一話
「はあ、可笑しかった。ねえ、いつかまた広也のバカな話、聞かせてね」
笑いすぎて浮かんだ目元の涙を指で拭いながら優希ちゃんはからかうようにそう言う。
「そんな話、もうないよ」
僕の口調はつい、いじけたような口調になってしまう。優希ちゃんに僕の失態を笑われ続けたせいでもともとあんまりないけどプライドなんかが傷つけられた。
「広也、わたしのこと笑わせてくれたお礼に山の出口まで連れていってあげるよ」
なんだか、お礼をされる理由が嫌だった。かといってここで文句を言ったら案内してくれなくなるかもしれない。
なので、仕方なく素直に頷いておく。
「……うん、それじゃあ、よろしく」
「うん、任せて。わたし、この辺りのことは詳しいから」
自信ありげに自分の胸を叩きながらそう言う。本当にこの辺りのことに自信があるようだ。これなら、僕は問題なく家に帰ることができるだろう。
「さ、それじゃあ、広也、先に歩いてみて」
「なんで?」
連れて行ってくれる、って言っているのに、これでは意味がないんじゃないだろうか。
「大丈夫、広也が道を間違えたらちゃんと言ってあげるから。特に深く考えずにわたしの前を歩いてみてよ」
優希ちゃんは僕の後ろの方に来る。
何を考えてるんだろう。でも、案内してくれるならそこまで気にする必要ないか。
僕はそう思って一歩踏み出して廊下に出た。それから、左右を見てからそのまま立ち止まる。
「広也、どうしたの?」
不思議そうな声が後ろから聞こえてくる。その声に反応して僕は優希ちゃんの方へと振り返る。
「……えっと、出口、ってどっちだったっけ?」
もうどうしようもない、という苦笑を浮かべながら僕は言った。勘に頼って進んでみるのもよかったけど、道を間違っていた時、優希ちゃんになんと言われるのかわからない。だから、もう、先に言ってしまおう、ということにした。
「え?もう迷っちゃったの?」
ここまで言ってしまったら何を言っても取り消すことができないので僕は無言で頷いた。
「ねえ、方向音痴?広也、って方向音痴なの?」
明らかに僕が方向音痴だ、っていうのをだしにして楽しもうとしている。
「そんなことないよ。ただ確認しただけだよ」
少しむっ、としてしまった僕は右の方へと足を進める。当然、適当に選んだ方向だ。
「ほんとう?」
「ほんとうだよ」
「じゃあ、なんでそっちに進んでるの?出口はあっちの方にあるよ」
そう言って優希ちゃんが指差したのは僕が進んでいるのとは逆の方向だった。
「え?そうなの?」
思わず立ち止まって優希ちゃんの方に顔を向けてしまう。
「うん、そうだよ。わたしは嘘は嫌いだから嘘なんて言わないよ」
確かに、そうなんだと思う。黙ったり、ごまかしたりして何も言わないことはあったけど、嘘は言ってなかった。
だから、優希ちゃんが言っていることは本当のことなんだと思う。そして、それが意味することは、
「広也、自分でおっきい墓穴を掘っちゃたね。素直に方向音痴だ、って認めればよかったのにね」
つまりはそう言うことだった。
僕は自分の恥ずかしい部分を知られたくなくて行動したのにそれがかえってあだとなり余計に恥ずかしい思いをすることになってしまった。
「あはは、広也、ってほんとうにバカなんだね」
優希ちゃんはまた大声で笑い始めた。
「あー、もう。わかったから、早く行こう」
これ以上笑われているのが嫌だったから少し大きめの声でそう言う。そして、優希ちゃんの脇を通り抜けて正しい道へと進んでいく。
「あ、待ってよ、広也!わたしがいないと帰れないんだからさっさと行ったらだめだよ!」
優希ちゃんが急いで僕の隣へと来る。
並んだまま、歩みを進める。優希ちゃんは幽霊だから足音は全然聞こえてこない。僕の足音だけが静かな廊下に響いている。
なんにも喋らないのかな、と思って僕は優希ちゃんの方を見てみる。出会ったから間もないけどこの子が黙っている、というのはあまり似合わないような気がした。
「なにかな?わたしのこと、じろじろ見て」
「何か話してくれないかな、と思ってね。なんか、優希ちゃんが黙ってるのって似合わないからさ」
「それって、どういうこと?」
移動をしながら体全体をこちらに向ける、という幽霊ならではの芸当をしてみせてくれた。
「どういうこと、って言われても。なんとなくそう思っただけだし……。まあ、しいて言うなら明るい性格の子、だって思ってるってことかな?」
質問に答えているはずなのに、疑問形になってしまう。これじゃあ、質問に答えたことになってないよね、と思ったけど今さら言いなおしても意味がない。
そんなふうに少しどうでもいいことで頭を悩ませていると、
