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ブラウンストーン  作者: tate
5: プロファード・ハンド
26/28

-4-

「パリから地上には出られないと言っていたが」

「ああ、裏は取ったよ。確かにパリ行政区の権限で斜行エレベータの運行停止と外郭ゲートへの物理的ロックが行われている。斜行エレベータの方はPMSを常駐させているようだよ。そういう仕事が発注された痕跡をネットワークで見かけたからおそらくは。何つっても、あの隊長が言ってたことだからねえ。生半可な事はしてないだろうねえ」

 チサト達はその後これと言った襲撃を受けることもなく、エリアA近くのホテルの一室に滑り込んでいた。ベッドの上にワタリとレッシュが陣取っていて、二人してブックタイプの端末を覗き込んでいる。二人がエスペラントで会話をしている事もあり、チサトも遠慮せずに傍らから画面を見てはいるが、何のことかさっぱりわからない。

「ダクトなら通れると思うけど」

「それは僕一人ならいいですけど、アシストがなければチサトさんは無理でしょう」

「アタシだって無理だからねえ」

 ワタリは腕を組んだまましばらく端末の画面を眺めていたが、ふうと息をついて腕を解いた。

「予定通り、パリを経由してのんびりランスまでドライブするしかなさそうですね」

「リニアで移動してもいいと思うけど。途中からアンダーパスに入れるところもあるから、逃げ道のないドン詰まりではないよ」

「それも考えましたが、ランスに辿り着くことが最終目的ではないので」

「ああ、そうだったね」

 それで話は付いたのか、レッシュが立ち上がった。適当に脱ぎ捨ててあったジャケットを取り上げると、ドアへ向かって歩いていく。

「特に見張りとかしないけど、いい?」

「ええ、別に必要ないでしょう」

 それじゃあお休み、と言い残してレッシュは隣の部屋へと消えていった。

 ふと視線を戻すと、相変わらずワタリは端末の画面をなぞっている。

「何かまだ問題があるの?」

「ええ、大した問題ではないのですが。偽装用に渡したIDがありますよね」

「うん」

「パリに入るときにIDチェックを通らないといけないのですが、このIDももう把握されているだろうと思って」

「把握されているとどうなるの?」

「ID認証を掛けたログが相手のところに送信されて、僕らの居場所が特定されます。ログが送信されるまでにタイムラグがあるので、その間に移動してしまえばその場は凌げるのですが、都市ゲートの警備員が敵ではないとは限らないので、僕のIDを使うのが一番安全だろうという結論に至ったところです」

「ワタリ君本来のID?」

「ええ、伝家の宝刀です。チサトさんには免罪符と言った方が分かりやすいかもしれません」

「冗談……じゃないわよね」

 もちろんです、と笑い声混じりで返された。

「本当に何でも出来るIDですよ。現実に本当に何でも出来るかというと、コントロール出来ない個人にまでは干渉できませんが、社会的な壁は一切ない代物です。その代わりすべての行動が記録に残されて、誰でも照会できるようになっているんですが」

「それは、ワタリ君がその……ファイアブリックという団体に居たから?」

「ファイアブリックは超法規的武装集団なので、本業に支障が出ないように個人にも大きな権限は与えられてはいます。それでもいろいろな書類申請を一足飛びに出来る、独断での任務遂行が許可されている程度です。レッシュが持っているIDがそうですね」

「……私の本当の父さんが持っていたのもそう?」

 ワタリは少し目を張った。いつもより少し長く、チサトの顔を見つめてから、「そうです」と小さく頷いた。

「僕のIDはもっと別物です。チサトさんはヒトがどうやって生まれてくるか知っていますか?」

「そりゃまあ、精子と卵子が受精してって程度の話なら」

「精子と卵の中にヒトを作るための情報が一セットあるわけです。それを人為的に再現出来たら、ヒトが作れると思いませんか?」

「うーん……多分出来る、んじゃない?」

「そう考えた人達がそれを実行して、実際にヒトを作り出していた時期がありました。もちろん成功するケースの方が少なかったし、色々な問題があって今は禁止されていますけど」

