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ブラウンストーン  作者: tate
4: フェイタル・シアーズ
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-1-

 コツコツコツ、とペンの天ビスでテーブルを叩いた。記事の締め切りが近づいているというのに、今日に限って文章が出てこない。上手くいかないものだな、と左手で前髪を掻き上げ、チサトは大きく伸びをした。そのまま背もたれに体重を預ける。

 プラントアーシで得た情報、ジオフロントに関わる諸々のことは、結局チサト達三人だけが知っている。アーシの情報屋が、あの話をどのように扱っているかまでは把握していないが、チサトの口からは誰にも話していない。あれから、頻繁にワタリ宛にユッカから電話が掛かってくるようになったが、ワタリもジオフロントのことには全く触れてこないところを見ると、ユッカ達も地下で見聞きしたことはオフレコにしているのだろう。大々的に公表したところで、誰が得をするわけでもない情報なんて、そんな物だ。

 テーブルの上に置きっぱなしになっている本を、何気なく手に取った。付箋がベタベタと貼られたそれはレシピ本だった、ワタリが誰かから借りてきたものを、ダイニングに置きっぱなしにしていったようだ。ページを捲ると、様々な菓子の作り方が目に飛び込んでくる。自分も少しぐらいは料理をした方がいいのかしら、そんなことを考えながら、本をテーブルの上に戻した。

 今日中に全体の七割は書いてしまいたい。さて、と万年筆を握り直したところに、「チサト」と蚊の鳴くような声がチサトの耳に届いた。絞り出されたその声に顔を上げると、青白い顔をしたジノが戸口に立っていた。少し前屈みに、体を壁に預けるようにして、少年はそこにいた。

「お腹痛い……」

 これまでどれだけ馬鹿食いをしても胃腸を壊したことのなかったジノが、腹痛を訴えるなんて珍しい。珍しいが、それ以上にあまりに尋常ではない様子に、チサトはペンを置いて腰を上げた。

「どうしたの。何か変な物でも食べた? ってご飯は私と同じ物しか食べてないわよね」

 ジノの額に手のひらを当てる。特に熱が高い感じはないが、その足下はふらついていて、立っているのすら辛そうだ。

 ジオフロントで聞いた話をふと思い出す、ジノは何らかの薬を常時服薬していたはずだ。どこにあるのだろう……ジノが知っているだろうか。何ともタイミングの悪い話だ。ジノの体調のことならワタリの方が詳しいだろうが、その彼は今、テート保安官の手伝いで家を空けている。

「とりあえずベッドに行こう。歩ける?」

 少年はこくりと一つ頷いた。

 ジノを背中から支えながら、ワタリとジノの二人がベッドルームとして使っている部屋に足を踏み入れた。部屋の中は、窓から差し込む太陽の光でほどよく明るくて、二つ並べられたベッドは、シーツも上掛けもきっちりと整えられている。全くもってワタリはまめな男である。

 のろのろと、緩慢な動作でベッドに潜り込んだジノを見届けると、キッチンから水を持ってきた。

「ジノ、薬ってどこにあるの?」

「そこの引き出しの中。白いカプセルだから見ればわかるよ」

 と、ジノは二つのベッドの間にあるサイドボードを指さした。引き出しは三つ、どの引き出しか問い直そうとジノを見遣るが、枕に顔を埋め、体を丸めて痛みに耐えるその姿に、言葉を飲み込んだ。白いカプセル、自分で探せばいいか。

 一番上の引き出しを開ける。

 細々とした日用品の他に、橙色とピンク色の錠剤が散在している。プラスチック製の容器に一錠ずつが分封されているそれを、一つ取り上げる。橙色をした円形のそれは、どう見ても白いカプセルではない。もう一つのピンク色の錠剤もそうだ。ジノの薬ではない。ということは、ワタリの個人的な所有物ということだろうか。

 アストラグ、ピンク色の錠剤にはそう記されている。一体何の薬なのだろうと一寸疑問を抱きつつ、容器に書かれていた名前を頭に刻む。後で調べてみよう。

 白いカプセルは上から二段目の引き出しに入っていた。

「幾つ飲んでるの?」

「一個」

 言われるままに一錠容器から取り出し、コップと共にジノに渡す。

「他に必要な物、ある?」

 ううんないよ、と薬を飲み込みながら、ジノは首を横に振った。再びもそもそとベッドに潜り込んだジノは、目と鼻をちらりと覗かせ、チサトを見上げた。

「ボク、大丈夫だからチサトは仕事してていいよ」

「ホントに? 側にいなくて大丈夫?」

「うん、だいじょぶ。まだ明るいし」

 そうは言っているが、不安なことには違いないはずだ。さっさと仕事を終わらせて側にいてあげよう、そう思って腰を上げる。

「カーテン、開けとく?」

「うん」

「じゃあ、また後で来るね」

 寝室のドアは開けたままに、チサトはダイニングに戻った。

 ワタリが帰宅したのは、そろそろ夕食の支度に取り掛かる頃合いになってからだった。すぐにジノが腹痛で寝込んでいる旨を伝える。

「腹痛……ですか?」

「相当痛そうだったから、ベッドに寝かせてるの。普段飲んでいる薬は昼間も飲ませたけど」

 そうですか、と生返事を返しつつ、ワタリが寝室に足を向ける。チサトもその後に続く。

 ベッドに横になっているジノは、すやすやと寝息を立てていた。それでも横を向いて体を丸めたまま、眉を寄せたままの顔を見ると、すっかりよくなったとは言えない様子だ。ワタリがジノの額に手を当てると、ゆっくりとジノの瞼が開いた。

