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ブラウンストーン  作者: tate
3: タイニー・コーナー
17/28

-5-

 ジオフロント特有の事柄の話題は、ドールの話が最後になった。それ以降は、当人が居ないことをいい事に、ワタリを話のネタに暫し盛り上がることとなった。

「へえ、じゃあウスイは今、主夫をやっている状態なんだ。……アタシの知るウスイ像と掛け離れすぎていて想像できないよ」

「でもやっぱり家事はやったことがなかったみたいで、一番最初は朝食のトーストすら作れませんでしたから。食パンが何故か炭になってて……今考えても、何をしたのか全然わからないですよ」

 チサトとレッシュが盛り上がる脇で、ジノは腹も満たされたのか、カウンターの脇にあったマガジンラックから雑誌を引っ張り出してきて読んでいるし、ユージンはカウンターの中に戻り相変わらず新聞を広げている。

 そうだ、とジノが顔を上げた。

「チサト、時間大丈夫?」

 そう指摘されて慌てて時計盤に視線を落とす。待ち合わせの時間まで後三十分程、ここに来るまでにそれほど長く歩いた印象はないが、そろそろ出た方がいい。

「そろそろ戻った方がいいかも」

「それじゃ行こっか。ユージンさん、レッシュさん、有難うございました」

 スツールから飛び降りたジノがぺこりと頭を下げた。ユージンは読んでいた新聞をカウンターに置くと、チサトとジノを交互に見遣った。視線はジノを一瞥した後、チサトの顔で止まった。

「いいや、大したことではないよ。レイナードさん、困ったことがあればまたここに来るといい。多少の手助けはできると思う」

「あ、はい。有難うございます」

 腰を上げたチサト達を見遣り、レッシュがグラスに残っていた紅茶を一気に飲み干した。

「じゃあ、アタシも一緒に出るわ。隊長、また来るよ」

「……レッシュ、少しいいかい?」

 店を出る直前に、ユージンがレッシュを呼び寄せた。小型の携帯端末を片手に、ユージンがレッシュに何かを告げる。レッシュは逡巡した表情を一瞬作ったが、「今のアタシはそういうのからは中立だから」というレッシュの言葉だけが、チサトの耳に届いた。

 三人揃って店を出る。方向が一緒だからと、先に約束した待ち合わせ地点の側までレッシュも同行することになった。

「あの、レッシュさん」

 と、小声で呼びかける。何だい? と視線だけが帰ってきた。

「ワタリくんって、普通に男の人ですよね?」

「まぁ、どう考えても女ではないね。……どういう意味?」

 平然と返されて、チサトはもごもごと口ごもった。直球で聞いてしまうのもアリだが、それはあまりにデリカシーがないと思うのだ。

「その……私はあまり女性として見られていない気がして」

「あっはっは、そういうことか。そりゃそうだろうねぇ。ウスイにしてみればアンタは姪っ子みたいなものだろうし」

「姪っ子?」

 選んで発したはずの言葉に、哄笑が返って来て内心ムッとした。ゴメンゴメン、とレッシュがチサトの肩を軽く叩く。

「姪っ子というか、ウスイの年齢を考えるとそれぐらいかなと思ってさ」

「……ワタリ君って私と同い年ぐらいじゃないんですか?」

 そう尋ねると、レッシュがまじまじとチサトを見つめてきた。

「ジオフロントでは人間を遺伝子レベルで弄れるって話はしただろ? アンチエイジングの技術も発達しているからね、ここでは見た目と年齢は釣り合わないよ。ああ、もちろんウスイは見た目の為にアンチエイジングに手を出しているわけではないけどさ。アイツ、今何歳だろう……アタシも具体的な年齢は知らないけど、四十……五十? もっと上かも」

「そ、そうなんですか……」

「そうそう。でもまぁ、あんまり気にしなくていいんじゃない? 恋愛に年齢は関係ないよ」

 見た目と年齢が釣り合わない、考えたこともなかった。実は親子ぐらい年が離れていたのだとしたら、ワタリがチサトのことを娘みたいに見ているのも何となくは理解できる。

 レッシュはああ言ってはくれたが、要するに今以上の関係を望むのはますます非現実的になったということなのでは……もやもやするものを噛み下していると、ジノと目が合った。

