表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラウンストーン  作者: tate
5: プロファード・ハンド
23/28

-1-

 Uターンして向かった先は、やはりリヨンの白人街だった。昼間お邪魔した娼館へと向かう。昼間とは異なり、街には煌々と灯りが点り……といってもプラントアーシにも見劣りしかねない程だったが、ともかく全く別の顔を見せていた。夜の街ってこういうものなのね、と初めて見る光景にそわそわしていると、街を見て回る余地も与えられずさっさと娼館に押し込まれてしまった。

「あらやだ、アニエスの娘じゃない。ねえ、空いてる部屋無いの? あたしこれからお客の相手しないといけないのよ」

 押し込まれて鉢合わせたのは、偶然にも昼間最初に出会った女性だった。

 名前、何だったかしら。そう言えば、そもそも聞いてなかった気もする。

 チサトの肩越しに顔を出したワタリが、受付にいる男性を手招きした。怪訝な顔付きでやってきた男性の耳元に顔を寄せる。

「マダム・バラチエに取り次いで貰えるか」

「マダムにですか?」

 すぐ頭上を飛び交っている会話の意味がわからないのは、思ったよりも不安だ。

「ファイアブリックのウスイがオースティンの娘のことで来たと言えばわかる」

 男性は頷くと、奥の部屋へと駆けていった。その背中を見送っていると、今度はワタリとレッシュの囁きが聞こえてきた。

「ウスイ、確認しておくけど研究所はどうなってた。本当に何もなかったなんて、隊長なら有り得ない話じゃない」

「僕も内部を全て確認したわけではないが、人の気配は分からなかった。君が想像している通りだろう」

「やっぱり。あのドールも居たんだろ? 分かってる、あの子には黙っておくよ」

 もう。また英語だ。チサトには理解が出来ないことを分かっていて話している分、質が悪いというものだ。

「ワタリ君!」

「はい?」

 それでも自分が話しかければ、彼はいつでもチサトが解する言葉で返事をしてくれる。

「私にも分かる言葉で話して」

「う、一応鋭意努力はします。やっぱり何処かでトランスレイターを手に入れてこないとダメですね」

「何それ」

「自動翻訳機と言えば分かりますか? エスペラントと英語を機械的にですけど音声翻訳してくれる機械です。手持ちはないので、落ち着いたら探してきます」

「そうじゃなくて……」

 反論の言葉は戻ってきた男性の存在にかき消されてしまった。

 直ぐに一階にある奥の部屋に通された。部屋の中に入れたのは、チサトとワタリの二人。レッシュは、「まあ、外で待ってるよ」と苦笑いしていた。内装は他の部屋よりも多少凝っているように見えるが、高価そうな設え品はない。くたびれたソファには熟年の女性がもたれかかっており、ゆるりと腕が動く。二人に向かって対面に腰掛けるように言っているのだろう。

 「失礼します」とチサトが頭を小さく下げて座ると、女性は微笑んだ。

「ご無沙汰しています、マダム・バラチエ。息災で何よりです」

「こちらこそ、こうしてまた貴方に会う事になるとは思っておりませんでした、ムスュー・ウスイ。そちらのお嬢さんがアニエスの?」

 ワタリが頷くと、バラチエはまじまじとチサトを見つめ、大きく溜息を吐いた。

「そうでしたか、生きているとは思いませんでした。アニエスの件は本当に遺憾でした。それで、わたくしに何をお望みですか」

「暫くここに彼女を置いて頂きたいのです」

 まあ、とバラチエは真紅のルージュを引いた唇をOの字に形作った。

「そんな……いえ、その程度のことはわたくし達が担わなければならないのかもしれませんね。何よりアニエスの娘を見殺しには出来ません」

「ご協力に感謝します。エスペラントが話せる者はいますか?」

「エスペラント? ほほほ、こんな場末の娼館にそんな人材がいるわけないでしょう。ああ、そちらのお嬢さんのためなのね。申し訳ないけどトランスレイター辺りを調達して頂いてもよいかしら」

「最初からそのつもりです」

 ホント嫌な方ね、と再びバラチエが上品に笑った。ワタリの方はと言えば、相変わらず能面のまま相好を崩さない。今この場にあるのは、楽しい話でも、愛想笑いが必要になるような類の話でもないらしい。ワタリに通訳をお願いしたいところだが、そんなことを切り出せる空気でもない。居心地の悪さを噛み下して、チサトは二人に視線を向ける。


「ところでムスュー・ウスイ、今の貴方のスポンサーは何方ですか? あれこれ詮索するつもりはありませんよ。しかしわたくし達も巻き込まれる以上、敵の情報は知っておきたいものでしょう」

