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三章 登場、出演、退場


      ∴      ∵


「で、君達はなんで安西さんに会いに来たんだい?」

 辺りはテレビドラマで見るような服装の警察の人達が、ところ狭しと犇めき合って埋め尽くされています。安西さんの死体を見つけ、誰かが警察へ連絡をし、最初に発見したお姉さんを別室で休ませていたら、いつの間にか大学は警察でいっぱいになっていました。私と深夜は帰る事も出来ず、こうして事情聴取を受ける羽目になったのです。

「たまたま意気投合して、遊びに来ていいと言われたので遊びに来ただけです」

「ふーん、たまたま、ね」

 微妙な反応です。さすがにニーニーの事は言えないので、細かいところは誤魔化すしかありません。それにしても警察の人って、年輩の方の方が親しみやすいイメージがあります。若い人は横暴とまでは言いませんが、少しこちらを軽く見ている、そんな気がします。

 私の偏見を立証する目の前の若い刑事は、こちらに不快感を抱かせることに気付いていないようです。

「とりあえず、君達はあっちの部屋で待っていて。また後で話を聞くから、勝手に帰ったらダメだよ」

 新調したばかりのスーツを嬉しそうに着て、もしかしたら新人の方かもしれません、刑事さんが部屋を出ようとドアに手をかけた時、いきなりドアが開きました。

「うわ! 危ないなぁ」

「それは悪かったね」

 刑事さんが不満を漏らすと、開けた人物は軽い謝罪をします。

 その人物を見て、刑事さんの声が裏返りました。

「へ? ほ、本部長!?」

 ドアを開けたのは、どうやら県警本部長らしいです。刑事さんはその本部長さんを見ると敬礼して固まっています。さっきまで飄々としていたから、ギャップが激しく感じられますね。その本部長さんは直立不動で敬礼している刑事さんを無視して、私と深夜のところまで来ました。

 挨拶もなく、唐突に名前を呼びます。

「燈莉、なんでここにいるんだ?」

 県警本部長さんが私に向かって言いました。何しに来たんでしょう。仕事中ではないのですか。深夜がやや緊張した面持ちで挨拶しました。

「あ、こんにちはお父さ」

「君にお父さんと言われる筋合いはない」

「は、はい……」

 引き攣った顔をする深夜。本部長さんはジロリと非友好的な態度です。

「そもそも、君は燈莉のなんなんだね」

「え、いや、以前お会いした時に、お付き合いをさせて……」

「ほ~、付き合ってる、ね。いやスッカリ忘れてたよ」

「あれ? 漫画描写しか見れないような、こめかみがピクピク……?」

「ハッハッハ、深夜君が何か悪いことしたら、拘置所じゃなくて刑務所に入れてあげるから安心しなさい」

「何処が安心!?」

「何、私の権力を使えば君一人くらい、刑務所に入れるなんてどうにでも」

「公私混同すぎる!?」

 深夜と父さんが言い合っている横で、私はため息を吐きます。灯夜逆源寺(ひよさか げんじ)。県警本部長という立場で、私の父親。少し私に対して過保護過ぎるのが欠点ですが、少しばかり親ばか過ぎるのが傷と言いますが、家ではダメなお父さんなキャラですが、仕事はできるようで、キャリアというものらしく、今は出世街道を走っているそうです。家族愛が物凄い人で、その溺愛っぷりにお姉ちゃんは嫌気がさしてあまり家に寄り付かなくなったのですが、お姉ちゃんに向けられていた愛情の分が私に向かってくるので疲れます。

「それで父さん。何しに来たんですか?」

「パパかお父様と呼べと言っているだろう。何って、お前が現場にいると聞いて飛んできたんじゃないか」

 絶対に言わないと私は誓っています。最近じゃダディでもいいと言い出す始末です。始末に負えません。

「それはそれは……お仕事は?」

「ハッハッハ! そんなもの、お前に比べたら些細な事じゃないか」

 心配してくれるのはいいのですが、本当に後先考えない行動を取るのはやめてほしいです。もう少し考えて欲しいです。それに、深夜とも仲が悪い、これは父親として世間一般の反応だと母は言うのですが、もう少し打ち解けてほしいです。だからまだ、深夜を家にあげられない。いえ、別にあげたいわけじゃないですが。

 それよりも、私の活動のためにも、父さんには早々に帰ってもらうしかないですね。ため息混じりに、どう帰ってもらおうか父さんを見ると、何を勘違いしたのか親指を立ててウインクしてきました。私は頭を抱えて、本当にどうやって帰ってもらうか考えることにします。力技でもいいからなんとかしなくては。高校生になって授業参観に来られた気分です。本当、早く帰ってくれませんかね……。


 さて、父さんが帰ったあと、刑事さんの態度が少し変わりました。

 なんだかこう、親切になったような、そうでないような。怖がっているみたいな?

 刑事さん、名前は嘉川清隆かがわ きよたかさんと言って新米刑事さんだそうです。読み通りです。

 上司である警部さんが来なさそうなので聞いてみましたが、「ああ……いつもの事だから」らしいです。私と深夜は不本意ながらも父さんのお陰で、犯人という立場からやや離れた位置につけたようで、色々嘉川さんから話が聞けました。本当はダメなんですが。

「死亡推定時刻など、解りましたか?」

「そんな事、君に教える必要はな」

「嘉川さんは交番勤務って好きですか? たとえば北極とか」

「灯夜逆さんだけにお教えしますが、詳しい事は解剖してからですが、殺害されてすぐ貴方達に発見されたみたいですチクショー」

 北極には交番ないですが効果は抜群でした。

「凶器は?」

「まだ発見されてません……恐らくナイフのような物で刺されたと思われます」

「ナイフですか。犯人が持ち去ったんですね」

「ええ、今この建物にいる人全員持ち物検査をしたのですが、凶器になりそうなものはあっても、血のついたものは見つかってません。ふき取った可能性もありますので、鑑識が調べてますが」

「そうですか」

 内部か外部、どちらの犯行かはまだ解っていないようです。エレベーターという密室でありながら密室でない殺害現場を考えると、どちらにせよ逃走されている可能性は高いです。

「あの、まだ何か聞きたい事ありますか? 灯夜逆さん」

「いえ、今はとりあえずいいです」

「今は、ですか……それでは自分は、仕事に戻らせてもらいます」

 そういうと、嘉川さんは肩を落として現場に戻っていきました。やる気あふれる有望な新人君に悪いことをしてしまったかもしれませんが、使えるモノは親でも使えと言いますし、実際使っちゃいましたし、毒を食わらば皿までの覚悟でどんどん有効活用していきましょう。

