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“核の冬”とかつての人類が呼んでいたものが訪れて、三世紀ほどになる。
愚かしくも人類は、二十一世紀初頭に核兵器を使用した。かつて、太平洋の片隅に浮かぶ島国がやはり核兵器を落とされたことがある。しかし、それから一世紀近くたった兵器の威力は桁が違った。地表面はほぼ壊滅。特に都市部の損壊は激しく、放射能による汚染を免れた地域は、極部にごくわずか存在するのみだ。
事前に核兵器の使用を予言し、自分らが遺伝子の保存の準備を進めていた先進諸国は、核シェルターを地下深くに建設し、地上部がえぐれてしまったかのような凄まじい核エネルギーに耐え切った。長期に渡る使用を予測し、人工プラントを開発したことにより、半永久的に核シェルター内での生活が可能になった。
しかし、一世紀も経った頃だろうか。人類は太陽光から隔絶された地中深くのシェルター内での生活に耐えられなくなった。日光を求め、まだ放射能汚染が残るであろう地表に出てきたのだった。先人達は自らの犠牲をいとわず、地表面に放射能を遮断するコロニー群を形成、まもなく人類たちは地上で生活をするようになる。太陽光の下での生活に感謝し、人類はつつましくささやかに新たな歴史を刻み始めた。
放射能に汚染された大地を再生させたのは、かろうじて核兵器による無差別破壊から逃れた動植物達である。それらの種類、体積は激減したが極地域に適応した生物が中心になり、不毛の大地と化した地上を一世紀あまりで回復させた。だが、放射線により傷つけられたそれらの遺伝子は、これまでには見られなかった異常な進化を見せるようになる。百年かけて蓄積された遺伝子の変異は、特に植物で顕著だった。核により競合植物が駆逐された大地に、極限の環境に適応してきた植物が入り込み、広がってきたのである。広大な繁殖地を手に入れた植物は、かつての東欧地域にジャングルを形成するに至る。
動物は異なる様相を見せた。遺伝子の変化を修正しきれなくなった種は、身体が巨大化し、凶暴性を増していった。体躯を維持するために次第に人類を襲うようになっていった。初めのうちは、コロニー群から離れた地域に居住していた彼らも、いつしか群れをなしコロニーを襲うようになった。対抗手段をもたなかった人類は、次々と餌食になる。そして放射線により変異した動植物体を「ミュータント」と称し、畏れ忌み嫌うようになった。
人類が「ミュータント」の脅威から逃れられるようになったのは、ここ最近百年ほどのことである。コロニーを守る防護壁をようやく築くことが出来るようになった頃には、人類の数はおよそ半減していた。現在では、まばらに存在するコロニーに人々は身を寄せ合うようにして細々と暮らしている。
シールドで保護されたコロニー……人々は三百年前の技術に敬意を表して、プラントと呼んでいる。生命、もとい人類を育み育てるもの、と言う意味を込めて……は、それ一つが独立した共同体となっている。無論、他のコロニーとの通信手段はある。いや、正確にはあった、だ。ケーブルで結ばれたコンピュータを使用した、通信回線設備が存在する。だがメンテナンスができる人材は非常に少なく、、多くのコンピュータはケーブルの断線およびそれ自身の不具合により、使用できなくなってしまっている。やがて通信回線を介したプラント間の交流は次第に少なくなり、今ではプラントそのものが一つのコミュニティを形成するに至っている。
かつての世界地図で言うところの、フランスの国内に当たる場所にプラントが一つ存在する。比較的規模の大きなプラントだ。今となっては見る影もないが、首都“パリ”が存在したところだ。
パリの象徴的な建造物、エッフェル塔や凱旋門、ノートルダム寺院は現存していない。しかし誰の手によるものか、プラントの中央を走る大きめの道路の両サイドにはマロニエが植林されており、休日には懐古主義者達がシャンゼリゼ通りを満喫しに来ることが多い。
シャンゼリゼ通りより少し南に行ったところに、このプラントの新聞社の一つ「ニューズグッドイヤー」の本社ビルがある。本社ビルとは名ばかり、半壊した鉄筋立ての建物につぎはぎだらけの修復をほどこして、何とか人が住める建物として機能させている状態だ。表には、申し訳程度の社名が入った看板が下がっている。
もともとはこの建物、教会だった。しかし、牧師夫妻が亡くなったのをきっかけにその一人娘が新聞社の事務所にしたらしい。錆付いた十字架のオブジェが、かつての面影をとどめている。
空高くに昇った太陽が、部屋の中に影を落としている。中央には書類が山積みになった机が陣取り、壁際には所狭しと本棚が並んでいる。入りきらない本が床の上に詰まれていて、部屋の中はとても狭く見える。
ソファーの上には女性が一人、横になっている。女性を包んでいる毛布がゆるゆると上下動を繰り返している。こんな昼間から、どうやら彼女は寝こけているらしい。
書類の詰まれた机の片隅で、青年が一人コーヒーをすすりながら新聞を読んでいる。ざんばらに伸ばした黒髪に、細めのフレームの眼鏡をかけている。お世辞にも逞しい体付きをしているとは言えない、その青年の瞳は少し青みがかった黒、最近はあまり見かけられなくなった黄色人種だ。
彼の読んでいる新聞の一面には、カラー写真付きでこのような見出しがついている。
連続猟奇殺人! 今回で犠牲者は八人目!!
