今度こそ、間違えない。
☆妊娠に関するセンシティブな内容を含みます。
かつての俺は大陸最強の冒険者だった。最北の地にある巨大ダンジョンを人類で初めて制覇した俺を待っていたのは妻の死だった。
いつも頭を占めるのは冒険だった。でも、妻の亡骸を前にした瞬間、大切なのは冒険ではないとわかった。俺はそのダンジョンでドロップした魔道具を迷うことなく使い、時を戻すことにした。
「リーシャ!!」
子供の体に戻った俺は村を駆け抜けて彼女をさがし回り、見つけた彼女を思わず抱きしめた。子供の体だから、まだそれほど体格差はない。ふわりと香る彼女の花のように甘やかな匂いに涙が出そうになった。
「グレッグ、痛いよ」
腕の中でリーシャが身をよじるので、腕の力をゆるめて彼女の肩に両手を置く。きょとんとした顔をしている彼女が愛おしい。
体温を失い二度と目が開かなくなったリーシャの顔が頭によぎる。そんな未来はいらない。今度こそ、間違えない。
「リーシャ、俺は絶対に君を死なせない」
そう自分とリーシャに誓った。二人の幸せのために、俺の幸せのために。この誓いは絶対違えない。
どうやら俺は五歳の頃に時戻りしたようだ。朝、目が覚める度に自分が子供であることを確認してほっとする。俺は起きている間はずっとリーシャに付きまとった。リーシャがきちんと生きていることをこの目で確認しないと不安で仕方がなかったからだ。リーシャともう一人の幼馴染のレンはそんな俺を訝し気な目で見ながらも、挙動のおかしい俺を受け入れてくれていた。
子供の頃に戻れたのは束の間の夢で、気づいたらリーシャを失った時に戻ってしまうのではないかという不安は、しばらくすると徐々に消えていった。
——やっと、俺の日常が戻ってきた!
レンや村の子供たちと野山を駆け回り、川で泳ぎ魚を捕まえる。それをリーシャが傍らでにこにこと見守っている。懐かしい子供時代をもう一度楽しんだ。
少し体が大きくなると、村の子供は大人に混じって働き出す。農作業をしながら、幼い子供たちの面倒をみているリーシャを横目で見た。
——リーシャを死なせないために俺はどうしたらいいのだろう?
リーシャが亡くなったのは確か二十二の頃だった。死因は流行病。
今の俺にできることはなんだろう? なんだろう……。
死ぬ時期はわかっているし、死因は流行病だけど予防薬も特効薬もある。きちんと薬を飲めば治る病だが、俺の不在時に倒れ発見が遅れたことが原因だった。誰かが傍についていたら防げた死だった。きっと打つ手はある。
——要は彼女が死ななければいいんだ!
物事を深く考えることが苦手な俺はそう結論を出した。
彼女が倒れる時期と死因はわかっている。彼女の死さえ回避すれば、二人でずっと幸せに生きていける。それまでは、前回の人生をなぞるように生きていけばいいだろう。
リーシャが生きていることが確認できたし、自分のなすべきことがはっきりした。
次に頭が浮かんだのは、冒険へのわくわく感だ。これまでに潜ったダンジョンが脳裏に浮かぶ。
——もう一度、あれを体験できるって最高すぎないか?!
冒険者は危険だけど魅力的な仕事だ。
一時代昔には冒険者ギルドに所属する冒険者は、国同士の闘いや襲ってくる魔物を倒すために働いていた。
でも、今は違う。この世界は平和だ。国同士が争うこともないし、魔物は全て駆逐された。冒険者の仕事内容も変わった。主な仕事は大陸のあちこちに出現するダンジョンを探索することだ。もちろん従来の仕事も残っていて、街や村の整備や商隊や要人の警護、災害時の支援などの依頼もある。
ダンジョンの探索は人間の生活にどうしても必要な仕事ではない。それ故に、未知で危険があり、魔物も出現するそこへ行くことは趣味にすぎないとか命知らずだとか言う奴もいる。
でも、ダンジョン探検は人を惹きつける。
自分の命を懸けて、信頼できる仲間と共に進み、魔物と戦いダンジョンに広がる自然の中で生き抜く。体も心も限界にさらされると生きているという実感が湧く。あの心の底から滾るような感覚は冒険でしか味わえない。こちらの世界では見られない美しい景色を見ることだってできる。
それにダンジョン探索をする冒険者は稼げる。ダンジョン内でゲットした外の世界には存在しない魔物の素材や植物、珍しい魔道具は高値で取引きされるし、新規のダンジョンや既存のダンジョンの未開拓のルートを踏破すると賞金がでる。未知のものに人間は挑戦したいし、解明したい生き物なのだ。
二人で幸せに生きていくためには安定した仕事と金が必要だ。この寂れた村では最低限生きていくことはできるが生活に余裕はない。やはり、前回の人生と同じく冒険者になるしかない!
そう決めた俺は引き続き二度目の子供時代を楽しんだ。
年頃になると俺やレンを含む数人の子供は冒険者になった。元々、体格にも恵まれていて、戦闘センスもある。なにより未知のものへの恐怖より好奇心が勝る俺は冒険者に向いていた。しかも一度経験していることなので難なくこなせる。前回よりランク上げは余裕でできるかもしれない。冒険者になってしばらくは夢中になって依頼をこなしていていたが、ある時ふっと違和感を覚えた。
——リーシャがいない……?
