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一ヶ月程前の話になる。
プラントエルフィンの北の外れには、朽ちかけた遺跡が現存している。
周囲には植物が多い茂り、夜間は暗闇に包まれる。ミュータントの群れが住み着いているという噂や、北の遺跡に出向いたものは誰一人帰らないというゴシップがはびこり、近年は誰も寄り付かなくなった。
それまでは、それなりに手入れもされていたのだろうが人が寄り付かなくなって以来、荒廃ぶりは目を覆うばかりだ。
空には赤い満月が浮かんでいる。
核が地上で炸裂して以来、月は赤く見えることのほうが多くなった。大気中の光の屈折率の関係で赤く見えるだけなのだが、人々は赤く輝く月をあまり快く思っていない。ことに、殺人事件が発生するようになって以来、赤い月の光を浴びないようにと、夜間外出する人はいなくなったぐらいだ。
そのような中、多い茂る木々の中を、人が一人、歩いている。
周囲は暗く、顔までは見えないが、体つきから男性のように見える。
男は、周囲の植物に体が触らぬように、音を立てぬように、ゆっくりと歩みを進める。何かを探しているらしく、用心深く辺りをうかがっている。
足を踏み出した。硬い何かを踏んだ。
パキッ、という乾いた音がした。
はっとして、男は歩みを止める。耳を済ませる。
だが、こちらへ何かが向かってくる音はしない。そのような気配もない。
身の安全を確認してから、自分が踏みつけたものを確認する。青白く、細長いものだった。
「骨……」
周囲に目をやると、辺りに白骨化した骨が散らばっている。
「人骨か……近くにいるな」
男は口の中でつぶやく。
不意に、前方から金属をこすり合わせたような音が聞こえてきた。歩みを止め、様子を伺った。男が歩みを止めると、金属音はしなくなった。そのまま、しばらく前方に注意を集中する。音は聞こえてこない。
もう少し近づき、様子を伺おうとしたところへ人の喋り声が聞こえてきた。
「さっき音がしなかったか?」
金属をすり合わせた音が、その声に答える。
「気のせいだろ、ミュータントが歩き回ってるに違いない」
金属音は、人語を話した。説明のしようはないが、金属音は確かに言葉に聞こえるような音になった。
「特に人の気配も感じない」
金属音が続けて唸った。そうだな、と人の声を持つほうが答えて再び沈黙の空間に戻る。
前方に、ミュータント以外の生物の存在を確認すると、男は背後にぶら下げていた銃のグリップを改めて握った。昼間でも多い茂る植物で視界が通らないのに加え、今は夜だ。生物の視認はできていない。しかし、構わずに男は銃を構える。どうやら前方にいる奴が、彼の探していたものだったようだ。
相手の気配だけを頼りに、照準を合わせる。
相手に気取られないように殺気を押さえ、トリガーに指を掛ける。
そして、セーフティを外す。
乾いた音が二回、赤い夜空に響いた。
どさりと、質量の大きなものが倒れる音が一回だけした。
男は表情を変えることなく、セーフティを掛けなおし銃を尻の横のホルスターに押し込んだ。先ほどとはうって変わり、気配を隠すこともせず、植物を掻き分け、自分が銃弾を打ち込んだ先を確認しに行く。
視線の先には、人にしては節くれだちすぎた、奇怪な外見をした生物が倒れている。月の光が差し込んでいて、その奇怪さがことさら際立っていた。視線を上空にずらす。そこは密集する植物の切れ目になっていた。
先ほど倒れたのはこいつのようだ。もう一体人間がいるはずだが、それの姿は見えない。そのことが気にならないのか、男は自分が殺害したであろう生物を覗き込む。赤い水たまりができているが、気にせず近寄り、その上にかがみ込む。
事切れている。
人間らしさを留めた頭部の右半分が吹き飛び、脳髄が周囲に飛び散っている。気配だけを頼りに打ち込んだ銃弾は、頭部を直撃していた。
突然視界が暗くなる。
もう一人の人間が、上空から飛び掛ってきた。当然背後を狙われた。男は反射的に振り向いた。対峙する者の赤く輝く瞳が見える。そいつには特に外傷は見られない。ニ発の銃弾は、ニ発とも先ほど倒れた生物に突き刺さったらしい。
上空から飛び込んできた人間は、奇妙に、そして扁平に変形した腕部振り上げた。
振り下ろそうとした時、男が無造作に突き出した左手の指が眼窩に突き刺さった。構わず腕を振り下ろす、しかし攻撃は元相方の体に食い込み、対峙する男には当たらなかった。男は眼窩に突き刺さった指を手前に折り曲げ、地面に落ちた相手の足を踏みつけ体重を掛ける。相手は暴れて逃げようとするが、元相方に深く食い込んだ右手がどうもがいても抜けない。
男は、ホルスターから銃を引き抜いた。
そして、そのまま勢いよく目の前に這い蹲る人間の延髄を打ち据えた。
手にべったりとついた血を、無造作に上着で拭い取る。
足元に転がるニつの死体から、シルバーのプレートを浚い上げ、男は背を向けた。
足を踏み出すと、また何かを踏みつけた。今度は、やわらかい物だ。そのままずるりと滑った。
足元にあったのは千切れた人の腕だった。まだ新しいものらしい。気候も手伝い、腐敗は進んでいなかった。周囲に飛び散る脂肪に足を取られたようだ。
男は顔色一つ変えずに、靴に付いた脂肪の玉を振り払い、その場を後にした。