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「今日、明日とお世話になります。ほら、ジノも挨拶しなさい」
「はぅう~……」
眠たげな目をこすっているジノの頭を、チサトが強引に押し下げた。その様子に、テート警部は微笑み、ワタリは単車にまたがったまま苦笑している。
空を見上げれば、西の空はまだ暗く、東の空がようやく白み始めた頃合だ。夏も盛りのこの時期、太陽がようやく顔を出した時間帯など、ジノぐらいの年頃の子供が起き出しているわけもない。
無理やり少年をたたき起こしたチサトは、テート警部に彼女達が不在の間、ジノの面倒を見てもらうようにお願いに来ていた。老齢の警部は、朝早くから押し掛けた不躾な三人を、いつもどおりの笑顔で当然のように出迎えていた。
ホント、この人もいつも笑顔よねぇ……とチサトは内心で感心する。ワタリがいつもへらへらしているのは、テート警部の笑顔が伝染したのだ、と言い訳くさく話していたことがあったが、この笑顔を見ていると何となく納得してしまう。これは確かに人に伝染しかねない、底知れない無尽蔵な笑顔だ。
「ジノ君はワシがしっかり面倒を見ておくからのう、若いもん同士、ゆっくり羽を伸ばしてきなさい」
テート警官のやや節くれの目立ち始めた萎びた手が、ジノの頭を撫でている。
その言葉に含まれた意味を察したチサトが、あわあわっと言い訳をしようと思ったところに、ワタリが横槍を入れた。いつの間にか彼はチサトのすぐ背後に立っている。
「すみません、本当にお世話になります。何せチサトさんが一人でプラントの外に出かけるなんて、心配で心配で……あだ!」
チサトの手の中に在ったファイルングケースが、いつの間にかワタリの頭を引っぱたいていた。彼女の表情が、余計なことは言わないの! とワタリを恫喝している。
「うっ……と、とりあえず、そろそろ行きましょうか。ある程度余裕があった方がいいと思いますし……」
ワタリはチサトが引きずっている大きな……一体何がそんなに入っているのやら……スポーツバッグを片手で持ち上げると、単車の横にくくりつけた。センタースタンドを跳ね上げ、ヘルメットをチサトに渡し、後ろに乗るように促す。
チサトはもう一度、テート警官に向かって頭を下げると、ヘルメットを被り単車の後ろに飛び乗った。ワタリも軽く頭を下げ、そしてアクセルを踏み込んだ。
二人を乗せた単車は、派手なエンジン音を立てながら駅に向かって走り出した。
「若いというのはええのう」
あっという間に小さくなった二人の背中を見送りつつ、テート警官が顎を撫でた。
「ワタリはあんまり若くないけどね。たまには二人っきりにしてあげたいと思うわけです、僕としても。ところでお爺さん、何かお菓子ある? 僕お腹すいたよー」
「そうじゃのう、早めのティータイムにでもしようかのう」
「……ホントにおやつの時間なんだ」
単車の姿が街道の向こうに隠れるまで見送った後、少年と老人は早速お茶の準備を始めた。
朝日が差し込む街道の真ん中を、ワタリの単車が疾走する。プラントエルフィンの人々の朝は早いが、プラントの中央街道を行き交う人の姿はまばらだ。
そして、しっかりと舗装されていない道は、高速で走るとかなり振動がくる。ワタリの背中にしがみつきながら、チサトは大声でその背中に話し掛けた。
「ねえ! これで隣のプラントまで行けないの?」
「行けますよ」
フルフェイスヘルメットの向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。
「今から予定変更してバイクで行きますか? プラントアーシぐらいなら、往復できると思いますし」
「いいよいいよ、予定通り行こう。あれに乗りたいって言ったのは私なんだし」
「わかりました」
会話が切れる。何となく気になっていることはいくつもあるのだが、この振動と騒音の中、声を張り上げて会話をするのも不毛だなぁ、と思ってチサトは口をつぐむ。
それから十分も走らないうちに、半壊した建造物が視界に入ってきた。今時、壊れた建物ぐらいで驚いたりはしないが、あの半壊した建造物が彼女達の目的地なのだろうか……
漠然と不安になって、チサトは怒鳴った。
「ねえ、あの壊れた建物が駅なの?」
「そうですよ。チサトさんってプラント内部のことには詳しいかと思っていたのですが、駅は行ったことがないんですか?」
「列車とは縁がないし」
「そうでしたか。地上部分は随分と朽ちていますけど、地下の本体はちゃんと機能しているはずですよ。メンテナンスはかなりしっかりとされているはずですから」
徐々に減速しながら、二人を乗せた単車と駅の距離が縮まっていく。距離が詰まるに連れ、案外駅の周辺には人の流れがあることが見て取れた。プラントエルフィン自体は片田舎であり、それほど人の出入りはないと思っていたのだが。
「思ったより人が居るものなのね」
「プラントエルフィンは都市プラント同士を繋ぐ中継地点ですからね。ここを通過する人口自体は結構多いはずですよ」