正確にいうとリーシャはちゃんと存在している。村に住んでいて、毎日、生存を確認している。ただ、かつてはあった焦がれるような俺への視線を感じない。前の人生では、気づけば俺の傍にいた。朝、仕事に出かける俺を笑顔で送り出し、帰ってくると差し入れを抱えて迎えてくれて、それをレンと三人並んで食べながら、俺達の冒険譚を楽しそうに聞いてくれていた。なのに、彼女は用事がある時以外は俺の前に姿を現さない。
「なぁ、レン。なんでリーシャはいないんだ?」
前回の人生と同じくいつも行動を共にしているもう一人の幼馴染に問いかける。
「ええ? だって、リーシャは女の子だから僕たちといつまでも一緒に行動しないだろう?」
「……それはそうなんだけどさ」
日が経つにつれ、前回の人生の記憶が薄まってきている。その薄らぼんやりした記憶の中から必死になって、リーシャの面影を探す。
「なぁ、俺達って十四歳になったよな?」
「んん? ああ、そうだね」
「リーシャは十二歳になったよな」
「ああ、先月お祝いしたね」
「なんでリーシャは冒険者になってないんだ?」
「え? だって、リーシャは女の子だよ? 理由もないのに、冒険者になんてなるわけないだろう?」
そうだ。確か前回の人生でリーシャは十二歳になったときに冒険者になった。俺だって初めは反対したし、冒険者として楽しくなってきたところだったから、足手まといになるなと思ったのを覚えている。でも、潤んだ瞳で「グレッグと一緒にいたいの。同じ体験をして同じ景色を見たいの。危険なことは絶対にしないから」と言われるとそれ以上なにも言えなかった。
俺は自分が時間を戻したことに自信がなくなってきた。初めの頃は鮮明だった前回の人生の記憶はだいぶ薄れている。あれは俺が見たただの夢なんじゃないか? そう思ってしまうくらいリーシャの行動は前回と違っている。リーシャを死なせないことばかりを目標にしていて、気づけばリーシャとの関係性も前回とまったく違う。
おかしい。好意を寄せられることも距離が縮まることもない。今頃、冒険者として一日中一緒にいて、時には危険な状況にさらされて、言葉にせずともお互いへの想いが募るという甘酸っぱい空気を味わっていたはずなのに。
なにかがおかしい。リーシャは周りから見てもわかるくらい俺にベタ惚れで、仕事じゃない時でも暇さえあれば俺の傍にいたはずだ。それなのに、まったくといっていいほど気配を感じない。
ある日、村はずれのほうからレンと連れ立って歩いてくるリーシャを見て、頭に血が上った。
「リーシャ、お前、毎日なにしてるんだ? レンと連れ立って、俺に内緒でなにしてるんだ?」
前回も今回もレンは俺にとってなんでもない存在だ。まるで女みたいな外見で体も心も軟弱で、いつも俺について歩くしか能がない。冒険者としても格下だ。俺の不在時にリーシャの側にいても嫉妬の一つもしたことがないくらい、圏外の男。でもなぜか、サラサラで長い濃紺の前髪とか日に焼けない白い肌とか筋肉のつきにくいひょろりとした体つきとか、リーシャの隣に当然のようにいることとか、すべてに腹が立つ。
「ババさまのところで、刺繍を教えてもらっているのよ。レンは長老様に薬草について学んでいて、たまたま帰り道が一緒になっただけよ。なにをそんなに怒っているの?」
レンの隣に立つリーシャはいつの間にか子供の頃のふわふわとしたかわいらしさがなくなっている。俺が声を荒げても、冷静に言葉を返す様は年齢より大人びて見えた。
「刺繍?」
前回の人生で、リーシャが俺と結婚してから刺繍や編み物の内職をして生活費を稼いでいたことを思い出す。彼女が内職をしているのを知ったのは彼女の死後。俺が冒険者として稼いだ金には一切手をつけていないことが発覚して愕然としたものだ。
「刺繍ならお袋に学べばいいだろう?」
俺の母親の刺繍の腕は村一番で前回も花嫁修業と称して、リーシャは刺繍だけでなく料理や家事についても学んでいたはずだ。
「私が知りたいのはただの刺繍じゃなくて、魔法を付与できる特殊な刺繍なの。ババさまがおぼろげだけど知っているっていうから、教えてもらっているの。刺繍への魔法の付与ってけっこう需要があるみたいだから」
「は? 刺繍に魔法を付与? なんで稼ぐ必要があるんだ?」
リーシャから与えられる情報に俺の頭は混乱した。
確かに前回の人生でもリーシャは装備や武具に魔法を付与する付与魔術師の仕事をしていた。冒険者をしている時に、その才があることが発覚し、冒険者仲間の伝手でその才能を花開かせて働いていた。結婚した時に、俺の持ち物以外に魔法を付与するのを止めて欲しいと言うとあっさりと仕事を辞めた。だって、俺の冒険者としての収入で十分養えるのだから仕事なんてしなくてもいいだろう?
リーシャはなぜ今回は冒険者にならずにこっそり付与魔術師になったのか? 答えは一つしかない。
「俺の身を案じてのことか?」
「なにが?」
「俺が冒険者として危険な場所に行くこともあるから、俺の防具に魔法を付与するために腕を磨いてるのかって聞いてるんだ」
前回は俺と一緒にいたくて冒険者になり、結婚して付与魔術師を辞めて、俺のために装備にせっせと魔法を付与してくれていた。リーシャの中心には常に俺がいた。
今回はこっそりと動いて、冒険者である俺をサポートしようとしたんだろう。リーシャのけなげさは変わっていない。
「なに言ってるの? 違うわよ。自立して、この村を出たいの」
「は? 村を出る?」
思わず殺気を放ってしまいリーシャが顔色を悪くして一瞬よろける。それを隣で支えるレンにさらに怒りがわく。
「そんな必要ないだろう!!」
「なんで、グレッグに決めつけられないといけないの? 私の人生は私のものよ」
お前は俺とつきあって、結婚するんだよ! そう言いたいけど、現時点ではただの幼馴染だ。それに彼女から前回の時のような俺に恋焦がれるような感情は伝わってこない。じわりと腹の奥から不安が湧き出てきて、彼女の腕をとっさに掴む。
「リーシャ!」
「……なにをそんなに怒っているのか私にはわからないわ。確かに村では男の人が偉そうにしているけど、私は誰にも従わない。手を離して」
「……リーシャ」
どうして前回のリーシャと今回のリーシャはこんなに温度差があるんだ? おかしいだろ?
「痛いんだけど?」
そう言われて、渋々手を離す。リーシャの手首には俺が握った赤い跡がついていた。
それからもリーシャとはすれ違い続けた。
「なんでリーシャがいないんだ!」
Bランクに上がるためには近場のダンジョンの探索では足りなくて、遠征するようになった。依頼内容によっては、遠方でのものや長期にわたるものもあった。だから、村に帰るのは不定期になる。
それなのに俺が帰ってくる時に限ってリーシャの姿がない。出迎えがないのではなくて、リーシャが村にいないのだ。
「わざとじゃないよ。リーシャはリーシャで腕利きの付与魔術師の都合のつくときに教えを請いに行ったり、現地で調整が必要になるような遠方の依頼を受けたりしているから、すれ違うのは仕方ないんじゃないかな? お互い駆け出しなんだから。そんなに会いたいなら、紙鳥を飛ばして連絡をとればいいんじゃない?」
今回の探索で一緒に組んだレンが俺をなだめるように肩を叩いた。
「ぐぅ……」
レンの正論に言葉が出ない。リーシャが俺を待っているのは当たり前で、連絡を取ろうという努力をしたことがないことに気づいた。
紙鳥は高価な魔道具で、手のひら大の紙に文字を書いて、相手のことを思い浮かべて折りたたんで飛ばすと、相手に届く。前回の人生を含めて、これまで一度もリーシャに紙鳥を飛ばしたことはない。すれ違いの続く今回の人生で、紙鳥のことは頭に何度かよぎったけど、そこまで俺が努力するのはどこかシャクで実行したことはない。
だって、俺はリーシャが成人したらすぐに結婚できるように、ランクを上げようとしているのに。Bランクまであがると冒険者ギルドから毎月手当が出る。高ランクの冒険者を確保するための施策だ。ギルドからの要請に年に数回対応しなければならないが、依頼を受けた時の報酬頼みの不安定な暮らしからは解放される。
俺達二人の安定した生活のために俺はがんばっているのに……。勝手な行動をするリーシャに苛立ちが募った。
——リーシャとつきあうことになったのはいつだったか?