 奥歯に物が挟まった言い方をするワタリの態度に内心首を傾げたのと同時に、ぱちんとチサトの中でピースがはまった。

「変な言い方だけどワタリ君もその、何というか、作られたヒトなの?」

 「ええ」とさも当然とばかりに、顔色一つ変えずにワタリは頷く。これまでそんな様子は見せたこともないし話題に挙げたこともないのだから、少なくともワタリにとっては話したい話題ではないはずだ。それなのに、今日の夕飯はどうします? とチサトに尋ねるのと全く同じ顔をするワタリに、チサトの方が罪悪感を覚えてくる。

「種としてのホモ・サピエンスを逸脱しない程度に遺伝子を操作した上で、自律的に思考し行動するサンプルですからね。データの収集目的であらゆる行動に制限がないんです。そんなデータに何の意味があるのかはもう誰にもわかりません、プロジェクトは随分前に解散になりましたから研究利用はされていません。それでも慣例的に僕らのデータは収集され、都合よく利用されているわけです。そんなわけで、僕のIDは伝家の宝刀なんですよ」

 そう言うと、ワタリは一方的に話を打ち切った。またやってしまった、とチサトは臍を噛む。

「……私ってそんなに考えてる事が顔に出る?」

「考えている事ではなく感情が顔に出ますよね。でもあながち悪いことではないと思います。少なくとも僕には好印象です、謀には向かないですけど」

 微妙にワタリが表情をゆるめた。

 リヨンの白人街に行ってから、ワタリは気負ってない自然な笑顔を見せるようになった、とチサトは思う。もちろん当人に確認はしていないけれど、三年も近くで見てきているのだから間違いないと思っている。

 プラントに居た頃はもっと分かりやすい笑顔だったけれど、あくまであれは符号的な表情だったようだ。「敵意がないことを相手に伝える手っとり早い手段なので」とあのわざとらしい笑顔を言い訳するのだろうなあ、と今ならわかる。

「ねえワタリ君」

「なんです?」

「私の父さんってどんな人だったの?」

 そうですね、と曖昧につぶやいてからワタリは黙り込んだ。

 しばらく考えた後、「良くも悪くも常識の枠に捕らわれない人でした」とチサトの問いに答えた。

「もしかして、あんまり答えたくない?」

「どうしてそう思うんですか」

 一瞬言葉に詰まってから、

「リアルト・オースティンという人を処刑したのがワタリ君だって聞いたから、その、やっぱり話しにくいのかなって思って」

 率直に思っていることを口にした。変に隠し立てをする方が後ろめたい。

「そんなことはないです。ただ人間としてどうだったかと問われると、特に分析をしたこともなかったのですぐには答えられないだけです。傭兵としてどうだったか、という問いに関してはかなり正確に答えられると思います」

「傭兵として?」

「仕事を遂行する上での能力と言った方が分かりやすいですね。リアルトは非常に優秀な人間でした。僕の知る限り、彼よりも秀でた人間は居ません」

 意外、べた褒めだった。こんなに手放しで他人を認める発言をするところは、見たことがない。あまりの珍しさにまじまじとワタリを見つめてしまう。

「僕や隊長は戦時下にアジャストされた人間なので、傭兵としての適正が高いのは当たり前ですし、レッシュもある程度遺伝子レベルで選別を掛けているので秀でた能力を持つのは当然なのですが、リアルトは全く人為的な操作は受けていませんでした。それなのに、僕よりも身体能力が高いんですよ。おかしいですよね」

 チサトの中にワタリとの比較対照は持ち合わせていないが、ワタリの身体能力が高いのはわかる。その彼がこれだけ言うのだから、チサトの父親の能力も推すまでもない。

 リヨンの白人街の女性達の言、昼間出会ったジャンク屋の店員の話、いずれもリアルト・オースティンという人物を英雄視していた。それはおそらく、ワタリが賞賛している身体的な秀でた能力が故なのだろう。

「それが故に、彼はナチュラルの間で英雄になりました。虐げられ劣等感にまみれた白人達から生まれた超人ですよ。でもリアルトにはそんな期待に応える気は更々なかったように思います。薄々感づいてはいただろうけど、大衆迎合的な英雄像を演じなかったんです。まあ、何というか……やりたい放題だったというか、裏表がなさすぎたというか」

