3、ほのかに香るナキリ。
その二、ほのかに香るナキリ。
★★★
ナキリ宅にて。
健太郎は特大円卓で向かい合って座る彼女へ話しかけている。
「……それで危険色の蜂鬼と対峙したけど、ユーマの持ってきたネットランチャーが上手いこと命中して、簡単に捕えることができた……、ってナキリさん? 俺の話を聞いてます?」
なにか考え事をするナキリを観察した。
白い肌が露出する浴衣、乱暴にまとめた総髪はちゃんと手入れすればもっと綺麗になりそうだけど、本人には別に気にしていない様子である。可愛い系より綺麗系の顔立ち、和装美人の風貌である。
健太郎とナキリは向かい合っていた。
ターンテーブルに着いた健太郎は『蜂鬼退治の話を聞きたい』というナキリの要望に応えて話しているというのに、彼女は話を聞いているのかいないのか判らない。
とにかく、ナキリは火にかけたビーカーに夢中だった。
熱した山吹色の液体へみかんの皮を入れてはすぐに出しての作業を繰り返していた。
健太郎は部屋の中をザッと見渡す。
植物に囲まれた部屋。室温管理が行き届いたすこし蒸し暑い室内には色とりどりの果物のや野菜、香り草が栽培されている―――まるでビニールハウスの中のようだ。
健太郎たちの座る椅子もターンテーブルもすべて木製である。それらは円を描くように配置されており、自然に囲まれた空間の中心にナキリと健太郎はいた。
とりあえず相槌のようなものは打っていた彼女は、健太郎の語りが止まったことに気付いてビーカーから少しだけ目を放して返事をした。
「なぜ殺したのですか?」
「え?」
「どうして捕獲した蜂鬼まで殺す必要があったのです? 生け捕りなら報酬も高かったでしょうし、なにより無益な殺生はいけません」
「ナキリさん。また説教ですか? 鬼は有害だからに決まってるでしょ? 蝿や蚊を殺すのと同じ理由ですよ。抵抗しようが無抵抗だろうが関係ない
じゃないですか」
「それでも……鬼だって限りある命です」
「……ナキリさんって、生命に優しいですよね」
――自分では、よく判りません、とナキリさんは言う。
手には試験管とビーカー、ピペット、そして机にはその十倍の数はある怪しげな薬瓶やら遮光ビンが散乱していた。ラベルはイタリア語かドイツ語か判らない(とにかく英語ではない)
ビーカーを熱して、ぐつぐつとなにやら錬金窯を連想させる光景である。
ナキリはそれをただジッと眺めていた。
そんなナキリを健太郎はまじまじと観察していた。
「また香水を作ってるんですか」
「ええ、いまは地表から入荷した夏蜜柑の皮を煮て薫りと色を着けています。ちゃんと見ていないとイメージ通りに山吹色が出ませんので、聞き流してごめんなさい。もうすぐ終わります」
「香りだけじゃなく、液体の色にこだわるなんて凝ってますね」
「夏蜜柑は太陽の色ですから」
―――特別に好きなのです、と上品に笑う
ナキリは香水に関してはプロ級だ
あきらかに雑な方法と独学で培った知識ではあるが、上質な香水を作りだ技術に長けている。それは彼女の異常嗅覚が重要なウエイトを占めるのだが、専門職者になりきれないのもまた異常嗅覚によるものだ。
ナキリは考えがよくわからない女なのは間違いない。
「それよりさっきの話ですが……仕留めた蜂鬼はどうしましたか?」
「え? 普通に市場へ流しましたよ。蜂鬼の毒針は医療用の注射針に使えますからね。現場でバラして残骸はその場で焼きました。依頼料とこみこみで六万弱、経費を含めるとひとり七千円くらいですね。命張ってるのにこれじゃあコンビニのアルバイト以下ですよ、割に合わないったらないですね……」
「ーーーならもう蜂鬼に近づくのは止めなさい」
少しだけキツい口調だった。
健太郎にはナキリが怒っている様子に見えた。
「……それは、どうしてですか?」
「健太郎君が死ぬからです」
真面目な顔で『死ぬ』なんて言われた。まるで未来を見通しているかのような彼女の口振りに健太郎は不思議な説得力を感じていた。迷いなく言い切るにはそれなりの根拠や自信、そして勇気が必要になるからである。
それでも、健太郎は発言の真意を問うた。
「地上に生息する蜂には死んだ時に『警戒フェロモン』を残す種がいますけど、これは外敵の危険を仲間に知らせるため、そして逆襲をするために作られるものです。そして世界軸に住む危険色の蜂鬼は死に際に『あるフェロモン』を放出すると聞きます」
「もったい付けずに教えてくださいよ」
「その名も『道連れフェロモン』、簡単に言うと殺した相手が死ぬまで消えない恨みの残り香です。死してなお仲間に外敵であると知らせる危険信号なのです」
―――道連れフェロモン。