リーシャの十六の誕生日に告白してつきあうことになって、十八で成人する前には体の関係を結んでいた。そろそろ軌道修正するしかない。なんだかんだいっても、リーシャはいつでも俺の願いを聞いてくれた。なにか行き違いがあるのかもしれないけど、あれだけ前回、俺に惚れ込んでいたんだ。今回だって、俺の事を好きに違いない。だからとにかく押すことにした。リーシャだって俺と結婚すれば、運命のようにしっくりくる二人だってわかってくれるだろう。
リーシャの十六歳の誕生日に呼び出した。
「リーシャ、そろそろ俺達、つきあわないか?」
前回のリーシャは薄茶色の髪をふわふわとなびかせて、濃い緑の瞳はいつも焦がれるような熱を持って俺を見つめていた。服装だって違う。柔らかいワンピースをまとっていたのに、地味な色のかっちりとしたワンピースに付与魔術師のローブをこれ見よがしに羽織っている。華奢でどこか幼い顔立ちをしているのは同じなのに、その表情は冷たくて一分の隙もない。
「なんで?」
「リーシャは俺を好きだろう?」
「幼馴染としての情はあるけど、男の人として好きかと言われたら好きではないわ」
「そんなはずはないだろう!!」
彼女は本当に俺のリーシャなのか? 別の人間が中に入っているのではないかというくらい中身が違う。俺のことを好きだったリーシャはどこにいってしまったんだ? 手の中で野原で摘んできた花がくしゃりと潰れる。
「グレッグは私のなにもかもが気に入らないんでしょう? それなのにつきあっても不幸にしかならないわ。あなたなら、村の女の子でも冒険者仲間でも選びたい放題じゃない」
「違う……違う!違う!違う! なんでそんなことを言うんだ! リーシャ! 元のリーシャに戻ってくれ!」
その瞬間、リーシャの目に剣呑な色が浮かぶのがわかったけど止められない。こんなことになるなら、俺が時戻りの魔道具を使ってまで過去に戻って来た意味がないじゃないか!!
「俺達が結ばれるのは運命なんだ。結婚したらわかる。二人で幸せになろう。なぁ、リーシャ。俺を受け入れてくれ……」
「嫌よ。冒険者の恋人なんてまっぴらごめんだわ。いつも自分は二の次にされて、ただひたすら待ち続けるなんて反吐が出る。私は母みたいになりたくない」
「リーシャ……」
一瞬、俺のことを言われたのかと思ったが、どうやらリーシャは自分の父親のことを嫌悪しているようだ。彼女の父親は一流の冒険者になったが、ほとんど家に帰ることはなく仕送りもここ最近は途絶えているようで、リーシャと母親は村で肩身の狭い思いをしていた。
だから、リーシャは付与魔術師になって稼ごうとしているのかもしれない。前回の人生では、父親を待ち続ける母親のことも一流の冒険者である父親のことも尊敬しているし好きだと言っていたはずだが……。
「あと、お互いいい年だから、距離感に気をつけてくれない? あなたのファンの女の子達に嫌味を言われるだけならまだしも、嫌がらせを受けているの。あなたが私に慣れ慣れしくするせいで」
「は?」
「あなたに釣り合わないのに、幼馴染だから馴れ馴れしくしてとか、恋人ぶってるとか。この前は商売道具の刺繍糸が焼き場に捨てられたの。高かったのに! あなたが原因であなたの知らないところで被害を受けているの。できるだけ話しかけないで」
「そんなこと俺は知らない。それに俺達、幼馴染だろう?」
「幼馴染だけど、ただの他人よ」
すぱっと良く切れるナイフのように、彼女の言葉は俺の心を抉った。
彼女に剣もほろろにふられて呆然とする俺の横にいつの間にかレンがいた。
「リーシャはなんであんなに変わってしまったんだ……?」
「そうかな? 昔からああじゃない? 自分の親を見て、反面教師にしてるんだよ。幼馴染としてアドバイスするとしたら、アプローチの仕方を変えるしかないんじゃないかな?」
「やり方を変える……?」
「リーシャの両親や村の人達のような夫婦関係をグレッグは望んでいるんだろう?」
この村では家長や男性が優位で、女性や子供はそれに黙って従うのが当たり前だ。前回の人生で冒険者同士や王都で暮らす人々はどちらかというと対等な夫婦関係に見えたけど、よそはよそ、うちはうちだろう。
「……ああ」
村の人々も問題なく幸せそうに暮らしているし、前回の俺達も幸せだった。だから変える必要はないだろう?
「でも、リーシャはそんな関係は望んでないんじゃないかな? 彼女と結婚したかったら、彼女がどうしてほしいか考えて、グレッグが行動を変えるしかないよ」
「リーシャがどうしてほしいか……?」
まぶしいものを見るようなキラキラした瞳で俺を見て、いつでも待ってくれていて、帰ると嬉しそうな顔で笑っていたじゃないか。なんの問題もない。問題なのはリーシャが変わってしまったことだ。
今のリーシャの考えが全然、わからない。どうしてほしいかもわからない。ただ伝わってくるのは俺への嫌悪だけ。
「それかさ、リーシャにこだわらなくても、グレッグに好意を持ってくれて、待つのが苦にならない女の子を探した方が早いんじゃないか?」
最近、それは頭によぎる。前回の人生の記憶もだいぶ薄れてきて、なんでリーシャや彼女と結婚することにこだわっているのか自分でもわからなくなる時がある。リーシャはかわいい。でも、俺を無条件に愛してくれない彼女に俺が尽くす必要があるのか疑問だ。
年頃になって性欲を持て余していたこともあり、他へと目を向けることにした。せっかくの二度目の人生なのだから楽しまなければ損だ。
俺に恋焦がれる目を向けてくれるかわいい女の子なんて山ほどいる。とりあえず胸が大きくて、リーシャとは違うタイプの綺麗めな年上の女とつきあうことにした。あれほどリーシャにこだわっていたのが、嘘のように他の女にのめりこんだ。
はじめはよかった。
しょっちゅう会いたがるところも、街まで出て買い物をして、カフェでお茶してデートするのも。デートの最中に宝石や服をねだられるのも新鮮だった。
リーシャはなにも物をねだらないし、わかりやすく甘えてくれなかった。一緒に街に行っても、デートらしいデートはしたことがなくて、いつも俺の冒険者として必要な装備や武具を見に行くだけで外食したことすらなかった。リーシャと違ってもったいぶることもなく体を許してくれたのも嬉しかった。初めて恋人同士の甘い時間を過ごした俺は浮かれていた。
