七話
「え?普通の人に幽霊の姿を見せる裏技があるんですか?」
優希ちゃんがなんとか落ち着き彼女の気になるもの探しを再開してから十分ほどしたときに夕佳が言った言葉に優希ちゃんはそう返した。不思議そうな、意外そうな、そんな声だった。
「ええ、生きている人間らしくふるまえば普通の人にも姿を見せれるようになるのよ」
「生きている人間らしくって、たとえば、どうするんですか?」
僕たち以外にも姿を見せれるようになる、というのに興味があるらしく熱心に話を聞いている。しかも、夕佳の前にいて進行方向に背を向けて夕佳の方に体を前のめりにしている。
「地面に足をつけて歩けばいいのよ。普通の人はそんなふうに浮いてたりはしないでしょう?」
「そうですね。……じゃあ、ちょっとやってみます」
そう言って、優希ちゃんは何故か僕の隣にやってきた。それから、足を木の床の上へとおろした。
今のところは普通に立っているように見える。おかしなところはどこにもなかった。
そして、彼女は歩き始めた。だけど、それはどこかが不自然だった。
「ど、どうかな?」
敬語じゃなかったからたぶん僕に話しかけてきたんだと思う。嘘を言っても仕方がないので、僕は正直に言う。
「なんか不自然だよ」
「どこが?」
詳しい説明まで求められた。僕は具体的にどこが不自然なのかわかっていないので、教えようはない。
もしかしたら、夕佳ならどこが不自然なのか気が付いてるんじゃないだろうか、と思ってそっちの方を見てみる。そうしたら、何故か微笑みを返された。僕が答えろ、ということなんだろうか。
「……あの、ごめん、優希ちゃん。具体的にどこが、ってのがわからなかったから、もう一回歩いてみてくれるかな?」
夕佳は何も言ってくれないから僕はそういうことしか言う事が出来なかった。
「やだよ。わざわざ他人に不自然、っていわれるような歩き方をするなんて」
「でも、そうしてくれないと、僕、何も説明できないんだけど」
「広也が頑張って思い出せばいいんだよ。ううん、むしろ、思い出せ、かな」
命令だった。やっぱりわがままだな、と思いながらも僕は優希ちゃんがどんなふうに歩いていたのか思い出そうとした。
あのときの彼女の歩き方。それは、足の運び方がぎこちなかった。それは仕方ないことだと思う。そういうことをするのには慣れていないだろうから。それが、不自然さであったような気がする。
でも、足の運びがぎこちないのは幽霊でない人がやっていてもおかしなことではない。だけど、その中に隠れた不自然さは幽霊だけがもつものだったような気がする。
もう少し頑張ってあのときの優希ちゃんの歩き方を思い出してみる。
そういえば、あの時の彼女は滑っているように見えた。足の動きと、体の進み方が合っていなかったのだ。
そうだ。これが、彼女の歩き方の不自然なところだ。なんとか、どこが不自然なのか気がつくことが出来たのでほっとした。
「優希ちゃん、わかったよ。どこが不自然だったのか、ってこと」
「あ、やっとわかったんだ。それで、どこがおかしかったの?」
窓から外を眺めていた優希ちゃんがこちらを振り向く。
「うん、優希ちゃんは足の動きと体の進み方が合ってなかったんだよ。簡単に言えば、優希ちゃんは少し滑りながら移動してるように見えたんだよ」
優希ちゃんはよくわからない、というふうに首をかしげる。それから、確認をするようにもう一度床に足をつけて歩き始めた。
だけど、さっきの僕の言葉を気にしているせいかかなり歩き方が不自然だった。
なぜか、つま先立ちをしているし、そのつま先だって床についているようで微妙に浮いている。
「ねえ、優希ちゃん、すごく歩き方がおかしいんだけど」
「わかってるよ!広也がいろいろと言うから普通に出来なくなったんだよ!」
怒られてしまった。他人の言葉を気にするとうまく出来なくなる人がいるけど、優希ちゃんもそういう類の人だったようだ。
ていうか、優希ちゃんが僕に思い出せって言ったから僕は頑張って思い出してあげたんだけど。それなのに怒られるなんて不条理だ……。
