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ブラウンストーン  作者: tate
3: タイニー・コーナー
13/28

-1-

 プラントアーシから戻って、そろそろ二週間が経つ。

 その間、プラントエルフィンでは特筆すべき事件もなく、チサトはこれまでどおり新聞を発行しながら、カツラギからの便りを待っていた。

「お茶にしましょうか。郵便屋さんもそろそろ来る頃ですしね」

 ダイニングテーブルに散乱している原稿を、ワタリがかき集め、ティーセットを置くスペースを作る。

 テーブルの上に置かれたバスケットを覗き込み、チサトが一言。

「今日のお菓子は何? ビスケット……じゃないわよね。サブレ?」

 ナベットですよ、とワタリが答えると、「えー……」とジノが頬を膨らませた。

「ボク、ナベット好きじゃない。オレンジの花の水がヤだ」

「でもオレンジの花の水を入れなかったら、プロヴァンスのお菓子じゃなくなるし」

 慣れた手つきでカップに紅茶を注いでいくワタリの手元を見遣りつつ、この人も上手くなったもんだなぁなどと、チサトは内心感心する。チサトの家に彼らが転がり込んできて以来、ご飯ぐらいは作りますよとワタリがキッチンに立つようになった。始めのうちは、食パンを一枚トーストにすることすら出来なかったのに……食パンがフライパンの上で炭になっていたのだ。何故炭になるまで放置したのか、今考えても謎だ……今では、プラントのお年寄りから仕入れてきたレシピを元に、食事からデザートまで何でも作る。

 元々手先が器用なのかもしれないが、すごい適応っぷりである。

「オレンジの花の水?」

「ええ。オレンジの花を蒸留して取り出した、エッセンシャルオイルの残りみたいなものらしいですよ。お菓子に入れたり、アロマセラピーに使ったりするんです。チサトさんも使いたければどうぞ、キッチンに瓶がありますから」

「……使わないわよ、別に」

 アロマセラピーなんて柄でもないしね、とチサトは肩を竦めて見せた。

 玄関の方から、「こんにちわー」と声が聞こえてきた、いつもの郵便配達の人のものだ。「はーい」とワタリがエプロンをしたまま応対にでる。そしていつもどおり、二人でダイニングに戻ってくる。

「今日は頂いたオレンジ花水を使って、ナベットを作ってみたんですよ」

「おお、本当ですか!」

 二人の会話を聞いていたジノが、唇を尖らせた。

「ワタリにオレンジ花の水を渡したのって、ポンセさんだったんだ……余計なことしちゃってさー」

「イヤなら食べなきゃいいじゃない」

「おやつを食べないとボクは死んじゃうの!」

 ぶつぶつ文句を零しながらも、ちゃんとナベットを両手に確保してあるあたりがジノらしい。

 チサトも一つ、ナベットを手に取ってみる。鼻に近づけてみると、かすかにオレンジの匂いがする。そんなに癖のある味なのだろうか。

「はい、レイナードさん宛てのお手紙です」

「いつもお疲れ様です」

 いつも通り、数通の郵便物を受け取ったチサトは、何気なく裏面の差出人を眺める。 

「……!」

 いつもならお茶の時間は休憩時間と割り切って、仕事の手はすっぱり止めるチサトが、お茶請けもそっちのけ、受け取った封書の一つを開封した。封筒の中から、少し煤けた色の便箋を引っ張り出し、そこに記されている文字を無言で追っている。

 仕事モードに入ってしまったチサトに対して、ワタリもジノも特に何も言わない。

 そして、郵便配達員の男性はワタリの隣……ジノの対面でもある……の席に腰掛けた。

「ポンセさんも、紅茶をどうぞ」

「ああ、有難うございます。頂きます。やはりオレンジ花水はいいですねぇ」

 ナベットを口に運びながら、ポンセがしみじみと呟いた。

「ああ、僕の祖母がよく作ってくれたお菓子なんですよ。祖母も、祖母の祖母からレシピを教わったそうで、僕の家では代々受け継がれているお菓子ですね」

「そうだったんですか。じゃあ、僕の作ったナベットはちょっと味が違うかもしれませんね」

「それぞれの家ならではの味というのも、いいと思いますよ」

 ワタリとポンセの会話を耳にしつつ、チサトは手紙を封筒の中に戻した。

「ってことは、我が家の味イコールワタリ君の味ってことになるのかしらね、うちは」

 本来なら、チサトが母親から受け継いだ料理の味が、レイナード家ならではの味になるのだろうけど、生憎チサトは料理はさっぱりだ。ワタリの味と母の味は同じではないけど、ワタリの味がレイナード家の味でも別にいいと思う。