でも、だんだんと飽きてくるしイライラしてきた。
ぺちゃくちゃと流行の髪型や化粧品や欲しい宝飾品やくだらない噂話をまくしたててくる。なのに俺が冒険の話をするとつまらなさそうな顔をする。
街に出たついでに仕事に必要な装備を見ようとするとデート中にやめてと言われる。俺のものを見るのは禁止されているのに延々と興味のない買い物につきあわされて、段々とねだるものの値段が高くなり、俺が金を出してもお礼すら言わない。
あげくのはてに遠征に行っている間に浮気された。
なのに放置していた俺が悪いと責められた。高価な紙鳥を飛ばして連絡をマメに入れていたにもかかわらず。
「なぁ、なにが悪かったんだろうな、レン」
「諦めるしかないよ。冒険者の恋愛事情ってなかなか難しいみたいだよ。だから、冒険者は駆け出しの頃からつきあってる恋人か、ランク上げして落ち着いてからつくった恋人と結婚することが多いらしい。まぁ、特定の恋人を作らずにしばらくは気楽に楽しんだらいいんじゃないかな?」
俺に一丁前にアドバイスもしながらも、レンには女の影がなかった。でもレンの言うことには一理ある。それからは適当につきあっては別れるということを繰り返した。
たくさんの女とつきあったり、体の関係をもった俺は次第に渇望を覚えるようになった。
——ああ、リーシャが恋しい。
正確に言うと今のリーシャではなくて、前の人生のリーシャが恋しかった。あの頃に戻りたい。
俺の外見やステータスや金じゃなくて、俺自身を好きでいてくれて、いつもにこにこと話を聞いてくれて、おいしい料理やお菓子を作って待っていてくれる。前回のリーシャがどれだけ貴重だったのか身にしみる。
リーシャもそろそろ俺が恋しくなっている頃かもしれない。前回の人生であれほど相性がぴったりだったんだ。人間関係が広がって他の人間を見て、俺の良さに気づいたかもしれない。最近、Bランクに上がって上級冒険者の仲間入りを果たした。きっとリーシャも惚れ直すに違いない。
「レン、リーシャは今、なにをしているんだ?」
「え? リーシャならとっくに村を出て行ったよ」
「は? いつの間に……」
「先月だったかなぁ? リーシャが十八の誕生日を迎えて成人した時に」
「村を出て行った? 結婚したのか? 聞いてないぞ」
「結婚してないよ。恋人すらいなかったと思うよ。付与魔術師は簡単な職じゃない。技術を向上させて、名を売って。脇目もふらず努力していたじゃないか」
「そう、なのか?」
付与魔術師って、ただ装備に手で触って魔法を付与しているだけじゃないのか? 魔力もそんなにいらないし。前世でもあっさり仕事を辞めていたので、そんな大変な職業だとは思っていなかった。
「ああ、一人前になるまでが大変みたいだけど、適性のある人が少なくて貴重だし、稼げる職業だよ」
レンはどこか誇らしげな表情をしている。
「リーシャは付与魔術師として独り立ちして、成人したのを機に王都に引っ越したよ。ちょうど、グレッグが遠征に出ていた時にひっそりと旅立ったよ。僕はたまたま村にいる時だったからお別れが言えたけど」
「女が一人で生きていくなんて無理だ」
「そうだね。王都は村とは違って女の人が活躍できる環境だけど、厳しい道であるのは間違いないだろうね。僕らはただ心の中で応援するしかないよ」
レンが王都の方向を見て、前髪のむこうで紺色の目を細める。
「……そんな」
こんなあっさりとリーシャとの縁が切れてしまうなんて信じられない。
なにを間違えたんだろうか。なんのために時間を戻したんだろうか。リーシャと幸せになるためにしたことなのに……。
「あと僕、冒険者から薬師に転職することにしたんだ」
「レンまで俺を見捨てるのか?」
「逆だよ。いつまでもグレッグのお荷物ではいられない。なんとかBランクになるまでしがみついていたけど、僕は荒事に向いていない。これまで貯めた資金もあるし、薬師はそれほど稼げないけど細々と暮らしていくことはできるから」
「……」
レンが前線でアタックするのに向いていないのは事実だが、今回のままならない人生で本音をこぼせる唯一の友人だったので、彼がいなくなるのは痛手だ。
「僕も村を出て行くから。遠くからグレッグの活躍を祈っているよ。これまで、ありがとう」
柔らかな笑顔を浮かべて、手を差し出してくる。
「……っ!」
そういえば、そうだった。前回の人生でもレンはBランクに上がった後に薬師に転職して、王都に移住していた。レンも他の村人も冒険者仲間も前回と変わらない行動をとるのに、なぜリーシャだけは違う行動を取るんだ……? 呆然としているうちに、レンは俺の前から姿を消していた。
『一流の冒険者になったら、迎えに行くから』
我ながら未練がましいと思いながら、リーシャに初めて紙鳥を飛ばした。返事はないけど、いつかまた巡り合えたらと期待して。
それからの俺はますます冒険にのめりこんだ。
冒険をしている間は気分が高揚して、頭は目の前のことでいっぱいになる。仲間と共に命を懸けて未知のダンジョンやルートに挑み、見たことのない新しい景色にしばし癒される。
でも、戻って来ても俺を癒してくれる存在はいない。冒険の話を楽しそうに聞いて、おいしいご飯を作ってくれるリーシャはいない。二人で装備を見てまわって、次の冒険の計画を立てる。冒険の間の時間さえもわくわくする時間だったのに。
挑むダンジョンのレベルが上がって初めてリーシャが付与魔術師として優秀であることに気づいた。大金を出して装備や武具への魔法の付与を依頼しているのに、彼女が無償で施してくれていたそれに敵わない。
——リーシャがいたから、気持ちよく冒険に集中することができたんだな……。
そんな現実を忘れたくて、冒険の予定を詰め込んだ。
そうして月日が経ち、最北の地に巨大ダンジョンが現れた。
「リーシャ!」
脳裏に突然、リーシャの死が蘇る。
俺に冷たくても、恋人にもなれなくても、結婚できなくても、幼馴染としての情は残っていた。リーシャはこの年の流行病で死んでしまう!