 やりたい放題? と首を傾げる。

「リヨンの白人街、娼館がありましたね。あそこの女性に入れこんで子を設けてしまったぐらいには。そんなことをしたら、ただではすまないことぐらい分かっていただろうに」

「それってやっぱりまずいの?」

「ここではとてもまずいです。チサトさんには感覚的に分からないと思いますが……そうですねえ。プラントに現れたばかりの得体もしれない僕が、既成事実を作った上で、エルフィンさんを下さいといけしゃあしゃあとローウェルさんに申し出るみたいな感じでしょうか」

 もしそんな事態に陥ったら、ローウェル氏が猟銃を持ち出し、プラントの若い衆総出でワタリの息の根を止めに走るだろう。想像するまでもなく、プラントとしての社会機能は麻痺して大混乱になる。

「それはプラントあげての大事だわ」

 不意にワタリの携帯が呼び出しを告げた。それを一瞥したワタリは怪訝な面持ちで取り上げる。

「ハロー?」

 英語で話し始めたのを見て、チサトはこっそりと翻訳機をオンにする。

「そちらから連絡してくるとは珍しい。何か問題でも?」

 相手の会話は聞こえてこないが、ワンテンポ遅れてワタリの言葉がエスペラントに翻訳される。

「ワーム? それはまた節操のないことを。分かっている、それだけ連中にも余裕がなくなってきているということだろう。警告に感謝する。そうだ、一つ頼みたいことがあるのだが」

 大した押し問答もなく、二日先の日時を告げるとワタリは電話を切った。

「今の電話って、昼間の人?」

「ええ。僕が調達してきたIDのログを拾うワームがネット上に広がっているらしくて。そうですね、平たく言えばこのIDを使うと自分の居場所と何をしたのかをみんなに知らせてしまうわけです。まさか偽造IDのログまで浚おうとしてくるとは、想定していませんでした」

「つまり、もうこれは使えないってこと」

「そうです、ネットに照会するような用途には無闇に使えなくなりました。これで以降は僕のIDを使わざるを得なくなったので、迷う余地もなくなって良かったです」

 話が切れたところで、シャワー浴びてくるとチサトは立ち上がった。

 思い切ってチサトの父親をワタリが殺したという点に言及してみたが、彼からは特に反応が返ってこなかった。正直なところを言えば、顔もよく覚えていない男性を、父親として感慨を持って受け入れられるほどの素地がない以上、その生死にもあまり関心は湧いてきていなかった。見知らぬ他者の死を無感情に見聞きしている。そんな自分が、これ以上ワタリの私情を詮索するのは流石に気が引ける。

 これ以上リアルト・オースティンという人物のことをつつき回すのはやめよう。


 翌日、オルレアンからパリへ車を飛ばして向かった。都市ゲートの検問はワタリが応対しただけで、特に問題なく通過できた。

 パリに降りてきたのは一週間程前の話なのに、もう何ヶ月も経ったような気がする。

「随分とすんなり通れたね」

「時間をロスしなくてよかったです。とりあえず昼食にしましょうか」

 三人が揃って、オープンテラスのあるカフェで軽食を取る。大通りに面したテラスはひどく見晴らしが良く、こんなに視界の通るところいたらチサトを血眼で探している人達にも見つかってしまうと思うのだが。

