二十二話
気持ちが落ち着くまで僕は延々と優希ちゃんへと対する独り言を言い続けていた。
そして、気持ちが落ち着いた今では空をぼーっ、と眺めていた。
「広也、元気出して、しゃきっ、としなさいよ?そんなんじゃ、優希ちゃんに心配されるわよ」
不意に誰かに声をかけられた。その声は聞き覚えのある声だった。
「別に、元気がないわけじゃないよ。たまにはこうやって空を眺めてみるのも悪くないかなあ、なんて思ってね」
「落ち込んでて、そうやってる、ってわけじゃないのね。それなら、よかったわ」
声の主が少し嬉しそうに笑う。
「……それよりもさ。夕佳は今日も用事があるんじゃなかったの?」
僕はそう言いながら上半身を起こす。いつの間にか隣に夕佳が草の上に座っていたのが見えた。
「ええ、そうよ。今はその用事が終わって帰る途中よ」
「帰る途中って……。どこに行ってたの?」
夕佳は何気なく言っていたけど、帰りにこんなところを通るなんて明らかにおかしい。
「仕事をしてたのよ。……優希ちゃんの魂はちゃんと送り届けてあげたわ」
「え?それって。どういうこと?」
「そのままの意味よ」
そう言われてもどういうことだか理解することができない。その言葉は非現実じみていたから。
「まあ、普通の人はわかるわけないわよね」
僕の表情から僕が何を考えていたのかわかったのか、そう言った。
「私は、魂の案内人。天国に行きたいけど、行けない人たち、現世でやり残したことをやり終えた人の道案内をしているわ」
「そう、なんだ。……夕佳が案内したってことは優希ちゃんは無事に天国に行けたんだね」
「当たり前よ。……あなたたちの別れを見ているのは辛かったけど、あの子がこの世に残った目的を達成したのならしっかりと、連れていかないといけないもの」
悲しげに、夕佳の瞳が揺れる。でも、それより、少し気になることがあった。
「今、僕たちの別れを見ているのは辛かった、って言ったよね?もしかして、ずっと見てたの?」
「ええ、昨日からずっと見させてもらってたわよ」
「どこから、どうやって?」
少し動揺しているけど、そこまで、はっきりと見られたわけじゃないだろう、と思って冷静にそう聞いた。
「近くから見てたわよ。私は、幽霊とは違うけど、幽霊みたいな存在だから姿を消すことくらい簡単にできるわよ。しかも、幽霊からも見えないようにね」
悪戯っぽく笑って言った。
「二人とも、すごく仲がよさそうだったじゃない。優希ちゃんが広也に好みの女の子のことを聞いた時の二人の沈黙なんかは初々しい感じがして見てるこっちは結構おもしろかったし、夕陽に照らされた部屋の中で優希ちゃんのセリフを取ったりしたのなんか、かなり雰囲気よかったわよ。それに昨日の夜なんて広也の口から、可愛い、なんて言葉がでるなんて思いもしなかったわ」
本当に夕佳は近くで僕たちのことを見ていたようだった。というか、家の中まで入ってたなんて。
「あら?広也、少し顔が赤いわよ?」
夕佳が僕の顔を覗き込んできてからかうように言った。僕は、恥ずかしさから顔をそらす。
「ほらほら、照れない、照れない。お互いに好きだっていうなら、それを他人に見せびらかせるくらいの気持ちでいないと駄目よ」
そう言った夕佳は微笑を浮かべていた。今さらだけど、つかみどころがないなぁ、と思った。次に何を言ったりしたりするのか予想がつきにくい。
「そうだ、夕佳、ひとつ、聞いてもいいかな?」
「いいわよ。私に答えれることならなんでも答えてあげるわよ」
僕がこれから言うことを察したのか、夕佳はさっ、と表情を真面目なものにした。
「あのさ。生まれ変わり、って本当にあるの?」
それを知ってどうなる、とは思わないけど、優希ちゃんがこれからどうなるのか、ということを知りたいと思った。
「へえ、広也、優希ちゃんと同じこと聞くのね」
「え、そうなんだ?……っと、それよりも、どうなの?」
優希ちゃんが僕と同じことを聞いていた、ということには少し驚いたけど、そこまで動揺するほどのことでもない。もしかしたら、心の隅で、彼女も聞いている、と思っていたのかもしれない。
「結論から言うと、生まれ変わりはあるわよ。そして、言わなくてもわかってると思うけど前世の記憶は何一つとして残らないわ」