 でも、ワタリの味に舌が慣れきってしまう前に、母親が作っていた料理を一度ぐらいは作っておいた方がいいかも知れない。一度くらいは、チサトの手料理をワタリやジノに振る舞うべきだろうし。

 ……と、今まで何度も思ってきたが、結局実行に移したことはない。行動力に定評のあるチサトではあるが、こういう家庭的な諸々は苦手なのだ。今回も思っただけで終わるに違いない。


 郵便配達員のポンセが帰ってから、ワタリが、「先程の手紙はなんだったのですか?」と聞いてきた。

「カツラギさんからよ、例の扉を開く目処がついたそうよ。都合のいい時に店に来なさいって」

「ほ、ホントですか?」

「うん。具体的にどうやって開くのかは書いてないけど、さっすが情報屋よね~。私もそういうスキルが欲しいわ」

「……いやいや、これでコネが出来たじゃないですか。それで十分ですよ。チサトさんが一人で何でも出来る必要はないんですから」

 それもそうね、とワタリの言葉に頷く。

「扉の向こうに行ったら、戻ってくるのにどれぐらいかかるかしら。暫く新聞を休まないとダメそうなら、〇四三さんとセブンスさんに穴を埋め合わせてもらうように頼んでこなきゃ。ワタリ君、どう思う?」

「どうって言われましても……」

 洗濯物をチェストにしまっているワタリの背中に声を掛ける。無論、彼だって扉の向こうがどうなっているのか知っているはずがないのだから、こんな問いを投げたところで有意な答えが得られるとは思っていない。頭の中でぐるぐる考えるよりも、言葉にしてしまった方がアイデアが浮かんでくるから、手近にいたワタリに向かって問いを投げただけ。

「一日で戻ってこれるところまで行けばいいんじゃないの?」

 隣でココアを飲んでいたジノが、チサトを見上げてきた。

「それもそうよね。ってことは、プラントアーシとの往復に丸一日掛かるとして、扉の向こうの調査に一日費やす。……新聞は一回だけ休めばいけそうね、これなら代打は頼まなくていいわ」

 予定が決まったら、善は急げよ! とチサトが原稿用紙を広げ始める。

「ねえねえ、チサト。今度はボクも連れてってくれるよね?」

「……別にいいけど、何で? テートさんとのお留守番は面白くなかった?」

 そんなことないけど……とジノが唇を尖らせた。

「三日間も二人がいないなんて、ボクだけ置いてけぼりみたいでヤダ」

 ぷうっと頬を膨らませたジノを見遣る。

 そういえば、とチサトはこれまでのことを思い起こす。大人二人と一緒に暮らしているジノは、比較的自分の意見が通りやすい環境にはいるが、食べ物のこと以外でこの子が我侭を言った記憶は、良く考えればない。ワタリ個人に対して我侭を言っている可能性はあるが、それでワタリが困ったという話も聞いた事はない。