「堂々としていればいいよ。相手が相手だからね、こそこそしたところで見つかる時は見つかるし、それにこんな人通りの多いところでは仕掛けてこないさ」

 ベーコンと葉物野菜を挟んだバケットサンドを口に運びながら、レッシュは気軽にそんなことを言う。チサトが余程腑に落ちない表情を浮かべていたからか、

「本当のところを言うと、アンタの席は狙撃ポイントからは死角になるし、アタシとワタリで360度フォローはしているから大丈夫」

 と肩を竦められてしまった。

「これからどうするつもりさ。パリで一泊するの?」

 レッシュはワタリへと視線を投げた。

「いえ、足を調達し直したらランスへ向かいます」

「うん? セーフハウスの一つや二つ、ここにもあるだろ」

「多分隊長には押さえられていると思いますし、敢えてパリに留まる必要もないですから」

「そう……じゃあ、アタシはここで別れるよ。二手に分かれたら、イヤでもアタシの方も人手を割かざるを得ないだろ。あんたのセーフハウスに行ってみるから、場所を教えて」

 携帯端末に転送されたデータを確認するレッシュの眼前に、「これも渡しておきます」とワタリはレクタングルのアクセサリーを差し出した。

「ID……だよねぇ。この後に及んで出してくるってことは、それなりな代物だとは思うけど」

「リアルトのIDです」

 瞠目するレッシュを見遣り、「レプリカですが」とワタリは付け加えた。

「リアルトのIDってまだ使える状態で残ってるわけ?」

「利用できると思います、データがコミューンデータベースに残存しているのは確認したので。ステータスは死亡になってますがAAクラスのままになっていたそうなので、レッシュのIDと同じだけの権限は利用できるはずです」

「その辺だけは人間扱いされてんのね、彼」

「公には殉職したことにされたはずなので、リアルトのIDまでは抹消されていないようです。新参のPMSなら撹乱されてくれるでしょうし、自分のIDを使わなくて済むので役に立つこともあるかと」

 テーブルに置かれたタグを無言のまましばらく見つめ、

「有難く頂戴するわ」

 とレッシュはそれを取り上げた。

 カフェを出ると、一端大通りを離れて裏路地に入った。こちらを注視する目がないことを確認してから、レッシュはチサト達と別れた。さっさと踵を返して歩き出したワタリの後を追いながらも、レッシュが歩いて行った方向をチラチラと振り返る。とうに彼女の背中は見えなくなっていたが、何と無く気に掛かってしまう。

「レッシュのことが気になるんですか?」

 しれっとそんなことを言われてしまった。

「そりゃあね。だって本来ならレッシュさんは私と関係ないはずでしょ? なのに危険なことに巻き込んじゃってるから」

 歩みは止めないまま、ワタリがチサトに目を向けた。明らかにチサトに対して物言いたげな表情を浮かべていたのに、「レッシュもトップレベルの傭兵だから大丈夫ですよ」と言葉を続けた。そんな顔をされたら突っ込まざるを得ないわけで、

「ワタリ君、何か私に言いたいことがあるでしょ。この際だからはっきり言ってもらった方が、色々といいと思うのよね」

 随分と曖昧な感じに鎌だけ掛けてみる。ワタリはそんな鎌に引っかかるような人物ではないが、言うべき事ぐらいは言ってもらった方がチサトの身の振り方の一考にもなるというものだ。

「大した事ではないのですが、こんな状況なのにチサトさんは結構視野が広いですよね」

「どゆ意味?」

「自分に心配なことが起こっていると、どうしてもそのことにばかり目が向くじゃないですか。自分のことで一杯になってしまって、他人のことにまで気を配っている余裕がなくなる人が多いと思うのですが、チサトさんはそうではないんですね。仕事柄でしょうか」

 新聞記者としてのチサトが、あまり己の身を顧みるキャラではなかったのは確かだ。が。

「違うと思う。多分、あんまり私に当事者意識がないからかも。もちろん何かあれば怖いし、嫌な夢もよく見てる。でもワタリ君がいると安心しちゃうんだよね。私が必死に考える必要って基本ないし。だから多分そのせい。でもこれってあんまり良くないことよね、危機感がないわけだから」

 四六時中危機感がないわけではないのだが、考えることをワタリに委ねてしまっているせいで、どこか他人事として現状を捕らえている側面は否めない。自覚の欠如はどこかで手痛い失敗を引き起こすだろうこともわかってはいるのだが、それすらもワタリがどうにかしてくれると頭の何処かで考えている。絶対的な安心感を与えてくれる存在がいるから、中々当事者意識が形成されない気がする。

