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ブラウンストーン  作者: tate
2: キー・マイルスト-ン
10/28

-4-

 私は男の人に抱きかかえられ、薄暗い通路をひた走っていた。

 男性の首に手を回してぎゅっと抱きつくと、少し長めの黒い髪が視界を行ったり来たりする。その顔や表情は全く見えない。

 少し視線を上げると、薄暗い通路をぼんやりと映し出すオレンジ色の光がちかちかと瞬く様子が見えた。

 途中、不意に男性は立ち止まると、ドアのサイドに設えられたコンソールを叩いた。そしてモニタを覗き込む。

『データ照合、とりぷるえート認証サレマシタ。ドア、あんろっくシマス』

 ピッ、という小さな音の後に、カチンという乾いた音。そしてドアがスライドする。

 ドアの向こうはさらに薄暗く、オレンジ色の光の数が半減していた。

 一方通行の回廊を進むと、梯子が掛けられていた。男性は私を抱えたまま、片手で器用に梯子を登っていく。

 梯子を上りきった先は、もはやオレンジ色の灯りすらなかった。男性はポケットから小型のペンライトを取り出した。白くて丸い光が、真っ黒な通路の先を照らす。

 その後、もう一枚のドアをくぐった。

『とりぷるえート認証サレマシタ。しぇるたーノろっくヲ十秒間解除シマス』

 そんな人工的な音声と共に、扉が上下に開く。

 扉の先には、二本の金属棒が並行に敷かれた空洞がぽっかりと空いていた。空気の匂いが変わる。先程までは何となく湿っていただけの空気に、かび臭さが混じった。

 私は男性にしがみつく腕に、もう一度力を込め直してその肩に顔をうずめた。男性が地面を蹴る揺れが、私を眠りの世界へと誘っていった――


 チサトの目がパチリと開いた。

 その目が上下左右に動き、白い天井と暗い赤色のブランケットが目に入ってようやく、そういえばここはプラントアーシのホテルだったのだ、ということを思い出して寝返りを打った。ベッドの中にはチサト一人しか居ない。

 夢かぁ……変なの。

「よく眠れました? ってのも変ですかね。おはようございます、チサトさん」

 ユニットバスからワタリが顔を出した。少し困ったような彼の笑顔を見て、昨晩の出来事はやっぱり現実だったのだと考える。

 もそもそと布団から這い出し、スリッパに足を通す。ぼんやりした頭を小さく小突きながら、顔を洗って歯を磨く。

「ホテルの一階のカフェで朝食が食べられるそうですよ。行きましょうか」

 チサトの身だしなみが一通り揃ったところで、二人は部屋を出た。

 バケットとサラダ、コーヒーという簡素な朝食を取りながら、チサトはまじまじとワタリの顔を見た。夢に出てきた人と彼は、似ているような、似ていないような……顔立ちは似ている気もするけど、雰囲気はやっぱり違う。

「今日はアーシ大学に行くんですよね。アポの時間は十時でしたっけ?」

「ん? ええ、そうよ。お昼までには戻ってこられると思う。そんなにヘヴィな話があるとは思えないし、先方もそんなにヒマじゃないでしょ」

「じゃあ、その間僕はプラント観光でもしてますかね。……あの、僕の顔を凝視されても何も出ませんけど」

 バケットを口に運びながらも、ワタリは尚彼の顔を見つめるチサトに対して首を傾げた。

「ううん、小さい頃の夢を見てね。何か不思議だなーと思って」

「小さい頃の夢?」

「そう。小さい頃、私とよく遊んでくれたお兄さんの夢だった。あんまりよく覚えてはいないんだけど、ワタリ君と似た顔立ちだった気がするんだ。その人もモンゴロイドだったのかもね。結構頻繁に遊んでもらってた気がするから、近所に住んでたんだろうけど。今思えばアレが初恋だった気がするなぁ」

「初恋ですか」

「うん、おませさんだったのかも」

 チサトは小さく笑った。

 「僕も大学が見てみたいです」とのワタリの言葉で、二人してアーシ大学までやって来た。彼女達が泊まったホテルからは、徒歩で三十分程の距離である。

 大学の正門で、「では二時間後にここで」とワタリと別れ、チサトは一人で手紙を寄越した教授のいる建物へ向かう。ほぼ約束の時間通りに研究室まで辿り着くと、若い男性が迎えてくれた。バーン研究室の学生だろうか。

 研究室の奥にある小部屋に通された。ブラインドの隙間から入ってくる外の光が、小さな部屋を満たしている。そこに居たのは、髪を後ろに流した壮年の男性が一人。椅子に腰掛け、デスクに向かって何か書類に目を通しているところだった。