急いで村に戻ったけど、村にいるリーシャの母親は仕送りを受け取っているが、どこに住んでいるか知らないと言う。他の村人も行方を知らなかった。リーシャもレンも王都にいるはずだけど、連絡をとっていないので、どこにいるのかわからない。
仕方なく大枚を叩いて、冒険者ギルドに依頼を出した。付与魔術師として有名なリーシャの行方はあっけなくわかった。しかし、最北の地にある巨大ダンジョンへと旅立つ日が近づいていたので、リーシャのことが気になりながらもそちらへ赴いた。支援者と仲間がいるので俺が予定をぶっちぎるわけにはいかない。
前回と違って装備や武具への魔法付与の力が弱かった分、無傷というわけにはいかなかったがなんとかミッションをこなすことができた。前回の経験でダンジョン内の様子がわかっていたのは強い。帰って来た俺は一番にリーシャに会いに行った。
無邪気でかわいいリーシャはそこにはいなかった。
どうしても前回のリーシャの面影を探してしまう。ふわふわの髪に軽いワンピース。頬を赤らめ潤んだ瞳からは俺への気持ちが溢れていた。
なのに、俺の前に静かに座るリーシャはよく研がれた刃のようだった。
ふわふわの髪はしっかりと後ろにまとめられて、大きくて釣り気味の瞳には相変わらず熱はなく、カッチリとした付与魔術師の正装を身にまとっている。耳元には夜空を思わせるようなピアスが光っている。なにより白くて艶やかだった手は、皮膚が厚くなり火傷の跡や傷がある職人の手になっていた。
「リーシャ……元気だったか?」
「おかげさまで」
「流行病にかかったりとかは……?」
「体を鍛えているし、予防用の薬が出回っているからそれを服用しているせいもあって、私はかからなかったわ」
「そうか、それはよかった……」
「で、今更なんの用事? わざわざ冒険者ギルドに捜索依頼と面会依頼まで出して」
リーシャが生きていることにほっとしたけど、空振りになって残念な気持ちもある。心のどこかで流行病にかかって弱っているリーシャを助けて、あわよくば見直してもらおうという下心があったから。
「紙鳥の件だったら、お断りします」
「紙鳥?」
いつまでも言葉を発しない俺にしびれを切らした彼女から一枚の小さな紙が差し出された。
『一流の冒険者になったら、迎えに行くから』
数年前に出した手紙の内容に自分で赤面する。恋人同士でもなく、結婚の約束をしていたわけでもない。別れの時に声すらかけられなかった幼馴染が出すにはおかしな内容だ。
「これは私には不要だから返すわ。では、もう会うこともないだろうけど」
そう言うと彼女は席を立とうとする。テーブルに置かれた彼女の手にすがるようにして自分の手を重ねる。
「聞いてくれ、リーシャ。俺達は結婚する運命なんだ!!」
冒険者ギルドに併設されている騒々しいカフェに俺の大声が響き渡り、視線が集まる。リーシャの額に皺がより、手を払いのけられた。
「話は聞くので、もう少し声を小さくして」
もう一度、着席してくれた彼女にほっとして必死になって話を続ける。
「えーと……俺は一度目の人生でリーシャと結婚して、君は流行病で亡くなったんだ。だから、ダンジョンで見つけた時を戻す魔道具で過去に戻ってきたんだ。それで……」
なんとかリーシャを繋ぎとめたくて、しどろもどろに経緯を正直に話す。
「俺達は幸せに暮らしていたんだ。だから、結婚して一緒に暮らしたら分かる。本当に二人幸せだったんだ! だから……」
「だから、グレッグと私は結婚すべきだ。とでも言いたいの?」
「そうだ。そうなるべきなんだ!」
他人行儀な言い方や冷たい視線にイライラして語尾が強くなる。ここまで心を開いて俺が話しているのに、なんで通じないんだ!
「お断りします」
「でも、前の人生ではそうだったんだ!」
「それで、恋人になって、結婚して、子ができて……私は幸せそうだった?」
「ああ。間違いない。俺達は幸せだった」
真剣な顔で言い切ると、リーシャがいきなり高笑いをしはじめて再び、周りの視線が集まる。
「人生を繰り返しているのがあなただけだとでも?」
——リーシャにも前回の人生の記憶がある?!
だから、リーシャはこんなに前回と違うのか? でも、前回の記憶があるなら、どうして? どうしてあの幸せな時間を取り戻したいと思わないのか? 俺のせいで死んだわけじゃないのに、俺を恨んでいるとでもいうのか?
「君の死は俺のせいじゃない!」
「ふふっ。私にも記憶があると知った一言目がそれなのね。そうよ、私が死んだのはあなたのせいじゃない。別にあなたを恨んでいるわけでも嫌いになったわけでもないわよ」
「……それなら、なぜ……」
「なぜ、選ばないのかと聞きたいのよね?」
そこでリーシャは言葉を切り、追憶にふけるように遠くを見た。
「一緒に喜んでほしかった。最後に手を握ってほしかった」
「は?」
「あなたのこと、本当に好きだった。でも、幸せだったのかわからない。ずっと尽くしてずっと待っていて、待っている間不安で。あなたの頭の中にはいつも冒険のことしかなかった。そんな人と一緒にいるのってすごく寂しいの。愛情や好きって気持ちが少しずつ削れていって、なくなってしまっただけなの」
リーシャに言われたことより、彼女のすっきりした表情を見て、もう無理なのだとわかった。
「北のダンジョンに時間を戻す魔道具はなかったでしょう?」
「なんで、そのことを?」
リーシャとのことが思い通りにいかないので、もう一度時を戻そうかと頭の片隅で思っていたので、ダンジョン探索の際に同じ場所を探したのにその魔道具はなかった。
「依頼を出して、先に時を戻す魔道具を手に入れたの。比較的浅い層にあってよかったわ。あの魔道具は破壊したから、もう時は戻せない」
「は?」
「今、結婚して幸せなの。他で同じような魔道具を見つけても、絶対にもう時を戻さないでね。戻ったとしても、あなたを選ぶことは二度とないから。ギルドを通して依頼してくれれば、装備や武具に魔法の付与はする。仕事として。冒険者としてのあなたのことは応援してるわ」
元妻はそれだけを言い捨てると去って行った。
どれだけ二度目の人生をふりかえっても、俺がどこで間違えたのかわからない。今度こそ間違えないという決意で時を戻したのに、俺は妻を取り戻すことはできなかった。
◇◇
グレッグは今回の人生を二回目だと思っているけど、実は三回目だ。
彼が覚えていない一回目の人生で小さな村で一緒に育ち、生活のために冒険者になった彼と恋人同士になり、リーシャが成人してBランクの冒険者になった彼と結婚したところまでは同じだ。
結婚してから冒険の拠点とするのに便利な王都へと越した。夢見ていた甘い新婚生活はそこにはなくて、リーシャは孤独の中に置き去りにされた。大量の情報と人が行き交う王都に来て刺激を受けたグレッグは冒険にますますのめり込んでいったからだ。
上級冒険者も仕事は選べる。結婚したり子供が生まれると、一線を退いて比較的安全性の高い依頼を受けるのが普通だ。だが、彼は根っからの冒険者だった。大陸に不定期に現れる新たなダンジョンに胸をときめかせていた。特に挑戦が好きだった。新しいダンジョンが現れれば真っ先に踏破し、既存のダンジョンの誰も挑んだことのない未踏のルートに挑む。
命をかけて挑み勝利をもぎ取る彼の名声は日々高まり、彼を支援する者や賛同して仲間になる者は多かった。そして、巨額の資金と腕のある仲間とともに更に難易度の高い冒険へと繰り出す。
彼は一年のほとんどを冒険に費やし、家に帰ることはほとんどなかった。次から次へと依頼を受けるお陰ですぐにAランクを越えてSランクへと駆けあがり、彼の受ける依頼の規模は大きくなった。
結婚したのにリーシャは一人ぼっちだった。衣食住に困ることはないが、仕事も趣味もないリーシャは家事をして空いた時間はひたすらぼんやり庭を眺めて過ごした。
そんな生活の中で、なにより辛かったのが彼を待つ時間だった。
危険な目にあっていないだろうか?