 そんなチサトに対して、ワタリもいい顔はしないと思っていたのだがそうではなかった。

「嫌な夢って、眠れてないんですか? 不安でたまらないとか、そういうことないです?」

 不思議なところに反応が帰ってきた。

「眠れてないことはないと思う。私、夜ちゃんと寝てるよね?」

 ここ最近、ずっとワタリは隣で眠っているのだから、その辺に異変があったらワタリの方が先に気がつきそうなものだ。

「そうですね、僕が見た感じでは眠れているように思います」

「不安も考え出すと駄目だから、出来るだけ考えないようにしてる。こうしてワタリ君と話したり一緒にいる時は安心できるよ」

 そうですか、とワタリは曖昧な表情で一応は頷いてみせた。現状で構わないとはあまり思っていなさそうだ。

「何か困っていることがあれば、僕に教えてください。何でもできるわけではないですが、善処はしますから。こんな状況ですけど、チサトさんには一片の責任もないわけですし、責任どころか全く関与すらしていないのですから、不便を強いられること自体、本来は許容してはいけないんです」

 妙に強めの口調で念を押された。ワタリが強い口調で話すことはあまりないだけに、気圧されてしまう。

「う、うんわかった。で、レッシュさんは大丈夫なんだ? 私が言うのも変だけど、私にはあそこまでレッシュさんに色々助けてもらうだけの義理というか、そういうものは持っていないと思うんだけど。というか、レッシュさんって絶対ワタリ君のことが好きだよね。だから手伝ってくれるんだよね」

「やっぱりそう見えます?」

「え、何。自覚はあるんだ……」

「僕もそこまでは鈍くないつもりなんですけど。レッシュもプロの傭兵なので、個人的な感情とは別に報酬を積めば働いてくれますし、その辺を混同することもないので」

「などと、被告は意味のわからない弁明を繰り返しており――」

「チサトさん……」

「ごめん、今のは冗談」

「レッシュにはちゃんと相応の礼をしますから、大丈夫です」

「私も何かした方がいい?」

「特別に何かしたりはしなくていいです。チサトさんのやるべきことは、何事もなく無事にプラントエルフィンに帰ることです。それがレッシュに対する礼になると思います」

 往来の多い通りから少し離れたところにある、平屋の戸建ての前でワタリは足を止めた。窓ガラスの向こうにはデスクと書棚が見え、何らかの商売を営んでいる店舗であることはチサトにも分かる。裏手に回ると、個人所有にしては手に余るほどの四輪車が雑然と駐められていた。

「ここって何をしているところなの?」

「車を有料で貸してくれるところです」

「有料なの?」

「ここの人はそれで生計を立てているわけですし、車の維持にもお金が掛かりますから。何かしらの利益を得るためには、相応の対価が必要なんです。そうじゃないと、利益を与える側がどんどん疲弊していくでしょう。プラントエルフィンでも金銭のやり取りが発生していないだけじゃないですか?」

「それはそうよねえ、お礼はするもの」

 停められている車を一通り眺めてから、ワタリは戸建てのドアをくぐった。チサトも後に続く。

「お、ウスイさんじゃねえの。今日は何だい。女連れってことはデート……なわきゃねえよなあ。しかしいやあ美人さんだねえ」

 表に出てきた中年男性はニヤニヤしながら、しげしげとチサトを舐め回すように見つめ倒してきた。居心地が悪くなって多々良を踏むとワタリが、「違いますよ」と憮然とした顔で答え、チサトと男性の間に割り込んだ。

「乗り捨てで車を借りたいんですが、使えるのあります? 平均的な車両で構わないです」

 平均的ねえとぼやきながら、声を掛けてきた男性は棚から引っ張りだした帳簿をめくる。

「115psがあるよ、それでいいかい」

「ええ」

 ワタリはレンタル料をキャッシュで支払い、キーを受け取る。

「あんた、ウスイさんの連れってことはオースティンの娘なんだろ」

 車を出すために外へ向かうワタリの背中をちらちら見ながら、店主が顔を寄せてきた。どう答えたら角が立たないのかと返事に窮していると、「俺の親父の代からウスイさんとは付き合いがあってな」と店主が口を開いた。

「ちったあ裏の情報も入ってくる立ち位置にいるんでね、ウスイさんがどんな案件に首突っ込んでるかぐらいのことは知ってるんだ。それを加味すりゃあ、あんたがオースティンの忘れ形見だろうってことぐらいは、簡単に想像できるってことだ」

「あの、ワタリ君ってそっち方面ではそんなに有名なんですか?」

「有名かつったら有名だろうよ。ファイアブリックの一、二を争うアタッカーだったんだからなあ。その割に面は割れてないから、当人自体は言う程知られてはねえだろう。俺も偶然ウスイさん本人と面識ができる環境にいたからウスイさんを識別できるだけで、アジアンだし外見的な特徴を言葉で伝えられていても分からねえんじゃないか」

