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ブラウンストーン  作者: tate
1: ファイナル・ストロー
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-3-

 書類が散乱するテーブルの上に、夕食が並ぶ。

 ここでは日が落ちると、人々は仕事を切りあげ夕食の席に付く。それはニューズグッドイヤーでも同じだ。人々の生活サイクルは、ゆとりがある。かつての世界のようにあくせくとした刻の流れはここにはない。

 あまり豊かな生活はしていない、ここの人々の食卓はいたって簡素だ。ワタリが冷蔵庫からグラスを取り出し、ダイニングのテーブルの上に置く。既に、ライ麦を使ったバケットと野菜サラダ、ジャガイモがメインのビーフ・ストラガノフが3人分、そこには並べられていた。チサトとジノは、既にテーブルについている。ジノはスプーンを握り、今にも食べだしそうなのに対し、チサトは頬杖を付いて先ほどまで書いていた原稿を読んでいる。

 ワタリは、チサトの前に置いたグラスに、泡立つ黄土色の飲み物を注ぎいれた。少し白く濁っている。自分のグラスにもそれを注いだ。ジノのグラスにはオレンジジュースを注いだ。

「何これ」

 目を上げたチサトが、目の前のグラスに入っている液体に目を留めた。相変わらず濁っているその液体から、ぷちぷちと気泡が湧き上がっている。

「ビールですよ、ビール。向かいの青果店のおばさんがくれたんですよ~。自家製だそうですよ、樽出し~、美味そうですね~」

 テーブルに着いたワタリが、ニコニコしながら答える。

「へー、珍しい。アルコールが並ぶなんて久しぶりよね」

 ワタリはビールが好きだ。ビール、というよりもアルコールは何でもござれといった具合だが、アルコールはその辺の店には売っていない。各家庭が細々と自家製の酒を造って晩酌を楽しんでいる。ワタリはその晩酌の楽しみを分けてもらってきたのだ。

「はーやーくー、食べようよ~。お腹空いたー」

 ビーフ・ストロガノフが入った皿をスプーンでかちんかちんと叩く、ジノの催促にせかされたチサトは、チェックをしていた原稿を脇に片付けた。ワタリが行儀が悪い、とジノをたしなめるのを目の端に、チサトは改めて目の前に並んだ料理の香りに目を細めた。

 彼女もスプーンをとった。

「じゃ、頂きましょ」

「わーい! いただきまーす!!」

 残ったバケットはそのまま、テーブルの上においてある。皿はきれいさっぱり、ワタリが片付けキッチンに運んでいった。チサトはコーヒーを入れ、テーブルの上に再び原稿を広げる。脇に置かれているソファの上には、ジノが足を投げ出して座っている。クッションを抱きかかえて、眠そうな目でボーっとしている。ソファの向こう側、キッチンからはワタリが食器を洗う音がする。

 いつもと同じ、変わらぬ日常。

 いつからこんな音がする生活になったんだろう……

 ふと、たまに考える。コーヒーから立ち上る湯気をぼんやり見ながら、手に持ったペンをくるくる回す。ワタリとジノが、この家に転がり込んできた日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 両親が亡くなって、一人で暮らすようになって、家庭的な音がしなくなった生活。寂しかったのは最初のうちだけで、そのうち慣れた。今でも一人、静かな生活を送ってた頃のことを懐かしむことがある。今の環境は楽しくもあり、騒がしすぎると、仕事をしているとふと感じるのだ。

 ソファの上でジノが寝息を立て始めた。ワタリがタオルケットを持って、ダイニングへ戻ってきた。それをジノの上に掛ける。そのまま、チサトの向かい側に腰掛けた。

「もう仕事ですか? 次の新聞発行は明後日ですから、もう少しのんびりすればいいのに」

 プラントエルフィンには新聞社が三社ある。前述の大衆ゴシップ紙 043 ニュース、チサト率いるニューズグッドイヤー、そしてセブンスビジネスニュース、以上三社だ。一つ一つに毎日新聞を出せるほどのリソースはない。そこで、三社がローテーションを組んで三日に一回新聞を持ち回りで出すことにした。協議の中で三社が合併するという話も出たが、方針が合わずに現在の三社持ち回りになった。ちなみに、日曜日……現在も七曜日制は生き残っている……は休刊日だ。