なんと恐ろしいフェロモンもあったものだ。
まさか外敵が死ぬまで追跡する匂いがあるなんて、確かに脅威である。
異常嗅覚認定の人間には手に取るようにわかるのだろうか。
「健太郎君は蜂鬼退治は初めてでしょうから、知らないのも無理はありません」
「ちゃんと血の付いた糸はその場で焼いてきたし身体も洗いましたから心配いりませんよ」
「健太郎君の身体から道連れフェロモンが香ってきます」
「マジですか!? ちゃんと身体は洗ったのに……」
「どうせシャワーで流しただけでしょう? ちゃんと湯船に髪までじっくりと浸かって体中から匂いを取らなければ意味がありません。あと鬼退治の時に着た衣服、下着もすべて洗濯しなければなりません。念のためにしばらく蜂鬼には近づかないでください」
ナキリの剣幕に押されて、健太郎はぐうの音もでない。
彼女の正論にはうなずくしかないのである。
「わかった、わかりました。言われた通りします」
「あと、もうひとつだけ言いたいことが……」
ここでナキリは言いたいことを言えなかった。
健太郎の携帯電話の着信音であった。
着信は、ユーマからである。
アクセルを吹かした勢いのある音。それが突然ナキリの部屋に響き渡る。
ナキリはふと外へと目をやるが、別に車が止まった音ではない。
「あ、すいません。俺の携帯電話です」
「車のエンジン音……ですか? この世界には車なんてめったに走っていませんから珍しい。なんだかとても力強い音に聞こえます」
「この重々しい感じの音が好きなんですよ、世界軸ではめったに聞けませんからね」
ナキリは遠慮せずにどうぞ、と電話に出るように促した。
電話に出ると、思わず耳をふさぐほどの轟音が響いた。
「健太郎くんッ! ビッグニュース! すごい情報を仕入れたよ!」
「いきなり大声だすなよ、耳が壊れちゃうだろう」
「あ、ああゴメン怒鳴っちゃって。でも落ち着いて聞いてほしいんだ。一攫千金のチャンスが巡ってきたんだよッ! だから落ち着いて聞いてほしいんだよッ!」
「判ったから、なにがあったんだ?」
深呼吸した後、ユーマは答える。
「新種の蜂鬼の巣を見つけたんだッ!」
「……マジか!?」
健太郎は思わずガタン、と席を立つ。
蜂鬼の巣は世界軸の末端、新天地と呼ばれる場所にある。種類によるけれど、金銀財宝やレアメタル、天然ガスなどを貯めこんでいるものまである。さらに女王蜂鬼がため込むローヤルゼリーは絶品であり、ものすごく希少価値が高い。
確かに一攫千金の大仕事だ。
「ちゃんとした筋の情報だから間違いないよッ! ボクも含めて健太郎で四人組での仕事になるんだけど、健太郎くんも行くよね!」
「お……俺は……」
ナキリとの約束を思い出す。
―――しばらく蜂鬼には近づかないでください、と言葉が蘇る。
ここで頷けば、ナキリさんとの約束を破ってしまうことになる。
健太郎はナキリの方を見る。
もう夏蜜柑を煮る作業を終えて、ビーカーやら使った機器を洗っていた。どうやらこちらに関心はないらしく、せっせと手際よく洗い物を済ませている。
ちゃんと言われたとおり風呂に入って、念のために装備を新しくして行けば問題ないだろう。
このチャンスを逃す手はない。
「あとで作戦を立てよう。あ、それと蜂鬼を倒した時の装備は洗濯しなきゃダメだぞ。それとちゃんとお風呂で髪の毛までじっくり浸かって綺麗にしておけよ、潜水だぞ潜水。さもないと……」
「うん、うん判ったッ! それじゃあいまから計画の話をしようッ! それじゃあいつもの集会場でッ!」
……あ、通話が途切れた。
最後の言葉はちゃんと聞いていたのか、心配になる。
ともあれ、これで次の仕事が決定した。
「電話は済みましたか?」とナキリさんが確認する。
「はい、次の仕事の誘いです。どうしても俺の力が必要らしいので、これからミーティングするんですよ。あ、お風呂はそれが終わってからちゃんと入ります」
「……そうですか、気を付けてください」
「では、急ぎなのでそろそろ行きますね」
「あなたの部屋の鍵を渡してください。私がお風呂を準備しておいてあげますから」
「え? いいんですか? なんだか悪いですね」
「私の気が変わらないうちに、お友達のところへ行ってあげなさい」
「そうですね、助かります」
健太郎はピカピカ光る鍵を手渡す。
そして、ナキリに一礼した後は転がるようにして集会場を目指した。
「くれぐれも無茶はしないでください」
走り去る俺の耳に捉えた最後の言葉。
まるでナキリさんはすべてを見通しているかのような言葉だった。
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