10、 鬼畜ネゴシエーション。
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『鬼』は『呪いを広める』ためにいる。
知能指数の高い鬼が増えれば、それだけ呪いの感染源が増えるということである。しかし病原菌にも近い鬼たちも人間相手に好きなだけ呪いを運べるわけじゃない。
鬼は『取引』を以って呪いを広める。
具体的に言えば『恨み』の感情を呪いに変換する儀式だ。
だれかを強く恨み妬む心が鬼の『取引』によって復讐の再現を可能にする。しかも直接手を汚すことなく、さらに死因さえ特定することができない呪いなのだから復讐には持って来いの手段だ。
具体的に例を挙げると。
まず被害者を激しく恨む『確信犯』が鬼と出会う。
次に『確信犯』が恨みに任せて鬼と『取引』して、被害者へ『呪い』を注文する。
最後に『実行犯』である鬼は、不治の病である『呪い』を被害者へ届ける。
被害者の不幸が新たな『取引』を生み出す。
これが鬼が行う『取引』である。
そして呪いを受けた者が心の傷になるものがある。
『鬼から呪われた理由』である。
実行犯はかならずといって良いほど、呪われた理由を残していく。それが新しい『災いの種』になるのだから、言わないわけがない。
普通が異常になった時、異常が普通になったころ。
呪いを受けた誰もが触れられたくない秘所。
トラウマ。
それが『呪われた理由』である。
「健太郎君が呪われた時の話を聞かせてください」
「……えー、そりゃ反則でしょ、ナキリさん」
「お願いします」
「いくらナキリさんでも、こればっかりは……」
「そこをなんとか」
「それ以外だったら、なんでも良いんですけどね」
「もう一声!」
「……なんか後半からふざけてません?」
健太郎は困惑する。
あっさりと話せるものではない。
だれにだって、秘密にしておきたいことはある。
「女王蜂鬼と対峙するにあたって、あなたの『鬼に対する恨み』の根源を知りたいのです。もしもあなたの地雷を踏んでしまえば、暴走しないとも限らないでしょう」
「……」
「お願いします、健太郎君」
――ふぅ、と思わずため息が漏れる。
このままでは女王の間へ着いてからもしばらく揉めるだろう。それにナキリさんに助けてもらった件を含めればこれくらいのお願いはおつりが来るほどのものだ。
なによりナキリさんにお願いされると弱い。
落としどころが必要だろう。
「じゃあ、俺と『取引』しませんか?」
「やはりタダでは駄目、ですか」
「はい、等価交換の原則に従って、ナキリさんも俺の条件を飲んでくれるなら、本当に仕方なく教えてあげますよ」
「できれば……優しいものにしてください」
「あくまで等価交換ですから」
――別に難しくないはずである。
なるべく怪しまれないように、ナキリさんに言う。
「ナキリさんの身体から出るオリジナル精油、あれを商品化してください」
「んー? 商品化、ですか?」
「はい、あれは非常に使えます。匂いのスペシャリストであるナキリさんにしか作れないでしょ? 研究開発に資金援助は惜しみませんから」
「しかし、健太郎君にどんなメリットがあるのですか? ああ、もしかして、この精油でたくさんの人間を鬼から守りたい、という正義の心に目覚めましたか!?」
「そんなまさか。商品化が実現したら、俺に精油の商標権をください」
「……なるほど、そう来ましたか」
心底落胆したような目で見下された。
――所詮はお金目当てか、と言わんばかりだ。
伊達に悪玉と呼ばれてない。
「いいでしょう、……『取引成立』です」
「決まり、んじゃあ忘れないでくださいよ」
「そっちこそ」
ナキリさんはそっぽを向く。
つかつかとさっきよりもちょっぴり早くなった足並みに合わせて歩く。
『取引』は絶対。
どんなことをしてでも守らなければならない。取引の原則を踏まえた上での同意は口約束でも有効である。お金に汚れた苦い条件でも、一度成立したならば、絶対に果たさなければならない。