 さて、嘉川さんのことは置いといて、状況整理をしてみましょう。基本に立ち返る、ではないですが、それでもこんな場面、ドラマの中でしか出会えない貴重な場面、テンションが異様に上がっていくのを止める意味も込めて、一度冷静になった方がいいです。こんな状態で、何の情報もない状態で立てた推理や推論など、何の役にも立たない。

「まるで深夜のように」

「ん? なんか言ったか?」

「いいえ何も、微塵も微細も」

「……聞かないでおく。ところでなんか忘れてないか?」

「なんか、と言いますと?」

 何をでしょう。安西さんの死体が見つかり、情報も嘉川刑事から聞ける範囲で聞けましたし、深夜が求める情報とはなんでしょうか。

 私が疑問符を浮かべていると、深夜は呆れた様子で言います。

「だから、ここに来たわけとか」

「……あ」

 ここに来た理由。安西さんに会いにきた理由。

 私は誰かを探すために、安西さんから情報を得るために来た。

「やっぱり、忘れてたか」

「なたに言われなくても覚えていますよ」

「何その繋ぎ方!?」

「私がニーニーの事を忘れると思いますか? いくら私がミステリーマニア、推理小説をこよなく愛する人間だとしても、実際に事件に遭遇してほぼ第一発見者という夢のような立場にいるからと言って、忘れるとでも?」

 失敬千万です。私の目的は一つだけ、それ以外にありません。深夜は侮り過ぎでしょう。

 なのに深夜は、全然私のことを信じてくれませんでした。

「……なんか十分忘れてたみたいだなーって印象はある」

「くっ、深夜のクセに」

「俺の立場、どんどん下がっているような気がする……」

 大きく深呼吸をして心を静めます。

 冷静さを欠いたら負けというのは、勝負事じゃなくても、どんな事でも当てはまることで、人間一番大事なのは常に冷静に心を冷やして冷たくしておくことだと、つい先日学んだばかりです。あの時みたいな失敗を、私はもう二度としません。もう二度と、先生をお母さんなんて呼んだりは……っ!

 しかしよくよく考えてみると、事件に巻き込まれ、私は興奮しているのでしょうか。自分では平静の平常心のつもりですが、傍から見たら、他所から見たら、違って見えているのかもしれません。

 いつも父さんから事件の話を聞いたりしますが、こんな風に、実際の事件に遭うなんてこと、考えてもいなかったです。ある種、特別なことだと考えていました。

 憎悪すべき事件で、嫌悪すべき殺人を。

 今は考えるのはやめておきましょう。横道に逸れて解決できるほど、私は慣れていません。

 事件、というより、殺人に。

 慣れたから解決できるほど、事件は試験問題とは違うと、解ってはいますが。


 嘉川さんにもう少し突っ込んで詳細を聞こうとしましたが、いくら私が警察関係の人間でも、現場保存のためこれ以上は立ち入り禁止だと、オタクっぽい鑑識の人に止められました。嘉川刑事とは違い、上下関係の話を出しても譲らなかったのは好感が持てました。他の刑事さん達も、あまり動き回られるのは困るという事を丁寧に遠まわしに言ってきたので、安西さんの研究室で暫く大人しくすることにします。

 安西さんの研究室に入ると、そこには先ほど安西さんの死体の第一発見者である女子大生がソファーで横になっており、その女子大生を介抱している二人の大学生がいました。部屋に入ってきた私達を一瞥し、お互いに気まずい雰囲気が流れます。見知らぬ他人同士、同じ空間に目的もなく閉じ込められるというのは、なかなか居心地が悪いです。

「あ~出るか燈莉」

 場違いな雰囲気を感じてか、小声で深夜が出て行こうと言いました。

「ちょっと待ってくれ」

 出て行こうとした私達に、介抱していた一人、サッカーでもしていそうな体格の良い男子大学生が呼び止めます。髪型もスポーツ刈りですが、爽やかよりも暑苦しい感じがします。頑張れ頑張れ頑張れば何でもできるとか言いそうです。

「他の部屋には誰もいないし、警察だっているだろうからここで待ってた方がいいよ。俺達も警察の邪魔にならないように、ここにいる訳だし」

 恐らく、私達に話を聞きたいのでしょう。刑事さんとも話していましたし。それともただ単に親切心か。

「……それでは、お言葉に甘えて」

 私は言うと、女子大生が横になっているソファーの正面に座りました。深夜も私の隣に座り、それを確認すると大学生の暑苦しいお兄さんは自己紹介を始めます。

「一応自己紹介しといた方がいいかな。俺は水倉友秋(みずくら ともあき)。今こっちで横になってるのが、橋本千佳はしもと ちかで、こっちが」「篝七かがり ななだ」

 横になった橋本さんが軽くお辞儀をし、サムライ風のポニーテールのお姉さんがかっこよく言いました。篝さんは綺麗というかカッコイイというか、異性よりも同性に人気がありそう人です。鋭い目元、整った顔立ちは中世的でありながらも、小さな唇が女性的な柔らかさを持っています。服は白いTシャツにジーンズと、これまたボーイッシュな感じでありますが、腕を組んだ際に強調される本物かと見紛う代物が存在感をアピールしてムカつきます。

 ん? 深夜が篝さんを見ていますね。

「篝さん、きれ……」

 鼻を伸ばしただらしのない顔の深夜の足を踏み砕きました。

「ぎゃあああああああ!? まだ何も言ってないだろ!!」

「まだ何もしていませんが?」

「どうしてばれる嘘を吐くのかな!? 踏み砕くって言ってって踏み砕く!? 踏みつけるじゃなくて!?」

 残念ながら本当に踏み砕く力を私は持っていないので、踏みつける程度のダメージしか与えられませんでした。痛がる深夜を見た篝さんが、驚きながらも心配そうに声をかけます。

「……だ、大丈夫か?」

「あ、篝さん心配してくれありぎゃあああああ!!」

「おや? ちょっと眼球を小突いただけなのに、深夜は大げさですね」

「眼球を小突くなああああああ!!」

 深夜は両目を押さえうずくまりながら抗議してきますが、ほっときましょう。私と深夜のやり取りを見て、三人とも苦笑いしています。まさか深夜、場を和ます目的でバカな事をやって私に突っ込ませたのでしょうか。自己犠牲の精神、天晴です。