「でも今は間違いなく私達が追われているんですけど」

「そりゃあ、ウスイさんのことを知っている人間が追う側にもいるからだろうさ。後は、遺伝子の情報からかなり正確なあんたのモンタージュ写真が作成されて、しかるべきところに出回っている可能性もあるんじゃね? その辺の技術は、こんな寂れた貸し自動車業のおっさんにはわかんねえけどな。……あんた、あんまり親父には似てないんだな」

 まじまじとチサトの顔を眺め回してから、店主はそんなことを呟いた。意味がよく分からずにきょとんとした目を向けると、大した意味はねえよ、と手をひらひらと振られた。

「あんたが似てないから、手を貸す気になったのかもしれねえよな。ああ、リアルト・オースティンは俺達白人の間では英雄だが、そりゃあ極端に純化された偶像だからな。俺も実際のオースティンは知らねえけど、話を聞いた感じウスイさんは結構振り回されてたっぽいぞ。そいつが女と逢引きするための見張りとか? オースティンの子供の面倒も見させられたりな? 果てにはその親友の違法行為を容認していた罪で告発されて、司法取引で親友を当局へ引き渡したとか? ま、随分と昔の話だし今更裏は取れねえから、話半分に聞いといてくれや」

 随分と一方的に巻くし立てられたと思ったら、「ああいかん。ウスイさんが待ってるぜ、行った行った」と追い出されてしまった。路肩に車を停めて待つワタリの姿を認め、慌てて助手席に乗り込んだ。

 結構長いこと店主の話を聞かされていたような気がしていたが、ワタリは特に気にした様子もなく、「ベルトして下さいね」と座席の脇を指差した。

「チサトさんって四輪車の運転できましたっけ」

 直ぐに走り出すのかと思いきや、そんなことを聞かれた。プラントエルフィンにも四輪の自動車はあるし、リックが父親の手伝いを始めた頃に彼と一緒に運転の仕方は教わったことがあるが、それっきりハンドルを握ったことはなかった。

「一応習ったことはあるから出来ないことはないと思うけど、最後に運転したのは七年前だからね。…出来ないかも。ううん、出来ないと思う」

 質問の意図はすぐにわかった。チサトがハンドルを握る必要性が出てくる可能性を踏まえての、チサトの運転スキルの確認だ。いざそんな事態に陥ったら何とか運転できそうな気もするが、出来ないと答えておく。広くて往来のほとんどない一本道ならともかく、市街などを運転して無事に通り抜けられるとはとても思えない。

「ですよね、わかりました」

「ですよねーって……」

「すみません。チサトさんが運転しているところを見たことはなかったのですが、一応確認しておこうと思って。ジオフロントの自動車には自動走行システムが搭載されているので、普通に運転する分にはハンドルを握る必要もないのですが、自動走行システムは交通法規に則った運転しかしないので、いざというと時には人間が運転する必要があるので」

「自動走行システムって何」

「無理やり安全運転をしてくれる機能です。前の車と距離を一定以上に保ったり、規定された以上の速度が出ないようにしたり、ルートを入力するとそこまで自動で運転してくれたり。普通の人にはきっと便利な機能です。僕は滅多に利用しないですけど」

「へえ、どんなものか見てみたい、って言ったら怒る?」

「じゃあ途中で自動走行システムを使ってみます。勝手にハンドルが動くので、見てて楽しいっていう人も結構いますよ。さて、行きましょうか。A4を通ってランスに向かいます」

「ランスってこの間の街よね、カツラギさん達と一緒に行った」

「ええ。直ぐに地下通路に入ることになるので、町の中を見て回ることは出来ませんけど」

「それは流石にわかってるわよ」

 若干険を含んだ声音で返すと、「ですよね、すみません」と先程と同じ返事が帰ってきた。


 携帯端末にダウンロードされたデータに従い、パリ市街の高層マンションに置かれたセーフハウスにレッシュは足を向けていた。今はセーフハウスからは一キロメートルほど離れたビルの非常階段で、双眼鏡を目に当てている。ユージンの動きをトレースしたPMSCが傭兵を配置している可能性を考慮してのことだが、確かに傭兵の姿が見える。一般市民にカモフラージュして道端に立っていたり、カフェで新聞を広げていたり、人数はそれほど割かれていない。巧妙に死角を取っている者の方が怖いが、ここからではこれ以上のことはわからない。むしろ、手練れの数が多くなればなるほど、ワタリは行動しやすくなるではないか。