 細いフレームの眼鏡の向こうにある双眸が、ゆるりと微笑んだ。

「チサト・レイナードさんですね? 私はレジナルド・バーンです。ようこそおいでくださいました」

 バーン教授はわざわざ席を立ち、チサトを室内に招き入れた。

 バーン教授は、デスクの脇にある小さなテーブルセットのスツールを勧め、自分ももう一つのスツールに腰を掛けた。

 テーブルの上にはチサトの送った写真のコピーの他に、様々な物を被写体とした写真が置かれている。そこに写されている物は、人の腕の様でもあり、植物の茎の様でもあった。

 何だろう、とまじまじと写真を見つめていると、

「それを貴女にお見せしたかったのです」

 と、バーン教授が言った。

 チサトは手帳を開いてから、改めてバーン教授を見遣る。

「これは何を写したのですか?」

「人間です」

「人間? 人の体には見えませんけど……」

 そうですね、と教授が頷いた。

「私も最初に写真を見せられた時は、そう感じました。これには腕しか写っていませんが、その他の部分も併せると人間と称しても問題のない体躯になるのです」

 教授の手が、数枚の写真の位置を入れ替える。

 人だ、と言われてから見れば、確かに人に見えないことはない。

「DNAレベルでの検査でも、現存する生物の中ではヒトに最も近いことが証明されています」

「そうなんですか。しかし、これが私の送った写真と何か関係が?」

「こちらを見てください」

 と、別の写真をチサトに差し出した。チサトの写真のコピーも並べて置く。両方とも、画面の上に直接スケールが描かれていた。

「体の各部位の割合を計測してみたのです。一般的な成人であれば、上腕は身長の十八パーセント程度なのですが、被写体たちの割合は少々逸脱していましてね。その値が私達の元にあったサンプルと、貴女が新聞に載せた写真とでほぼ一致したものですから、何か関連があるに違いないと思ったのです」

「ええと、人体についての詳しいことは知らないのですが、確かにそう言われると全然無関係ではなさそうですね。でもアーシとエルフィンの距離を考えると、どうでしょうか」

 ふむ、とチサトは小さく頷いた。

 バーン教授の元に送られてきたサンプルとは、プラントアーシの近くにあるシャフト付近で発見された人間の遺骸だという。だが、プラントアーシとプラントエルフィンは、百キロメートル以上の距離がある。移動手段はないことはないから、アーシとエルフィンで似た特徴の人間がいたって不自然ではないが、至極当然の出来事でもない。

「レイナードさん、貴女が撮った人物の身元はわかっているのですか?」

「いいえ。プラントエルフィンの人間ではないこと意外は何も。シャフト付近に現れた者が移動して、エルフィンに辿り着いたのかもしれませんね。……何だか、シャフトが気になってきました」

「おお、気になりますか? 場所ならお教えします。しかし、プラントの外れにあるので安全とは言いがたいのですが」

「いやいや、その辺は新聞記者ですから! 取材対象が危険でも大丈夫です、お任せ下さい!」

 と胸を叩くと、その様子がおかしかったのか教授が笑った。チサトも釣られて笑う。

「シャフトの調査にまでは、我々は乗り出していないのです。確かに変わった人間が見られてはいますが、プラント外には未だに汚染物質が残る土地もありますから、遺伝子に変異が起こっていても不思議ではありませんし、調査を行うほどの何かが起こっているわけでもありませんから。飽くまでこれは、貴女の写真に共通点を見出した私の私見です。ですからレイナードさん、あまりに無茶なことはしないで下さい」

 教授は改めて念を押してから、シャフト周辺の状況や、そこで発見された遺骸についての情報をチサトに話してくれた。

 その後丸々二時間。予想以上に話が盛り上がり、気が付いてみれば既に十二時を回っていた。何事もなければこの後昼食を取りながら話の続きを、という流れになるのだが、バーン教授もそれほど暇な人物ではないらしく、今日のところはここでお開きに、ということになった。

 ワタリとの約束は、十二時に正門だったはず。大変! と小走りで正門に向かったチサトだったが、そこにワタリの姿はなかった。彼はチサト以上に何らかの事情で遅れているらしい。

 何だ、走ることなかったな。

 一息吐き、手近な花壇の縁に腰をかけた。

 お昼時ということもあり、人の姿は多い。この状況ならいきなり誰かに襲われたりはしないだろう。

 ――そうだ。ここ一ヶ月の出来事を総括すると、チサトは誰かに命を狙われている。それは間違いないと、彼女自身は考えている。そしてワタリはそのことを理解した上で、チサトと行動を共にしている。そうでなければ、わざわざ大学と駅を往復する道中すらをも共にするわけがない。ジノはどこまで状況を理解しているのかはわからないが、あの子は聡い。だから、チサトの立場が危ういことには薄々感づいているのはないだろうか。

 …………。

 何故だろう。

 真っ先に浮かんだ疑問はそれだ。何故、チサトは命を狙われなければならない?

 記者として活動する中で、誰かの恨みでも買ったのだろうか。……わからない、でもこれといった心当たりはない。

 ワタリに聞けばわかるかもしれない。連続殺人の犯人は、彼らこそがチサトの命を狙う不埒者だとチサトの保護者は見なしている、と言っていたから。チサトの保護者――文字通り受け取れば、彼女の父親のことなのだろうが、父親は既に鬼籍に入っている。

 では、今彼女の身を守っているのは?

 最近の事件を考えれば、ワタリだ。一見すると、彼はのほほんとした人畜無害な青年だが、それは彼の一面に過ぎない。昨晩の一件でもそれは思い知らされた。

 他人の命を奪ってでも、チサトの身を守ろうとしている……可能性は、ゼロではないと思う。でもそれを聞いてしまうと、これまでの曖昧な関係が終わってしまいそうな気がして、チサトからは切り出せていない。

 心地の良い関係を破ってでも、ワタリにこれまでのことを問い詰めるには、もっと決定的な出来事が、彼女の背中を突き飛ばすぐらいの何かが起こらないと、多分ダメだ。

 そんな出来事、起こるだろうか。起こるかもしれない。でも、できる事ならもう、今以上の事は起こらないで欲しい。


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