 私は簡単に名前と高校生だという事を三人に告げました。勿論、深夜は今、眼を覆うので忙しいみたいなので私が代わりに伝えます。全く、いつまでそうしているのだか。続いて私は橋本さんに話しかけました。

「もう、大丈夫ですか?」

「え? あ、うん。先生の……死体を見て、ちょっと驚いただけだから」  それでも顔色は悪く、気分が悪そうです。死体を見て気分が良いなんて殺人鬼的な思考を一般人は持っていませんし、一般人でなくともそうそう持っていないでしょう。持っていたら今回の事件の犯人候補です。私はさらに、橋本さんに聞きます。

「よかったらでいいんですが、死体を発見した時の事を、教えてもらえませんか?」

「いいけど、その前に貴女達は誰なの?」

「話せば長くなるのですが……」

 私は橋本さん達に、山で安西さんと出会い、そこで知り合いになり、今日はたまたま遊びに来たと話しました。適当このうえないですが、三人は信じてくれたみたいです。まあ、あながち間違ってはいませんし、言葉が足りないだけで、嘘は吐いていません。ニーニーの事を言ってないだけで。

「という事は、今日灯夜逆さんはただ遊びにというか、先生に会いに来ただけ?」

 水倉さんが不思議そうに言いました。

「そうです」

「いやー先生に会いに来るなんて、物好きだねー」

 物好き、の単語に疑問を感じます。

 その理由を、水倉さんは言いました。

「先生って、はっきり言って研究馬鹿だからさ、話してても面白くないだろ? それに社交性もないから客なんて滅多に来ないしさ」

 山登りが趣味なのに、仕事人間? 昨日会った時、そんな感じはしませんでしたが。

 私と水倉さんの認識の違いを不思議に思っていると、橋本さんが安西さんをフォローしました。

「ちょっと、水倉君。安西先生、電話だとよく喋るでしょ? 人見知りなのよ」

「電話どころか先生が携帯持ってるのさえ見た事ないし。橋本は先生と仲が良かったからな」

「それで、橋本さんは最初、どんな風に案内さんを発見したんですか?」  話の軌道修正をします。一先ず安西さんの人となりは後で聞くことにしましょう。私が安西さんの名前を言い間違えると、壁に寄りかかるように立って、蹲っている深夜を心配そうに見ていた篝さんが私を見ました。

「……ん? 案内?」

「先生に用事があってきたんだけど、研究室にいなくて、代わりにあなた達がいたから出直そうと思ってエレベーターまで行ったわ」

 あの時のことを橋本さんが話します。沈鬱に、思い出したくない記憶を呼び起こし、声を震わせながら。

「最初、エレベーターは一階で止まってて、七階に来たエレベーターのドアが開いたら、安西先生が……」

「安西さんは、一階でエレベーターが止まっている時に殺された可能性があるという事ですね。エレベーターで犯人に会っていないのですから、当たり前ですが」

「ええ、多分」

 頷く橋本さん。他にも色々話を聞こうと思っても、第一発見者の橋本さんだけでなく、篝さんも水倉さんも、今日は安西さんとは会っていないらしく、目新しい情報は聞けませんでした。こうなってしまっては、嘉川刑事から情報を引き出すしかないみたいです。

 話が長くなりそうなのと、拘束時間も長くなりそうだったので、深夜と水倉さんが飲み物を買って来ると出て行きました。勝手に動いたりして怒られないか心配でしたが、怒られるのはあの二人ですから別にいいでしょう。橋本さんは大分気分が良くなったみたいで、今は普通にソファに座っています。篝さんはデスクの上に座り、タバコを吸っていました。最近は学校でも禁煙が推奨されているみたいですが、ここは違うのでしょうか。灰皿は置いてないので、もしかしたら勝手に吸っているだけかもしれませんが。

 そこで一つ、聞き忘れたことを聞きます。

「三人は、どういうご関係なのですか?」

「ただのゼミ生さ」

 タバコを咥え、篝さんが言いました。なんでもないことのように、至極あっさりと。

「知り合ったのも今年。別段仲が良いわけでもなく、幼馴染や恋人みたいな深い関係でもない」

「あ、でも、仲は悪くないのよ」

 橋本さんが取り繕うように言います。取り繕うというより、フォローと言いますか。

「篝は男まさりというか、ハードボイルドというか、そういう一面があるから色々勘違いされやすいけど、こう見えても友情には熱いの」

「橋本、ハードボイルドって……」

 あまりフォローになってないフォローでした。三人はありふれる、ごく普通の学生ですね。……いや、私は何を期待していたのでしょう。ごく普通じゃない学生って何でしょう。

 しかし、先ほどエレベーターで安西さんの死体を発見した時は、もっと人がいたような気がしましたが、ここにいるのは安西さんの生徒さん達だけみたいですね。他の人たちは何処に行ったのでしょうか。

 気になるといえばもう一つ。

 何故、橋本さんは医務室ではなく、ここで横になっていたのか。

 まあ、近くにすぐ運べるとしたら、ここだったんでしょうけど。少し、気になります。

 そんな事を考えているうちに、どうやら深夜たちが帰ってきたみたいです。

「警官がさらに増えてたよ。ジュース買って来るだけなのに、何回も呼び止められて、参ったね深夜君」

「あそこまでしつこくなくてもいいような気が……あ、篝さんジュースどうぞ!」

 懐いた子犬のように尻尾を振りながら篝さんにジュースを渡す深夜。ほほう……彼女の私より、先に篝さんにジュースを渡すのです、か。

 まだ、教育が必要なようですね。

 ジュースを渡されている篝さんは私を気にしているようで、チラっとこちらを見ていましたが、深夜はそんな事に気づく様子もなく、篝さんにジュースを渡した後、橋本さんにもジュースを渡しています。うふふ、私が最後ですかそうですか……後でお仕置きです。どんな事をしてあげましょうか。裸にひん剥いて、公園にでも放置してあげましょうか。それともジュースを沢山奢ってあげて、縛り付けて口を開かせてずっと飲んでもらいましょうか。