先にバイクを停めに行きます、とワタリは駅の入り口を通り過ぎ、裏手に回った。簡素な仕切りが作る空間に単車ごと乗りつけ、エンジンを停めた。
「着きましたよ、チサトさん」
促されて、チサトはバイクを降りる。タイヤロックを掛けるワタリの様子を眺めながら、「ねえ」とチサトはなんとなく口を開く。
「そのバイク、前々から持ってるのは知ってるけど、その……何ていうか、ガソリンとか維持するのに掛かる費用ってどうしてんの?」
「うちの裏手で野菜を作っているのは知ってますよね?」
「野菜……ああ、何か庭弄りしてるわよね。アレって野菜作ってたんだ?」
「うう、その口調だと知らないみたいですね……野菜を作っているんです。食事の材料にする他に、日用雑貨を物々交換したりしてますよ。コイツのメンテナンス費用も、そうやって捻出しているんですよ。覚えておいてくださいね」
「そうだったんだー……」
新聞の売り上げだけでは、赤字にも黒字にもならないことはチサトも知っていたが、だからこそ他所の新聞にも寄稿しているわけで、そういう諸々を合わせると何とかなっているのかと思っていたが、現実はそう甘くはなかったようだ。帳簿は全部ワタリに任せてしまっていたが、そんなことになっていようとは……
実は今月赤字なんです、と一言言ってくれればいいのに。野菜を作って頑張らなくても、チサトがもっと他社の仕事を請ければいいのだから。彼は些細なところで気を使いすぎである。
荷台にくくりつけてあった荷物を二つとも、ワタリが担ぎ上げた。
「さあ、行きましょう」
ワタリの後について、駅舎に向かって歩く。徐々に近づいてくる『駅』を、チサトはまじまじと見つめた。
この地下には、プラント間の移動手段である『列車』というものがあるのだそうだ。知識としては知っているが列車に乗るのは初めてである、少なくとも物心がついてからは。
大きな荷物を抱えた人が多く駅に入っていく姿を見て、プラント間を行商する商売人も結構居るものだな、と一人感心する。プラント外部からの宅配便や、定期的に届く新聞の類はこうして運ばれているのだろう。
うーん、不勉強だな……と己の怠慢を心の中で反省する。時間のあるときに、プラント間の物流がどうなっているのかリックに聞いてみよう。
「列車の運賃ってどうやって払うの?」
「切符制度がまだ残っていると思いますけど。前もって、行き先までの運賃を払って切符を購入するわけですね。で、目的地に着いたら切符を駅員さんに渡せば、駅の外に出られる、と」
「現金払いじゃないんだ」
「列車は一度に大勢の人を運びますからね。現金支払いだと色々な処理がかさんで、運行に支障が出ると思いますよ」
改札へ向かう人の波を横切り、二人は駅員が詰めている窓口まで歩いていく。その横には角の書けた料金表らしき板が立てかけられていた。それに従い、ワタリが必要な金額を財布から出して窓口に差し出す。
「プラントアーシまで、大人二枚お願いします」
「プラントアーシ行きかい。それじゃ、ホームは三番になるね」
切符を二枚、差し出しながら駅員は言った。ワタリははて、と首を傾げた。
「三番……ですか?」
「そう、二番線の切替機が調子が悪くてね、二番線に列車を入れられないのさ。錆びついちまったかねぇ」
「そうでしたか。他にトラブルなんかあったりします?」
いや、と首を横に振る駅員。
「トラブルはないが、結構時間が掛かるから弁当の一つや二つはあった方がいいかもしれんね」
切符を受け取り、その足で改札を切る。そのまま人の流れに乗って、三番ホームに向かう。プラントアーシへ向かう人はそれなりに多いようだ。
ホームには既に列車の姿があった。
四角い箱型をした客車が、それよりも一回り大きくやや流線型をした形の先頭車両に連結されている。その外装は擦り傷が至るところにあり、長いこと使われてきた代物であることは一目で分かった。
「何か……随分とお年を召しているようね」
「まぁ、そうですね。メンテナンスはちゃんと成されているはずですし、外もきちんと磨かれているようですから。駅員さんのアドバイス通り、弁当でも買ってきましょうか。荷物、お願いします」
そう言って、チサトをその場に残したまま、ワタリは売店へ歩いていってしまった。
手持ち無沙汰なまま、彼が戻ってくるのを唯唯待つ。なんだかよくわからないが、ワタリは売店の女性と盛り上がっている。年は若くない、リックの母親と同じ頃だろうか。ワタリが年のいった女性にウケがいいのは今に始まった話ではないが、待たせられてる身としては腹が立つ状況だ。
チサトはイライラし始めて、じとっと売店の方を睨め付ける。気配を察したのか、ワタリが慌てて戻ってきた。
「すみません。ちょっと顔見知りだったんで……」
「どこでお知り合いになったのかは聞かないけど」
「怒らないで下さいってば。お煎餅、オマケに貰いましたから」
別に怒ってないけどね、と若干トゲを含んだ言葉を洩らしながら、列車に乗り込んだ。中は意外と混んでいない。ワタリが適当な空席を見繕い、とりあえずはそこに収まった。