「ジノ、知ってた?」

「知らないよー、ボクとワタリの付き合いは五年だけだもん」


 レッシュと途中で別れ、待ち合わせ場所に辿り着いたのは約束の時間よりも五分ほど早い頃だった。ワタリ達の姿は見えない。

「私達の方が早かったみたいね、珍しい」

「そーだねー。ワタリ、あの男の子達に引っ張りまわされてたりして」

「それは大いに有り得るわ。暫く待とうか」

 ジノが引き合わせてくれた二人の人物、ユージンとレッシュは随分とチサトに好意的だった。かつての同僚が世話になっている人間だからかもしれないが、そんなウェットな人間関係はジオフロント……と称されるここでも有り得るのだろうか。

 無論、プラントエルフィンなら、隣人は皆友人だ。プラントアーシはもう少しドライな人間関係で成り立っているようだが、知人に力を貸す関係は有るだろう。それでも、やはり何かが腑に落ちない。彼らには、チサト自身に具体的な好意を抱く何かがあるような気がする。単なる記者の感、女の感だがそんな気がする。

「何かさー、ちょっと意外」

 藪から棒に、ジノがポツリと零した。

「何がよ」

「ワタリが傭兵やってたって話聞いても、チサトは全然驚かなかったでしょ? 何か意外だなーって」

「そう?」

「うん。だって、今のワタリからはあんま想像できないじゃん」

「一応、ワタリ君自身から兵役に就いていたという話は聞いていたし、むしろレッシュさんの話を聞いて納得したって感じだけどね、私は」

「納得?」

「そう。色々と……北の遺跡の件もそうだけど、ワタリ君は表に見せている表情よりも、実はずっと冷めた性格をしていると思うんだ。流石に、無理やり演技しているとは思わないけどね。もっとドライで、そうだなぁ……夢は見ないって感じ?」

「夢は見ない?」

「うーん、そんな感じだなと思って。どちらかというと、ワタリ君が思っていたより全然年上だった方がショックだわ」

 ふーん、とジノは露骨に詰まらなさそうな相槌を打つ。

「何よ」

「ううん、何でも」

 と、ジノは唇を尖らせた。


 それから間も無く、ユッカとユキジの二人が戻ってきた。長身の青年の姿はない。どこかではぐれたのか、はたまた別行動を取っているのか……もっと責任感のある人かと思っていたのに。

「おお、姉さん早いねー、時間通りだ! ……あーと、兄ちゃんなら後から来ると思うぜ。放り出されたわけじゃねーから」

 チサトの表情からその心情を悟ったのか、ユッカが先んじて口を開いた。

「何でも、昔の恋人によく似た人を見かけたとか何とあだっ! お前なぁ、人の頭殴んなよ。折角のお頭がダメになったらどーすんだ」

「……確かに、それ以上悪くなったら、困る、ね。ゴメン……」

「ちょっ、その言い方は酷いッス」

 ユッカの茶々を軽くあしらい、ユキジがチサトを見上げる。帽子のつばの向こうに見えるブルーグレーの瞳は相変わらず虚ろだ。

「ワタリさんは、知り合いに似た顔を見かけたって。それで、私達とは別行動、している……あの、ワタリさんは以前、この辺に住んでいたことがあるって……」

 躊躇いがちにユキジが言葉を紡ぐ。ワタリが地下世界の住人であった過去があるという事実を、チサトは知らないかもしれないと、そう気遣ってのことだろう。しかし、ほんの数時間前のチサトすら知らなかったことを、この子達は何故知っているのだろうか。

「あえ? ワタリ、二人には話したの?」

「話した……というよりは、状況証拠でわかった……という感じ。私もユッカも、英語喋れないし……」

 成程、この二人もきっとチサトと同じで、エスペラントしか操れないのだろう。チサトの方はユージンもレッシュもエスペラントを話していたが、ここではエスペラントを操れる人は少数派で、だからワタリが仲介せざるを得なかったといったところか。

「兄ちゃんに通訳してもらったおかげで、情報収集も快調だったぜ。オレっち達が向かった方向には検問があったんだけど、えーと……」

「アーシと違って、ここでは人種差別が凄くあるって……」

「人種差別?」

 二人の言葉にチサトは首を傾げる。レッシュ達の話にそういう事柄は出てこなかった。

「そうだぜ。姉さんやオレっちとかユキジとか、白人は差別されてるらしいぜ。兄ちゃんがそう言ってた。後、検問を通ることは出来なかったな。情報屋としては、あの先に何があるのか気になる!」

 プラントエルフィンでも人種差別はない、少なくともチサトは知らない。利用できる資源が乏しい地上では、プラント内の住人同士でいがみ合っている余裕まではないのだ。尤も、あそこの住人はほとんどが白人だから、そういう側面もあるのかもしれないが。レッシュ達がこのことを口にしなかったのは、不要な情報だからなのか、チサトに気を使ったのか、当たり前すぎて語るまでもなかったということなのか。

