プロローグ
前の作品からおよそ三か月ぶりの作品です。
不慮の事故などがなければ、一日一話更新で22話+プロローグ+エピローグで24日で完結する予定です。
これ以上は…特にいうこともありませんので本編をお楽しみください。
使われなくなって久しいと思われる廃校舎。それは、今では珍しい木造建築の校舎だ。
僕はその校舎の中の教室の中にいる。
ゆっくりと、壁の方へと近づきそこに触れてみる。
冷たくはなかった。太陽に当たっていて暖かいという直接的なものもあったが、感情的な温かさも感じた。なんだか不思議な感じだ。これが木の持つ独特の温かみ、というものなんだと思う。
僕もどうせ通うならこういう学校がよかったな。そう思いながら、小さく笑みを浮かべてみた。
まあ、こんなことはどうでもいいとして、現実から逃げるのはここまでにしよう。
実は、僕は道に迷った結果ここに来てしまったのだ。
この辺りには引っ越してきたばかりなので知らない場所がまだたくさんある。そういう場所を減らそうと夏休みである今を使っていろいろなところをまわってみようと思ったのだ。
で、そのときに山へ入る道を見つけてそこへ、ふら〜、と入ってみればこのありさまだった。
高校生にもなって迷子になってしまうとは思わなかった。
けど、大人の人でも山に入って道に迷う人はいるからおかしいことではないのかもしれない。
……って、そんな楽観的に分析しても意味がない。それをしたところで帰り道がわかるわけじゃないんだから。
とりあえず、僕はポケットから携帯電話を取り出した。
とてもシンプルなデザインの携帯電話だ。使う回数は一か月に一から二回ほどだ。
この携帯電話に登録されている電話番号は家の電話の番号と一人の友達の携帯電話の番号だけだ。
今はそんなことどうでもいい。とりあえず、最初は家に電話をかけてみよう、と思った。
登録されている電話番号の中から自分の家の番号を選ぶ。それから、携帯電話を耳に当てる。
『ただ今おかけになりました電話番号は電波の届かないところにいるか―――』
あれ?そう思って嫌な予感に駆られながらも自分の携帯電話を確認する。
アンテナのマークが一本も立っておらずここが圏外だということを示していた。
これで、携帯電話で人を呼ぶ、ということができなくなってしまった。
かといって自分一人で勝手に歩いて元の場所に戻る、ということは出来そうにない。というか、それができたら最初からやっている。
ここはだいぶ昔に廃校になったようでどこの道とも繋がっていなかった。どういうことかって言うと道じゃない場所を通らないといけないってことだ。さらに言うと僕は道じゃない場所に入ったってことが迷った原因でもある。
道に迷ったのは明らかに僕自身のせいなのだ。
ちょっと、道の横の方が気になったので好奇心に身を委ねて入っていった。そうだ、僕が悪いんじゃない。僕の好奇心が悪いんだ……。
「はあ……」
ため息をついた。今はそんなことどうでもよすぎる。というか、僕は誰に対して言い訳をしているんだろうか。
どうしよう。本当にどうしよう。好奇心に身を委ねた結果、山の中で道に迷いそのまま死んでしまう、というのは情けなさ過ぎる。
ここから出て決死の覚悟で山に入るべきなのかもしれない。それを実行に移せないなら誰かがここを発見するまでここで待ち続けるか、だ。
前者の方が助かる確率は高いような気がする。もし誰かが僕を探していてもここを見つけることはほとんどないように思うからだ。
「はあ……」
また、ため息をついてしまう。自分のせいとはいえ悪いことだけを天秤に掛けるのは嫌だった。
けど、もう山の中に戻っていく、ということは決めてしまった。だから、もうここに用はない。そう思って僕はこの部屋から出ようとした。その直後、
「ねえ……」
微かに女の子の声が聞こえてきた。こんな場所に人がいるはずない、と驚いた僕はその場で立ち止まってしまう。
それから僕は部屋の中を見回して、廊下を見てみた。だけど、誰もいなかった。
さっきのはなんだったんだろう。どうしても助けがほしい、と思った僕の空耳かな?、と首を傾げて再度この場を立ち去ろうとした。
「ねえ」
また、女の子が呼ぶ声が聞こえてきた。今度は先ほどよりもはっきりしている。
やっぱり空耳じゃないみたいだ。そう思ってまた周囲を見回してみるけどやっぱり誰もいない。
さっきのは空耳なんかじゃなかったのに。
きょろきょろ、周りを見回し続ける。
「そこじゃないよ。ここだよっ!」
怒ったような女の子の声が聞こえてその声の主であろう女の子が僕の前に現れた。割と、衝撃的な場所から。
具体的に言うと上からその女の子は現れた。
驚いて声も出せなくなった僕はその子をじっと見つめる。
「なんで上にいるわたしのことを見つけられないかな?」
何故かその子は僕がすぐに見つけられなかったことに怒り、僕のことを軽くではあるけど睨みつけてきている。
「いや、えっと、そんな所にいられて見つけるのは、無理だと思うんだけど」