 至極当たり前の体でマンションのオートロックを解除し、エレベーターでフロアを上がる。人の出入りはほとんどなく、静まり返った通路にレッシュの足音だけが響く。ジャケットの下に忍ばせたシグザウエルのグリップを握り締め、ドアを見つめた。視覚的にも、人よりも鋭敏な聴覚にも異常はない。ブービートラップに気をつけながら、玄関のドアを開けた。中の間取りは、玄関からリビングダイニング、バルコニーまでの視線が通る作りになっている。人の気配はないが、対面の建物までの距離が思ったほどない。正面から銃撃される可能性も考え、壁沿いを伝って玄関に続くホールを進む。

 ふと、戸口から人の話し声が聞こえてきた。住人だろうか。だがその割には気配が薄すぎる。周囲を警戒した様子からして同業者であろう、おそらくは敵対する側の。

 気配をできる限り消してドアスコープの死角を探しながら、そろそろと玄関へと後退する。間違いなく人の気配がある。数は一つ。相手の練度はそれほど高くないと踏み、ドアを開けるのと同時にシグザウエルの銃口を突きつけた。

 不意に銃を突き付けられて、ドアの前にいた青年は息を飲んだ。そのまだ十代後半と思しき顔には見覚えがあった。

「アンタ、確かファイアブリックの新人じゃなかったっけ」

「あ、はい、そうです。レッシュ先輩ですよね、自分はグリエフと言います」

 通信機を持ったまま固まっていた青年も、銃口を向ける相手が見知った人物であることに安堵したのか、思わず問いかけたレッシュの言葉を拾い返してきた。

 いけない、こういうところが甘いんだよな、アタシ。

 相変わらずの迂闊さに臍を噛む。

「隊長からここを見張れって命令されたのかい?」

「はい。ウスイ先輩が姿を見せたら、その旨を報告することになってしました」

「アンタが直接アタックしろとは言われてないのか」

「はい。どう考えても、自分ではウスイ先輩に叶うわけないですから、気配を消して見張って報告するという命令だけです」

 経験の浅い、練度の低い者に可能性のそこそこ低い現場を任せるというユージンの方針は相変わらず、ということだ。つまり、セーフハウスを利用する可能性は低いとユージンは考えているということでもある。他のPMSCsは姿を見せていることを踏まえると、ユージンも彼の行動を追う者に簡単には情報を渡していないのだろう。やはり、最終的にワタリの行く手を塞ぐのは、かつての上司ということになりそうだ。

「レッシュ先輩一人なんですか?」

「アンタねえ。アタシ一人だよ、それがどうかしたのかい」

 あ、いえ、とレッシュより少し小柄な金髪がモジモジと動いた。

「自分、ウスイ先輩を見たことがなかったので、本物が見られたら嬉しいなあって」

「アンタねえ」

 収穫があったとすれば、ファイアブリックの主力がここにやってくることはないという確証が得られたこと、室内に侵入者がいる可能性をあまり考慮しなくてすむことだろうか。

 随分と緊張感のなくなってしまった新人の相手を打ち切り、再び室内へとつま先を向けた。撹乱を狙うのなら、ここに滞在した証拠を作っていかなければならない。リビングに向かうまでの扉はご丁寧に開けた状態になっていた。ワタリらしいといえばらしい。

「グリエフ、何でついてきてるのさ」

 背後を振り返ることなく言うと、グリエフがビクッと体を震わせる気配を感じた。

「ダメですか? 先輩の動きを見てみたいだけなんですが」

 背後から殺気は感じない。言葉以上の意味はないだろう、ただのこのこと新人傭兵が一人くっついてきているだけだ。彼がレッシュを撃つこともないだろう、メリットがあるとは考えにくい。