「でもねぇ何が起こるかわからないから、できる事はできる時にやっておかないと」

「真面目だなぁ、チサトさんは」

 仕事はできるときにやる、これが彼女のこれまでのポリシーであり、これは今後も変わらないだろう。

 ワタリは自分のカップから少し冷めたコーヒーをすする。チサトが書き散らかした原稿を一枚手に取り、それを読み始めた。原稿用紙の上では、チサトの細かい字が踊っている。眼鏡をずりあげて、まじまじと原稿を見つめた。

 彼が手に取った原稿は、先日発表になった新しいプラント名を取り上げた記事だった。

 新聞が三種類別々に発行していく上での弊害は、同じ記事を三日に渡って取り上げなければならない事が発生するということだ。三社が発刊日をずらして毎日新しい情報を発信するシステムにしているが、顧客の中には頑固者も多く、三つの新聞のうち一つしか購読していない人が結構いる。そこで三社は情報のギャップが少なくなるように、重要な出来事に関しては、例え前日の記事とかぶっていようが必ず掲載するという暗黙の了解ができた。

 ワタリが偶然手に取った記事も、暗黙の了解にのっとりチサトが書き起こした原稿だった。

 同じ題材を扱っていても、ライターによってその記事から受ける印象はずいぶんと変わる。記事の読み比べがワタリは好きだ。以前、三社が合併しない事に納得できないということをチサトに話したことはある。現状の三社分割持ち回り制度だと、三社の中で最も規模が小さなグッドイヤーはリソースが足りなくて新聞の発行が負担になるからだ。が、社の併合という意見は一蹴された。どうやら、方針があわないから合併はしないと頑固に言い張ったのはチサトのようだ。

 効率の悪さに苛立ちを感じつつも、このささやかな楽しみを満喫する今日この頃だ。

「暇ならワタリ君も何か書かない? 例の連続殺人事件の記事がね、特に書くことないのよ」

「記事ですか。うーん、今日の一品とか最近の食卓事情みたいなコラムでよければ書けますけど」

「それいいかも。とりあえず書いてみて。何も事件が起こらなければ使わせてもらうわ」

「わかりました、なんか書いてみます」

 カップの残りのコーヒーをすすり終わると、ワタリはソファの上で寝こけているジノを、寝室へ運んでいった。ワタリの背中を見送った後、チサトは再び原稿に目を落とした。



 水曜日、この日と土曜日がニューズグッドイヤーの新聞発刊日になっている。いつもながら発刊日の前日、暗くなってから当日の朝まで、ニューズグッドイヤーは重箱をひっくり返したような大騒ぎになる。

 新聞の印刷自体はそれ専門の店に発注しているが、何せ入稿できるのは発刊日前日の明け方になってからだ。ワタリが単車をかっ飛ばしてゲラ校正まで行った原稿を持ち込む。それを怒涛のごとく印刷屋の店主が紙に刷り上げる。刷り上った新聞がまだしっとりとインクで湿っているうちに、再びワタリが回収する。これらの新聞は、購読している顧客の下へ届けられる分と、店頭で売りに出される分、そして他のプラントへ輸送される分に分けられる。顧客の元へ届けられる新聞には、紙広告をいくらか挟み込む必要がある。紙広告は、広告代を得るため、また顧客らの需要により挟み込まれている物だ。この紙広告が届けられるのも、およそ刷り上った新聞を回収してくる時間帯になる。分量こそは少ないが、チラシを折り込むのは結構手間のかかる仕事だ。店頭販売分と他のプラントへ輸送される分は、早々に取り分けられ各取扱店へお届けにあがる。

 前者を担当するのがジノとワタリ、後者を担当するのがチサトだ。

 早朝に配達する新聞のセッティングまで終わり、小売店に新聞を届けに出ていたチサトが戻ってくると、夜食を兼ねたお茶の時間になる。夜更けもいいところだが、このまま日が昇るまで寝る暇がない事が多いため、結果的に早すぎる朝食になることもしばしばだ。