「ふ……ふふ、ふふふ……うふふふ」

 私の挙動を見て、篝さんと橋本さんの顔が引きつります。一歩離れて、ちょっと距離を置かれました。

 殺人事件が起きた状態で、和やかな雰囲気になるのは不謹慎なのかもしれませんが、話は盛り上がるとまではいかないまでも友達になるには十分な距離の取り具合の会話が続きました。篝さんや橋本さんは一人っ子、水倉さんが歳の離れた中学生の妹さんがいると、家庭環境の話まで及びます。初対面同士の恒例行事と言えばそうかもしれません。ただ、水倉さんの妹さんが家出をしている話は、初対面の相手に話して相応しいかは微妙でしたが。

「こんな変な兎のストラップを付けてるんだ。ああでも、安西先生も付けてたし、量産品のストラップだから手がかりとは言えないかぁ」

 だいぶ事件と関係ない話が続きましたが、私達がジュースを飲みながらお互いの親交を深めていると、嘉川刑事がやってきました。戻ってきた、が正しいでしょう。見計らった、緊張が緩んだところを狙ってきたとしたら、侮れない人かもしれません。少なくとも、油断を突こうとする狡猾さを持っている。刑事さんなら、持っていなくてはダメかもしれませんが。

「おや、皆さん、仲の良いようで」

 後ろに二人の警官を従えて、私達の座っているソファまで来ました。

「何か進展があったんですか?」

 橋本さんが不安そうな表情で聞きます。対照的に、嘉川刑事はにこやかに軽やかに、小さな子供をあやす雰囲気で接してきます。話しやすいキャラクターで口を滑らせようとしているのかもしれません。

「色々調査しているのですが、まだ不明な点が多くて。捜査進展の為に、また少し皆さんのお話を聞かしてもらえないでしょうか?」

「また一人一人呼んで、何十分も同じ話を繰り返すってのかい? ボイスレコーダーにでも録音すればいいんじゃないのか?」

 不機嫌を隠さず舌打ちのコンボを混ぜて吐き捨てる篝さん、怖いです。眼が据わっています。しかしさすが新米と言えども刑事、篝さんの迫力ある睨みもヤクザで慣れてるから平気だぜと、連れて来たお巡りさんの後ろに隠れてやり過ごします。嘉川刑事の好感度は下がる一方です。

「い、いえ、全員一緒に、聞かせてもらえれば結構で……」

 おどおどと先ほどの態度とは打って変わり、カツアゲされている少年並みに狼狽する嘉川刑事。本当に刑事でしょうか。

「篝、睨むのやめなよ。刑事さんだってお仕事なんだからさ」

「そうだぞ、お前の睨みはマジでこえすいませんしたっ!」

「……悪かった」

 間に入った水倉さんを一睨みしたあと、水倉さんは橋本さんの背中に隠れています、眼を瞑りました。眼を瞑らなくても、睨むのやめればいいんじゃないというか眼を瞑らなきゃ抑えられない事実に驚愕です。どんな邪眼ですか。篝さんの視線から脱出した嘉川さんは、取り繕うように咳払いを一つ。

「お、おほん。で、ではまず橋本さんか……ん?」

 ピリリリと、無味無臭無機質かつ無趣味な着信音が鳴りました。これを目覚ましにセットすると、妙にドキリと背筋が寒くなるのは私だけでしょうか。

「え、あ、すみません」

 どうやら嘉川さんのだったらしく、内ポケットから携帯を取り出しました。そのまま耳に当て、声を小さくしますが狭い部屋なので聞こえてきます。電話相手の声までは聞こえませんでしたが。

「はいもし……警部、早くこっちに来てくださいよ。え? いますけど……代わるんですか? でも……ああもう、解りましたよ」

 勝手な人だなぁと独り言を呟き、嘉川刑事は私に携帯を差し出しました。くれるのでしょうか?

「……えっと、こういうプレゼントは困ります」

「何の話!? 違うよ、うちの警部が本部長の娘さんに代わってくれって」

 まだ現場に来ていない警部。上の人間は来ないものなのでしょうか。親が警察関係者でも意外と知らない事はあります。ゴマでもすろうというのでしょうか。ご機嫌を取って、下手にお叱りを受けない予防線でも張ろうと。正直、逆にそういう事をされる方が不快なのですが、訝しがりながらも、出ないわけにはいかないので、携帯を耳に当てます。

「もしもし?」

『ヤァー! 君が本部長の娘さんだネッ!』

「違います」

『違うノ!?』

 飛び込んできたのはゴマすりでもご機嫌取りの言葉でもない、友人とは違う微妙な距離感の人間関係を思い出させる言葉を放つ凄いフランキーな人でした。疲れる予感がします……。

 私の心情などお構いなしに、むしろ構う発想自体ないテンションで、警部さんは言葉を紡ぎます。

『まずは初めましてだネ! ところで君の名前はなんていうんだイ? もう名前を教えあってもいい仲だと思うんだがどうだろウ!』

「初めまして?」

『疑問系じゃなくても初めましてだヨ! じゃあ名前を教えてくれたまエ! 是非!』

「私の名前を知りたければ、星が描かれたボールを7個集めてきて下さい」

『神様に頼まなきゃいけないノ!?』

「それに人に名前を聞くのなら、自分から名乗るのが礼儀でしょう」

『まあそれもそうだが、ふっふっふ、私の名前を聞いて富士になった人はいないヨ?』

「富士?」

 そりゃ富士になった人はいないでしょう。いるのですか、富士山になった人。

 まったく意味のないやり取り。この時点で疲労が蓄積されていく中、警部さんは自分で効果音を発しながら自己紹介しました。

『ジャジャーン! 私は兎紅眼うさぎ あかめサ! どうだい? 素敵な名前だろウ! つい撫でまわしたくならないかイ?』

「捻っているようで捻ってない名前ですね」

『手厳しイ!?』

 偽名としか思えない名前を聞き、名乗られた手前私も名乗らなくてはならないので少し考えて名乗ることにしました。

「私は礼儀を重んじる人間ですからね。兎さんが名乗っておきながら、私が名乗らないなんて礼儀知らずな事はできません」

『おお、最近の若者にしては礼儀正しいネ! 最近の若者がどんなのかもう解んないけド。名前はなんていうんだイ?』

猫目細(ねこめ ほそい)です」

『それは当てつけなのかナ!?』

「まさか、私は恥を忍んで呑み込んで、自分を犠牲にしてまで、恥ずかしい名前だという事を訴えているだけです」

『それを当てつけって言うんじゃないかナ!?』

 このまま無駄に何十分も話し合っていたら、ページ数がいくらあっても足りません。さて、新キャラ登場シーンも終りでいいでしょう。切りますか。

『ちょ、ちょっと待っテ! 別に新キャラ登場シーンとかじゃないと思うんだネ!』

「あ、すみませんキャッチ入りました」

『切る気まんまんン!? じゃ、じゃあ最後に一つだケ!』

 そう言うと、兎警部は、一呼吸間を空けて、言いました。

『なんで、君達はそこにいるのかナ?』

 現場に来ない警部、兎紅眼。ただの能天気な馬鹿かと思えば、その質問は、あまりにも、今の私達にはしてはいけない質問。簡単に返せばいいのに、全てを知ったような口調で話すこの男に、沈黙で返すことしか出来ませんでした。下手なことを言えば、付け込まれる。そう、思いこんでしまっている時点で、呑み込まれている気がします。

