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ブラウンストーン  作者: tate
2: キー・マイルスト-ン
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-3-

 セントラル・アーシ・ステーションについて早々、チサトは公衆電話に走っていった。乗り物酔いも、一眠りしたらすっかり抜けたようだ。

 ワタリは二人分の荷物を片手に待つことしばし、十分もしないうちに彼女は戻ってきた。

「例の教授にね、訪問のアポを取ってきたわ。明日の十時にバーン教授の研究室を訪ねることになったわ」

「わかりました。大学の場所は?」

 ここよ、とチサトは地図をワタリに手渡す。

「駅から徒歩で行ける範囲にあるんですね。よほど古い大学か、創始者が金持ちだったか……」

「そうなの?」

「ええ。人が暮らせる領域は徐々に減少しているんですよ。プラントの老朽化は進むけど、新しく建築する技術はありませんから」

 歩きながら話しましょう、とワタリが出口を指差した。

「そういえば……私も小さい頃に引っ越したことがある。よくは覚えていないんだけど、プラントを破棄するから引越しをせざるを得なくなって、今の家を紹介されたんだって。ほら、うちのお父さん神父だったから、先代が亡くなった教会を紹介されたのね。ま、結局私の代で後を継ぐ人がいなくなっちゃったから、チャペルとしては全然機能していないけど」

「そうだったんですか」

 駅舎の外に出ると、空はすっかり黄昏色に染まり、街の至るところで街灯がつき始めていた。

 セントラル・アーシ・ステーションの正面は広いロータリーになっていて、数多くのタクシーが停車している。広めの歩道を大勢の人が行き交い、大通り沿いには小奇麗な店舗が行儀よく並ぶ。

「うわ……随分と人がいるのね……」

「都会ですね。旧時代の地図上では、プラントエルフィンの方が世界的な大都市だったんですけど」

 大通りを少し外れた狭い路地は薄暗く、店の通用口に紛れて小さな店が軒を連ねている。何を扱っている店なのかは、看板からは判別付けがたいものが多い。ワタリがきょろきょろと辺りを見回していると、路肩に座る人々が胡乱な目を向けてきた。

「う……裏路地はあまり治安がよくなさそうだなぁ。さて、どこに宿を取りましょうか」

「ホテルかぁ。安いところの方がいいわよね」

「てことは、路地を入ったところじゃないとダメですね。歩きながら探しましょう」

 駅から歩くこと十分程、路地を一つ入ったところにあるホテルの一室に宿を取ることにした。

「一泊八十ユーロですか、随分と安いですね」

 表に出ていた料金表を眺めながら、ワタリが感心の溜息を洩らす。

「安いんだ?」

「安いと思います。一人八十ユーロならわかるんですが」

「ふーん。安いのなら、それに越したことはないんじゃない?」

「まぁ、そうですね」

 四階にある部屋の鍵を受け取り、階段を登る。

「ちゃんと電気が通ってるんだ」

「大きな都市ですから、プラント全体をカバーできる程の発電施設がちゃんとあるのでしょうね」

 スタンドが薄暗く照らす室内はこざっぱりとしており、ダブルサイズのベッドとサイドテーブルが設えてある。サイドテーブルの上のバスケットには焼き菓子が入っており、細かい所まで気配りがなされているのが見て取れた。

「へー、すごいものねぇ。でもダブルベッドなんだ?」

 チサトが感心する中、ワタリは窓際に歩み寄ると外を暫く眺めた後に、さっとカーテンを引いた。

「ダブルしか部屋が空いてないって、下で確認したじゃないですか。まぁ、二人で寝ると狭いというのなら、僕は床で寝ますけど」

「……そういう意味じゃないんだけど」

「ん? ああ、大丈夫ですよ。僕はチサトさんに蹴られても全然平気ですから。夕飯は外で食べましょう。それだけじゃ、流石に足りないでしょうから」

 ワタリは焼き菓子の入ったバスケットを指差し、へらりと笑う。

 この様子だと、同じベッドで寝ても間違いなく何も起こらなさそうだ……チサトは内心舌打ちをしつつ、何か釈然としないものを感じつつ、頷くしかなかった。

 夕食から戻って早々、チサトはシャワールームに引っ込んだ。単に疲労がピークを迎えつつあったからだった。このままベッドの上に大の字になったら、きっと眠ってしまう。別に化粧をしているわけでもないし、ベッドにもぐり込んでも問題はないが、やっぱり旅の垢……という程の旅行でもないけど……は落としておきたいし、万が一があるかもしれないけど、やっぱりそれはないか。

