二話
二十分ほど歩いてようやく道のあるところまで戻ってこれた。結構、山の奥の方まで来ていたようだ。
まあ、ここからなら、僕一人でも帰れそうだ。
「ありがとう、優希ちゃん。やっと僕一人でも帰れそうなところまでこれたよ」
「どういたしまして。でも、本当に一人で帰れるの?廃校では出口までの道を間違えそうになってたよね?」
わざわざそんなことを言ってほしくないと思う。でも、後半のことは事実だから強く言い返すこともできない。それに、それを言われたら少し自信がなくなってしまう。
だから、
「大丈夫だよ。……たぶん」
なんとも自信のない答えとなってしまった。
「なんでそんなに自信がなさそうなの?なんかこのまま広也を置いて戻るのも心配だなあ。……でも、送ってあげようにも街の方までの道はわかんないしなあ」
年下の女の子に心配されてしまった。しかも、割と本気で。
「しょうがない、広也が人のいるところに戻れるまでついていってあげるよ。このまま別れて広也が道に迷って死んじゃったら嫌だし」
さらり、と不吉なことを言ってくれた。
でも、優希ちゃんがついてきてくれる、というのは好都合だった。人のいる所に行った方が僕の言いたいことは言いやすくなるだろう。僕の言いたいことはただ単に言えばいいだけじゃない。提案みたいなものだから優希ちゃんにそれを否定されてしまえば意味がない。
「いや、迷うことなんてないと思うけど。……でも、ついてきてくれるって言うならついてきてほしいな」
これから先のことを考えてそう言った。だけど、本当は一度道に迷ってしまって一人で山を歩くのが少し怖かった。
「……」
なぜか優希ちゃんは僕の顔をじっ、と見ている。なんとなく嫌な予感がして一歩だけ後ずさってしまう。
「広也は道に迷うことはないって思ってるけど、実は一人で山を歩くのが怖いと思ってるんだね」
鋭く、そんなことを言い当てられてしまう。やっぱり優希ちゃんは勘が鋭いみたいだ。それとも、幽霊になってしまうとみんな勘が鋭くなるんだろうか。
十六年間生きてきた中で幽霊に会ったのはこれが初めてなので憶測の域からは離れられない。けど、これから幽霊に会うことがあり、僕の考えが正しければこんなふうに苦労してしまうんだろうか。
でも、よく考えてみればこうやって苦労するのは優希ちゃんのわがままで人をからかうのが好きな性格のせいだよね。だったら、別の幽霊に会ってもここまで苦労することはないか。
「広也、どうして黙ってるの?あ、もしかして、図星、だったの?」
手で口元を隠しながら言っている。たぶん、それはからかっている、ということを表に出すためのサインなんだと思う。
「まあ、ちょっとだけ、ね」
素直に僕はそう答えた。優希ちゃんは嘘を言うのが嫌いだと言ったけど僕は嘘をつくのが苦手だ。
しかも、優希ちゃんは勘が鋭いからもし、僕が嘘をつくのがうまくてもすぐにばれてしまうんだと思う。だったら、優希ちゃんが嫌いで、僕が苦手な嘘をつく必要なんてない。
僕にプライドがない、というわけではないけど、嘘がばれてしまった方がプライドは傷ついてしまうと思う。
「広也って意外と怖がりなんだね」
「意外と、って……。僕はまだ死にたくないし、僕から自分一人で帰れる自信を奪ったのは優希ちゃんなんだけど?」
「わたしのあの程度の言葉で自信をなくすなんてもとから自信がなかったのと同じだよ。むしろ、広也はわたしを非難するんじゃなくて感謝してよ。わたしがなにも言わなかったら広也は自信過剰で自滅してたかもしれないんだよ」
それから、「えっへん、わたしってえらいでしょ」、と言って胸を張る。
「あれくらいのことで自信過剰だとは思えないんだけど」
「あまいよっ!」
優希ちゃんが僕の言葉に反応して顔に向かって指をさしてきた。優希ちゃんの指と僕の鼻との距離は数センチしかなかった。
「自信過剰な人は決まってそう言うんだからね。そして、運がない人はそのまま散っていっちゃうんだよ!」
「そ、そうなんだ」
優希ちゃんの勢い押されてつい、そんなことを言ってしまう。いやいや、ここは認めちゃ駄目なところなんじゃないだろうか、と思ったけど今さら何かを言ったところで効果はなさそうだ。
「そうなんだよ。だから、広也は自信過剰な広也を止めてあげたわたしを褒めるべきなんだよ」
僕から少し距離をとり、腕を組んで数回頷く。それに対して僕は何かを言おうと思うけど、完璧に優希ちゃんのペースに飲まれてしまっている。僕のどんな意見を言っても優希ちゃんには聞いてもらえないような気がする。しかも、何かの意見を言う、という気力が削られていた。
「はあ……。ありがと、優希ちゃん」
ため息の後、僕はそれしか言う事が出来なかった。女の子に口で負けてる自分が情けない。
「そうそう、そうやって素直に感謝してればいいんだよ」
優希ちゃんは笑顔を浮かべた。半ば無理やりとはいえ、僕に感謝されるのが嬉しいんだろうか。それとも、僕を口で打ち負かしたことが嬉しいんだろうか。