 その日のお茶の時間は、時計の針が深夜のニ時を回ってからになった。

 インクで真っ黒になった手もそのまま、ソファーにひっくり返りグーグー寝ているジノに外から帰ってきたチサトが毛布を掛ける。ハムをはさんだベーグルと熱いコーヒーを入れたマグカップをワタリが持ってくる。

「どうぞ」

 とマグカップをチサトに手渡す。

「ありがとう」

 と言って、チサトはそれを受け取る。

「今日は随分と遅かったですね、途中で何か遭ったんですか?」

 ワタリはテーブルの椅子を引き、そこに腰を掛ける。ジノの隣に座るチサトに優しい視線を送る。

「自転車のチェーンが外れちゃってね、直すのに手間取ってたのよ。リックが手伝ってくれたからよかったけど」

「へぇ……リックがねぇ……」

 ワタリはぼそりと呟いて、コーヒーをすする。

 チサトはワタリの意味深な呟きにツッコミをいれようと思ったが、やめた。どうせ彼に嫉妬のような黒い感情があるわけではない。なんとなく相槌を打ったに過ぎないのだ。

 そりゃ、確かにワタリ以外の身近な男性が自分のことを助けてくれたことに対して、ほんの少しでもジェラシーを感じてくれればチサトとしては万万歳だが、期待するだけムダだと思う。妙な話だが、ワタリやジノとはもう三年以上一緒に暮らしているが、あまり彼からオスを感じることはない。周りに比較対照になるような人材もあまりいないが、年齢の近い雑貨屋の二代目、リック=ハインリッヒと比べるとそういう印象を受ける。

 ワタリは着やせして見えるけど、実際には骨太ながっしりとした体つきをしているし、自分よりも頭一つ分背が高い。肉体的なものはその辺にいる成人男性と変わらないと思うのだが、性的な話が全然ない。外で女の子と遊んでるとか言う話も全然聞かないし、かといってチサトと寝たりするわけでもない。どちらかというと、チサトの方が奔放に遊んでいるぐらいだ。

 むしろ、ワタリがチサトを見つめる目は、愛する人を守りたいという男の目というよりも、娘を見守る父親のような印象を受ける。そうだ、あれは自分の両親であるレイナード神父の優しくて温かい、懐かしい眼差しを彷彿とさせるものだ。

 きっと恋愛感情はまったくないんだろうなと内心肩を落としつつも、それが恋愛感情ではないことに安心することもある。

 肉親に対する愛情の方が、恋愛感情よりもずっと深いものだから。

 今の関係が続く限り、きっとワタリは自分のそばにいてくれるから。

 ぼんやりしながらもそもそとベーグルを食べていると、黒い薄手のジャンパーを着込んだワタリが単車のキーを片手に入ってきた。本棚の上に置かれているレザーの手袋を取りに来たのだろう。時計の針を見ると、もう三時を回っている。

「あ、もうこんな時間……でもまだ配達には早くない?」

 戸口に立つワタリは、黒い手袋をはめながら振り向いた。

「実はですね、モラニスさんとこのご隠居がいつも三時ぐらいに目が覚めるそうなんですよ。この間会った時に、できればもっと早く新聞を配達して欲しいって言われてしまったので」

「で、今から配達に回るわけ?」

「そうです」

「律儀ねぇ」

「そうですか?」

「うん、まぁいいや。いってらっしゃい、気をつけて」

「行ってきます」

 彼はチサトの方をきちんと向いて挨拶をした。

 ワタリの消えた戸口の方をボーっと見ていると、彼がひょいと顔を出した。

「言い忘れです、僕のことは気にせずに寝てください」

 バカね、と言った。

 彼はひらひらと手を振り出て行った。単車のエンジン音が遠ざかるのを聞きながら、コーヒーをすすった。


 この街の人々が早起きなのかはわからないが、新聞を配達しに行くとポストの前で待っている人がいることが多い。今日もそうだった。新聞を早く配達して欲しいと言っていたモラニス老人を始め、近所の老人達が新聞が来るのを待っている。と言っても、お隣同士雑談に花が咲いていることが多いため、これも年寄りにとってはコミュニケーションの場の一つになっているようだ。