半分くらいは反射的、といった感じで僕は言う。
「あなたの意見はどうでもいいよ。わたしが見つけてほしかったんだからあなたはそれだけをすればいいんだよ」
わがままな子だった。でも、とりあえず一応話は通じるんだな、と思ったことで少し落ち着いた。
少しその女の子の姿を観察してみる。
依然として僕のことを軽く睨みつけている瞳は少し茶色のかかった黒色だ。意思の強そうな光が込められている。顔は僕よりも幼く、一三、四歳くらいのように見える。亜麻色の髪の毛は肩にかかるかかからないかの所で切られている。
それから、今度は彼女の服装を見る。一言で言い表すならボーイッシュな格好だった。とても運動がしやすそうだ。たぶん、彼女は動くことが好きなのだろう。それを裏付けるかのように彼女はスニーカーを履いていた。
けど、そんなことはわりとどうでもよかった。何故なら、彼女の足が地面から浮いていたからだ。
「あれ?……えぇっ!」
あまりにもありえないものを見てしまったので驚くまでに時間がかかってしまった。
てっきり彼女は天井に張り付いていたりしたのだと思っていた。それもそれでありえないけど、そっちのほうが現実味があった。
「ねえ、じろじろ見てたと思ってたらいきなり大声出して……。もしかして、あなたって変態さん?」
睨むような表情から一転して今度は冷めた瞳でこちらを見てくる。
「いや、そんなんじゃないよ。……ただ、上から現われてくるような子ってどんな子なのかな、って思って見てただけだよ」
「ふーん?」
信じてないみたいだった。まあ、こんなこと弁解しなくてもいいか。
僕にとってはこの子の体が浮いているってことの方が重要だ。
「それよりも、さ。なんで君の体は浮いてるの?」
少し緊張しながら僕は聞く。それに対する答えはどんなものであれきっと僕の中の常識では当てはまらないものだろうから。
「……」
一瞬、悲しげな表情を浮かべる。けど、すぐにその表情を引っ込め笑顔を浮かべる。
「あなたは何でわたしが浮かんでると思うの?」
女の子は僕と目線の高さを合わせるようにふわり、と今よりも少し高い位置に浮かぶ。
「それがわかんないから僕は聞いてるんだけど」
「なんでもかんでも聞けばいいってものじゃないよ。ちゃんと自分で頭を使って考えることもしないと」
そう言いながら彼女は僕のおでこを一度だけ指でつついた。
「……わかった。じゃあ、自分で考えてみるよ」
僕は彼女につつかれたおでこを指でさすりながら答える。別に痛かった、というわけではない。ただ、女の子にこんなことをされたのが初めてなので少し不思議な感覚が残っている。
「そうそう、それでいいんだよ」
彼女は僕の気持ちに気付いた様子はなく何故だか楽しそうに笑っていた。
表情豊かな子だな、と思って僕は彼女の顔を眺めていた。まだ少し話しをしただけだけどその間に怒った顔、睨んでくる顔、冷たい瞳を向ける顔、楽しそうな顔、そして、悲しそうな顔とその直後の笑った顔。
「なんでわたしの顔をじろじろと見てるの?」
訝しげに僕の方を見てくる。
「いや、あの〜……」
正直に君が表情豊かな子だな、って思ってた、って言ったらあんまりいいことは言われそうにないような気がした。
なんで別のことを考えてるの、と言われるか、やっぱり変態なんだ、と言われるかのどちらかだと思う。
だから、
「君の顔を見てたら、君が浮かんでる理由がわかるかな、って思ったんだ」
と、言っておいた。
「ほんとう?実は、全然関係なことを考えてたんじゃないの?」
ただ、わがままなだけな子かと思ってたけど感も鋭いようだ。このままだとまた、変なことを言われかねない。
彼女が口を開きかけた。僕はそこへ割って入るように少女の質問に対する答えを口にする。
「君は、超能力者だったりするんでしょ?だから、君は浮かぶことができるんだ」
彼女の言葉を遮るように発した言葉だったから少し早口になる。それに、実は彼女が超能力者だとは微塵も思っていない。
本当は別の存在だと思っている。だけど、それは言葉にすることをはばかれるような存在だ。
「ぶ〜。残念でした。わたしは超能力者なんかじゃないよ」
子供っぽい口調でそう言って今度は右手の人差し指で僕の鼻の先に触れる。そんな彼女の仕草に僕はどきり、としてしまう。
「わたしはね、幽霊、なんだよ。……この世界に残るべきじゃないのに残ってしまった。そんな存在なんだ」
とても、悲しげな微笑みを浮かべる。たぶん、僕から悲しい表情を隠そうとしていたんだと思う。だけど、それを隠しきれなかったから見ている人にとって痛々しさを感じる微笑みとなってしまった。
このとき、僕はこの子に何かをしてあげたい、と思った。だけど、何をすればいいのかわからない。しかも、それ以前にこの子が何かをしてほしいと思っているのかもわからない。
だから、だからこそ、彼女の名前を呼んであげよう、と思った。
だけど、僕は彼女の名前を知らない。まだ、僕たちは自己紹介さえしていなかった。