前者だったら、まあ、納得できる。だけど、もし、後者だって言うならなんともやりきれない気持ちになってしまうだろう。
……あんまり、後ろ向きには考えなくないから、優希ちゃんの浮かべた笑顔は前者だと受け取っておこう。
「よし、広也、早く行こう」
そう言って、意気揚々と、山道を下っていく。僕はその後ろ姿にため息を抑えながらついていった。
山道を下り始めてから十分ほどで車道のあるところまで戻ってこれた。
ここに来るまでに分かれ道は一つもなかった。だから、わざわざ横の道にそれるようなことをしなければ普通は道に迷わないはずだ。そのわざわざ横の道へと進んだ僕が言うのもなんだけど。
「ここまで来れば広也でも一人でちゃんと帰れるよね」
僕の前を進んでいた優希ちゃんがこちらを向く。
「流石にね。こんなところで道に迷ったら、僕は家から出られないよ」
優希ちゃんのからかいと皮肉のこもった言葉は深く受け止めないことにした。あんまり深く受け止めると話が進まなくなる。
「それもそうだね。……じゃあ、わたしはここで戻るね」
「あ、優希ちゃん、ちょっと待って」
山の中へと、正確には廃校へと戻ろうとした優希ちゃんを僕は呼びとめる。
「ん、なに?」
ぴたり、と宙で体を止め、僕の方に振り返る。
「優希ちゃんが良かったら、一緒に街の中をまわってみない?僕この辺りに来たばかりで、知らない場所が多いんだよね。……ていうか、優希ちゃんってこの辺りのこと、知ってるの?」
こことは全然別の場所で死んでここにいるっていうのは変な気がする。だけど、僕は幽霊について何一つ知らないからそういうことがあっても変じゃないのかもしれない。
「……ううん、この辺りで知ってるのはあの廃校の周りだけだよ」
少し考え込んだと思ったら首を左右に振って答えてくれた。
本当に、全然別の場所で死んで幽霊になることってあるんだ。でも、なんでそんなことがあるんだろうか。
いや、今考えることじゃないか。ここで僕が黙っていても不自然だし。
「それじゃあ、一緒にこの街をまわってみようよ」
「……」
優希ちゃんは何も答えてくれなかった。
「嫌なら嫌だって、気にせずに言っていいよ」
「別に、嫌だっていう訳じゃないよ。……ただ、離れられないんだ。あの廃校がすごく気になって」
「そう言ってる割にはこうして、結構廃校から離れてる場所まで来てるよね」
「それは、広也のことが心配だったからだよ。知り合いが死ぬのなんて嫌だから、ね」
その言葉で僕は優希ちゃんは優しい子なんだ、ということがわかった。さんざん僕をからかったりしていたけど、知り合ったばかりなのにわざわざ自分から僕についてきてくれた。
そして、怖がりでもあるんだということもわかった。あの程度で僕が死ぬと思っている。それは一度死んでしまった優希ちゃんだからこそそう思うのかもしれない。反対に僕はほんの少しだってそう思うことはない。
これらのことが関係あるのかはわからないけど、僕は優希ちゃんをあの場所に戻らせたくないと思った。一人で寂しくあんな所にいたら嫌なことを思い出してしまうんじゃないんだろうか、そう思ったから。
「わたしはこれ以上あの場所から離れられないよ。ずっとあの場所にいたら何かが起きるような気がするんだ。だから、それまであの場所で待っていたいよ」
優希ちゃんはどうしてもあの廃校へと戻りたいみたいだ。何か、があるかもしれないあの場所へと。
でも、僕はこのまま優希ちゃんが戻ったとして何かを見つけられるとも、何かが起こるとも思わなかった。優希ちゃんはあの場所に一年近くいた、と言っていた。
あの小さな空間で一年近く何も見つからず、何も起こらなかったのだ。たぶん、優希ちゃんの何かが変わらなければいけないのだと思う。
できれば、僕が優希ちゃんの変わるためのきっかけを見つけてあげたいと思った。優希ちゃんが時折浮かべる、悲しげな表情が僕にそう思わせたんだと思う。
「一回あそこから離れてみたら、何か新しいことに気がついたりするんじゃないかな?探し物って諦めたり、一回探してもう一回探し始めたときに見つかることって結構あるからさ」
優希ちゃんに廃校から一時的に離れてもいいかな、と思わせるために僕はそう言った。
「……でも」
戸惑うような、迷うような声。
「大丈夫だよ。きっと、優希ちゃんの探してるものは逃げたりしないよ」
安心させるように、優希ちゃんの考えをあの廃校から離れるものへと変えるために言う。これで、駄目なら無理やり引っ張っていこうか、とか考えている。本当にできるかどうかはわからないけど。
「……そうだよ、ね。うん、きっと大丈夫、だよね」
俯いて自分に言い聞かせるように呟いている。僕は彼女がどんな返事を返してくれるんだろうか、と思いながら待っている。
「うん、行こう、広也。広也が街の中を一人で歩いてるのを放っておくのも心配だからね」
顔をあげて皮肉を言いながらも笑顔を浮かべてくれた。僕はそんな優希ちゃんに苦笑をする。まあ、優希ちゃんの後半の言葉は照れ隠しだとでも思っておいた。