「姉さんの方はどうだった?」

「地元の人に話を聞いただけだから、当たり障りのない情報しか聞けなかったけど。この辺はランス市の白人街なんだって。正式名称は居住区域Cというみたいだけど」

「ランス……そういえば、そういう看板が、あった……けど」

「ランスというのは、プラントアーシが出来る前にあった都市の名前ね。かつての大戦で荒廃してしまったみたいで、今では全然名残はないらしいわよ。それはプラントエルフィンも同じだけど」

「ふーん。にしても、Cって何だろ?」

「単純に区画の名前かしら。Aから順に、機械的に区画名を割り振っている……とか」

 そんなことを呟いてみたが、誰からも答えは返ってこない。ユッカもユキジも知らないのだから当たり前だ。ジノも知らないのだろうか、と見遣ると、大きな欠伸を一つしてむにゅむにゅと瞼を擦っていた。

「眠いの?」

「んー、一杯歩いたから疲れちゃった」

 大人のチサトにとっては大した移動ではなかったが、ジノの身丈には負担が大きかったみたいだ。大体、チサト自身が平均的な成人女性よりは断然脚力はある、それに合わせて歩いてきたジノが疲れ果ててしまうのも当然というものだ。

「帰りはワタリ君におんぶしてもらえばいいわよ」

「そーするー……」

 ジノの頭がかくりと傾き、チサトの足にぶつかり始めた頃、あ、兄ちゃんだ! とユッカが声を上げた。

 彼の指差す方向を見遣ると、長身の青年が小走りにやってくる姿が写った。へろへろと走ってくる彼は、ユッカ達が歩いてきた方向と同じ方角からこちらに向かってくる。……途中でたまたま見知った顔に出会った、という話は全く嘘ではなさそうだ。

「すみません、遅くなりました」

 合流して早々、申し訳なさげな表情でワタリは頭を下げた。

「ホントにおせーよ、兄ちゃん! ……で、上手くいったのか?」

 ずずいと身を寄せて、ひそひそと小声で尋ねるユッカの姿に、ワタリが首を傾げた。

「上手く……? ああ、そういうことですか。って、いやだからそうじゃなくて」

「解ってる解ってる、皆まで言うなだぜ、兄ちゃん。フラれたんだな」

「いや、違……もうそれでいいです。情報は?」

「ワタリ君を待っている間に一通りシェアしたわよ」

 そっけなくそう言うと、すみません……と改めてワタリは頭を掻いた。

 今にも寝てしまいそうなジノをワタリの背に預ける。ユッカとユキジが背中を向けているのを見て、そっとチサトは囁いた。

「で、知り合いにあってたの?」

「え、いや……ええと……」

 しどもどとワタリが口ごもっていると、彼の背中に負ぶわれたジノが眠たげな目を上げ、

「ボクの薬を受け取ってきたんじゃないの?」

 と口を挟んだ。

「レッシュさんとユージンさんに一通りの話はしてもらったから」

 ジノの言葉に、ワタリの眉がピクリと動いた。一通り? と呟いたワタリは無視して、ジノは緩慢に視線をチサトに向ける。

「ボクさ、こう見えてももう十三年は稼動しているから、延命のための薬が必要なんだー。ワタリが調達してきてくれてるんだよー」

 十三年、とチサトが繰り返したのを見て、「本当に一通りの話は聞いたんですね」とワタリが嘆息する。眼鏡の奥の双眸にはこれと言った変化は見られない、感情の動きが本当に目に出ない人だ。

「とにかく、今日のところはこれで引き上げましょう。カツラギさんにも得られた情報を伝えないといけないですしね」

 さあさあ、とワタリが一行を促す。ユッカを先頭に、先程も通って来たトンネルへと足を向ける。

 不意にチサトの背筋にぞわりと寒気が走った。咄嗟に周囲を見回してみるが、チサトを凝視する視線どころか、彼女達の行動に目を向けている人すらいない。あの寒気は誰かにじっと見つめられた時に感じるものに似ていたのにな、と左の二の腕を右手で数回さする。

 ワタリがふとチサトに目を向けた。

「どうかしました?」

「ううん、なんでもない」

 そうですか、とワタリはすぐに前を向いてしまった。

 冷たい……チサトのことを気に掛けているのはわかるのだけど、表面的な所しか見ていないことを改めて実感する。心の柔らかいところには絶対に足を踏み入れてこない安心感もあるけれど、それはそれであんまりな気がしないでもない。