「熱はないですね。ジノ、何か食べられそうか」

「ん~……まだ痛い、けど……薬飲むから?」

「そう、いつものに腹痛に効く薬も追加しようか。野菜スープ、残っていたかな」

 持ってきますね、とワタリが部屋を後にする。

 その背中を見送ってから、チサトはベッドサイドに腰を下ろす。ベッドの中に沈んだままのジノの額にそっと手を乗せた。そのまま、少年の小さな頭を撫でる。相変わらず顔色はすぐれないままだが、こそばゆそうに小さく笑うとジノは目を閉じた。

「チサトの手は温かいね。ワタリの手は大きいけど、ボクはチサトの手の方が好きだなー」

「そりゃあね、私も一応女の人だし。原稿はきっちり終わらせたから、今日はずっと側にいるわよ」

 スープを手に戻ってきたワタリが、昼間の白いカプセルの他に錠剤を四つ、トレーの上に置いた。ジノはそれが何なのかを既に理解しているのか、黙々とスープを食べると、何も言わずに錠剤も口の中に放り込んだ。

 ジノを寝かしつけてから、チサトとワタリと、二人っきりで普段よりも少し遅い夕食を取る。ワタリは元々多弁ではないし、チサトも軽口を叩く気分にはなれず、黙々と食事を口に運ぶ。ダイニングは妙な沈黙で包まれていた。チサトが口を開かないせいもあるが、この家が賑やかなのはジノのお陰だったのだ。そんなことにふと気が付くのと共に、やはりはっきりとさせておきたいことは口にしなければダメだと、チサトは顔を上げた。

「ねえ、ジノってあとどれぐらい生きられるの?」

 声のトーンを若干落として問い掛けると、ワタリはふとフォークを持った手を止め、チサトの顔を見た。

「聞いた話だと、ジノって本当は十年ぐらいしか生きられないんでしょう。でももう十三歳だって言ってたから」

「そういう意味では、いつガタがきてもおかしくはないです。腹痛も、弱った胃腸が感染症を起こしているのでしょうし」

「……大丈夫なの?」

 恐る恐る問いを重ねる。僕には何とも言えないのですが、とワタリは言葉尻を濁した。

「一応、こういう事態も想定してきてはいましたから。先程ジノに飲ませた薬は抗生物質と鎮痛剤です。薬が効いてくれれば治ると思います、ひとまずは二、三日様子を見ましょう」

 そうね、と返す他なかった。


 翌日、チサトは〇四三ニュースの編集部に原稿を渡しがてら、坂の上にあるハインリッヒ親子の営む雑貨屋に足を伸ばした。プラントエルフィンで薬が手に入る場所といえば、ハインリッヒ雑貨店か診療所のいずれかだ。診療所では調合された薬を渡されるだけだから、自分で薬を選ぶ場合は雑貨店に来るしかない。

 あくびをかみ殺しながら、昨日目にした名前の薬を探してあちらの棚をうろうろ、こちらの棚できょろきょろと歩き回る。それでも目的の代物は見つからず、首をかしげていると流石に声を掛けられた。

「やあ、チサトちゃん。今日は何を買いに来たのかい?」

「ハインリッヒさん、こんにちは」

 リックの父親だ。仕入れる品の種類と数は親父の一存で決まっている、といつぞやリックが話していたことがあった。自分で探すのよりも、この店の棚にあるものを全て把握している人に尋ねてしまった方が早い、か。

「えっと……アストラグって薬、ハインリッヒさんはご存じですか?」

「アストラグ?」

 そう呟くと、ハインリッヒは僅かに眉を寄せた。尋ねては不味い代物だったのか、咄嗟に思いついた嘘を被せる。

「プラントアーシの知り合いの方が、そういう名前の薬を飲んでいたもので。どこか具合が悪いのかと気になったんですけど、聞けなかったんですよ」

「プラントアーシか」

 確かにあそこならあるかもしれない、とハインリッヒは納得したかのように独りごちた。

「年を取ると物忘れをするようになるけど、そういう症状の出る病気があることを知っているかい? 昔は認知症なんて言ったようだけど」

「病気なんですか? お年寄りの物忘れって」

 全てが病気ではないけどね、とハインリッヒが言葉を続ける。

「アルツハイマーという名前の病気があって、アストラグは確かそれの薬だったはずだよ。詳しいことは私も知らないが」

 アルツハイマーという名前は、確か書籍で見たことがあった。老齢になると発症する病だったように記憶している。何故そんな薬が家にあるのだろうか。

 心の澱は降り積もるままに帰宅する。玄関をくぐると、ふといい香りが鼻先をかすめていった。キッチンを覗くとワタリが鍋をかき混ぜていた所だった。彼は背中を見せたまま口を開く。

「お帰りなさい、チサトさん。今日の夕食はポトフにしますね」

「ただいま。ジノの様子はどう?」

「特に変わりはないですよ、薬が効いているみたいで今は調子いいみたいです」

 ジノの様子を窺うために寝室を覗くと、少年はベッドの中で丸くなって眠っていた。午前中はまだ痛みが取れていない様子だったが、今は穏やかな表情をしている。ほっと安堵の息を吐きつつベッドサイドの椅子に腰掛けた。

 このままジノが元気になって、何事もなかったかのように普段の生活が出来るといいのに。


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