさ。後ろから駆けて来た間抜け面を私は見た。同じクラスの男子生徒、釘咲深夜(くぎさき しんや)。ちなみにニーニーは私のあだ名だ。由来は解らない。あだ名なんてそんなものだろう。傍から聞いて、「ああそうか」と納得し解るあだ名は名前に因んだものだけだと思う。

「おはよう釘咲君」

「おはようニーニー」

 私の方から挨拶をしてあげた。子犬のように駆けてきた釘咲君の労ってあげたのだ。だがそれでも朝の気分良い時間を奪った罪はなくならない。私は今の心情を伝えてあげた。

「また今日も貴方と会えて悲しいわ」

「ああ俺も……って悲しいのか!?」

「例えるなら朝テレビでやっている血液型占いで最下位を取った気分になるのよ。朝から最下位なんて見せるなって感じよね釘咲君」

「それは俺が最下位的な意味ですか!?」

どうにも私の気持ちが伝わっていないようだった。釘咲君は驚き突っ込みを入れるばかり。そこで私は一つの可能性を思いつく。とても悲しい現実だ。

「そう、この悲しみが伝わらないだなんて、釘咲君に血液型はないのね」

「どうしてその結論に至った!?」

 バカな会話でも律儀に返してくれる釘咲君に感心する。疲れないのだろうか。

 そんないつも通りのやり取りをしている最中、そういえば今日、私は買い物をしなくてはいけないことを思い出す。参考になるかは微妙だったが、少しでも役に立てるなら釘咲君も本望だろうと、私は試しに何の期待も持たず、質問してみた。

「ところで釘咲君。ここら辺でノコギリを売っているお店、知らないかしら?」

「ノコギリ? 日曜大工でもするのか?」

「私は釘咲君みたいに、ノコギリで自転車のサドルの位置を調節するわけではないけど……」

「しないしない俺がしてるみたいな言い方やめてくんない!?」

「とりあえず知らない? ギザギザハートを売ってるお店」

「カッコ……いやダサい!?」

 本当に釘咲君は面白い反応をしてくれる。心がささくれ立った時にイジメると凄く癒される。いちいち細かなところまで突っ込んでくれるその心意気には頭が下がる思いだった。

 まあ本人には言えないけど、釘咲君は突っ込み以外に取り得はないしね。

「まあ本人には言えないけど、釘咲君は突っ込み以外に取り得はないしね」

「俺の存在意義は突っ込みだけか!」

「はっ! 釘咲君! 私の心を読んだのね!?」

「口に出ていましたよお嬢さん」

「そうやって釘咲君は、幾多の女の子をものにしてきたってわけね……次の標的は私かしら?」

「なんだその女の敵みたいな奴は……」

「ごめんなさい、話しかけないでもらえますか?」

「拒絶!? 安心してくれ、俺は女の子の味方だ」

「いや、それはそれでちょっと……」

「引かれちゃった!?」

 そうこうしているうちに、学校が見えてきた。校門には多くの生徒がおり、煩雑とした光景が視界に入る。校庭では運動部の朝練が見え、新入生らしき人影も見えたので頑張っているなと尊敬の念を抱く。一瞥しただけですぐに視線を戻し、下駄箱で靴を取り換えると私は釘咲君に別れの挨拶をした。

「あ、それじゃ私二組だから、またね」

「いやいや同じクラス、釘咲君はニーニーのクラスメイトですよ!」

「ちょっと、私と貴方が同じクラスだなんて思われたらどうするの?」

「クラスメイトなんですけど!?」

 どうやら釘咲君はクラスメイトだとどうしても認めてもらいたいらしい。残念ながらクラスメイトなので、そこまで懸命にならなくともよかった。話しが逸れてしまったので、私は話題の修正をする。

「で? ノコギリは?」

「まだノコギリの話すんの!? えー、駅の近くに出来たホームセンターで売ってるんじゃないの? 本当に何に使うんだよ?」

 あらだって、ノコギリがないと父親をバラバラに出来ないじゃない。

 勿論釘咲君には言わないけれど。言ったらきっと、このお人好しは真剣に私のために動いてくれるだろうけれど、それは間に合っている。間に合っているというより、私じゃなく他の子に向けてあげるべきだ。むしろ他の子にも向けてあげ過ぎている気がするが、それが釘咲君の良いところで悪いところなのだろう。

 誰にでも優しいのは、誰かに優しいとは違う。

「ノコギリの使い道といったら一つじゃない。ぶんぶん振って楽しむのよ」

「その為だけに!? や、一度はやるけどさ」

「何? 釘咲君はノコギリで何かを切るっていうの? 危険な香りね」

「それが本来の使い方なんだけどな……」

 結局一緒に教室まで来てしまった私は、教室のドアを開け日常生活に戻る。戻ると思ったということは、先ほどまで、どこからなのか自分でも解っていないが、日常ではいないところにいたと、自分でも解っていたのだろう。もう、私の日常がどちらになるのかなんて、解らないけれど。隣ではまだ釘咲君が騒いでいるが、無視して教室に入る。

 やはりそこは、昨日と変わらぬ光景がある。笑顔があり、友達がいて、仲良しこよしで雑談んを繰り広げ、楽しそうに今日を楽しむ彼らがいる。そんな彼らを見て、私はなんだか置いてかれたような、取り残されたような気持ちになる。

 変わったのは、私だけなんだろうか。

 いや、それはそうだろう。だって、私が今日を変えてしまったのだから。

私は自分の席に向かった。変わってしまった今日を、昨日と同じように過ごすために。これが私の日常なのか、解らないまま。

 釘咲君が私の二つ前の席に座る。その様子を見て、気が付く。

 そういえば、今日は一人なのね。


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