エピローグ
優希ちゃんが天国へと行ってから一年が経った。
僕は今、彼女と別れた大きな木のあるこの場所へと来ている。
あの日から僕は変われたんだろうか、そして、変われたとしてもそれは僕の、優希ちゃんの望む、望んだ変わり方なんだろうか。
自分ではよくわからない。だから、誰かに聞いてみたいと思うんだけど、あの日のことを知っている人はもう僕の近くにはいない。
優希ちゃんは言わずもがな天国へと行ってしまったわけだし、夕佳は一年以上同じ土地にいても魂を案内する仕事はできない、と言って半年前にどこかへ行ってしまった。東の方に行く、というのは聞いたけど、具体的な場所は聞いていない。もしかしたら、夕佳はどこに行くのか決めもせずに移動したのかもしれない。
今、彼女はどこにいるんだろうか。気になってはいるけど、知りようのないことだ。もう、夕佳の携帯電話には繋がらなくなってるし、きっと元気にやってるだろう、って信じられるから最近はあまり気にしないようにしている。
そんなふうに今までのことを考えながら大きな一本の木の下へと向かう。
「優希ちゃん、あれから一年が経ったね」
誰に向けるでもなく、喋りかける。誰にも聞かれない言葉たちは虚空へと消えていく。
あの日から僕はこうして一週間に一度ここと、優希ちゃんに出会った廃校へと訪れている。そして、ここに来るたびに僕は誰にもいない虚空――いや、優希ちゃんへと話しかけている。ここなら優希ちゃんへと言葉が届きそうな、そんな気がする。
「三日前に僕が持っていってあげた花は気に入ってくれたかな」
言ってから僕は木の根元に置かれている花瓶とそれに挿されている花を見た。
これは、僕が三日前に持ってきたものだ。花瓶はあの廃校から持ってきて、花は僕の家の近くの花屋で買ったものだ。
「何を買ってくればいいのかわかんなくて、無難なものを選んじゃったけど気に入ってくれてるなら嬉しいよ」
きっと、彼女なら喜んで受け取ってくれているだろう、と思って僕は笑った。
「ちょうど一年前の三日前に僕たちは出会ったんだよね」
『うん、そうだね』
一瞬、彼女の頷く姿が見えたような気がした。そして、彼女の声も聞こえた気がした。
こういうことはここに来ればよくあることだった。彼女の幻覚を見たり、幻聴を聞いてしまうほど僕は彼女のことを今でも想っているということなのだと思う。だから、大して気にせずさらに言葉を続ける。
「あのときは、優希ちゃんを好きになるなんて思わなかったし、こんなふうに別れが来るとも思ってなかった」
いつもよりたくさんの記憶が蘇る。
「優希ちゃんは、いつから僕のことが好きになったの?……僕は、優希ちゃんと別れるその日の深夜に気がついたんだ。優希ちゃんに好き、って言われる夢を見て、それがきっかけになってね」
今まで一度も優希ちゃんに話したことのなかったことだった。近くにいなくても彼女には声が届くと思っているから恥ずかしかったのかもしれない。
けど、今日は特別な日だ。いつもとは違う気分になったからなんの抵抗もなく話すことが出来た。
それから、僕は優希ちゃんに出会ってから、起きた出来事、思ったこと、考えたことなど思いつくかぎりに話していく。
時には笑顔を浮かべながら、時には悲しげな表情を浮かべながら、時には幸せを感じながら……。
そうしていると、いつのまにか時刻は夕方となり、夕陽が世界を赤色に染めていた。
そろそろ帰ろう、そう思ったときだった。ガサリ、という物音が聞こえてきた。
僕はその物音の正体を確かめるために後ろに振り返ってみた。
そこにいたのは、一匹の黒色の子猫だった。
その子猫は僕の方へとゆっくりと近づいてくる。僕はその子猫を向かい入れるようにしゃがみ込んで子猫が来るのを待つ。
子猫は何の躊躇もなく僕の方へと駆け寄ってきて僕の胸へと飛び込んできた。
そのことには驚いたけどなんとか抱きかかえることが出来た。
どこからきたんだろうか、と思いながら僕は子猫の頭を撫でる。
と、ふと、この子猫から懐かしいものを感じた。これは、もしかして、
「―――優希、ちゃん?」
にゃー、とその子猫は可愛らしい声で鳴いた。それがどういった意味なのかはわからないけど、なんとなく、僕の言葉に頷いているように感じた。
「優希ちゃん、なんだね」
頭を撫でてあげながら僕は確認するように言う。そうしたら、今まで無防備に僕に頭を撫でさせてくれていたのに突然、しゃー、と威嚇をし始めた。うん、この反応は優希ちゃんだ。
「おかえり、優希ちゃん」
にゃー、と鳴いた。そこに笑顔を浮かべて『ただいまっ!』と言う優希ちゃんの姿が浮かんだ。
これは奇跡なのか、それとも運命なのか。どちらにしろ、僕たちは再び出会うことが出来た。
お互いに人間ではないけど、僕はこれで満足だ。彼女もたぶん、同じだと思う。
これから、どうするのか、というのは考えるまでもなくすぐに浮かんだ。優希ちゃんと一緒に住もう、ということが。
彼女は一緒に住むことについてどう思うだろうか。
嫌だと思うんだろうか、嬉しいと思うんだろうか、それとも、何も思わないんだろうか。
いや、そんなことは考えるまでもないか。彼女は嬉しいと思ってくれるはずだ。彼女は僕のことを好きだと言ってくれて、そのことに偽りはなかったから。
それでも、確認くらいは取っておこう。
「優希ちゃん、僕と一緒に暮らそうか」
優しい風が僕たちを包み込んだ。それと同時に彼女の、にゃー、という鳴き声が小さく聞こえた。
FIN
これにて、完結、です。
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