 ワタリはバラチエを見遣った。鈍色の枯れた双眸がこちらを見つめ返してくる。

 今の雇い主の名前を出すことは、ワタリにとって別にリスクはない。彼の敵ならその程度の情報は疾うに知っている。女達が何の考えもなしに知り得た情報を言いふらされると、流石に個人的に依頼主の信頼を損ないかねないが、彼女達はそこまでバカではないし口も硬い。

 かつてこの娼館で起こったことを、バラチエはひた隠しにしてきた。偶然にそれを知った部外者が当局に通報するまで事実が露呈することもなかったことを鑑みれば、ここの娼婦達の結束は強い。それにバラチエには、彼女の元で働いていた娼婦とその娘を守れなかった負い目がある。だからこそワタリはチサトをここに連れてきた。少なくともチサトのことは悪いようにはしないだろう。

「何時どんな敵が来るのかは推測しか出来ませんが、それを述べてもミスリードになるでしょう。今の僕のスポンサーはシトグリンですが、会長に個人的に雇われているだけです」

「ということは、ファイアブリックが当面の敵ということになりますね。ホホホ、古巣に刃を向けられるとは難儀なお方」

「理解が早くて助かります」

 ジオフロント最大のコングロマリット、シトグリン。表の世界では莫大な権力と資金を握る会長も、こちらの世界では一介のナッツ・ステイク参加者に過ぎない。ファイアブリックが個人的な依頼は原則受けないことは、この世界では知られている。また、ファイアブリックはジオフロントの秩序を守るために存在する傭兵団でもある。故に過去を知るバラチエは、ファイアブリックが最大の壁になることを直ぐに悟った。

 ファイアブリック隊のヘッド、ユージン・シルベストリはワタリがファイアブリックに所属していたころからずっと今の地位を務めてあげている。身体的な能力はジーン・リッチとしては標準的、だが一介の傭兵団を正義の剣に仕立て上げたのは彼だ。ワタリやレッシュ達隊員の個々のスペックも高かったが、多分ユージンが居なければファイアブリックはここまで有力な傭兵団にはなっていない。

 素性は調査したがわからなかった、遺伝子操作技術がヒトに適用される以前の、おそらくワタリと同じ時期に作られた被験体の一つだろう。

 ランスでチサトがユージンらに遭遇したときに殺されなかったのは、あのタイミングではファイアブリックがこの件とは無縁だったからだろう。ラッキーだった、あれで幸運を使い果たしていないことを祈りたい。

「そちらのお嬢さんは、今回のことを全てご存じなの?」

 いえ、とワタリはかぶりを振る。断片的な情報は伝えてきているし、ここに来ての歓迎っぷりにチサトが事の真相に気が付いている可能性はあるが、きちんと順序立てて説明はしていない。

「そう、ではわたくしがすべてをお話しします。ムスュー・ウスイ、全てを彼女に伝えてください。彼女は何というの?」

「チサト、チサト・レイナードです」

 そう、マダム・チサトね、バラチエは噛んで含めるようにゆっくりと名前を呟く。

「そうですね……マダム・チサト、貴女のご両親の話から始めましょうか」



 憂鬱だ。

 与えられた部屋の中でチサトはぼんやりとベッドの上に腰掛けたまま、何をするでもなく時間を費やしている。

『貴女の父親はリアルト・オースティン、母親はアニエス・ベロムと言います。二人とも白人で、アニエスはわたくしの元で働いていました。リアルトさんのことはムスュー・ウスイにお聞きなさい、彼の方が詳しいから。リアルトさんはファイアブリックの人だったのよ。社会的な地位も相応に高くてね、こんな場末の娼館に出入りすること自体がとんでもないことなのに、事もあろうが娼婦と情事を重ね……いえ、この表現は不適切ですね。二人は社会的には認められていないけど、事実上の夫婦だったわけですから。ともかく、白人街で生きるしかなかったアニエスとの間に子を設けたの、それが貴女よ。これがどういう事か分かるかしら。この世界を締め上げているヒエラルキーを根底から破壊しかねない事態なのよ。どう例えたら伝わるのかわからないけれど、そうね、ムスュー・ウスイ、彼女が理解できるたとえで説明して差し上げて。とにかくそれはそれは大変なことだから、アニエスは貴女をこの館でひっそりと育て、わたくし達はその事実をずっと隠してきました。貴女が五歳になる位まではそうやってきたのですがね、ナッツ・ステイクの事はご存じかしら』

