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ブラウンストーン  作者: tate
4: フェイタル・シアーズ
20/28

-3-

 うーんと呻きながら寝返りを打った。顔の半分を枕に埋めつつ、残りの半分にぼんやりと光を感じてチサトは目を覚ました。体を起こすとそこは普段チサトのベッドの上、でもブラウスは昨日着ていたもののままだった。

 昨晩、ジノのベッドサイドに座った所までは覚えている。そのまま疲れてベッドに突っ伏して、それから……寝てしまったようだ。多分、寝こけているチサトに気がついたワタリが気を利かせて、ベッドに運んでくれたのだろう。

 保護者失格だわ、と内心ぼやきつつベッドから這い出した。

 リビングに向かったが誰もいなかった、キッチンにもワタリの姿はない。まだ寝ているのだろうかと時計を見るが、もう七時を回っている。ワタリなら起き出しているはずだけどと思いながら、ジノの様子を窺いに寝室を覗くと二人ともそこにいた。

「おはようございます」

「うん、おはよう。ジノ、調子はどう?」

 ぺたりと少年の額に手を当てる。昨日の朝はまだ調子が悪そうだったが、今日は顔色もいい。

「大丈夫だよー、もうお腹痛いの治った! ご飯も一杯食べれそう」

「ジノのご飯は今日もスープですよ。急に沢山食べたらまた腹痛がぶり返すし、今日はもう一日ベッドで大人しくしていて下さい」

 ちくりとワタリが釘を刺すと、ジノはぷうと頬を膨らませた。ああ、もうすっかり元通りだなとチサトは口元を綻ばせたが、これでジノの寿命が延びるわけではないのだ。痛みが無くなったから元気になったに過ぎない。根本的に何かをするのなら、今なのではないだろうか。


「ジノの体って治せないの?」

 昼食を摂りながら発したチサトの言葉に、首を傾げたのは当事者のジノだった。

「もうお腹痛くないよ」

「そうじゃなくて」

 とかぶりを振る。

「根本的な解決ってできないの? ジノ、まだ子供じゃない」

 ジノはきょとんとした顔でワタリを見上げる。黙々とパンを口に運んでいたワタリは、その視線に気がつくと肩をそびやかした。

「チサトさんがジノのことをどの程度まで聞いているのかは知りませんが、かなり難しいですね。絶対に無理ではないですけど」

「一応手はあるんだ」

「ええ、僕が聞き及んだ範疇では。手を打つのなら、地下に行かないと駄目ですけど」

「ねえねえ、根本的な解決って何?」

 小首を傾げながら、チサトとワタリの顔を交互に見遣っていたジノが割って入ってきた。

「何って、ジノは具合が悪いんでしょ? それをきっちり治せばもっと長く生きられるじゃない」

 そうチサトが説明しても、相変わらずジノは首を傾げている。チサトの方も何故ジノが首を傾げているのかが解らない。噛み合わない会話を端で聞いていたワタリが、「多分こういう事だと思いますけど」と口を挟む。

「ジノの寿命が本来は十年程度という話は聞いていますよね。十年程度しか生きられないのは、今ちょうどジノが罹っている腹痛のような病気のせいだとチサトさんは考えている。だから、その病気を治せばいいのでは? という話ですよね」

 その通りなので素直に頷く。

「でもジノは腹痛を病気だとは思っていないので、会話が噛み合っていないのでしょう。僕は専門家ではないので詳しいことは説明できませんが、人間がどんなに長生きしても百歳程度で亡くなるように、ドールは十歳程度が寿命なんです」

 寿命……確かレッシュ達もそのようなことを言っていた気はする。だがチサトの目に映るジノの姿はどこから見ても年端も行かない子供であって、それが何故寿命で死ぬ等という話になっているのだろうか。

 チサトの顔を見たワタリが苦笑した、感覚的に理解できていない事を悟ったのだろう。

「例えば猫が十五年も生きたら、その猫はもうお年寄りだと言うでしょう。そういう感覚に近いと思っていただければいいと思います。十五年生きた猫をもっと長生きさせることは難しいですけど、ドールの場合は体全体が老化するわけではないので、対処しようと思えば出来ないことはないらしいですね」

