6、残酷な自然界の法則にて。
―――鬼。
姿かたちは蜂だったり、鳥だったりそして人間だったりと多種多様を極め、外観からでは判断することは困難である。有形無形であろうとも、『鬼』たちにはある共通の特徴がある。
―――それは、『人間を積極的に襲うこと』。
この評価基準によって人類は鬼を識別して、退治対象として定めるのである。
鬼には特異能力を持つ個体も確認されており、まだまだ謎は多い。
先隊は蜂鬼の巣で作業を開始した。
まずは陣の形成と粘着トラップの設置、これらは時間がかかるので、なるべく静かでスピーディに仕事を進める連携プレーが求められた。幸運にも枝が重なったかのような巣の内装は糸を絡ませるにはもってこいの地形である。
健太郎は巣の最深部を警戒していた。
いち早く危険を感知できる聴覚に自信があるために、もっとも危険な見張り番をさせられているのである。悪玉と忌避の目で見られる彼にとっては独りで行動する言い訳になっているのかもしれない。
「ここまで順調だと、逆に怖いくらいだな」
そこへ来たのは先隊長の大門である。
健太郎に断りを入れる間もなく、彼の横へと図々しく身を寄せた。
「まだ陣はできないんですか?」
「もうすぐだよ、陣も粘着トラップも出来上がる。先隊としての仕事を立派に果たしたんだ。あとは『生きた蜂鬼』のサンプルを持って帰られれば最高なんだけどね」
「それは簡単でしょう。俺もいますから」
「流石に曲弦技師は頼もしいね」
皮肉を込めていったのか、健太郎には判らない。
「だからこそ判らない、キミがどうして鬼を殺すのか」
「……前も言った通り、鬼が有害だからですよ」
「それなら、どうして曲弦技師なんだ? 捕まえるだけならネットランチャー、ただ殺すだけなら振り子があるじゃないか。なのに、鬼捕獲に特化した『クモの縦糸』に加えて曲弦技を選んだ―――そして捕えた鬼さえ始末するのは理解に苦しむよ」
曲弦技はもともと捕獲のための技術である。
『糸』っを用いた戦闘法、相手の力で切ったり縛ったりする魔法。
圧倒的戦力の鬼に対して、『力』ではなく『技』で対抗するために編み出された。
鬼退治をするには最低限の曲弦技を覚えさせられるのだけれど、あまりにコストパフォーマンスが悪いことと資格習得に時間がかかるのでだれも曲弦技師にはなりたがらない。
それでも、健太郎は曲弦技師を選んだ。
「……、……」
「たしか、キミは聴覚への呪いだったよね? 強い鬼を捕獲すれば開発部の連中が検体から解呪のクスリを発明するかもしれないのに、わざわざ殺してしまうとそのチャンスもみすみす潰してしまうんだよ!? それでいいのかい?」
本当に嫌な性格をしている。
遠回しに断ったのだから、空気を読んで引いてくれたらいいのに。
内心を隠すようにくしゃり、と一度だけ前髪をかき上げた。
「べつに解呪が目的じゃありません、ある鬼を殺したいだけなんです。それには捕まえないと、確認できないじゃないですか。だから曲弦技師を選んだし、呪いを解くのはそのあとでいいです」
「つまりは復讐かい?」
「弟を、殺されました。もう三年以上前の話です」
それでも決して忘れられない。鬼殺しを止めようとも思わない。
そんな決意を込めて。健太郎は気持ちを言葉にした。
「俺は弟を呪い殺した鬼を捕まえて、殺すまで戦うつもりです」
―――しかし、最後まで聞き切ることはなかった。
まるで言葉を遮るかのように、液体が飛んできた。
それが返り血だと気づくのに時間は要らなかった。
「……え? なんだこれは」
先隊長は、首元へと手をやる。
黒い物体―――ちょうど黒板消しほどの大きさであるそれは明らかに生きていた、それが蟻であると気づいたころには、彼の喉は強靭な顎で抉られたあとだった。
先隊長は地面でのたうち回って、やがて息絶えた。
★★★★★★
―――蟻鬼。
人に襲い掛かる凶暴な巨大蟻、動きが鈍いのでこちらから手を出さなければ無害な蟻であるが、年に数人ほど死亡者が出るなど攻撃的な蟻である。
健太郎は天井を見上げる。
警戒色の蜂鬼が一匹だけ張りついていた。
どうやら索敵開始前からずっと息を殺していたらしく、健太郎の耳には異常としてとらえられなかったようだ。網目状に広がる天井に一匹だけいた。
―――こいつら、『共生』してやがるのか!?
クマノミがイソギンチャクに外敵から守ってもらうように、蜂鬼は蟻鬼に侵入者を排除してもらうようだ。たしかにこの地形ならば、蟻鬼の機動力をカバーして、さらに巣全体を守ることができる。
敵ながら感心するほどの連携である。
蜂鬼が天井を揺らす―――すると、天井にしがみ付いていた蟻がまるで雨あられのように先隊に降り注いだのだ。
―――大門先隊長はこれで殺られたのか!