 チサトの頭の中で、首を縦に振るワタリが再生される。そうだ、チサトもそのヘンテコな掛けの話は聞いている。

『そうですか。ではナッツ・ステイクの当選くじに、貴女が選ばれてしまったこともご存じなのね。区画Cでは当選くじの公布は行われないから、わたくし達は人づてにそのことを知りました。そしてその後、この娼館は襲撃されます。ナッツ・ステイクの賞金が目当てだったのでしょう。その時の混乱に乗じて、リアルトさんが貴女を地上に逃がしたのでしょう。でもリアルトさんもアニエスも命を落としました、本当に酷い騒ぎになってしまいましたから。わたくし達はアニエスを守れませんでした、本当に悔やまれます。マダム・チサト、貴女だけでも生きていてくれて本当に良かったわ』

 その後も話は続いていたけど、頭の中に残っているのはここまで。

 バラチエの話を思い返すだけで気分が沈むのに、ぼんやりしているとその話題が頭の中でリフレインする。そして気が付くと、思考は両親の話で溢れかえってしまう。顔もよく思い出せない人達のことなのに、心がイガイガする。

 話が終わると、所用があるので少し外します、とワタリは何処かに出掛けていった。外には出ないでくださいと念を押されたが、夜の街、しかも馴染みのない街を散策するほどの心の余地は流石にない。

 無為に時間を潰しているとノックと共にドアが開き、ワタリが戻ってきた。

「ノックなんてしなくてもいいのに」

「ドアが開く前に敵味方の区別ぐらい付いた方がいいじゃないですか。ノックもなしにいきなりドアが開いたら、戸口に向けて発砲していいですよ」

 そんな大袈裟な、と切り返そうと思ったが出掛かった言葉を飲み込んだ。直ぐに気が付いた、彼はチサトのためにノックをしているのだ。ノック無しにドアが開くような事態になったらチサトに命はなさそうだけど、そんな軽口で切り返す気は起こらなかった。

 もしかしたら今までのワタリの行動も、全てチサトの延命のために取られたものだったのかも知れない。流石にそれは……考えたくない。

「ん、分かった。銃は撃てないけど、気を付けるわ」

 チサトの返答に微笑んでから、ワタリはテーブルの上に金属の部品をばらばらと広げ始めた。メモを見ながら、一つ一つをはめ込んでいく。

「ねえワタリ君、レッシュさんって顔に傷があるよね」

 何となく口から出た話題に、チサトは自分でぎょっとした。私は何を話しているんだろう。ワタリは手を動かしながら、「ありますね」と答えた。

「顔に傷があるのは印象が悪いから、消した方がいいと言ったこともあるのですが、まだ残っていますね」

 ワタリもレッシュに、傷跡を消した方がいいと言ったことがあるらしい。確かに顔面の傷、特に女性の場合は、特殊な事情でも無ければメリットにはならないだろうけど、ワタリがそんなことを言ったという事実が不思議だ。少なくとも地上にいた頃の彼は、そんな甲斐性のあることを言うようなキャラではなかった。ある程度は作っていた、ということだろうか。

「ワタリ君もそう思う? せっかくの美人なのに消せる傷を残しておくなんて、何かもったいないなって思って。アレって何の傷か知ってる?」

「痴情の縺れで男に斬りつけられたんですよ」

 さらりとワタリが答えた。

「レッシュにやたら入れ込んでいた男が居てですね。それも依頼人だったんで色々と面倒な事になった上に散々縺れた挙句、殺されかけた訳ですね」

「詳しいのね」

「僕も現場に居ましたからね、始終を見ていた訳ではないですけど」

「現場に居た? 何で?」

 一瞬言葉に詰まってから、「手助けをして上げて欲しいと頼まれたので」と砂を噛むような顔を見せた。

「ユージンさんに?」

「まあ……ざっくりと言えばそんな感じです。はい、出来ました」

 ワタリの手の中で組み立てられた鈍色の塊を手渡された。チサトの手にも収まる程の、万年筆のような物体。何これと問いを発するまでもなく、それは自動翻訳機で人々の会話をエスペラントに翻訳してくれます、とワタリが説明した。

「便利なモノがあるのねえ」

「人工音声は少し不気味ですけど、いちいち言語を習得しなくてもいいのは手間が省けていいですよ。僕もお世話になりました」

「エスペラントへの翻訳? でもそんなモノ持ってなかったわよね」

「僕が使っていたのは英語が話せるようになるまでですね、英語は第一言語ではないので」

「そうなの?」

「僕の第一言語は日本語ですよ。暫く使っていないので、漢字は大分忘れてしまっていると思いますが」

 へえ、と感心の相槌を打つ。「エスペラントと英語も話せたら、トリリンガルじゃない」

「中国語も分かりますよ」

 そうなんだ。仕事の都合上必要だったんだろうけど、色々なことが出来る人だ。改めて感心の眼差しを送ると、不思議そうな目で見つめ返された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