 ワタリは新聞を手渡すついでに、彼らを話し込んでしまうことが多い。単車に乗ったまま、三十分近く取りとめもない世間話に興じてしまう。配達先の割に時間がかかるのはこのせいだ。

 雑談をしつつ、寄り道をしながら配達をする。

 最後の新聞を配達する頃には、もう六時近くになっていた。

 最後に配達する先は、ローウェル家のポストだ。ぼーっとしながら単車を走らせていくと、家の中からエルフィンが出て来るところが見えた。ショールを胸の前でかき合わせている。

 一日のうちで最も気温が下がる時間帯、ひんやりとした空気が街を包み込む。

 ワタリが手を振ると、エルフィンも手を振り返した。

「おはよう、ワタリくん」

「おはようございます。ハイ、新聞です」

「ありがとう」

 エルフィンが白い手で新聞を受け取る。と、何か言いたげな顔をしたワタリがエルフィンの目に映る。

「たまたま早く目が覚めちゃって。ちょっと散歩でもしようかなと思ってね」

「ははぁ、最近は気候がいいですからね。今日もいい天気になりそうです」

 ハンドルに両ひじを乗せ、空を見上げる。淡い青色をした空には、薄い雲がぽつぽつとなびいている。

「でも一人で散歩って……危なくないですか?」

 ワタリの言葉にエルフィンはきょとんとした顔をする。

「そう?」

 小首を傾げた。

「例の連続殺人犯、まだ捕まってないじゃないですか。いくら明るいとはいえ、まだ人通りも少ないですし……」

「心配し過ぎだって! もう明るいんだし、皆起きてるでしょ? 大丈夫よ」

 朗らかに笑うエルフィンを見て、ワタリは妙に不安になる。こうして自分と楽しげに話している様子を奴らに見られたら、それだけで彼女がターゲットになる確率は一気に高くなる。しかも当て馬として利用されるに違いない。そのために、それだけのために、自分と人同士のコミュニケーションを築いてくれる人を失うのはやはり忍びない。

 幸い、今は周囲にそれの気配を感じることはないが、油断は禁物だ。

 ……そうだ。顔では笑っていても、いつも周囲に気を配り緊張している。これが自分にとっての普通だから苦痛ではないが、目の前にいる人間がそういう自分に気が付いたらどんな顔をするだろうか。いや、気が付かれたとしても自分は構わない。他人の評価を気にするのは愚昧だ、そんなものに振り回されたって利益などない。

「本当は散歩にお付き合いできるといいのですけどね、配達が終わったことを報告しに戻らないといけませんから……気をつけて」

 ワタリは単車を百八十度ターンさせる。笑顔を作り、エルフィンに別れを告げた。彼女の身に何も起こらないことを期待しつつ。


 くふくふと笑いながら誰もいない道を歩く。今日は朝から運がいい。たまたま表に出てきたところにワタリが来るなんて。ラッキーだった。彼には会おうと思えばいつでも会いに行けるけれど、向こうからこちらに来てくれるというのがやっぱりいいと思う。

 何気なく路肩に止まっている車を追い越すと、その運転手に声を掛けられた。

「すみません」

 振り向くと、運転席の窓を開け若い男性が顔を覗かせている。

「ちょっと迷子になっちゃったんですが……」

 男性は気さくなに笑顔を作る。

「どこに行きたいんですか? この辺は詳しいのできっとわかると思います」

 無防備に車に近づいた。今思えば、ちょっと警戒心が足りなかったように思う。彼女が近づいてくるのを見て、男性は勢いよく車のドアを開けた。

「きゃ!!」

 突然ドアに襲われた彼女は、当然避けることなど出来ず顔面を思い切りドアにぶつけた。その勢いで地面に倒れる。鼻血が滴る感触がする。

 頭を打ったせいか、世界がぐるぐる回る。よろよろと起き上がる。そこに誰かが近づいてきた。多分、車に乗っていた男だ。手で鼻血をぬぐう。

 ――記憶に残っているのは、そこまでだった。


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