――これからもっと苦い話をするのだけれど。
俺は意を決して、ナキリさんの背中に話し始めた。
「鬼は人の不幸に這いよります」
「はい」
「『鬼が人間に呪いをかけること』は知ってますよね?」
「ええ、私も呪われたくちですから」
「……ナキリさんの場合、誰かに恨まれて呪いをかけられたのでしょう。多くの人がそのパターンで呪いをかけられた被害者なのです。恨み嫉みの対象になるので自然と容姿端麗、才色兼備なひとが多いと聞きます」
そうですか、とナキリさんは相槌を打つ。
「ですが、俺の場合は別物です。被害者ではなくむしろ加害者と言っていいでしょう」
「……?」
「『人を呪わば穴二つ』ということですよ」
ナキリは黙って話を聞く。
いよいよ話の本筋へと入っていく。
ここからはもう戻れない。
鬼を殺したくなるような、陰気な話である。
「いまからおよそ五年前、ひとつ下の弟・康次郎が呪い殺されました。呪われた理由ははっきりしているんですが、犯人の顔は知りません。けれど弟を呪った相手は鬼と取引した『確信犯』であることは判っています」
「それはどうしてですか?」
「俺は、『呪い返し』で確信犯を呪ったからです」
呪い返し――呪い人に対して行うことができる仇討ちの取引。
康次郎を殺されたことによって発生した権利。
自らの肉体を『取引材料』に、相手へ数倍の呪いをかける。
健太郎はそのことを打ち明けた。
「弟が殺された直後、俺も鬼と呪い返しの取引を結んで――確信犯を呪い殺し返しました。『取引材料』として『聴覚』を差し出して、鬼に頼んで、恨みを晴らしてもらいました」
「そんな、酷い……」
「その代わり、見返りは十分すぎるものでした」
これ以上は言いたくない。
けれど、意志に反してペラペラと勝手に口が動き続けた。長年の積もった感情を吐き出すように、喉から自然と言葉があふれてくる。
もうどうにでもなればよかった。
「――感覚のレンタル、って言ってました。『取引材料』として捧げた五感は呪いをかける時に『実行犯である鬼』と感覚を共有できるんですよ』」
「……!」
「『聴覚』を犠牲にした俺は、相手の確信犯を呪い殺す時の断末魔をたしかに聞いています。偽物の可能性も考えましたけど、あの音声、フィクションにしては、出来過ぎでした」
「……」
「――確信犯は呪い殺せたんですけど、『実行犯である鬼』はすでに行方をくらましており、仇討ちをすることができませんでした。だから俺は、自らの手で弟を殺した鬼を見つけ出して殺さなきゃならないんです。それが俺の―――悪玉の正体なんです」
ナキリさんの歩みが止まる。
さっきまで一度も止まらなかったのに、なにか言いたいのか固まったまま動こうとしない。もしかしたら俺が呪い返しをした殺人鬼なのだから愛想を尽かしたのかもしれない。
ありえる話だ、生命に優しいナキリさんのことだから。
「幻滅したでしょ?」
「しません」
「口でならなんとでも言えま……」
「絶対にしません!」
怒気のこめられた否定の言葉が出る。
何に怒っているのかはよくわからない。
「あなたの怒りにどうして幻滅できるでしょうか? 理不尽な形で肉親を奪われたあなたの呪い返しをだれが非難できますか。あなたはなにも悪くない、ましてや『悪玉』なんかじゃなく、ただ普通の人間です」
――普通の人間なのです、と唸るように言う。
ああ、なるほど理解した。
――ナキリさんは俺のために怒っているのだ。
ある種の冷静さを持つ俺に対して、いまひとつ怒り切れない俺の様子を見て、代わりに怒っている。より強く握ってくる手が如実に語る。
「あなたの気持ちは確かに受け取りました。これから会う女王に関しても私から最大限の助力をさせてもらいます。ですからどうか、私を信じてください」
しばらくして歩みを再開させる。
ナキリさんの歩調は、少しだけ甘くなった気がした。
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