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悪玉の鬼退治  作者: 菜月真直
 前章 蜂鬼退治。
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2、蜂鬼退治。

  ★



  ユーマは樹海を駆け抜ける。

 それは短距離を突っ切るほどの全力疾走ではなく、だからと言ってマラソンのように呼吸を整えて走るほど穏やかなものではない。

 人間の背丈を越える巨大樹木の根っこに足を取られないよう注意して、落ち葉に隠れた地面のデコボコで転倒しないよう気を払った。

 ユーマは素早く、しかし決して焦らずに樹海を走る。


「つ、捕まらないッーーー! 絶対に捕まるもんかッ!」


 ーーー命懸けの鬼ごっこは続いていた・

 いくら走れど、耳に障る不快音は止まない。

 地表でも危険で有名な人間よりも小さく凶暴な生物ーーー己の何倍もの体格差を持つ敵に引けを取らない攻撃力とどこまでも追いかけてくる機動力を兼ね備えた自然界のギャングである。

 いま追ってくるそいつは、人間にさえ容赦なく襲いかかってくる。


 ユーマの身体は小さい。

 華奢ともいえる体躯と生まれついての童顔はユーマの人生でマイナスに働くことが多かった。それでもいまこうして逃げられているのは、常人より身軽で小回りが効くからなので悪いことばかりではない。


 ユーマは目に入る汗を拭う。

 樹海用の肌着は汗でベッタリと皮膚に吸いつき、冷や汗で全身ずぶぬれになる感覚が気持ち悪い。水分をたっぷりと吸収したズボンと下着は境界線を見失ったかのように一体化していた。

 背負ったリュックを落とすまいとショルダーベルトを強く握りしめる。


 -ーー目の端で、黒い物体が動くのが見えた。

 そのあとにユーマは背負ったリュックがぐん、と引っ張られるのを感じる。あまりに強烈な引力に荷物は肩からすっぽ抜け、バランスを崩した身体はそのまま地面を転がるようにして止まった。


 そして、ユーマは目撃する。

 自分の背負っていたリュックが食い破られる瞬間である。

 登山用に改良した素材をまるで雑誌を縦に引き裂くようにしてむしり取っていた。

 身体は思い出したかのように、身体が小刻みに震える。

 ーーーすべては、この鬼から逃げる為だった。


「こいつ、デカいッ。ボクより大きな鬼になんて、勝てるわけないよッ!」


 ーー蜂鬼。

 人間大ほどの巨体と黄と黒の警戒色を示す屈強な外殻、その重量での滑空を可能にする大きな前翅と小さな後翅が確認できる。リュックの繊維を引きちぎる大顎に獲物を追いかけるためのセンサーとなる触覚、そしてしっかりと見開いた無感情の複眼である。

 足は四本しかなく、後ろ足だけが太く発達していることから跳躍したのはあの足だけで充分脅威となることは明らかであった。


  我に返ったユーマは走り出す。

 リュックに気を取られている今がチャンスなのだ。もう一度跳びかかられたら今度は喰いちぎられるのが自分なのだとユーマにはわかっていた。あの蜂鬼にとっては虫かごの中にいる獲物がいくら逃げ回ったところで別に構わないのだろう。

 リュックの中身を貪りながら、しかし目だけはちゃんとユーマを捉えていた。


  駄目だ、喰われる。と直感した。

 いつ後ろから跳びかかってくるのか判らないまま、それでも走らずにはいられない。

 あの不快音が再開したら最後、次は身代わりになるものなどないのだから。


「け、健太郎くんッ! 助けてッ!」


 そして、ユーマは知ることとなる。

 虫かごの中にいる生物が、みんな弱いわけではないということを……。


 返事の代わりにひゅん、と風を裂く快音が響いた。

 ーーー放たれた一本の矢。

 それはまさにユーマへ跳びかかった直後の蜂鬼の羽へヒットし、後続のワイヤーが羽を絡め取ってしまう。羽を失った蜂鬼は当然のように糸に引かれるようにして投げられた。

 飛ばされた先にある、六角形の粘着糸の束へと放り込まれる。


 蜂鬼の言葉にならない悲鳴が響く。

 まさにクモの糸で絡めとられた蜂の図であった。

 ジジジ、と歯ぎしりにも似た音を出して蜂鬼は力続く限りもがく。

 しかし動けば動くほど糸は関節部に粘着糸が絡まって、次第に動けないように固まっていった。

 その一部始終をやってのっけた本人が立っていた。


「怪我はないか、ユーマ。間一髪だったな」


「け、健太郎くん、ありがと。死ぬかと思ったよ」


 柿崎健太郎はどうも、と笑顔で答える。

 窮地でも微笑む肝の据わった性格とキャップからはみ出る天然パーマの髪が目立つ青年。人外の蜂鬼を目前にしても仲間を心配する余裕は戦闘力の高さを裏付けるのだとわかる。

 

