4、途方もなく雄大な頭(かしら)
★★★★
鬼退治にもマナーがある。
世界軸の底から湧いてくる鬼は人智を超えた存在、ゆえに情報がないままの交戦は想像以上の被害を生み出す。効率的に鬼退治を進めるためにはいくつかの役割が課せられるのだ。
展開される部隊は三種類。
ひとつは先隊―――もっとも早く鬼と接触する部隊。鬼の風貌や性質、弱点を見極めることを使命とする。彼らの働きによってその後の戦いの難易度は大きく左右される。
ふたつは本隊―――実力者が多く揃う精鋭部隊。前情報を足掛かりに本格的な鬼退治を実行する。世界軸における成績優秀者がこぞって席を置く。
みっつめは殿隊―――鬼の残骸を回収する後詰め部隊。鬼退治したときに残った痕跡を消すことが主な仕事である。さらに世界軸において安全領域の象徴である『扉』を作る役目も担っている。
健太郎とユーマは先隊の志願兵として集会場へ来ていた。
「ボ、ボクなんかが先隊に来てよかったのかな?」
「いいに決まってるだろ? 早いもん勝ちなんだから」
「健太郎君はいいよね、曲弦技のスペシャリストなんだから。ボクみたいに何ももってない人間の気持ちが判らないんだよ。ただ敏感なだけの異常触覚ですぐにストレスが溜まって、停滞期に入っちゃうから。……ああ、お腹痛くなってきたよ」
「……、……」
ユーマは本当に自信がなさそうである。
確かに異常触覚は鬼退治の現場では有利に働く機会は少ないかもしれない。そのあたりちゃんと認識しているのでなおさら自虐が強まるのは至極当然の発想だ。
「あれ、そういえばナキリさんは一緒じゃないの?」
「ん? ナキリさんは香水作りに忙しそうだったぞ。なんかイライラしている感じだったな」
「きっとボクが健太郎くんを呼びつけたから怒ってるんだァッ!」
「それは、ないだろう」
「え? 本当にそう思う?」
「……、……たぶん」
さっきより余計にユーマは腹を抱えてうずくまる。
これでは鬼退治以前に緊張に参ってしまうだろう。
そんなユーマを目じりに、健太郎はまわりを見渡した。
半円を描いた集会場―――円卓テーブルには果物や飲み物、軽い食事がズラリと並んでいる。クエストの話をするためにギルドが用意した食事の数々である。やはり食事をしながら話すと仲良くなれるものだ。
今回は『蜂鬼の巣攻略』のクエスト目当ての人間が多い。
ざっと六十人ほどの人並みから、いかに注目されているかがうかがえる。そのほとんどが危険の少ない『殿隊』志望なのだろう。運が良ければ蜂鬼の巣の報酬を横取りできるからだ。
楽して成果を得たい、とみんな顔に書いてあった。
「キミは相変わらず緊張するとお腹がゆるくなるんだね、ユーマ」
うずくまるユーマの前に、その男は突然現れた。
クマと見間違うほど高い背丈と糸目の男―――赤ワインのジョッキを片手にズカズカとユーマの間に割り込んでくる。
その男の姿を見ると、ユーマは反射的に椅子から立ち上がった。
「あ、これは大門先隊長ッ! お仕事ご苦労様であります」
「そっちこそ今朝蜂鬼退治に行ったばっかりなのにまた来るだなんてよっぽどご苦労様だよ。それとも蜂鬼の巣狙いなのかな?」
「そ、それももちろんありますが……今回は彼が蜂鬼の巣デビューなんですよ」
改めて先隊長と呼ばれた優男を見る。
およそ感情を読み取れない顔だけれど、どこか自信が滲みでている風である。隊長に選ばれるくらいなのだから、それなりの実力者なのだろう、と健太郎は瞬時に値踏みした。
糸目の男はヒラヒラした民族衣装の恰好である。
ユーマはふたりの間に入って仲立ちしはじめた。
「彼が健太郎くんです。曲弦技の実力者であり狩人ギルドではプロ顔負けの実績を持ちます。曲弦技のスキルの高さは間違いなく本隊でも通用します」
褒められすぎて、背中がむず痒かった。
「そしてこちらが大門先隊長。防人ギルド随一の振り子の名手で、生身で鬼と取っ組み合いになっても負けないなんて伝説も囁かれている。見事に先隊の指揮官に抜擢された凄腕の防人なんだ」