しかし青年はセンセーショナルな見出しのついた一面には目もくれず、社会面を何度も何度も読み返している。社会面にはこの辺一体の地図と、「プラントサミット開催」なる小見出しが付いている。
「遂にプラントに固有名称をつけたのか。このプラントは……エルフィンかぁ。やっぱりって感じだな」
ぼさぼさっと髪の毛を書き上げたところへ、奥のキッチンから年の頃九つか十くらいの少年がサンドイッチを持ってやってきた。金髪に深い蒼い瞳がよく映えた、可愛らしい顔立ちをしている。
「ワタリ、何読んでんの?」
「ん? ああ、チサトさんが記事を書いた例の新聞」
少年は、積み上げられた書類を適当に脇にどけてサンドイッチの皿を置く。少年は山積みになった書類を上手いことずらす。山が一つ、そのままスライドした。
ワタリと呼ばれた青年が、サンドイッチのさらに手を伸ばす。長い指と、綺麗な形をした爪が印象的だ。少年はサンドイッチを食べながら、ワタリの読んでいる新聞を覗き込む。
「たひゃのひんふんひゃん。ひさとおこるよー?」
「……ジノ、食べながら話すな」
ジノと呼ばれた少年は急いで口の中に入れた分を飲み込んで、言い直した。
「他んとこの新聞なんかしげしげ見てたら、チサトが怒るよー」
チサトというのは、ソファーの上で眠っている女性のことである。年は二十三、四でブロンドの髪をしている。彼女の寝顔から、結構な美人であることが伺える。
ワタリとジノは、チサトの方を見た。
「この新聞は、チサトさんが持ってきたんだよ。記事を寄稿したって言ってた。読め、だって」
「ふーん、どの記事がチサトが書いたやつ?」
「一面の、今流行りの猟奇殺人事件のコラム。これだよ」
ワタリは、ジノに見えるように一面の左上を指差す。記事の一番最後に、チサト=レイナードと名前が入っている。
チサトは、自身が発行している新聞の他に、他社の新聞に寄稿することが良くある。ワタリが読んでいるのは、「〇四三ニュース」という新聞だ。〇四三というのは、まだこのプラントに名前がなかった頃、便宜上使っていたプラントの呼び名である。地図を広げた時、北から数えて、ここが四十三番目のプラントだったから〇四三。なんとも安直な呼び名だ。チサトは、自立するまでにこの〇四三ニュースでアルバイトをしていた義理もあって、よく記事を書いている。もちろん、原稿料は出る。家計の足しに、とチサトはアルバイトの執筆をしているのだが、ここまで執筆依頼がくるのは彼女の書く記事が面白いからだ。チサト自身はなんとも思ってないようだが、彼女の記事は多くの人に歓迎され読まれている。要は、彼女は人気ライターでもあるのだ。
「でもワタリ、一面読んでないじゃん」
「後で読むよ」
皿の上に六つあったはずのサンドイッチが、後一つしかないことにワタリは気が付いた。手を伸ばすジノから皿を取りあげ、後はチサトさんの、と言って冷蔵庫にしまった。
「お前食いすぎ。僕一切れしか食べてないのに」
「えっへっへ、まぁいいじゃん」
今、このプラントでもっぱら噂なのが、先ほどの新聞の一面にもあった連続猟奇殺人事件である。もう八人が犠牲になっている。しかも女性ばかり、だ。連続と称されているが、被害者達の惨状は様々である。腹部を縦横に切り裂かれた者や絞殺された者、撲殺死体もあったらしい。一貫していることは、レイプされた後がないという事と、いずれも被害者は長時間苦しんだであろうという事。その後、被害者の近しい人の元に頭皮がはがされて送られてきているという事。これらの共通点から、同一人物による犯行であることは間違いないと報道されている。
もちろん、それは警察も認めるところである。
しかし、犯人像はまったく絞られていない。現状、犯罪心理のエキスパートは数えるほどしかいない。プラントエルフィンにはそれがいない。エルフィンから半日ほど離れた場所にあるプラントアーシにはいわゆる大学が現存しているが、その大学にも犯罪心理を専攻している教授はいなかった。