『どうなんだネ?』

 明日の天気を聞く気軽さ。普通の質問。そう、なんでもない、逆に大学に高校生がいる方がおかしいのです。何故いるのか、聞きたくなるのは普通。普通、ですが。

「別に、ただ安西さんに会いに来ただけですが」

『ハッハッハッ! 嘘はよくないヨ』

 兎警部は、全てを知っていると、嘘と断定しました。神様だって知らないのに。

『僕は現場にいないけド、それくらい声を聞けばわかるヨ。嘉川君から聞いたけど、なんで昨日今日あった大学の教授に、高校生である君達が会いに来るのかナ?』

「それは……」

 適当な言い訳をしようと思っても、すぐに出ません。また兎警部も、私が言い訳する暇を与えるつもりなどないらしく、矢継ぎ早に言葉を重ねてきます。

『別に君達はそこの大学に入りたいわけではないんだよネ? いや、入りたいなら別に構わないけどサ。今のうちに教授にゴマを擦っておこうという魂胆かもしれないよネ? でもおかしいよネ? たまたま会いにっテ? わざわざゴールデンウィークの大学ニ?』

「……おかしい、ですか?」

『おかしいネ! おかしいとモ! 僕は全てを否定してあげよウ! 可笑しすぎるト!』

 ああ、兎警部、故意か天然なのか発音が変ですね。今更、と突っ込んだ貴方。今すぐ私と電話を代わりましょう。

『おーイ。現実逃避してないで、相槌くらいはしてくれてもいいんではないかイ?』

「……あまりに変な事を言うものですから、つい」

『いやいや、話は戻るけどサ、変な質問じゃないと思うヨ? 簡単な事ダ。なんで君達が、その大学にいるのカ。それを答えてくれればいいんだからネ』

 もしかしたら、この兎という人は、何もかも知っているのかもしれませんね。

 聞き方が違う。新人の嘉川刑事とは、まったく違う聞き方。

 最初から全てを知って、確認するだけのための質問の仕方です。

 下手に嘘をつくより、ここは……。

「人を、探しているんですよ」

『……人?』

「そう、友達です」

 私は、最大の秘密を、あっさりと口にしました。

「ニーニーという、行方不明の友達を探しているんです」

『行方不明の友達ネ……それは捜索願を出したのかイ?』

「いえ、まだ家出かもしれないので出してま」

『嘘はよくないと、さっきから言ってるよネ?』

 物語に出てくる名探偵のように、嘘をついた犯人の言動から、犯人を追い詰める行動。

 私は、絞るような声で聞き返します。名探偵に謎の全てを解かれ、背水の陣の犯人みたいに。

「嘘、なんて……」

『ただの家出なら、警察に捜索願いは出さないかもしれなイ。けれど君達が休みを返上、しかも一回会っただけの大学教授にわざわざ会いに来るなんテ、ただの家出とは思えないネ。その為に会いに来たんだろウ? 家出という事ハ、家族の問題が大多数ダ。だったら友達に連絡くらいしてもいイ。友達に連絡もしなイ、そんな末期的な状況、ただの家出と考えるのは不自然だネ』

「………」

『君達が尋ねにきた大学教授、安西真也という人間は、警察からもマークされていたわけだしネ』

 警察からマーク?

 つまり、何らかの事件に関与している疑いがある、ということでしょうか。

 私が感じた嫌悪感に似た危機感、間違っていなかった、ということですか。

「……一つ聞きたいんですが、何故警察は安西さんに目をつけていたんですか?」

 思い切って駄目もとで聞いてみました。散々この兎警部に会話の主導権を握られた嫌がらせに近い形で、答えられるのなら答えてみろと。

『ン? 簡単なことだヨ』

 そんな私の思惑など、何処吹く風と、兎警部はいとも簡単に、警察の秘密とも言えるべき事を口にしました。

『彼には、安西真也には、締沢貴美枝(しめざわ きみえ)の殺害容疑がかかっているんだからネ』

 聞き覚えのない名前。

 ここで聞き覚えのある名前が出るなんてご都合主義の物語みたいな展開にはならないようです。果たしてニーニーとの繋がりがあるのでしょうか。そして、その繋がりのせいで、行方をくらませる結果になったのか。

「締沢貴美枝? それは、誰ですか?」

『締沢貴美枝、年齢は二十歳。安西の大学の二年生だヨ。彼女はどうやら、安西にしつこく付きまとわれていたようでネ。安西は頭の中で勝手に、恋人関係を作り出していたらしいヨ? キモイヨネ~』

「まあ確かにストーカーな発想で気持ち悪いですが、それで?」

『それデ、一時期はっきりと締沢貴美枝は言ったらしいんダ。「あんたキモイ!」っテ』

「………」

 締沢貴美枝さんって、強い人だったんですね。いえ、多分本当にそんな口調だったわけえはないと思いますが。自分の大学の教授に向かって、中々言えませんね。

『それで安西も一時期は大人しくなったんだけどネ、でもまた最近かナ? しつこくなっていたみたいなんだヨ。それでそれから暫くしテ、締沢貴美枝が消えタ』

「消えた……」

 姿を消した。

 消息が消えた。

 まるで、ニーニーみたいに誰にも行方は解らずに。

『そウ、書置きも連絡も一切なク、友人知人両親兄妹誰も行き先を知らなイ。前日に安西と話していたという証言もあっテ、それで警察は安西をマークしていたわけだヨ』

「そう、だったんですか……」

 確かにその状況だと、安西さんが怪しすぎます。

 前日の会話。ストーカー的な行為。彼の周りで、彼が何かをすると……ん?