―――振り子の名手。
地上で言う『ヨーヨーの使い手』である。たしかに素手で鬼退治するほどの剛腕ならば、振り子の遠心力と内臓バッテリーで強烈な一撃を叩き込めるだろう。
「……まだ若いのに先隊長とは、すごいですね」
「手放しに喜べる肩書きじゃないさ。ただ順番が来ただけだからね」
―――順番が来た、つまり先代が死んだということだ。
鬼退治では人間が殺されることなど、珍しいことではない。
「キミがあの『悪玉』か。防人ギルドでも有名だよ」
―――悪玉。
鬼殺しをするうちに健太郎に付いたあだ名である。
「……、……有名ですか」
「ああ、ゴメンよ。この呼び名は不味かったかな」
「いえ、それは良いんですよ。それより……どんな噂になってるんですか」
「『鬼のように強い新人がいる』ってね。通り名は危なっかしい男だと思っていたけれど、こうして直接会ってみればなんてころはない、普通の少年じゃないか」
「……そうですか」
大門は人懐っこい笑みを浮かべている。
「そんなキミが防人ギルドの依頼を受けるのには何かの縁だろうね。こうして出会ったのも何かの運命かもしれない―――だから、キミに聞きたいことがある」
大門はジョッキの中身をグイッと飲み干す。
「健太郎君はなぜ鬼を殺すんだい?」
声のトーンが少し低くなった気がした。
健太郎は、言葉を選ぶ。
「鬼は人類の敵です、理由なんてそれで充分でしょう。有害だからゴキブリを殺すのと同じです。それとも鬼を殺すことに意味は必要ですか?」
「……流石は『悪玉』なんて呼ばれるだけはある、じゃあなぜ鬼退治なんて始めたのかな? ふつうに暮らしていれば、少なくとも身の危険はないのに、さ」
「……恨みですよ、ひとりの人間によるささやかな復讐です」
吐き捨てるように言った。
無理やり本音を引き出されたようで、無性に気が立った。
「先隊長さんはどうなんですか? なぜ危険な先隊のリーダーなんてやってる人が鬼殺しを否定するんですか? 何のために鬼退治をするんですか」
「ん、私かい? 私はお金のために決まってるじゃないか」
正直な回答が返ってきた。
あまりに裏表のない言葉はいっそ清々しい。
「鬼退治はお金になる。さらに人類最後の砦である『防人』なのだから世間体もいい。気立ての良くて優しい、胸の大きな嫁さんを手に入れれば最高なんだけどね。たとえば救護隊長のナキリちゃん、とか」
「……自己中なんですね」
「ああそうさ、それゆえに私は誰よりも強い―――たぶんキミよりもね」
ピリっと空気が重くなるのを肌で感じる。
独特のどんよりした雰囲気は異常触覚を持っていなくても感じられた。特にそれを持っているユーマはふたりの間に割って入ろうか、と困惑している。
ーーあ、そういえば伝え忘れてた、と。
最初に話したのは大門からだった。
「先隊による蜂鬼退治は今夜決行する。名を挙げるにはうってつけの相手だ、その復讐とやらの戦歴に加えたいのなら来るといいよ。悪玉としてのキミに覚悟があるならの話だけどね」
その時はよろしく、と手をヒラヒラさせてその場を後にする。
そしてざわざわ、と騒がしい人混みへと溶けていった。
大門の背中を見送った後、ユーマはポツリ、と呟く。
「なんだか、先隊長怒ってたよね?」
「新人いびりだろ? 田舎じゃあよくあることだ」
「そんな言い方は良くないよ。それより、健太郎君は蜂鬼退治やるの? あの先隊長の言うことを聞かないといけないけど……?」
「とりあえず、行こうか。鬼の親玉を殺す時の身代わりになりそうだから」
「あ……ちゃんと鬼を殺す気満々なんだね。こういう時は頼もしいよ」
「それに、あのひと結構使えそうだし」
「……え、どういう意味?」
「ナキリさんから貰ったハンカチ、いくらで売りつけようかな」
ユーマは、聞かなかったことにした。
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