「ほんとうにそう見えてるの?」
そんなふうに納得がいかない、という風に聞かれた。
「うん、本当にそう見えるけど。どうかしたの?」
「ほんとうに些細なことなんだけどね。生前のわたしはもっと顔見知りしてて自分の言いたいことを言えてなかったような気がするんだ」
優希ちゃんはそう言っているけど、とてもそうだったとは思えない。初対面の僕に向かってバカ、とか言いながら笑える人が顔見知りだと思えるはずがない。
だけど、僕はそういうことは言わずに優希ちゃんが先を続けるのを無言で待つ。
「たぶん、それは誰かと久しぶりに話をするからだと思うんだよね。幽霊になってから誰にも会ってないから、一年ぶり、ってことになるのかな?」
腕を組んで首をかしげている。いつから、ここにいたのか、とかを思い出しているのかもしれない。
「え?誰にも会ってないって、ずっとここから離れたことないの?」
疑問に思ったから聞いてみた。外に出てなかったら外まで案内できないんじゃないだろうか、という不安もあった。だけど、それ以上にこんなところに一人きりでいて平気なんだろうか、という思いの方が強かった。
「別に、そう言う訳じゃないよ。山道のあるところまで行ったことあるよ。だから、安心してよ。ちゃんと広也を帰らせてあげるからさ」
優希ちゃんは前者の方だと思ったようだ。僕の方を向いて安心させるように浮かべた笑顔に不自然さはなかったから何かを隠した、っていうわけでもなさそうだ。
「そうなんだ。それじゃあ、今から僕と街の方まで行ってみようか?」
遠まわしに優希ちゃんがこの辺りから離れたことのない理由を聞いてみようとそんなことを提案した。離れられないなら、その理由を話してくれるような気がしたから。
「行ってみたい。けど、わたしはここを離れられないんだ……」
「え、それって―――」
「ううん、そう言うことじゃないよ」
途中で遮られてしまった。
「なんだかこの場所が無性に気になって離れられないんだ。ずっとここにいるのに何にも見つけられてないんだけどね」
優希ちゃんがそう言ったときに丁度、校舎の中から外へと出た。僕は陽の光が眩しくて目を閉じてしまったからその時の優希ちゃんの表情を見ることは出来なかった。
僕が再度目を開けた時に優希ちゃんは僕の顔を指さして笑っていた。
「広也、さっきの顔、面白かったよ」
どうやら、眩しくて目を瞑った僕の顔がおもしろかったみたいだ。そんなことで笑わなくてもいいのに、と思うけど優希ちゃんの笑顔を見てたらその程度のことどうでもよくなった。
そんなことよりも、僕は優希ちゃんのここから離れられない、という言葉を聞いて言いたいことができた。
校舎の中から出て目を閉じたときに優希ちゃんの表情を見ていなくてよかったと思う。優希ちゃんが浮かべていた表情によっては言いにくくなってたことだろうから。
でも、言うのは今じゃない。優希ちゃんが僕と別れようとするその時に言うべきことだ。
「優希ちゃん、笑ってないで早く案内してよ」
「ん〜、もうちょっと笑ってから?」
そんなことを言っているけれど、すでに笑ってはいなかった。ただ、楽しんでいる、という雰囲気はとれた。
「もう、笑ってないんだからいいでしょ?」
「そんなことないよ。あはは、広也、ってバカだね」
僕を指さしながらわざとらしく笑い声をあげる。
「はあ……。もう、好きなだけ笑っていいよ」
対して僕はため息をつくことしかできなかった。
「広也。なんか、反応が冷たいよ。そういう冷たい反応をする男の人はすぐに嫌われちゃうんだよ」
「冷たいっていうか、僕は当然の反応を返したまでだと思うんだけど。悪口を言われていい反応を返す人なんているはずないと思うし」
「……おもしろくないなあ。ここでもっとおもしろい反応を返してよ」
「僕にそんなことを期待されても困るんだけど」
また、ため息をついてしまう。優希ちゃんといるとなんだか疲れる。たぶん、この子のわがままに付き合っているせいだと思う。
かといって、優希ちゃんのわがままさを抑えて今すぐ案内をさせる、ということを今の僕には出来ない。
僕に話術はないし、まだまだ優希ちゃんのことは知らないことが多いからだ。
「それよりも、早く案内してよ」
でも、とりあえず、これだけは言っておく。僕が何も言わないでこの状態が前に進むとは到底思えないからだ。
「しょうがないなあ。案内してあげるよ。広也、遅れないようにしっかりついてくるんだよ」
言って、優希ちゃんは道と呼べるものが何一つない森の中へと向かっていった。僕は優希ちゃんに言われたとおり、遅れないようにその後ろ姿を追いかけた。