 結局自分は、ワタリにどういう風に接してもらいたいのだろう、と自問する。

 チサト自身、彼にベタベタ甘えたいと思ったことはないし、彼に自分のことだけを考えて欲しいとか……は少し思わないこともないが、余りべったりな依存関係にはなりたくない。何より今の彼は身内のようなもので、無償の保護が得られている。そういう意味では、今の距離感は居心地はいい。

 ただ、この関係は、彼が他の女性に興味を示さないという前提が必要だ。そんな前提、今ですら成り立っているのかわからないというのに。

 直接当人に聞けば手っ取り早いのはわかっている。でも言葉にしてしまうと、これまでの関係に亀裂が入りそうなのだ。だからチサトは彼の領域に踏み込めない。そして、考え始めるとモヤモヤするので、いつも思考をここで打ち切る。

 蛇口をきゅっと捻り、頬を軽くつねった。

 バスタオルで髪を拭きながら、チサトはベッドに腰掛けた。

「あー、疲れたー……ワタリくん、シャワー使っていいわよ」

 カーテンを僅かにめくり、夜の街を眺めているワタリに声を掛けた。「わかりました」との答えは返ってきたが、彼は相変わらず外を眺めている。何を見ているのだろうか、とその横顔を見つめる。彼の目が細くなる、近視の人に多いその癖がチサトは何となく好きだった。

「何か変わったものでも見える?」

「いえ、そんなことはないですけど――チサトさん、すみません」

 不意にワタリが謝罪を口にしたかと思った次の瞬間、チサトはベッドに押し倒されていた。

「へ? ちょ……ちょっと!」

 チサトの抗議が聞こえていないのか、ワタリが体を彼女に密着させる。こんなに体が密着したことは初めてで、柄にもなく心臓がドキドキし始めた。胸が押しつぶされて、少し苦しいからかもしれない。ふわりと、石鹸の匂いがチサトの鼻をくすぐる。多分、ワタリが使っているシャンプーの匂いだろう。本当に彼からは体臭を感じないな、なんてことを感じて、ますますこそばゆくなる。

 気恥ずかしさを紛らわせるために、何だかベッドとワタリに挟まれたサンドイッチの具みたいだな、なんてことを考え始めた刹那、何かが顔に降りかかった。

 彼女たちの部屋の窓ガラスには小さな穴と放射状のひびが次々に入り、壁には見る見るうちに小さな穴が穿たれていく。

「な……何が」

「チサトさん、目を閉じていて下さい」

 耳元でワタリが囁いた。眼鏡の奥の目は割れた窓ガラスの方を向いている。剣呑な光が浮かんだ双眸に、チサトは何か見てはいけないものを見た気がして、咄嗟に目を閉じた。

 ぱらぱらと額に何かが降りかかるものを、ワタリの心臓の鼓動を感じながら、チサトは体を縮こまらせた。

 ワタリに組みしだかれたまま、どれぐらいの時間が経っただろうか。

 一分? 二分?

 やがて壁の穿たれる音も、チサトの上に降り注ぐものもなくなった頃、ワタリがそっとチサトの上から動いた。

 恐る恐る瞼を上げると、壁に張り付いて外の様子を窺うワタリが見えた。どんな表情をしているのかまでは見えない。肘をついて上半身を少し起こすと、部屋中にガラスが散らばっているのがわかった。壁には穴が数え切れないほど空いている。