「どうすればいいの?」

「先程も言ったとおり、地下に行かないと駄目ですね。ドール関連の研究施設に行けば、何らかの手が打てる人間が居ると思います」

 淡々と語るワタリに向かってジノが口を開き掛けたが、結局少年は開いた口の中にチキンを一欠片放り込んだだけだった。

「ジノ、何か言いたいことがあったら言っていいのよ」

「ううん。チサトがボクが治ると嬉しいんなら、ボクも治るように頑張るから」

 不思議な言い回しをされたような気がしつつも、ジノが病気を治そうと思ってくれたのならそれでいい。

 食事が終わると、ジノを半ば無理矢理ベッドに押し込んだ。「ボク、もう元気なんだけど」と相変わらず往生際も悪く文句を垂れる少年を、二人がかりでなだめすかしてリビングに戻る。その途中、短い廊下でチサトは拳を握りしめた。ワタリは彼女のすぐ後ろを歩いている、覚悟を決めて振り返った。

「ワタリ君、これなんだけど」

 あらかじめ引き出しから持ち出してあった錠剤を、ワタリの目の前に突きつけた。

「それがどうかしました?」

 全く動揺の見られないその面を僅かに見上げつつ、チサトは言葉を続ける。まずはワタリに出来るだけ話をさせる。彼の事実を引き出してから、チサト自身の中の矛盾点と付き合わせていかなければ、のらりくらりとかわされてしまうだろう。

「これはジノに飲ませなくていいの?」

「いえ、それはジノの薬ではないですから」

「そうなの?」

 言葉尻をあげるとワタリは口を閉ざした。普段はよほどのことがない限り口角を僅かにあげている彼が、唇を真一文字に結んでいる。淡々とチサトを見下ろしてくる視線は、砂を噛んだようで少し不気味だ。

 吐息混じりにワタリが言葉を吐くまで、ほんの数刻もなかったはずなのに掌には汗が浮き出ていた。

「要するに、それが何なのかを教えろということですね。それは僕の私物です、ジノの薬ではありません。故あって必要なので持っています」

「飲んでるんだ?」

「ええ、サプリメントのような物ですけどね」

 嘘だ。あれからチサトは、動ける範囲でアルツハイマー病について調べた。断片的な情報しか得られなかったためそれが真実かは分からないが、核の冬が訪れる前は根治法のない脳神経の疾患だった。記銘力の低下に始まる認知力の低下、最終的には精神活動が失われてしまう。その治療薬がサプリメントであるわけがない。

「ワタリ君、私知ってるよ。この薬はアルツハイマー病の治療薬なんだって。ハインリッヒさんに聞いたの」

「ハインリッヒさんに?」

 そう呟くと、ワタリは口を閉ざした。チサトに次に告げる言葉を探している。

「ハインリッヒさんは雑貨商ですからね、あの人なら知っていてもおかしくないです。でも一点だけ訂正させて下さい。それは治療薬ではなくて、予防薬です」

「予防薬?」

「ええ。冬になると風邪の予防に緑黄色野菜を摂るでしょう、そういうのと同じです。病気になってから治療するより予防に力を入れた方が、労力も掛からないし効率がいいでしょう」

 ふうん、と相槌を打った。でも、何故ワタリがそのような予防薬を必要とするのかが腑に落ちてこない。

 ワタリの視線がチサトから外れ、彼女の肩越しにリビングを一瞥する。その視線は一度チサトの顔に戻ってくると、再びリビングへと向かう。話をしている最中にワタリがあからさまに視線を外すのは珍しい。「何?」と問いを言葉にしようと思った矢先、腕を掴まれぐいと引き寄せられた。引かれた勢いでつんのめり、ワタリにぶつかる。抗議の声を上げる間もなく、次いでがしゃんというガラスの割れる音が聞こえてきた。

「チサトさんはここに居て下さい」

「ちょっと……何なの」

 廊下にチサトを立たせたまま、ワタリがリビングへと入っていく。足下に視線を移すと、先程チサトが立っていた辺りに穴が一つ開いていた。


「おーっす! ジノが具合が悪いって聞いたから、リンゴ持ってきてやっ」

 ドアノッカーをガンガン叩いてドア越しに怒鳴る。いつもはこうすればチサトが玄関に出てくるのだが、今日に限ってはドアが不意に開いたかと思ったら、腕を掴まれ引き込まれた。玄関のドアはそのまま素早く閉められた。

 予想だにしなかった出来事に、リックはよろめいた。そして何かにぶつかった反動でたたらを踏んで、玄関のドアに背中からもたれ掛かったところでようやく視線が定まった。

「な、何だよいきな……ワタリかよ」

 目の前に居たのはワタリだった。へなへなと体を落とすリックを尻目に、ワタリは背後から短銃を取り出すと差し出した。事情が飲み込めないままに、とりあえずそれを受け取る。