「あんまり無茶するなって、こんな奴でも鬼なんだかさ」


「あ、まだ生きてるから近付かない方がいいよッ! 危ないからッ!」


「ん? なに眠いこといってるんだユーマ?」


  健太郎が近づくと、蜂鬼はキチキチと威嚇を始める。

 かろうじで首から上だけ糸にまみれてないのは狙ったからなのか、はたまた偶然かはわからない。蜂鬼の鳴き声はどこか助けを懇願している風にも聞こえる。


「鬼退治は『鬼を殺すまでが鬼退治』って決まってんだろ?」


  健太郎は、蜂鬼にトドメを刺した。

 懐から取り出した極細の糸を蜂鬼の首、頸椎の神経節を狙って絡ませたあとで勢いよく引き切ったのである。さすがに脳を失ってしまえばいかに蜂鬼と言えど生きてはいられないようで、頭を落とした途端に身体を丸くしてそのまま息絶えてしまった。


「あ、……殺しちゃった」


「鬼は退治しなきゃならん、そうだろう?ユーマ」


 ユーマはそれ以上追及できなかった。

 健太郎が鬼に対して恨みを持っていることも、鬼を殺すことに関してはストイックな反応を見せる理由も腹いっぱい判っていたからだ。

 間違いないのは健太郎が鬼を殺すことに、強いこだわりを持っていることだ。


「……すごかったよ、健太郎くんの曲弦技。ボクにはマネできないや」


「お前、俺の曲弦技をあまりあてにするなよ」


「どれぐらいまで糸を飛ばせるの?」


「だいたい二十メートル。それ以上は矢が命中しても糸を絡まらせることができんからな。俺の曲弦技の有効射程範囲ならこの樹海でも十メートルあれば確実に仕留められるから、さっきの緊急事態くらいなら対応できるぞ」


「えへへ、頼もしいよね。味方で良かったよ」


「だから期待するなってば、俺をプレッシャーで圧殺するつもりか」


  健太郎は蜂鬼を回収し始める。

 専用の機器で粘着糸を焼き切り、市場でも売れそうな部位を持って帰るための下準備だ。この作業にも相応の技術と経験が必要であるが、健太郎とユーマはそのやり方を習得していた。

 それでも、主にバラすのは健太郎の仕事である。


「あ、ボクがやるよ。せっかく助けてもらったんだから」


「お前、まだ触覚は生きているか?」


 ビクッと表情を強張らせる。

 どうやら知られたくない部分をピンポイントで突かれたらしく、返事はいまいちだった。しかし、返事をしなくても慌てふためく態度はもう答えているようなものである。


「正直に言えよ、ウソついたら脇腹くすぐるぞ」


「……無いよりはマシって感じだよ。さっきの逃げは結構ストレスレベルが高かったから」


「そうか、なら今日は止めとくか?」


「い、いけるよ。久しぶりに健太郎君と鬼退治できるんだもんッ! お願いだから止めないでよッ!」


「しかし、無理をしてもいいことないぞ。まだ一匹目だし……、それに呪いは我慢すればいいってもんじゃない」


 呪い、と言葉にユーマは凍り付く。

 ふたりを結びつける接点でありながら、普通の人間として地表へ帰れない原因である。


「け、健太郎くんの聴覚こそ大丈夫なの? 出まかせ言ったらネットに個人情報をばらまくからね」


「社会的に殺してくれるな。……俺の耳は全然平気だ。お前の声もうるさいくらいよく聞こえる」


「だったら、せめて見てるだけ。見てるだけでで足手まといにならないから」


「そんなにガン見されると無駄に緊張するんだけど?」


「あうあうあう」


  ユーマはさらに落ち込む。

 足手まといになりたくない、というある種の強迫観念を持っているのは明らかである。己の力量不足を実感しているのであろうか、それとも健太郎に役に立つ人間だと思ってほしいのかは判らない。

  ユーマは少し生き急いでいる。


「やせ我慢結構、無理ならすぐに俺に連絡してくれ。どうやらあちらさんもやる気満々のようだ」


  ーーーチチチッ、と歯ぎしりする音が聞こえる。

  健太郎が顎で示した先には、また蜂鬼がいた。

 しかも今度は少し様子が変だ。警戒色から赤と黒の危険色へと色彩を変えていた。

 ユーマはすぐに、蜂鬼の心境が分かった。


 ーーーこの蜂鬼は怒っている。

 身体から蒸気を吹き出したうえにキチキチと大顎を軋ませ、空気を揺らす不快音をより強く響かせながらこちらの様子を伺っている。

 瞬きをしているコンマ数秒を狙って飛び込んでくるのかもしれない。

 いずれにせよさっきのように楽観視できる相手ではないのは確かだ。


「いくぞユーマッ! 迎撃準備ッ!」


「お、およそ1.8メートル級蜂鬼退治、開始しますッ!」


 蜂鬼が跳躍したとほぼ同時、健太郎のクロスボウが火を噴いた。

 こうして、鬼退治の歴史は続いていく。



 ★

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