「好きにしな。でも邪魔はしないこと、自分の身は自分で守ること」

 ラジャー、と控えめな返事があった。

 まっすぐリビングへと向かう。大きめの窓とバルコニーからは、やはり対面の建物がよく見える。いざという時の脱出の導線にカウントするともできるが、対面からの攻撃の方が怖い。

 背後からグリエフもリビングに入ってきたのを感じた時、対面の建物の窓に不自然な反射光を見た気がした。頭が回転し始めるのよりも早く、体が動く。リビングの奥へ向かって大きく飛ぶのと同時に、機銃掃射がガラス窓を打ち抜いた。部屋中の壁に弾痕が穿たれるまでの時間は数秒、床の上を転がったレッシュがリビング奥の廊下に滑り込んで間も無く、機銃掃射音は止んだ。

 咄嗟の出来事に、グリエフを突き飛ばす余裕はなかった。レッシュの背後に居た彼には、こちらに向けられた銃口は見えなかっただろう。時間差の銃撃がないことを確認し、床の上に散らばったガラスの破片と砕かれた家具を踏み越えて、リビングの入り口に倒れるグリエフへと歩み寄る。全身に被弾し、崩れ落ちた壁材の下に横たわる青年の身体からは目立つ出血はない。これはもうダメだ、どうしようもない。

 事切れた彼を運び出そうか一瞬考えたが、対面からの攻撃者がこちらに向かっている可能性を考え、その場をすぐに後にする。

 攻撃者はグリエフを対象と誤認した可能性がある。レッシュよりも少し小柄な金髪の人間が後に続いてリビングに入ったところで、銃撃された。レッシュの生死には頓着しない攻撃もそうだ。間違いなく倒した人間を確認しにやってくる。

 足早にマンションを出たところで一息吐き、携帯を取り上げた。メッセージの送信ウィンドウを一度は開いたものの、それを閉じると通話ボタンを押して耳に当てた。こちらの居場所と状況を教えるようなものだが、いずれわかることだし、少なからず関与してしまったことは変えられない事実だ。

「……隊長? アンタのところの新人を一人、死なせてしまったよ。申し訳ない」

『そうか。だがそれは事故だ、君が責任を感じる必要はない』

 スピーカー越しの躊躇いのない冷たい声が、鼓膜を振るわせる。

「アタシが居ながら、何もできなかったんだ。遺体がまともな状態でそっちに帰るかもわからないからさ、一応連絡を入れておこうと思って」

『うん? 君が撃ち殺したのではないのか』

 僅かにユージンの声が持ち上がった。ああ、しまった。敵対したが故に射殺したと思わせておけばよかった。あの状況、ワタリなら問答無用で発砲した可能性は高い。ユージンも恐らくはそう解釈したのだ。

 何も言えずに口をつぐんでいると、

『つまり君は今、ウスイと別れて単身で行動しているということだね。こうして連絡を入れてきたということは、今後君の行動はトレースされても大勢に影響を与えないということだ』

 ユージンが言葉を続けた。

『私の下で働かないか』

 前置きも何もなく、いきなり話が飛んだ。無駄話をしない人であることはわかっているが、このタイミングでそんなことを言える神経がレッシュにはわからない。

「隊長、アタシはウスイとは敵対したくないんだ」

『前線に出なくていい、遠隔のバックアップでも君の力は大きい。私はレッシュ、君の能力を非常に評価しているのだ』

「無理。隊長はウスイをリアルトの娘諸共殺すつもりだろ? そんなことには手を貸せない。どれだけ報酬を積まれても断るよ」

『ターゲットだけを捕縛する方法を提案してくれればいい』

 ぐ、と言葉に詰まった。ユージンの懐に飛び込み、内側から撹乱してやればワタリの助力になる。内側から撹乱……無理だ。ユージンを相手に、レッシュごときがそんな頭脳戦を仕掛けられるわけがない。

 沈黙を続けるレッシュに、

『その気になったら連絡してくれ、対応はいくらでも提案に応じよう』

 と語りかけ、通話は切れた。

 レッシュは携帯端末を手にしたまま、ワタリから託されたIDをしばらく見つめていたが、背後のマンションへ人が駆け込む気配を感じてその場を後にした。

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