「トリガーはしっかり引いてください、そうすれば弾が出ます。少しの間チサトさんをお願いします」

「ちょっと待てよ、何が起こってるんだ。大体オレ銃なんて撃ったことないぞ。まさかシオン絡みで何か遭ったのか?」

「そうです。リックは『ナッツ・ステイク』をご存じですか?」

「あのトチ狂った宝くじだろ、知ってるぜ。まさかお前」

「僕ではありません」

「ジノか? ……まさか、チサト?」

「そのまさかです」

 どういうことだ、リックの思考が止まる。

 ナッツ・ステイクとは、シオンで開催されている胸くその悪くなるようなギャンブルの一つだ。シオンの住人全てに発行されるIDと、アトランダムに選ばれた文字列とが合致する人間に多額の賞金が掛けられる。 文字列の発行は年に一度、数は三つだったように記憶している。そしてそのIDを持つ人間を殺害した者が、賞金をそっくり手に入れることが出来るというシステムらしい。誰が始めたのか、誰が得をするのかは皆目見当も付かないが、それはリックが生まれる前から存在する。

 リックは当事者になったことは当然ながらない。だから子細は知らないが、IDの付与されていない人間は端から対象になるわけがないのは自明だ。地上で生まれ育ったチサトは、そもそもシオンのIDは持たないはず。だがワタリはそんな冗談を言う人間ではない、ということはつまり。

「……チサトって、シオンの人間なのか?」

「そうです。幼い頃に地上に連れてこられたみたいなので、チサトさんに自覚は無いと思いますけど」

 カチリと一つだけピースがはまる。チサトはナッツ・ステイクで賞金が掛けられたIDを持っている人間なのだ。シオンにいたら早晩殺される、だから誰かが彼女を地上に逃がした。だが、何らかの理由で彼女の居場所がシオンのハンター達に把握されて、今まさに襲撃されようとしているということか。

「お前はどうすんだよ」

「どうするって、とりあえず退治してきます」

「とりあえず退治って……いや、話は後でちゃんと聞くからな」

 リックは一つ頷くと、短銃を手に中腰でそろそろと廊下を進んだ。

 薄暗いリビングでは、ブランケットに包まれたジノを抱きかかえたチサトが、床の上にぺたんと座り込んでいた。チサトが状況をよく把握できていない面持ちに対して、ジノは普段通りの円らな瞳でリックを見上げてきた。

「こんにちはー」

「お、おう。思ったより元気そうだな」

「うん、もう治ったよ」

 そうかい、と答えながらも視線が通る範囲を確認する。あらゆる窓にはカーテンが引かれ、外からは部屋の中が全く窺えないようになっていた。明かりも極力控えた中、チサトはテーブルの影に座り込んでいた。

「リック? ワタリ君は」

「あいつは用事があるって外に出て行ったぞ。お前こそ、何でこんな所に座ってるんだ?」

 等と尋ねながらも、狙撃を防ぐために外部からの射線が通らない位置に座らせていることは何となく解った。本当にチサトが狙われているのだ、そんなことを実感してみる。

「ワタリ君がここから動くなって。リックの持ってるそれは?」

「ワタリからの預かり物。だけどなあ、オレ銃なんて撃ったことねえっつうの」

 テーブルの上にリンゴの入った紙袋を置き、チサトの側に屈み込んだ。いざという時にはリック一人では何も出来ないだろうが、いち早く危険を察知できるよう耳を澄ます。

 しんと静まりかえった部屋の中で、ぽつりとチサトが呟いた。

「私、何が起こっているのか全然解らないんだけど」

「と、オレに聞かれても」

 そうよねぇ、とチサトはジノの髪に顔を埋める。

 ワタリはあんな事を言っていたが、当人には何も話をしていないようだ。リックが知っている事を伝えてもよかったが、断片的に事実を伝えることが利益になるかは甚だ怪しい。何も知らない方が幸せなのかもしれないし、そもそもそれはリックの役割ではない。彼女にはワタリの口から話させるべきだ。

 いや、もしかしたらワタリもチサトの命を狙っている側なのかもしれない、そしてその可能性は否定できない。そう考えると、チサトは何が起こっているかを知っておくべきだ。が、どこから話せばいい?

 思考の渦が凪ぐよりも前に、玄関のドアが閉じる音がした。一気に鳥肌が立つ。いつでも動けるように立ち膝になり、リビングの入口に目を向ける。緊張で短銃を握る手が震えるのを感じながら、トリガーに人差し指を掛けた。

「僕です、ワタリです。ドア開けますね」

 ドア越しに声が聞こえてきた。馴染みのある声にほっと胸をなで下ろすのと共に、かくりと体から力が抜けてリックは尻餅をついた。


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