それは、予想通りの言葉だった。でも、予想通りだからこそ、予想外のことを言ってほしいと思っていた。
「―――でも、どんな場所にも世界にも例外は存在するわ」
それは、予想外の言葉だった。その内容は、僕の望むものなのか、それとも違うのか。それを、いち早く知りたくて夕佳の言おうとする言葉に耳を傾ける。
「記憶の想いが強すぎて消せなかったのか、それとも、単なる事故なのかはわからないけどときどき、前世の記憶が残っていることがあるのよ」
それは、僕の望んでいたものだった。
「そうなんだ。じゃあ、もしかしたら、いつか優希ちゃんの記憶を持った人に会えるかもしれないんだね」
「……言っておくけど、人間に生まれ変わるとは限らないわよ。それに、優希ちゃんが今すぐ人間に生まれ変わったとしても十五歳以上、年が離れてるのよ」
「そんなの、関係ないよ。僕は優希ちゃんと一緒にいられればそれでいいんだ」
そう言って、僕は空へと向かって手を伸ばしてみる。
天国、というのがどこにあるのかはわからないけど、なんとなくそちらの方へとあるような気がしたからだ。こうやって、手を伸ばしていれば彼女が僕の手を掴むために手を伸ばして何かの奇跡が起こるかもしれない、とそう思いながら。
「なんだかあの子が羨ましいわ。こんなに、想ってくれる人がいて」
「そう思うなら探してみればいいんじゃないかな?夕佳のことを想ってくれるような人を」
僕は視線を空から、夕佳の方へと戻してそう言った。
夕佳は、きょとん、としたような表情を浮かべていた。僕の言ったこと、そんなに意外だったかな?
「やっぱり、広也って不思議な人ね。私が幽霊みたいなものだ、って知っててそんなことを言うなんて」
驚きを含んだような声だった。そんな夕佳に対して僕は言う。
「別に、不思議なんかじゃないよ。僕は現に優希ちゃんのことを好きになったわけだから、同じように夕佳のことを大切に想ってくれるようになる人がいるはずだよ」
「それも、そうね。これから先、あなたみたいな人に会うことがあるかもしれないわね」
夕佳は微笑みを浮かべる。そこに込められた意味はわからなかったけど、悪い意味じゃないんだろう、と思った。
「それにしても、広也。本当に落ち込んでないのね」
「当たり前だよ。落ち込んでても意味がないからね」
「ふうん、広也、って結構強いのね」
少し意外そうに言った。けど、夕佳の言っていることは間違っている。僕は強くなんかない。
「そんなことないよ。優希ちゃんとの約束がなかったら落ち込んでただろうからね」
そうそれは、優希ちゃんとの約束がなければ泣いていたかもしれない、ということだ。僕は約束があるからこそ、こうやって普通に振る舞っていられる。
だけど、夕佳はそうは思っていないようだった。
「それでも、よ。約束があったとしても、強さのない人は泣いてしまうものよ。これでも、広也よりは長生きをしていろんな人を見てきたからわかるのよ」
「そうなのかな?」
「そうなのよ。……ていうか、広也はもうちょっと自分のことを誇りなさいよ。強さがあっても、そんなに謙遜してたら意味がないわよ」
夕佳は少し怒っているようだった。僕は普通に振る舞ってるつもりなんだけど、夕佳の目には謙遜ばかりしている人のように見えたらしい。
「……わかったよ。それじゃあ、変わってみるよ。自分のことを誇りに思えるようにね。それに、夕佳にこんなこと言われてるところを優希ちゃんに見られたら笑われるだろうしね」
「あら、ちゃんとわかってるじゃない。でも、私は笑われる、笑われない、の問題じゃないと思うわよ」
「うん、そうなんだろうけど、それだと、別に変らなくてもいいかな、って思っちゃうんだよ」
優希ちゃんが絡んでくるから僕は変わろうとすることができる。それが、駄目だってことはわかってるけど、僕は自分が自分のために変わろうとすることができない人だということもわかってる。
「だから、優希ちゃんのために変わるよ。彼女に笑われないようにするために、彼女が安心していられるように」
そう言って、僕は目を閉じてみた。
『がんばれ、広也』
心の中の優希ちゃんがそう言ったような気がした。僕なんかがそんなことを言ったのが面白いのか、それとも、嬉しいからなのかはわからないけど、笑いながらだった。
僕はそんな優希ちゃんに笑い返した。頑張るよ、という意味を込めて。