外見相応に、中身も随分とくたびれている。汚らしいわけではないが、小奇麗な内装でもない。手擦りを作る金属は、無数の人の手によりメッキがはげてツルツルになっていた。
「中身も外から見たとおりって感じが」
「でしょうね、今の技術では作れませんから」
「作れないの?」
「図面は残っていると思うんですけど、部品を作るだけの技術がないというか。その気になってやれば、アーティサン辺りだったら鋳型から作れると思うので、列車が全く運行しなくなる日は来ないと思いますよ」
「ふーん……」
「後は、こうして定期的に手を入れて、使ってあげることですね。こういう代物は、大切に飾っておくよりも、人が使った方が寿命が伸びますから」
チサトの希望で彼女が窓側に、ワタリが通路側に座る。
座席に寄りかかったワタリは、またすぐに身を起こすと上着を脱いだ。チサトに立つように促すと、それを座席の上に畳んで置いた。
「……何?」
「座席、硬いですよ。このまま座ってたら一時間もしないうちに腰にくると思います」
「ワタリ君は平気なの?」
「僕は平気です。訓練されているし、床の上に直に寝ることだって出来ます」
「そうなんだ。じゃあ、この好意はありがたく受け取っておくわ」
ぼんやりと窓の外に視線を移す。発射時刻が近いせいか、ホームを慌てて駆けてくる人がちらほらと見える。
間も無く、「列車が発車します、閉まるドアにご注意ください」という駅員のアナウンスが入り、列車は動き出した。
この辺りのプラント間を走行する列車は、地下道の中をひたすら走るだけの代物である。他の地域では線路が地上に敷かれていることもあるが、要は暗い洞窟の中を延々と走っているだけである。速度はそれほど出ていないが、設えられている古い座席には揺れを吸収する機能はなく、かなり揺れる。
チサトはだんだん気分が悪くなってきた。
「ワタリ君……どれぐらいでプラントアーシに着くのかな」
「え? どれぐらいって……」
文庫本に目を落としていたワタリが、その声に顔を上げた。視線を向けた先には、蒼い顔をしたチサトがぐったりとした様子で窓にもたれかかっていた。
「乗り物酔いですね。昨晩、ちゃんと寝なかったから……」
出先で原稿を書く時間が取れるかわからないから、と昨晩チサトは徹夜で依頼されていた原稿を執筆していた、と出掛けに言っていた。
チサトがどれ程乗り物に強いのかは知らないが、徹夜明けの良好とは言い難い体調にはこの揺れは堪えるだろう。
やっぱり……と内心思ったが、今更そんなことを言ってもどうしようもない。彼女も学習しただろうし、病人に鞭は打たない事にする。
ワタリは売店で購入した茶と、鞄から粉薬を取り出してチサトに手渡した。
「吐き気止めです、乗り物酔いに効きますよ」
「……うう、ありがと」
「後、寝てしまった方が楽になると思います。僕の方に寄りかかってもらってもいいですし」
「うう……お言葉に甘えさせてもらうわ」
冴えない顔で粉薬を飲み込んだチサトは、口元を押さえながらワタリの肩に頭を乗せた。
「後どれぐらいでつくのかしら……」
「どうでしょうか。弁当を勧められたということは、半日は掛かるってことですかね」
「半日……」
蒼い顔をしていたチサトも、徹夜明けが手伝って間も無く寝息を立て始めた。ワタリはチサトが座席からずり落ちないように彼女の肩を抱き、文庫本に目を落とした。
向こうに着いたら、もうお昼はとっくに過ぎている頃か。まずは宿を探さないといけない。そんなことを考えながらも、視線だけは何となく文字を追いかけていると、列車が停車した。
こんなところに駅でもあっただろうか、と窓の外を見遣っても、相変わらず墨で塗り潰したかのような暗闇が広がるばかり……いや、前方から僅かに光が漏れてきているようにも見えるが、駅がないことは確かだ。
客車にアナウンスが流れることもなく、列車はまんじりとその場に留まったまま。動き出す気配はない。
何だろうか。疑問に思い、後ろに座っていた老人に声を掛けた。その脇に置かれている随分と大きな籠の中には、野菜が入っている。行商人のようだ。
「兄ちゃん、列車に乗るのは初めてかい?」
「列車自体は初めてではないですけど、この路線は初めてですね」
「そうか。この辺はなぁ、よくトンネル内が崩れることがあってな、今回もそれで止まっているんじゃろ。一度崩れると、その辺りの地盤が緩んでしまうようでなぁ」
「はあ……復旧にはいつもどれぐらい掛かるんですか?」
「二時間か三時間か……崩れた土砂の量によるな。何せ復旧作業も人力だからのう」
ああ、これで更に到着が遅れるな。向こうに着くのは、夕日が拝める頃合になってからかもしれない。
「そうですか、教えて下さって有難うございました。ところで、野菜は鮮度が落ちたりはしないのですか?」
「そんなにはな。植物を舐めちゃいかんな、兄ちゃんや」
「そうですよね、野菜は強いですからね」
あははと愛想笑いを浮かべながら、会話を打ち切る。
プラントアーシに着いたら何がともあれ宿を確保しよう。前を向き直りながら、ワタリはそんなことを考えるしかなかった。