無事に帰ってくるだろうか?
不安と恐怖でいっぱいになる。胸をかきむしりたくなるような狂おしくて辛い時間を一人でじっと耐える。
彼の居場所も安否もわからない。一応、妻なので冒険者ギルドからなにかあったら連絡はくるはず。せめて紙鳥で連絡をして欲しかったが、それすらねだることはできなかった。なにをしていても、気がつくと彼のことを考えてしまいなにも手につかない。食事も喉を通らないし、夜は眠れない。
グレッグが無事に帰ってきて、やっとリーシャは息がつける気がした。彼が安らげるように家を整え、好物の料理を並べ、彼の冒険譚に相槌をうつ。束の間の幸せな時間。
でも、彼はすぐに次の冒険へと旅立ってしまう。ダンジョンからダンジョンへ。彼の心は常に次の冒険に向いていた。
毎回リーシャの元へと帰って来てくれるが、帰って来ても彼の頭は冒険のことで占められている。情報収集や身体を鍛えること、装備の手入れ。家でのんびり手料理を食べたいという彼の希望で、外食することもない。一緒に出掛けても見るのは彼の冒険の装備や武具のみ。
——ねぇ、一人であなたを待つ時間も、あなたと二人で過ごす時間も寂しいの。
リーシャは冒険に夢中になっているグレッグに心底惚れ込んでいた。グレッグに嫌われるのが怖くて、一度目の人生では、本音も望みも言えなかった。
時折、どうしようもなく寂しくなる。街中で見かける恋人や家族連れがうらやましくて仕方ない。一緒に買い物をして、ごはんを食べる。そんな当たり前の日常を過ごしてみたいと思う。
彼がいない間は不安に押しつぶされそうで、彼が帰ってきても次の冒険の準備を二人でするだけ。
いつまで我慢したらこの時間は終わるのだろう?
彼が冒険者を引退するまで?
それはいつのことなんだろう?
贅沢を言ってはいけないと自分を戒めた。すてきな家があって、彼の冒険者としての稼ぎのおかげでリーシャは生きていくのに困らない。冒険へと出かけても、必ずリーシャの元へ帰ってきてくれる。大好きな彼と結婚できて、一緒に暮らせている。これ以上、望んではいけない。自分を蝕む暗い気持ちは心の奥に押し込めていた。
グレッグと共に仲良くしていたもう一人の幼馴染のレンがいてくれることだけが支えだった。
「死ぬのが怖いんだ。情けないけど冒険者には向いてない。でも薬師になっても、珍しい植物を取りに行くのに冒険者のスキルは役立つから人生に無駄なことはないよね」
そう言って笑う彼はBランクになるまではグレッグと共に冒険者をしていた。成人してから薬師に転職し、グレッグとリーシャを追いかけるようにして王都に出てきていた。
彼が住んでいるのは王都の端で、中心地で暮らすリーシャの家とは離れていたけど、近くに用事がある時は必ず顔を出してくれた。彼とお茶をする時間だけ穏やかな気持ちでいられた。
新聞が最北の地に巨大ダンジョンが現れたと報じた時に、ああ、グレッグは行くんだろうなと思った。リーシャは自分のお腹をなでながら一筋の涙を流した。彼の頭の中は冒険でいっぱいで、妻や子供が入る隙間はない。
事前準備や探索も含めて半年にわたるミッション。また息を殺す日々の始まりだ。そして、人類未踏の巨大ダンジョンに挑んだグレッグと彼の相棒は命を散らした。
いつかそんな日がくると覚悟はしていたけど、ショックで呆然としているうちに、彼が冒険者として稼いだ金は、彼の捜索費用だとか、彼の両親を含む親族にむしりとられていた。彼に告げることができなかったお腹の子は流れた。
リーシャにはなにも残らなかった。レンが抜け殻になったリーシャを気にかけてくれていたけど、なにもかもがどうでもよかった。冒険者ギルドから届いた遺品のなかにあった時を戻すという魔道具を手にして躊躇なくそれを使った。
そして、二回目の人生がはじまった。
運よく時を戻ったリーシャは行動を変えることにした。待っているだけではだめだ。グレッグが死んでしまうのをただ待つだけの人生なんて嫌だ。
彼には反対されたけど、リーシャも冒険者になった。向いてなくてグレッグの足を引っ張ってしまったけど色々なことがわかった。魔法を使えるほどではないけど、リーシャには魔力がある。そして、魔法を装備や武具に付与するセンスがあることがわかった。幼馴染のレンに教えられて付与魔術師という職業があることを知り転職した。グレッグはリーシャが冒険を辞めたことに、ほっとしてるようだった。
元々、リーシャの目的はグレッグの死を防ぐことだ。魔法を付与することで彼の装備や武具を強化することができたら、彼が死ぬ可能性を減らせるかもしれない。
二回目の人生でも、リーシャはグレッグが大好きで恋人になり、魔術付与師としての腕を磨くだけではなくて彼とちゃんと対話しようと試みた。
一回目の人生では嫌われるのを恐れるあまり、彼の話をただ聞くだけでなにか意見を言ったことはなかった。普段からきちんと会話して心を通わせていたら、グレッグが死地に至ることがないよう助言できるかもしれない。
一度目の人生より会話が増えた。会話の内容はほとんど冒険に関することだけど。そのダンジョンで、どんな魔物が出るか? どんな地形なのか? 暑いか寒いか? 必要な装備はなにか?