「チサトさん。服と靴を持って、壁際を通ってそちらの角に移動してください。ガラスで怪我をしないように気をつけて」

 目が合うと、ワタリはそう言った。左手が窓際の部屋の隅を指している。

 状況が飲み込めないまま、そろそろと彼の言うがままに部屋の隅に動く。

「着替えて、外に出られるようにしてください。見ないようにしますから、手早くお願いします」

 チサトが頷くと、ワタリは壁沿いに荷物を取りにいく。財布から数枚の紙幣を取り出すと、サイドテーブルの上に置いた。

 外から入ってくる生温い風が、チサトの肌に当たる。夏でよかった、冬場だったら、今頃寒さで凍えてしまっている。

「ガラスが割れた程度では、警報機は鳴らないみたいですね。この状況では、今すぐ誰かが駆けつけてくることもないと思います」

「そ、そうなんだ?」

「僕達にとっては好都合ですけどね、この間にホテルを移動しましょう」

「部屋……このままでいいの?」

「仕方がありません。理由を説明しても面倒に巻き込まれるだけです」

「だって、フロントで記帳してたじゃない」

「適当な名前と住所を書いておきました、だから大丈夫です」

 ワタリが荷物を持って立ち上がった。チサトの着替えが終わっているのを見て、「行きましょうか、付いてきてください」とドアの方を指差した。

 部屋を出たワタリはまっすぐ非常口へ向かった。時折振り向き、チサトが付いて来ているのを確認しつつ、非常階段を下りていく。ちょうど、隣の建物の壁面に面しており、非常階段を下りる二人の姿に注目する人は誰もいない。

 非常階段を降り切り、その近くでダンボールを被り、横になっていた男性の脇を通り抜け、大通りに出る。随分と遅い時間にもかかわらず、通りは相変わらず大勢の人々が行き交っていた。ワタリはチサトの手を取ると、人の流れに乗りどんどん進んでいく。

 少し値が張るから、と先程は通り過ぎた大通り沿いのホテルに、空き部屋が残っているのを確認すると、チサトがいいとも悪いとも言わないうちに、ワタリはホテルに彼女を押し込んだ。

 目を白黒させているうちに、ワタリがチェックインを済ませる。「三階ですよ、行きましょう」と促されるままに、新しく取り直した部屋に転がり込んだ。窓を覗くと、眼下には大通りが通っていて、昼間よりは多少減ったようには見えるが、未だに大勢の人がそこを通り過ぎていく。

 時計に目をやる、ようやく日付が変わろうとしている頃合だった。

 ワタリがシャワーを使う音を聞きながら、とりあえずベッドに潜り込んだ。目が冴えて眠れるわけはないのだが、体だけでも休めておかないと。

 ワタリは数分程度で部屋に戻ってきた。

「あのホテル、今頃騒ぎになってるかな」

 朝になれば騒ぎになるでしょうね、とワタリが生返事を返してくる。

「……ねえ、結局何が起こったの? 流石にこの状況は、説明して貰わないとさっぱり解らないんだけど」

「うーん、何というか……機関銃で狙われました」

 ブランケットから目元だけを出して、髪の毛をタオルで拭いているワタリの背中を睨め付けていたチサトは、思わず上半身を起こした。

「機関銃? 何で……」

「さあ。四階全体が狙われたのか、あの部屋の周りだけが狙われたのかは、僕にもわかりません」

「周りの部屋の人達は無事なのかしら」

「右隣は空き部屋みたいでしたけど、どうでしょうか……騒ぎになっていなかったから、大丈夫だったと思いますけど」

 ふーん……と呟き、チサトはブランケットに潜り直す。ベッドに腰掛けたワタリの姿を見て、尋ねようか尋ねまいか、ちょっと気になっていたことを口にしてみる。

「ワタリ君さ、こういうことにやたらと通じてるよね」

「こういうこと?」

「そう。銃火器扱ったり、危険を察知したり、状況を先読む力とか……この間の、北の遺跡の一件もそうだけど」

「ああ、そういう意味ですか。前にちょっと話しましたけど、僕は五年ほど兵役していましたから、そのときに鍛えられたんだと思います。他人と戦うわけですから、銃火器の扱いや危機回避の術なんかは、最初に叩き込まれます。……プラントエルフィンには兵役はないみたいですけど、地域によってはプラント間で紛争が起こっていて、そういう地域では服役の義務があるプラントもあったりします」

「紛争……?」

「ええ、紛争です。理由は様々ですけど、老朽化したプラントがそれを維持するために、資源や設備、人を他所から奪ったり。純粋に支配目的で戦争をやるケースもあるみたいです。僕が居たのは、前者の方ですね。結局、人が住めなくなる程老朽化したので、プラント自体が解体してしまったんですけど。それが今から五年ぐらい前の話ですね」

「そうなんだ……うちのプラントは平和で何よりね」

 欠伸を噛み殺しつつ相槌を打つチサトを見て、ワタリがスタンドの電気を消した。

「今日の所はもう寝ましょう、お休みなさい」


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