 しかしそうなると、さっき見つけたシャベルについていた、あの血。

「あの、それはいつ頃のことですか?」

 もしそれが最近の出来事なら、ニーニーが被害者である可能性は低くなります。

 あのスコップは最近も使われていたみたいですし、凶器に使った物を洗わずに残しておくことはないと思いますが、たまに再放送で見る火サスなんかでは、洗わず納屋に放置していた凶器が見つかるなんてマヌケなことをする犯人がいますし、案外隠すだけで手いっぱい、気持ちいっぱいなのかもしれません。それに、血が付いたモノを洗うのも人目を気にしなくてはいけませんからね。まぁ、家でやるなら人目を気にするなんてことないと思うのですが。

『約二ヶ月前だネ』

 前に付いたまま、というわけではないようです。さっき見た血は最近のモノ。最近安西さんの周りで行方が解らなくなった人物と言えば……嫌な予感。

 消えた締沢貴美枝。

 血のついたシャベル。

 警察に疑惑の眼を向けられていた安西さん。

 さらに私達にはニーニーと会ったと言ってました。安西さんの死体……ってあれ?

「なんで、安西さんは殺された……?」

『そウ! そこが問題だネ!』

 嬉しそうに兎警部が反応しました。面白い玩具を、虐められるモノを見つけたように。

『おかしいとは思わないかネ? ここでまた別の、誰かが安西の周りで死ぬなら解ル。解るどころかさらに安西の疑いは濃くなるからネ! しかし、しかしだヨ? ここでどうして安西が死ぬんだネ? どうして安西が殺されなきゃならなイ? 締沢貴美枝は良くて監禁悪くて死亡と見ていいだろウ? ただの失踪かもしれないけどネ? 失踪する理由が見当たらない限り、それは無視していイ。生きていると仮定しテ、安西殺害の犯行が締沢貴美枝の場合、こんなところが殺害現場になるのはありえなイ。まず何より出てきてもいいはずだよネ? というか殺すよりも警察に駆け込むよネ? だって監禁されていた場所から逃げ出しているんダ、まさかエレベーターのどこかに監禁されてたなんてことはあるまいヨ。監禁場所から逃げられたのなラ、助けを求めるよネ? 人を殺してしまったから出て来れない考えもあるけド、だったら大学で殺すなんてことはしないデ、監禁されている場所か安西の自宅で殺すよネ? そっちの方がリスクも低いし確実性も高いんだかラ』

 そう、兎警部の言う通りです。殺すなら大学以外の場所。監禁されていたらな警察へ。普通それが取るべき選択です。そして、その選択が出来ないという事は……

『安西が殺された時点デ、締沢貴美枝死んでいテ、これは他の誰かの手による殺人だという証明だネ。まあその殺人ガ、締沢貴美枝の敵討ちかどうかハ、解らないけどネ』

 無関係の殺人の可能性は十分にあります。無暗に繋げて考えるのは、刑事ドラマの見過ぎでしょう。考え方を狭めるのは間違った情報を取得しやすくなりますし、大局的なモノの見方をしなくては、判断を誤る場合があります。

 でも、それでも。

 こんな都合のいい場面、時間に場所に、人員。

 全てが、揃った状態で繋げて考えないのも、愚行ではないでしょうか。

 私は後ろを振り返りました。

 そこには、三人の大学生がいます。

 もしこの三人が締沢貴美枝を知っていたら?

 もしこの三人が締沢貴美枝の友人だったら?

 いえ、例えそうだったとしても、何も彼らだけではないでしょう。他にも沢山いるはずです。友達を作れない卑屈な性格などではない限り、大学内に友人なんてたくさんいるでしょう。大学二年生だから、ゼミ生とは関係ないかもしれないんですし。

 けれど、何故この三人は、ここにいるのでしょう。

 何故いるのか、それは安西さんのゼミ生だから。では、先ほどまで、何処にいた?

 そう、何処にいたんでしょう。何故彼等は突然、安西さんの死体が発見されてからこの部屋に現れたのでしょうか。集まったんでしょうか。

 私達が最初にこの部屋にいたとき、安西さんはここで待たせました。そう、安西さんの研究室に。だから私と深夜は誰もいないはずの、それでいて警察の邪魔にならないこの部屋で、警察の話が聞けるのを待っていようと思いこの部屋に来ました。それが、何故安西さんの死体が発見されたら、この三人は出てきたのでしょう。いえ、一人、橋本さんは安西さんが発見される前に会いました。安西さんに会いに、この部屋で。という事は、橋本さんは知らなかった?

 安西さんがいないという事を……知らなかったからどうという話でもないですが。

『さテ、僕の話はここでお終いダ』

 唐突に、現実に戻された気がしました。

 じゃあそれまで何処にいたのかと言えば、何処でしょう?

『今僕が言えるのはここまデ、此処から先は君が少し考えてみるといいヨ』

「私が、ですか?」

『そうサ!』

 何故、でしょう。何故私。兎警部は嬉しそうに嬉しそうに、嬉しそうに言いました。

 ただの女子高校生の、私に。

『君だけが知っている情報があるだろウ? 今、君は知らなかった情報を手に入れタ。この事件で、現時点で、一番君が沢山の事を知っているんだヨ?』

 私が……一番多く。そう、なのでしょうか。本当に、私が一番この物語を知っているのでしょうか。そこでふと、私は気になったことができました。安西さんは昨日、言っていました。

 ―――ニーニーと会った、と―――

 安西さんは警察から怪しいと疑われていました。昨日私達が山を降りた時も、安西さんの周りには警察の人がいたかもしれません。尾行でしょうか。まぁ常日頃、毎日監視などするわけないと思いますが、もしかしたら監視をしていたかもしれません。

 嫌な予感なのか、それともまた別の感情なのか解らない心境のまま、兎警部に尋ねます。

「安西さんの近くで、女子高生って見ませんでしたか?」

『……えート、それハ、何を聞きたいんだネ?』

 兎警部が、疑問系で尋ね返してきます。こんな質問、そもそもしてはいけないのです。けれど、どうしても聞かなくてはならないことです。安西さんが死んだ今、余計に、尚更に、一体、安西さんはいつ、ニーニーと会ったのか。それを知る術は、もうほとんどないのですから。

「昨日……いえ、一昨日も安西さんを監視していたのですか?」

『監視とは物騒だネ! 四六時中とはいかないけどモ、報告によればそうみたいだネ』

「では、夜中に安西さんは女子高生と会っていたか解りますか?」

『………』

 ―― 沈黙 ――

 私の質問に、質問の真意を考える空白。

 一切の音が消失してしまった感覚を受け、思わず思います。失敗、してしまったのでしょうか。少し、性急すぎたかもしれません……このままでは、怪しまれる。

 ……怪しまれる?