グレッグと会話が弾むのが嬉しかったし、彼の役に立てる自分が誇らしかった。
残念なことに、冒険に関すること以外の会話は成立しなかった。
「私の買い物にもつきあってほしい」
「恋人のようなデートをしたい」
「長期の仕事の時には紙鳥で連絡を入れてほしい」
リーシャの希望を伝えても、聞き流される。それでも諦めずに何度も伝えると不機嫌になり、時には別れを匂わされると口を閉じるしかなかった。
結婚して、王都へと引越す時に付与魔術師の仕事を辞めたくなかった。でも「俺の持ち物以外に付与するのを止めて欲しい」と言う彼の言葉に従った。リーシャの最優先事項はグレッグの死を防ぐことだったから。
「たまには外食したい」
「冒険用の買い物以外のお出かけがしたい」
「冒険に出た時に紙鳥で連絡を入れてほしい」
相変わらずリーシャの願いは聞き流され、前回と同じような新婚生活を送ることになった。冒険三昧の彼とひたすら待つ自分。不安や寂しさは二回目でも慣れることはない。
もう一人の幼馴染であるレンには前回の人生の記憶がないのか、まったく同じ行動をとっていて冒険者から薬師に転職し、王都へ越してきた。
前回の人生と違うことがあった。一人静かに暮らすリーシャの元に彼の両親や女達が押しかけて来たのだ。
「息子の金はお前のものではなくて、私達のものだ!」
グレッグが冒険に出ている時に彼の両親が押しかけてきて、お金の無心をされた。前回の人生では彼の死後に彼が稼いだお金を貪りとられたので、そういう人達なのだろう。何度も押しかけられても面倒くさいので、グレッグの許可を得て彼らの望む金額を定期的に送金することにした。
後々、文句を言われると嫌なので、刺繍や編み物の内職をして自分の生活費は自分で稼ぎ、彼が稼いだお金には手をつけなかった。グレッグはほとんど不在で、一人きりの生活だったのでいくらでも切り詰めることはできた。
「なんの取柄もない女なんて、Sランク冒険者のグレッグ様にふさわしくないわ!」
村にいる時は、美しくもなくなんの取柄もないリーシャは女の子たちからいつも陰口をたたかれ、仲間外れにされていた。彼が冒険者になってからはそれがより顕著になった。王都に来てからは女冒険者や街の女たちが家に押しかけてきてまで、文句を言う。浮気を匂わせる女もいる。その度に涙を流しながら彼には言えなかった。自分が情けなかったし、彼女達の言うことは事実だったから。
二度目の人生でも運命の流れは変えられなかった。
グレッグは冒険に夢中になり、最北の地に巨大ダンジョンが発現した。最近よく組んでいるS級の冒険者に声をかけられた彼を止めることはできなかった。
春にしては暑い日が続いていて、少し体調が悪かった。リーシャを気遣いつつも、北の巨大ダンジョンへのアタックの準備を進めるグレッグはご機嫌で、楽しみなのを隠しきれない様子だった。
「俺と相棒の装備に魔法を付与してくれないか?」
「ちょっと体調が悪くて……。全部は無理かもしれない」
「お願いだ。君の力が必要なんだ」
リーシャは今回の自分の人生を彼の死を防ぐことに全振りしていた。だけど、今は無理だ。お腹に宿った命には代えられない。
「あのね、ちょっと話を聞いてほしいの……」
「どうしたんだ?」
「最近、調子が悪くて、医者にかかったの」
「なにか深刻な病気なのか?」
「病気ではないんだけど、妊娠しているって……」
「え?」
「まだ初期だから、生まれるのは先なんだけど」
まだ初期なので話すかどうか迷った。こんな時にこんな形で伝えたくはなかったけど、今伝えないと彼は戻らないかもしれないから。それに、もしかしたら、このことを伝えたら命の危険のあるダンジョン行きをやめてくれるかもしれないと微かな希望をもっていた。
「……今回のミッション、やめることはできない?」
「……俺は国の名誉を背負っているんだ。最北の巨大ダンジョン初踏破。なんとしてもなしとげないといけないミッションで、きっと俺と彼しか成し遂げることはできない」
「行くのね……」
「ああ。理解してくれるよな?」
「……」
「お腹の子に魔力をもっていかれるだろうから、毎日少しずつでいいんだ。さすがに今回の探索が厳しいことは俺にもわかってるんだ。お腹の子の父親をなくしたくないだろう?」
「……」
元々、彼を死から救いたくて付与魔術師の仕事を始めたはずだった。でも、彼の頭にはリーシャもお腹の子のこともなくて。ただ、未踏の地を踏むことしかないことがわかった。
——子供ができたことに対する感想はなにもないのね。
そのことに気づいて、心の奥が冷えていく。
死地へ赴く彼と険悪な空気になることが嫌で話を打ち切った。彼の望む通り淡々と彼と相棒の装備や武具に魔法を付与していく。これが最後かもしれないと、彼の好きなものを食卓に並べて笑顔で送り出した。
元々、食費を絞っていたせいで栄養失調を起こしていて、その上、魔法付与を行い、残りの魔力や栄養は腹の子がぐんぐん吸い取っていく。気づいた時には起き上がることもできなくなっていた。
最後の気力をふりしぼって、紙鳥でレンを呼び出した。顔を青ざめさせた彼はすぐに駆けつけてくれた。
「くそっ。妊娠中の魔法付与は禁止されているのはグレッグも知っているはずだろう! リーシャ、なんでそんなことをしたんだ!」
駆けつけて状況を理解した彼は声を荒げた。レンが怒る姿を初めて見た。
「グレッグのためか……」
せっせと滋養のある食べ物を運び、つきっきりで看病してくれた。世話をしてくれるレンがいなかったら、もっと早くにリーシャは弱っていたかもしれない。
「流行病の兆候もあるな……。薬の在庫はあるけど、妊娠中に使えない……。リーシャ、妊娠中でも服用できる薬を作る。どうかそれまで持ちこたえてくれ」
彼がお金でリーシャの世話をする人を雇い、全てを整えてくれた。ぼんやりとした頭でも彼の装備を見て、危険な場所に行くことがわかり、彼の服の裾をひく。たぶん、リーシャはもう助からない。怖がりの彼に危険を冒してほしくなかった。
リーシャの制止の意思を感じ取ったのか、レンは静かに顔を横に振る。
——レンはどうしてただの幼馴染のためにここまでしてくれるのだろう?
「リーシャ、お願いだ。どうしてもだめだと言う時にはこの薬を飲んで欲しい。ただ、これを飲むとお腹の子は助からないかもしれないが……」
枕元にそっと薬が置かれる。目をふせるリーシャを見て、レンは全てを悟った顔をして出て行った。
レンが出ていってから時間の感覚が薄まった。
——私はなにかを間違えたんだろうか?
死の際まで、そんな思考が巡る。
——今回もあなたを守ることができなかったわね。
グレッグの死を防ぐことばかりを考えていて、まさか自分やお腹の子の命が危うくなるなんて思わなかった。お腹の子に自分の生命を維持する以上の魔力と栄養を吸われ、そして自分が機能停止して、最後に子も儚くなることが本能でわかった。
「リーシャ!」
どんどん思考も感覚も鈍くなっていく中で、自分を呼ぶ声がする。それは焦がれた夫の声ではない。
「リーシャ……間に合わないなら、傍にいればよかった……僕はまた、間違えたのか……」
血と汗と土埃の匂いがする。意識が完全になくなる直前に、手を握ってくれていたのは夫ではなくただの幼馴染のレンだった。ぽたりぽたりと熱い雫が手の甲に落ちる。
「リーシャ! グレッグは生きてる。無事に最北の巨大ダンジョンを制覇して、麓の村まで戻って来たそうだ。だから、君も生きるんだ! リーシャーーーーー!!」
それが二度目の人生における最後の記憶。
そして意味のない人生を終わらせたと思ったのに、なぜかまた時が戻り三度目の人生が始まった。
——どうしてだろう? あの焦がれるようなグレッグへの気持ちが少しも残っていない。
二度目の人生で、リーシャはがんばった。
そして一度目の人生で見えていなかったことが見えた。私がなにをしても彼は変わらない。一人で奮闘する中で、彼への愛情や期待が少しずつ削れていった。
授かった子供のことを喜ぶどころか、装備への魔法の付与を優先しろと言った時。
リーシャが妊娠していても体調が悪くても、冒険へと出かけた時。
最後の欠片が崩れ、手を握ってくれたレンの涙で全て溶けてしまった。
彼への気持ちがなくなり、とても清々しく身軽になって、リーシャの三度目の人生は幕を開けた。
リーシャは決意した。
今度こそ、間違えない。
グレッグに幸せにしてもらうのではない。グレッグを幸せにするのではない。自分で自分を幸せにするのだ。
どうやら夫にも前回の生の記憶があるようで、幼い頃からべったりとして離れなかった。周りの大人に不審がられないように、子供の間は前回の人生と同じように無邪気を装った。
——幸せになるために、私はどうしたらいいのだろう?