 帰り道も、行きに使ったカードキーでドアロックを解除することが出来た。一つの扉なのだから、一つの鍵で解除できて当たり前なのだが、ワタリが僅かに怪訝な顔をしていたのがチサトには気になった。

 入ってくる時に使ったシャフト内には、流石にカツラギの姿はなかった。それでもアーシまで戻ってみると、すっかり夜も更けてしまっているというのに、明かりを灯したまま彼女達の帰りを待っていてくれた。

「ほう、ではあのカードキーでちゃんとその先に行くことが出来た、と」

「おうよ! 帰りもちゃんとこのカードでロックを解除できたんだぜ」

 ユッカの言葉を聞いたカツラギ老人が、ふむ……と顎を撫でた。

「ユッカ、お前に渡したカードキーじゃが、それは処分した方がいいの。そこの灰皿に出しなさい。ワシが持っているキーも燃やしておくことにするかのう」

「え……何でだ? じっちゃん。このカードキー持っとけば、また地下に行けるじゃん」

「ユッカよ、もしワシの店に泥棒が入ったらどうする?」

 いきなり何だよ、とユッカが唇を尖らせた。尖らせたまま、眉を寄せて腕を組む。むむーと呻きながら、辺りをうろうろ歩き回る。

「犯人を捕まえるのは当然として、何を盗られたとか、何をされたとか調べる」

「他にはどうする?」

「他ぁ? 他って……ん?」

 腕を組んだまま、ユッカはぐねっと上半身を横にくの字に曲げた。腰掛けて茶をすすっていたユキジが顔を上げると、「お前わかる?」とユッカが問い掛けた。

「私なら……家の鍵も替える、かな。家を直す、ついでに」

「家が壊れてなかったらどーすんだ?」

「壊れてなくても、替える……に決まってる、じゃない。……合鍵、作られてたら、押し入られ放題……でしょ」

 あ……とようやく気がついたユッカが、ぱかんと口を開けた。間抜けたその横顔を見ながら、ユキジが小さく溜息を吐く。

「馬鹿……」

「バカ言うな!」

「ユキジの言うとおりじゃな。いちいちドアロックのログを確認しておるかはわからんが、少なくともこのキーが偽造であることは調べれば容易にわかるじゃろう。だから、このカードキーはもう使わない方がいいということだな」

 ユッカがポケットに手を突っ込む。カードキーをそこから引っ張り出すが、それを灰皿の上には置かず、角を挟み持ってくるくる回している。唇をとがらせた表情が、不満で充ち満ちていた。

「ユッカ君。僕もそのカードキーは、もう使わない方がいいと思います。使わないだけでなく、速やかに証拠が残らない形で処分した方がいいでしょうね」

「むー……」

 ユッカも、ワタリが言わんとしていることは理解しているだろう。地下世界……ジオフロントのことを、地上の人々はほとんど、いや、少なくともチサトは全く知らなかった。それはつまり、地下と地上の人の移動が非常に困難であるということだ。ただ、あのドアロック自体はプラントアーシの情報屋でも解除できてしまう程度のロジックしか実装されていなかった。だからきっと、別のシステムで人の移動が厳重に管理されているのだろう。

 具体的にどのようなシステムなのかはチサトの想像が及ぶ範囲ではないが、人の出入りは監視されていそうだ。カードキーを使ったときのワタリの表情を鑑みると、ドアロックの解除そのものがチェックされているのではないか、チサトは思う。

「兄ちゃんもそう言うなら……ちぇっ」

 カードキーはユッカの手を離れ、乾いた音をたてながら灰皿の中に落ちた。カツラギはその上に屑紙を放り込むと、火をつけた。炎の熱でカードキーが表面から蕩けていく。

 ジオフロントに外部から人が入り込んだことは、直に相手、すなわちあの扉を管理している者に伝わるだろう。今回と同じようにカードキーを偽造しても、きっとあの扉はもう開くまい。ユッカ達が今後もジオフロントと関わり合いを持つことはないと思う。

 チサトは好奇心で……それに、得られる物があれば飯のネタにもなるかと思って……首を突っ込んでみたが、ここで知ったことはプラントの人々には伝えない方がいい気がする。チサトの一存で判断できることではないが、新聞の記事にするのは早計だ。それに、彼女自身もこれ以上は関わり合いにならない方がいいとも思う。

 でも……と、ワタリとジノを一瞥する。

 漠然と、今日の出来事がこのまま風化していくとは思えなくてならない。


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