 何を、馬鹿馬鹿しい。もうすでに、私は怪しまれています。

 最初に兎警部は言いました。何故、大学にいるのか、と。何より、部下の携帯にかけてまで、私と話をしている。下手をしたら、この人は私を犯人だと思っているのかもしれません。それならば、ここでもう少し踏み込んでも、いや、踏み込まなければ何も得られません。毒を食って藪を突いたのならば、死ぬ前に一矢報いるべきなのが私です。黙って為すがままなんて、私じゃありません。

 さらに言葉を続けようとしたら、見計らったタイミングで兎警部が喋り出しました。

『新美咲……にいみさき にじ

「……っ!?」

 心臓が、息が、呼吸が、鼓動が、止まるかと思った。

 それは、ここで出てはいけない名。絶対に、誰にも知られてはいけない名前。

 何故なら、その名前は……、

「な、ぜ……?」

『驚かせちゃったみたイ? でも驚いたってことハ、当たりみたいだネ? いヤ、まさかとは思ったんだけどネ~』

 何も、喋れない。それどころか、呼吸が、出来ない。

 口を開けているのに、空気が入ってこない。何故、何故知っている? どうしてニーニーの名を、ここで知ることができる!?

『一つ、ネタバレするとだネ』

「あ、う……」

 何か、何か何か何か! 言わなくては!

 事件の話題を! 安西さんのことを! 三人の大学生のことを!

『彼女の母親が死亡した「事故」ノ、当時の担当ガ、僕だったんだよネ?』 何でもいい! 話しをずらして意識を変え……え?

『僕が最初に担当した~って感じだったら、運命的なものを感じるけどネ? まあ僕が担当した事件だったんだヨ』

「あなた……が?」

『そうだヨ! 僕はネ、あの事件は別になんとも思ってないと言ったら嘘サ。あんなに消化不良で終わった事件ハ、僕が担当した事件ではあまりないからネ。あの時の女の子の目ガ、僕は今でも忘れられないんダ。あッ、ロリコンじゃないヨ? 少なくとモ、あの事件の被害者と呼べるべき家族のその後を気にかけるくらいハ、気にしているんだネ』

 兎警部は知っているかもしれません。

 私とニーニーが友達だという事。

 ニーニーがあそこで父親と二人暮らしだった事。

 そして、そして知ってしまった。このふざけた兎警部が、その後元気でやっているか気にするくらいの人間が、行方不明だということを!

「あ、あの……」

『とりあえズ、今日はこの辺にしとこうカ? 電話代が馬鹿にならないからネ』

 軽い口調で、兎警部は言いました。けれど、調べる。きっと兎警部は、調べるでしょう。今ニーニーがどうしているか。本当に失踪しているか。そして、そして下手をしたら、家に、家に何か手がかりがないか調べに!

『じゃア、また――後デ、ネ?』

 プツッ、と渇いた音が聞こえると、もう、兎警部の声は聞こえませんでした。ただ無機質な電子音が聞こえる中、私は、今しがた兎警部に話してしまった事について考えます。けれど、頭の中で何かを考えようとしても、兎警部にニーニーの事を知られてしまったという事実が思考の邪魔をして、暫くは呆然と、携帯を持ったまま立ち尽くしていました。

 私は、失敗してしまいました。

 最大で最悪な、致命的で致死的な、必殺と呼べるほどの、失敗を。

 いつまでも茫然自失としている私を、深夜が心配そうに覗き込んできます。

 しかし私は、深夜に返事を返す余裕などありませんでした。

 失敗した失敗した失敗した。

 ああ、相手が警察の人間だと解っていたのに、油断した。

 そう、油断です。

 私は相手を見くびっていたのでしょう。たかが女子高校生と自分で言っておきながら、こんな普段出会うことが少ない、下手をしたら一生巡り合わない事件に巻き込まれ、自分を小説の主人公かなんかと勘違いした。

 恥ずかしい。あまりに幼稚。そこに付け込まれた。大人は卑怯です。

 けれど、大丈夫。私はこんなとこで立ち止まる女ではありません。

 失敗がなんですか?

 失敗は取り返せば問題ないのです。いつまでもグチグチと立ち止まっているから進めない。こんなところでゆっくりしている暇はありません。まずはニーニーの家に行って、ある程度証拠を隠滅してこなければ……。

「おい、大丈夫か燈莉? どうした?」

「ええ大丈夫です。私はいつだって大丈夫な燈莉ちゃんです」

「……え? おい本当に大丈夫?」

「深夜が他の女性と二股していても笑顔でその場を去り、真夜中に深夜を襲う冷静に物事を考えられるくらい大丈夫です。証拠は残しません」

「しません! 二股しません! 俺は燈莉さん一筋ですよ!!」

「はっはっは」

 嘉川刑事が笑いながら近づいてきました。なんか慣れ慣れしいです。

「君達はラブラブだね」

「携帯は返しませんよ」

「ええ!? 返してよ!?」

 嘉川刑事に携帯を返し、橋本さんや篝さんが座っているソファーの反対側に座りました。深夜も私の隣に座ります。座らせます。油断すると篝さんの隣に行こうとする辺り、ちょっと後で調教が必要なようです。

 嘉川刑事はもう一度咳払いをして、本題に戻りました。

「さて、変な邪魔が入ったせいで中断してしまいましたが、事件を整理する為にもう一度皆さんの話を聞かせて下さい」

「聞かせるも何も」

 篝さんが嘉川刑事を睨みながら言います。

「安西先生はエレベーターの中で死んでいて、それを発見したのが橋本だったって話だろ。何も聞き返すような事はないと思うがな」

「ま、まあまあ。その時何処にいたのか、どんな感じだったのかを教えてくれるだけでいいですから」

「警察ってのは暗記物が苦手なのかい?」

「篝、言いすぎよ」

 橋本さんが篝さんを嗜めました。篝さんも自覚があったのか、それ以上言わずただ黙って眼を瞑ります。……く、無駄にカッコイイ。あ、無駄って言っちゃいました。

 さて、長々と全員のアリバイを聞くのもいいですが、簡単にまとめると、水倉さんはお昼を食べるため食堂に一人でいて、橋本さんは授業のことで一度、安西さんの研究室に来たという事で、証言は私と深夜です。篝さんは図書館に用があり、13号館の一階で煙草を吸っていたため、水倉さんと同じく第三者の目撃者が出ない事にはアリバイはない方向。煙草は外で吸わなくてはいけないらしく、今はこれ見よがしに吸っていますが、一階と言っても建物の外に出ていたようです。一応、私と深夜が安西さんに最後に会った人物、ということらしいです。