それだけを考えて行動した。
グレッグや古い価値観の根付くこの村から出たかった。
そのためには最短で付与魔術師になり、自立するしかない。
情報収集して、付与魔術を扱える人を探し出し、頭を下げて教えを請うた。初めの頃はただで仕事を請け負い、ひたすら数をこなす。
村のババさま直伝の魔法を付与した刺繍は他にはなく、かなり好評で以前よりお金を稼ぐことができていた。評判が評判を呼び、遠方で現地で調整する仕事が入り迷っていると、レンが護衛に立候補してくれたので言葉に甘えることにした。レンもグレッグと共に冒険者として忙しい日々を送っているはずなのに、仕事を調整してリーシャに付き添ってくれるお陰で、順調に仕事の伝手を増やし実績を積むことができた。
グレッグは二回目の人生の記憶があることを隠す気もないのか、時折、リーシャに絡んでは
「付与魔術師になったのは、俺の身を案じてのことか?」
「そろそろ俺達、つきあわないか?」
「俺達が結ばれるのは運命なんだ」
などと勘違い発言を連発していたが、全て一蹴した。気持ち悪い。グレッグのリーシャは自分を好きに違いないという自信ありげな態度と自分からは決して好きとは言わない傲慢な態度が鼻についた。
グレッグは何回、人生を繰り返しても変わらない。
立派な体つきと精悍な顔立ち、冒険者としてのセンスと圧倒的な自信。魅力的で人を惹きつけてやまない。過去の自分が夢中になったのも無理はない。でも今は好きという気持ちがないだけで、彼の欠点も驚くほど見えてくる。今後、彼を愛することはないだろう。
独り立ちできるくらい資金が貯まり、成人するとリーシャは母親とレンだけに王都に移住することを告げた。グレッグに追われたくないので住む場所は誰にも言わなかった。
引っ越しを手伝ってくれたのはレンだった。正直なところ、一人では手が回らない部分もあったので助かった。前回と同じように冒険者から薬師に転職したレンは、リーシャのご近所さんになった。
レンに告白されたのはそれから一年後。
前回の最後の記憶が蘇る。人生を共にするなら、信頼できる人がいい。自分を一番に置いてくれる人がいい。そんな打算ではじまった関係だった。
どこにでもある話だ。ただの付与魔術師と薬師。自立した大人がつきあっただけ。
少しずつお互いを知って、いろいろな所に出かけて、たくさん話をした。笑って、時々喧嘩して過ごす穏やかな日々。
それは一緒に暮らしはじめても変わらなかった。
お互いに自分のペースで仕事をして、分担して家事をして、相手を思いやって生活をする。手をつないで出かけて買い物して、一緒に料理して、ごはんを食べる。どこにでもあるありふれた風景。
それがどんなに得難いものか知っているリーシャは日常にある小さな幸せをかみしめた。
「リーシャ、いつもありがとう」
「リーシャ、好きだよ。愛してる」
レンは言葉を惜しまない。そんな彼は気づいたらかけがえのない人になっていた。
グレッグの時のような焦がれるような恋ではない。でも、燈のように穏やかで、いつまでも胸の奥をあたためてくれる。
静かに愛をはぐくんで、つきあいはじめて二年後に結婚した。
グレッグのことはすっかり忘れていた。
最北の地にある巨大ダンジョンを制覇し、わざわざ冒険者ギルドに依頼を出して、彼はリーシャに会いに来た。
一回目と二回目の人生ではグレッグやリーシャが死に瀕して、時を戻したいと思うほど大事な時期だったのに、三回目の今は随分平和ボケしているのかもしれない。
一人で彼と対峙することをレンは最後まで反対していた。
レンにも繰り返した人生の記憶があるのかもしれない。確かにグレッグはリーシャに執着している。でも、今のリーシャではなく過去の献身的なリーシャに縋っているだけなので、それを断ち切ってしまいたかった。
レンと一緒にいかなかったのは、彼に恨みの矛先が向かうのが怖かったからだ。
面会場所は人目のある冒険者ギルドで、すぐ近くにレンが控えるということで話がまとまった。
想像通り、グレッグは前回の人生の話まで出してリーシャに縋って来たけど、驚くほどリーシャの気持ちは凪いだままだった。冷静に、でもきっぱりとこちらにやり直す気はさらさらないと話したつもりだけど、彼にきちんと伝わっただろうか?
呆然とする元夫を置いて、冒険者ギルドから足を踏み出すと、きっちりまとめていた髪をほどく。あたたかい春の風にふわりとリーシャの髪がなびいた。リーシャは別にかしこまった格好が好きなわけではない。グレッグに会う時には意識的に以前の自分とは反対の格好をしていただけだ。
「レン!」
物陰から出てきた細身の男に駆け寄る。
「無事でよかった……」
リーシャをそっと抱きしめながら涙ぐむレンをなぐさめるように背中をぽんぽんと叩く。
「魔物に会うわけじゃないんだから……。人目もあったし、ギルドを介しているから問題行動を起こしたら冒険者資格を失効するわ。そんな危険をあの人が犯すわけがないでしょう?」
「なにがあるかなんてわからないだろう? 大事な時期なんだから、もう無茶しないでね」
「はーい」
レンの腕の中でまだふくらんでいないお腹をなでる。
なんとなくこの子と一度目と二度目になくした子の気配が似ている気がする。そうだったらいいなと晴れた空に願いをかける。
その後、グレッグはリーシャやレンの前に姿を現すことはなかった。
彼は次々に未開拓のダンジョンやルートを踏破し、歴史に名を残す冒険者になった。今回の人生では結婚はしていないようだが、それ以上のことはわからない。
きっと、これからも人類がなしえないことに挑戦しつづけるのだろう。自分の命が尽きるまで。
一回目と二回目に夫だった人は冒険にしか生きられない人なのだ。魅力的で強烈に人を引きつける人だった。恋焦がれたし、彼のためならなんでもできるし耐えられると思った。
でも、リーシャには無理だった。彼を待ち続けながら不安に耐えて、子供を育てることはできない。もちろん、そんな彼を支え続けられる強い人だってこの世の中にはいるのかもしれない。要は相性の問題だ。
グレッグは命をかけるひりひりした刺激と達成感を求めていて。
リーシャはなんでもない平穏な日常と幸せを求めていた。
それぞれ人生に求めるものが違った。
ただ、それだけの話。