 ジノは妙に達観しているところがあるが、年端も行かぬ子供であることには変わりがないのだ。またチサトやワタリに置いていかれたら、寂しいに違いない。

「そっか、そうだよね。今度はジノも一緒に行こうか」

 ジノはぱっと破顔して、「うん!」と思いっきり頷いた。


 カツラギからの手紙が舞い込んだ翌々日。

 新聞配達でワタリがハインリッヒ雑貨店の前を通りかかると、リックが顔を出した。見知った青年の顔に、ワタリは単車を止めてヘルメットを脱いだ。

「よう」

「おはようございます。こんな時間にリックに会うなんて、珍しい」

「おいおい、毎日このぐらいの時間には起きてるぜ」

 と、リックはおどけて見せた。

「聞いたよ、プラントアーシにまた行くんだってな」

「ええ。何か不都合でも?」

「地下で見つけた巨大な扉を開く方法が見つかったって、チサトが言ってた」

「チサトさんが? お喋りだなぁ……」

 嘆息するワタリの腕を、不意にリックが掴んだ。その顔は真剣そのもの、眉間に皺を寄せ、眉は釣りあがっている。

 リックは顔を寄せ、こう囁いた。

「絶対に止めろ、行かせるな」

 急に詰め寄った友人の覇気に、ワタリは小首を傾げる。

「何故です?」

「説明したってわからんと思うけど、何があってもダメだ。扉は開くな」

 リックは理由を語ることもなく、頑なに首を横に振る。

 その茶色い双眸を見遣りながら、先日、漠然と覚えた違和感は当たりだ、とワタリは確信した。

 ハインリッヒ親子がプラントエルフィンにやってきたのは、八年ほど前だと聞いたことがある。それより以前、彼の家族がどこで何をしていたのかは聞いたことがないが、ハインリッヒ親子は扉の向こうからやってきた。少なくとも、扉の向こうに滞在したことがあるのだ。

 ……ハインリッヒ親子と顔を合わせたのはプラントエルフィンが初めてだったが、懸念の芽は潰しておかなければならない。

 ワタリは口を開く。努めて、平静な声で言葉を紡ぐ。

「……扉の向こうには、地下世界が広がっているからですか?」

 リックは、瞠目した。

「な、な……」

「そこではチサトさんのような白人は迫害されるからですか? それとも、IDが無ければ問答無用で排除されるからですか?」

「お前、何で……」

「何でって、僕もそこの住人だったからですよ」

 口をぱかんとだらしなく開いていたリックは、頭を二、三度横に振った。平静を保ったまま淡々と言葉を紡ぐワタリの態度と、その内容のギャップを飲み込むのに、多少の時間を要したようだった。

「何だ、お前もかよ……ってことは、ジノもそうか?」

 はい、とワタリは小さく頷いた。

「ハインリッヒ雑貨商は、プラントの規模の割に品揃えが良過ぎるのが少し気にはなっていました。でも、地下とコネがあるのならそれも納得です」

「コネって程のものはねえよ。シオンと仲立ちしてくれる顔見知りが居るってだけさ」

 シオン――地下世界の俗称の一つで、コーカソイドの間で使われているスラングだったはずだ。リックは見た目からしてコーカソイドだし、そういうスラングに慣れ親しんでいても不自然ではない。

 そして、コーカソイドのスラングに慣れ親しむ環境……それは、決して裕福な環境ではなかったということだ。おそらく、ハインリッヒ一家は貧困に耐えかねて地上にやってきたのだろう。それならば、ワタリが知らなくても当然のことだ。

「事情がわかっているのなら尚更、チサトを止めろ」

「無理ですって」

 さらりとワタリは言う。

「チサトさんが僕の言うことに耳を傾けて、行動を止めるわけがないでしょう。大体、扉を開ける前から止めたら怪しいですし。僕に出来ることといったら、偽造IDを用意することぐらいです」

「偽造ID? 用意できるのか?」

「まあ、白人街を行動するぐらいの代物なら。生体認証が必要な区域には行けませんけど」

 ワタリの腕をつかみっぱなしになっていたことに、ようやくリックは気が付いたのか、気まずそうにそれを放して腕を組んだ。

「そこまで詰めているんなら、オレからはもう何も言うことはねえ。せいぜい気を付けろ」

「わかっていますって。すぐに戻りますよ」

 曖昧な笑みを浮かべると、ヘルメットを被り直した。

 ハインリッヒ親子は白だと判断していいだろう。チサトのことどころか、ワタリのことすら知らない様子であるし、安定している現状を敢えて捨てる可能性は低い。何よりハインリッヒ親子はコーカソイドだ、同じ人種を無碍には出来ないだろう。

 今後のことを考えれば、理解のある人間が近くにいることはプラスになる。

「おう、またな!」

 手を振るリックに片手を上げて挨拶を返すと、ワタリはアクセルを開け、バイクを発進させた。


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