 それにしても、この犯人、計画性が全くない印象を受けます。

 エレベーターの中での殺害。もし監視カメラがあったら、今回はなかったようで事前に調べていたかもしれませんが、わざわざ人の出入りの激しい場所での犯行。

 もし、どこかの階に止まった時、人に出会っていたら、犯行が露見どころか目撃者まで出てしまう。被害者にとって密室でもあるが、加害者にとっても密室とは、言えないのかもしれません。事前に防犯カメラを知っていたのなら、わざわざエレベーターで殺さず、安西さんの研究室などで殺した方が何倍も安全。計画的なのか、無計画なのか、よく解りません。

 改めて行われた調書を終え、今日は帰宅していいとの事です。身体検査も終了しており、容疑者であるが決定的な証拠がないので、いつまでも拘束できないのでしょう。

 篝さんは図書館へ、橋本さんと水倉さんはそれぞれサークルに顔を出すそうです。

 私と深夜はもう暫く調べてから出ることにしました。

 現場検証している警官に、何か新しい物証なり不審なモノがなかったか尋ねます。ニーニーの手掛かりを掴みたかったのですが、邪見にされながらも教えてもらった内容は大したものはなく、仕方なく13号館を出ることにしました。すると、あれから暫く時間が経っていたにも関わらず、建物の外にあるテーブルでは篝さんがコーヒーを飲んでいました。

 13号館の前、外なのですが、学生達が食事を出来るスペースなのか、椅子とテーブルがあり、売店やパン屋さん、コーヒー屋さんの出張車が来ています。

 その一角、篝さんがコーヒーを飲んで座っていました。深夜はトイレに行くと言って建物に戻っていきましたが、篝さんが見えていなかったのでしょう。見えていたら犬のように飛びつくに決まっています。あのエロ犬め。

 私は篝さんに近づきます。

「篝さん」

「ん? なんだお前、まだ帰ってなかったのか」

「そういう篝さんこそどうしたんですか? さっき図書館に行くと言ってましたが」

「……今日は臨時休館日らしい」

 不貞腐れて言うのですが、何でしょう、これきっと男の人の前で言ったら普段のギャップで可愛いとキュンキュンしちゃう感じです。

 篝さんに相席の許可を頂いて座りました。篝さんの手元には、自家製と思しきコーヒーがありました。水筒に入れてきたようですが、香りがとても素敵で、物欲しそうに見ていたのか一口飲ませて頂きました。意地汚いと言わないで下さい。女の子はこういうの普通なんです。

「実はちょっと豆に凝っていてな」

「あ、これ駅前の喫茶店と同じコーヒー豆を使っているんですね」

 以前、深夜と行ったことがあるお店です。ちょっと休憩に入ったお店でしたが、コーヒーはもちろんそれ以上にショートケーキが美味しいお店でした。お客さんは少なくもなく多くもなく、ゆったりと過ごせるところなのでお気に入りです。

 篝さんはあの喫茶店でバイトをしているので、豆も買っていると言いました。喫茶店のコーヒーは香りが立っていて、家で飲むようなインスタントとは違い、豆の匂いが香ばしいです。

「しかしお前も大変だな。遊びに来てこんな事になっちまって。早く家に帰った方がいいんじゃないか」

 私は苦笑を浮かべるしかありません。帰りたくとも帰れない。そう、何も解決してないのです。解決しないどころか、謎が増えました。

 しかし、本当の本当に言ってしまえば、私たちはもう安西さんについて考えず、このままニーニーを探す手がかりを見つけなくてはいけないのかもしれません。でも、その手がかりを持っていたと思しき安西さんが、殺された。

 未来なんてあやふやな単語は嫌いですが、暗示しているようで、中々この大学から離れようと思えないのでした。

 今の状況で一番やらなくてはいけない事は、ニーニーの家に行く事なのかもしれません。

 でも、私は、ニーニーの家に行って、何をするべきなのでしょう。

 血の付いたノコギリを捨てることでしょうか?ある匂いのする風呂場を洗うことでしょうか?チリ一つ残さず掃除をする、ことでしょうか?

 解らない。

 それは、私がやらなければいけないことのようにも思えます。

 それは、私がやってはいけないことのように思えます。

 何をしたらいいか、解らない。

 だから、私はここで篝さんとコーヒーを飲んでいるのでしょう。

 待っていれば答えがやってくると思っているのか、最近の若者の傾向である、消極的な思考回路。まぁ、そんなことを言っているのは子供のことを解っていると思い込んでいる教育委員会の大人の方々ですが。

 例えニーニーの家に行ったとしても、兎警部がすでに到着している可能性のほうが高いですから、今更私が行ったところで、どうにもならないのかもしれません。

 言い訳に近い、現実逃避。

 それならば、安西さんが知っていたというニーニーの情報をここで探して、ニーニーを見つけることのほうが、よほど有意義だと思い込んでいるのです。

「どうした?」

「え? あ、いえ」

「眉間にシワはよくないぞ。可愛い顔が台無しだ」

 こういうことをサラッと言える辺り、少女漫画かと突っ込みたくなるのですが、深夜なんかが言っても頭が沸いているのかと心配してしまう台詞でしたが、篝さんは絶妙な仕草と相まって様になっています。

「すみません、ちょっと戻ります」

「戻るって、何処にだ?」

「安西さんの研究室にです」

 私のこの選択は、正しいのか。

 ニーニーの『何かあった』ことの後始末より、過去を隠すより、未来を照らす道を進んだ方がいいと、私は感じました。未来なんて、あるかも解らないモノですが。

 篝さんは神妙な顔で私を見つめます。

「……お前」

 篝さんは私の顔を凝視します。疑問に不可解を混ぜた視線。

 理解できない、不可思議な現象を目撃した表情。

 それでも篝さんは、ぐっと、何かを飲み込んで頷きました。

「……いや、何でもない」

「はい、それでは」

 ちょうど深夜がトイレから戻ってきたのを、篝さんを見つけて嬉しそうに駆け寄ってくるのを、ラリアットで止めてそのまま建物に引き返しました。

 

      ∴      ∵

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