「……そういえば、君の名前は?」
流れからして不自然な問いだとは思った。だけど、聞かずにはいられなかった。彼女の名前を知ることで彼女の悲しみを少し、和らげてあげられるような気がしたから。
だけど、そんなのは単なる建前でしかない。ただ、僕はこの雰囲気に耐えられなくなっただけだ。そう、僕はこの雰囲気から逃げてしまいたいだけだった。
「……?」
彼女がきょとん、とした表情を浮かべる。悲しげな微笑みは完全にその姿を潜めた。でも、結局は潜めただけだ、また、いつ外に出てくるかわからない。
「君の、名前だよ。……名前、ないわけじゃないよね?」
きょとん、とした彼女に理解させるように少しゆっくりとした口調で言った。
「わたしの、名前?」
確認を取るように聞いてきた。なので、僕は頷き返しておく。
「わたしの、名前は……優希、だったと、思う」
なんだか曖昧だった。もしかしたら、幽霊になってから長いのかもしれない。そして、その間、誰とも話をすることがなかったからその間に名前を忘れそうになってしまったんだと思う。本当にそうなのかはわからないけど、わざわざ聞くことでもない。
「優希ちゃん、でいいんだね」
こぼれ落ちかけている記憶という水をすくい取って入れ物の中へと戻してあげるように僕は聞いた。
「うん、そうだよ。わたしの名前は、優希だよ」
満足そうに頷いて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そ、優希ちゃんか。よろしくね」
今度は確認のためではない。彼女の名前を僕の中に刻み込むために彼女の名前を口にした。
「うん、よろしく。……って、まだあなたの名前を聞いてないよ。自分だけ相手の名前を聞くなんてナンパでもしてるつもり?」
非難がましくそんなことを言われた。て、いうか、優希ちゃん、一言多いよ。
そんなことを思っても本当に思うだけにして、口には出さないでおく。
「あ、うん、ごめん。……えっと、僕は深山広也っていうんだ」
「広也、だね。よろしく」
いきなり、名前の方で、しかも呼び捨てで呼ばれた。まあ、でもいっか。名字で呼ばれるよりも名前や呼び捨てで呼ばれる方がこっちも気楽だ。
「うん、改めてよろしくね、優希ちゃん」
僕は右手を優希ちゃんの方へと差し出した。優希ちゃんはそれを少しの間見つめてから同じように右手を差し出してきた。
僕はその手を握る。優希ちゃんも握り返してくれた。
彼女が幽霊だとは信じられないほど普通の人間の感触だった。
「そういえば、広也はなにするためにこんなところに来たの?」
手を放した途端にそんなことを聞かれた。少しだけ首を傾げている。
その言葉に僕はうっ、と言葉を詰まらせてしまう。
「もしかしてぇ、迷子なの?」
からかうような口調で聞いてくる。しかもわざわざ横を向いて流し目でこちらのことを向いてくる。そして、口元に手をあてて笑いを隠しているような、表情を作り出す。
たぶん、優希ちゃんは僕が迷子だってことをほぼ確信しているんだと思う。
「えっと、まあ、そうだよ。僕は道に迷っちゃたんだよ」
嘘をついてもすぐばれるんだろうな、と思って素直に認めておくことにした。
「ふぅん、そうなんだ。でもさ、なんで迷っちゃったのかな?」
いまだに僕のことを流し目で見たまま今度はなにか楽しいことを探すかのような口調になってる。たぶん、僕をからかう材料を探してるんだと思う。
「普通に山道を歩いててここに来たわけじゃないよね?ここ、山道から外れたところにあるからさ普通に歩いて迷子になったくらいじゃ来れないよね?」
「あ〜、えっと、それは、その」
言葉に詰まってしまってから自ら墓穴を掘ってしまったことに気がついた。
「どうしたの?なんで言葉に詰まってるの?」
優希ちゃんはにやにやとした笑みを浮かべてる。優希ちゃんに僕が掘った穴の中に正面から押されて落とされるようなイメージが頭の中によぎった。
「ねえねえ、ちゃんと教えてよ。どうやって道に迷ってここに来たのかってことをさ」
正面からじっと、僕のことを見てくる。少し気迫があって、僕は少し後ずさってしまう。
「いや、実は、ね」
「実は?」
「……好奇心に身を委ねて山道から離れたら、その、こういう風に、迷っちゃったんだ」
結局、正直に言ってしまった。
優希ちゃんは呆然としているようだ。と、そう思ってたら、
「あはははは、そ、それって相当馬バカだよ?好奇心で山に入って遭難するなんて普通、あえりえないよ」
爆笑しながらそんなことを言う。
「そこまで笑わなくていいのに……」
「だ、だって可笑しいだもん。こんなバカな人初めてみたよ!」
尚も優希ちゃんはげらげらと大きな声で笑っている。
なんだか僕は恥ずかしくなって優希ちゃんから少し顔を逸らした。そうしたら、窓から陽の光が入ってきていることに気がついた。
なんとなくだけど、その陽の光にでさえ僕のことを笑っているような気がした。目の前で明るく笑っている優希ちゃんのように。