従って、一部のゴシップ新聞が犯人像について面白おかしく書きたてているだけであり、より真実に近い情報は、一般には何も知らされていなかった。
この連続殺人事件の発端は、今から半年程前のこと。……事件の発覚はもう少し後になるのだが、最初の被害者が消えたのは半年前。それ以来、犯人はプラントエルフィンに巣食っている。最初は次の殺人までのブランクがニヶ月あった。しかし、そのブランクは次第に短くなりここ一ヶ月で三人に被害者を出している。人々は夜間の外出は控え、日が落ちるとプラント内の大通りは閑散とするようになった。
ニューズグッドイヤー社でも、自身の新聞で当然この記事は取り上げている。当然というよりも、この事件を黙殺することは社会から許されなかった。
ニューズグッドイヤーの編集長……チサト・レイナードのことだ……の意向によりニューズグッドイヤーはゴシップめいた記事は一切掲載していない。殺人犯により冒涜された犠牲者を、ゴシップめいた記事により一般大衆からも辱められないように、残された遺族に配慮してのことだ。
それに、チサト自身がゴシップ記事をよく思っていない。
記事をネタに笑うことが癇に障るわけではない。ゴシップを記事として書き連ねることにより事実が捻じ曲げ、そうとは知らない人々がその記事を読み世間をあざけ笑う、という一連の流れが許せないのだ。
とはいえ、
それなりに売れる記事を書き金を稼がないことには、日々の飯にありつくのもままならない現実、チサトは自身の発刊する新聞ではなく、他社の新聞に一般大衆するような記事を寄稿することで家計の穴埋めをしている。
もっとも、彼女が寄稿して手に入れた金のほとんどは、新聞社の経営に消えているわけだが。
太陽が西に傾きかけた頃、ようやくチサトは起きだしてきた。冷蔵庫に入っていた半分凍りついたサンドイッチを片手に、明日の新聞の記事を書いていた。ネットワークが分断されてしまった今……ネットワークに接続するための機器、いわゆるパーソナルコンピュータの類も個人ベースではほとんど手に入らないのだ……記事を書くネタは自分の足で集めてこなければならない。チサト自身もネタを集めに出かけることあるが、今の彼女はプラントエルフィンで起こっている猟奇殺人事件を追いかけるので、手一杯になっている。代わりに日常的な……市場の動向からどうでもいいゴシップまで……話題は、ワタリが収集することになっている。特に分担を決めたわけではないが、ここ三ヶ月ほどで自然とそういう役割になった。
彼女の向かうテーブルの上には、彼女宛に届けられる決して少ないとはいえない郵便物と、ワタリが書き留めたメモが散乱している。
ふと窓の外を見ると、庭に水を撒いているワタリの背中が見えた。ジノはソファーの上に座り、足を投げ出した格好で〇四三ニュースを読んでいる。ふむ、と溜息一つ吐き、チサトは再び眼前の原稿用紙に向かった。
ニューズグッドイヤー社の裏手には、それなりの大きさの庭がある。牧師夫妻が植物を植え、それを愛でた庭だ。この庭で遊びながら大きくなったのがチサトだ。とはいえ、もとよりあまり景観を気にしないチサトは、ろくに庭の手入れもしていなかったため、ワタリがそこの庭を自分で好きなようにいじり倒しているのが現状だ。
ワタリはぼんやりと、西の方向から降ってくる太陽の光を顔に受けながら庭に水を撒いていた。一応、水道という技術は廃れることなく残っている。ただし、川の水をそのまま引き込んでいる状態であるから、直接それを飲料水とすることはあまり推奨されていない。多くの人々は気にせずそのまま飲んでいるが。
「ワタリくん!」
庭と公道を仕切る塀の向こうから声がかかった。
トーンの高いかわいらしい女性の声だ。
「あ、エルフィンさん。元気にしてますか?」
塀の向こうには、チサトと同年代くらいの女性が立っている。軽くウェーブのかかった髪を上にまとめ上げ、黒いバッグを持っている。どこかへ外出した帰りのようだ。高価そうな服をさりげなく着こなしている。