「広也、どうしたのよ。へこんじゃって」
今まで見ているだけだった夕佳が僕に話しかけてきた。
「優希ちゃんが、不条理だからね、ちょっと……」
「それは、ただ単に照れてるだけよ。……ねっ、優希ちゃん」
「え?あ、あの、いきなり、話を振られても困るんですけど」
聞こえていなかったのか、それとも聞いていなかったのか優希ちゃんは困ったようにそう言う。
「あのね。優希ちゃんが広也に怒ってるのは自分がちゃんと歩けてないのを広也に見られて恥ずかしいからよね?、って聞きたかったのよ」
「……ち、違いますよ!広也に怒ったのは、その……広也がいろんなことを言ったせいでちゃんと歩けなくなったからで、恥ずかしかったとか、そういうのは関係ないです……」
最初は夕佳の顔を真正面から見たまま答えていたけれど、徐々に視線が関係ない方向を向いて、最終的には顔をそらしていた。
図星だった、ってことなんだと思う。まあ、確かに他人に自分の恥ずかしいところを見られるのは恥ずかしいかもしれない。だけど、
「恥ずかしいから、って僕に怒らなくても……」
「うるさいっ!広也は黙っててよ!」
また怒られてしまった。っていうか、これは八つ当たりなんじゃないだろうか。
「ほらほら、優希ちゃん落ち着いて。そんなふうに言ってると広也に嫌われちゃうわよ」
「夕佳さん、同じようなことばかり言わないでください!夕佳さんは放っておいて行こう、広也」
優希ちゃんは夕佳のいない方に向いたと思ったらいきなり僕の左腕を掴んで僕のことを引っ張った。
「ちょ、ちょっと、優希ちゃん、速いから待って!」
「広也が遅いんだよ!」
速度を緩めることなく優希ちゃんはどんどん進んでいく。
僕は、ちらり、と後ろを振り返ってみた。だけど、そこに夕佳の姿は見えなかった。でも、振り返れたのは半分くらいだったからちょうど死角にいるのかもしれない。そう思って、今度は反対側から後ろを振り向こうとしたら、横の方に引っ張られ、しかも何かに足を引っかけた。
そして、そのまま転んでしまう。
「いたたた……」
おでこを思いっきり打ってしまった。右手で先ほどぶつけた部分を押さえる。
どこにぶつけたんだろう、と思って前を見てみるとそこには階段があった。たぶん、というか絶対にここで足をひっかけて転んでおでこをぶつけてしまったんだと思う。
「優希ちゃん、階段があるんなら言ってよ」
「広也がちゃんと前を向いてついてこないからいけないんだよ」
確かにそうだろうけど……。
まあ、一応優希ちゃんの言っていることは正論なので何も言い返さないでおく。
それから、廊下の方を覗いて見た。
そこには、真っ直ぐな木の床が向こうの方まで続いていて所々外の光が当たっている、という光景だけがあった。夕佳の姿はどこにもなかった。夕佳はどこに行ったんだろうか。
「広也、何見てるの?」
優希ちゃんも僕と同じように廊下を覗く。
「夕佳がどこに行ったのかな、って思ってね。……夕佳なら追いかけてくると思ったんだけど、いないね」
「夕佳さんのことなんて知らないよ。あんなことばっかり言う人は放っとけばいいんだよ」
なにやら優希ちゃんは怒っているようだった。昨日、僕が接した優希ちゃんが普段の状態なら、こうして転んだ僕のことを笑っていたと思う。
どうやら、優希ちゃんの中での夕佳に対する好感度は不機嫌になるほど下がってしまっているようだ。
「優希ちゃんは、何を怒ってるの?」
でも、そうやって、不機嫌になってしまう理由がわからなかった。
「何も怒ってないし、広也には関係ないよ!」
ぷいっ、と顔を背けてしまう。明らかに怒っているのに、怒っていない、という優希ちゃんに対してどのような行動をとればいいのか僕は戸惑ってしまう。
「広也!そんな所で立ち止まってないで早く行くよ!」
突然、優希ちゃんにまた左腕を掴まれた。どうやら、優希ちゃんを落ち着かせるにはこのまま振り回されているしかないようだ。
ごめん、夕佳、と心の中で謝ってから、今度は転ばないように優希ちゃんの進む速度に合わせて階段を上がった。