気が付けば、巣内に響く阿鼻叫喚。
身体に飛び乗る蟻鬼を払い落そうとすればその手が噛まれ足を噛まれ、放っておけばそのまま体の中へと入ってくる。
痛みにのたうち回る者には、さらなる追い打ちが待っていた。
床へと着地した蟻鬼によって全身を切り裂かれた。
あっという間に血祭の情景となる陣内。
すべては、あの蜂鬼の仕組んだ攻撃だった。
圧倒的なまでの悪意―――鬼を心から憎む健太郎は―――キレた。
「ふざけんじゃねえッ! たかが蜂鬼の分際でよおおぉぉぉ―――ッ!」
左手のボウガンの矢を撃つ。
乱暴に放たれた矢は二十メートルは離れた天井の蜂鬼の首関節へと正確に突き刺さる。
そして刺さった矢を支点に尾に付いた糸を首にぐるぐると絡みつけてしまう。蜂鬼も反応できないほど一瞬で捕られてのけた。
さらに、糸を思いっきり引くことで天井から蜂鬼を剥がしたのである。
「お前らは人間相手になりふり構わず襲い掛かるだけの化け物、ただの鬼畜生だろうがああぁぁぁ―――ッ! 調子に乗ってるんじゃねぇッ―――」
続く連弾が蜂鬼を襲う。
糸に絡めとられた蜂鬼は健太郎が振り回すまま、それこそ縦横無尽に跳ね回った。壁や天井、通路に次々とバウンドしていくことで徐々にだが確実に蜂鬼を削いでいく。
彼が呼吸を整えるために、手が止まる、
その頃、鬼は文字通り虫の息であった。
★★★★★★
健太郎は正気に戻る。
キッカケは良心の呵責でも仲間の声が届いたからでもない―――単純に危険な音がこちらに向かって来てる、と感じ取ったからである。
彼が想像するなかで最悪とも呼べるシナリオであった。
―――蜂鬼の群れが巣から這い上がってくる音だ。かなりの数である。
健太郎はすぐさまその場から離脱する。
糸に絡まった蜂鬼を引きずりながら、撤退する。
彼の狩人としての勘が『ここにいれば死ぬ』とささやいたのである。仲間の死体を飛び越えて、何人もの生命が死にゆくなかで友達の声を探した。
「―――ぁぁぁぁ、助けてぇぇ―――ッ!」
「―――やめてぇぇ、痛、いぃぃ―――ッ」
まさに地獄絵図。とても聞けたもんじゃない。
それでも耳を傾けなければならない、大事な友達を見付けるために。
そして、ついに健太郎の耳は目標を捉えた。
「健太郎く―――ん、どこにいるの―――?」
受信するが先か動くのが先か、健太郎は走っていた。
地面に寝転ぶ人か荷物かさえ判らない何かを踏み越えて、跳躍した。
目視するよりも早く、ユーマを肩で担ぐ。
幸いにも小柄であるユーマを抱えることは決して難しくなく、肩で担ぐとそのまま勢いを殺さずに出口へと走る。この時、装備を含めると軽く六十キロはあるのだけれど、火事場の馬鹿力なのか、全然重くは感じなかった。
転がるように巣の外へと飛び出す。
というか、実際に巨大樹の根に足を取られたので比喩でもなんでもなく、本当に転んでしまった。同時に担いだユーマも地面に放り出される。
地面に投げ出された時の激痛に身を竦ませる。
なんとか、蜂鬼の巣から脱出することができた。
「健太郎くんッ! 動かないでッ!」
安心しきったところへ、ユーマが走り寄ってくる。あろうことかうつ伏せに寝転がった俺の背中をリュックごと踏みつけ始めたのである。あまりにびっくりして言葉に出なかったけれど、リュックの中を見てすぐに理解した。。
健太郎のリュックに蟻鬼が入り込んでいたのだ。
ユーマが蹴り殺してくれなければ、俺も噛まれていただろう。
「さ、サンキュー。危ないところだった」
「そんなことより、どうしよう。もうボク達しか残ってないよ」
状況は絶望的だ。
もうじき巣から大量の蜂鬼がわんさか出てくる。
それまでにできるだけ遠くへ、なるべく陣内へと逃げなければならない。時速六十キロを超える蜂鬼相手に鬼ごっこは無謀すぎる選択であった。
このままでは俺とユーマを含め先隊は全滅してしまう。
「それに、下山するのにこの向かい風を何とかしないと来たときの倍は時間が要るよ」
―――向かい風だと?
そんな時、健太郎の脳に神風が吹いた。
ここは樹海――近くに流れているマグマに暖められた空気によって気圧の変化が起きている。そのせいで地中ともいえる世界軸のなかでも風が吹いていた。夜でも暖かい山肌は本来ありえない深夜の谷風を起こしている。。
うまくしたら、蜂鬼を完全に撒けるかもしれない。
「そうだ、風だ! 風下へと向かっていけば奴らは匂いを辿って来られない」
「あ、なるほど! この山頂へと吹く追い風を利用すれば移動する時間も大幅に短縮できるし、もしかしたら蜂鬼を撒けるかもしれないね、やってみる価値ありだよ!」
「急がばまわれ、ってことだな。とにかく走るぞ」
健太郎は風を利用する作戦に出た。
ユーマと健太郎は陣と反対方向である山の頂上へと向かって走り出す。
この追い風が、未来への進撃であると信じて。
★★★★★★