彼女の名前はエルフィン=ローウェル。プラントの名前「エルフィン」は彼女の名前から取られている。というのも、彼女の父親がこのプラントにおける実質的な支配者であるからだ。ローウェル氏の政治的な手腕は、多くの人が認めるところであり、彼の存在なくしてプラントエルフィンの発展はなかったといっても過言ではない。
「どこかに出かけてたんですか?」
彼女のいでたちから判断して、ワタリはそう声をかけた。エルフィンはにっこり笑って頷いた。なかなかの美人だ。チサトとは異なった美しさだ。
この位の年の女性は、誰も綺麗に見えるなぁ……と、ワタリはしみじみと感じる。当然、甲斐性なしのワタリは口に出してそんなことを言ったりはしないのだが。
「ちょっとね、ミサに出てきたのよ。その後教会の図書館に入れてもらったんだけど、本を読みふけっちゃって。気が付いたらこんな時間だったの」
プラントエルフィンには、ノートルダム寺院跡地に教会が立てられている。
もともとあったノートルダム寺院を再建するだけの資材も技術も残っていない今、新たに建てられた教会はオリジナルに比べればとても稚拙なものだ。しかし、プラントでもっとも規模の大きな教会は、今の時代を生きる人々の精神的なよりどころになっている。
ニューズグッドイヤーが教会だったころも、日曜日の朝には近所の人々が祈りをささげるためにミサを行っていたものだと、チサトから聞いた事がある。
「へぇ……勉強家なんですね~」
ふと、エルフィンの胸元に目を落とすと、シルバーのロザリオが煌いている。エルフィンはキリスト教を信仰しているのだ。洗礼も受けている、という話をどこかで聞いたことがあった。もとより、神の存在を端から否定しているワタリにとって、宗教にすがる人々は偶像崇拝者にしか過ぎない存在だ。しかし、ここまで盲信できるというその心は羨ましいと何度も思ったことがある。
「エルフィンじゃん。今日も暑かったね~」
エルフィンの声を聞きつけたチサトが庭に出てきた。洒落た格好を決めているエルフィンに比べ、チサトはワイシャツにGパンというラフな格好だ。
化粧もしてないチサトを見ていると、いくら元が良くてもそれなりに着飾らないと、やっぱり差がつくなぁ、とワタリは男心に思ったりする。しかし、当然このことも口には出さない。口に出した日には、パンチがグーで飛んでくること間違いなしだからだ。
「あら、チサト。相変わらずお仕事? 頑張るわね」
寝癖で髪の毛が飛び跳ねているのも気にしていないチサトの顔を見て、エルフィンは笑った。
この二人は仲がいい。家が近いということ、周囲に同性の友達が少ないということから、幼い頃からよく一緒に遊んだ仲だ。彼女らの性格のベクトルはまったく違うが、それが故今の今まで親密な付き合いが続いているといえるだろう。
女性二人が話し始めたのを見て、ワタリはその場を離れた。ホースを引きずったまま、蛇口のところまで歩いていく。水を止め、ホースを片付ける。西の空の夕焼けが美しい。今日は夕立は来なさそうだ。
エルフィンが時計を見た。
「あ、もう六時過ぎてる……そろそろ帰るわね」
チサトが空を見上げる。まだまだ明るい。
「もうそんな時間なんだ。私も仕事の続きやんなきゃ。まだ明るいけど気をつけて」
背後を振り返ると、ワタリがホースを片つけている様子が見える。エルフィンは、手をひらひら振りながらワタリに向かって言った。
「ワタリくん、またね!」
その声に反応して、ワタリは顔を上げる。彼は、わたわたと急いでホースを片つけた。それまでつけていたエプロンを外しながら、こちらにやってくる。
「最近物騒ですから、送っていきますよ」
ワタリの発言は、例の殺人事件を気にしてのことだ。チサトもそうね、送っていった方がいいわねという顔をしている。
「でもまだ明るいし、家もすぐそこだし。大丈夫! それじゃ」
そういって、エルフィンはチサト達の返事を待たずに塀を離れていった。ワタリは塀越しに、エルフィンの後姿を見送った。
彼女の後姿は、すぐに見えなくなった。