村への帰還
ミーナは、俺の画面に表示された矢印を頼りに、森の中を進んでいく。
矢印は静かに、確実に進むべき方向を示していた。
地図上では単純な一本道でも、実際の森はそう簡単じゃない。
木の根が盛り上がり、足元は落ち葉で滑りやすく、ところどころに小さな段差もある。
『あしもと、きをつけて』
「うん……」
タブレットでしかない俺は、ミーナに注意を促すことしかできない。
ミーナは俺を胸に抱き、慎重に歩く。
ときどき立ち止まり、深呼吸をしてから、また前に進む。
子供の足では、村までの距離は長い。
それでも彼女は弱音を吐かなかった。
親の元へ帰れる。
その希望だけが、彼女を支えている。
しばらく歩いたところで、画面の端がわずかに明滅した。
《警告》
頭の中に声が響く。
同時に、翻訳機能が拾った音が意味として流れ込む。
――空腹。
――弱い。
――獲物。
『とまって』
『うごかないで』
ミーナは、言われた通りぴたりと足を止めた。
その小さな体が、緊張でこわばるのが伝わってくる。
草むらが揺れ、姿を現したのは犬に似た魔獣だった。
毛はぼさぼさで、肋骨がはっきりと浮き出ている。
鋭い目が、真っ直ぐこちらを捉えていた。
「……こわい……」
声が震える。
『だいじょうぶ』
『いまは、うごかない』
地図を拡大し、周囲の地形を確認する。
斜面、倒木、細い獣道。
逃げ道は一つだけ。
『みぎ』
『あの、たおれたきのほう』
ミーナは一瞬だけ迷い、それから俺を強く抱きしめた。
「……うん!」
彼女は走り出す。
背後から、低い唸り声が聞こえた。
枝が折れる音。
追ってきている。
だが、地図の矢印は迷わない。
『このまま、まっすぐ』
『すこしだけ、がんばって』
息を切らしながら、ミーナは必死に走る。
小さな足が何度ももつれそうになる。
だが子供の足では追いつかれるのは時間の問題だ。
タブレットになった俺にできることは何かと考える。
魔獣の見た目は犬に似ている、なら俺がやることは1つ。
『俺を魔獣の方に向けて』
ミーナは俺の指示通りにしてくれた。
ならあとは俺がやる番だ。
スピーカーの機能は生きているため、最大音量にして光量もMAXにして音をだす。
初めての現象に魔獣はこちらに近づくのをやめる。
警戒するように止まりながらこちらを見ている。
やがて――
唸り声が遠ざかり、そのまま聞こえなくなる。
地図からも反応は消えていた。
ミーナはその場に座り込み、肩で大きく息をした。
「……たすかった……」
震える手で、俺を抱き寄せる。
よく見ると泣いている。
ミーナはまだ子供だ。本来ならこんな怖い思いをするべきでは無い。
「板さんが……いたから……」
その言葉が、妙に胸に残った。
スローライフを望んでいたはずなのに、
誰かに頼られる感覚は、思ったより悪くない。
少し休んだあと、再び歩き出す。
途中、分かれ道に何度も出た。
右に行けば崖、左は沼地。
真っ直ぐ進めば、遠回りだが安全な道。
『こっち』
『すこし、とおいけど、あぶなくない』
「うん、わかった」
魔獣の1件以来ミーナは完全に信用してくれたのか、素直に頷き、従ってくれる。
だが、その信頼が、少しだけ重かった。
やがて、森の匂いが変わる。
湿った土の匂いに、薪の煙が混じった。
「あ……!」
ミーナが前を指さす。
木々の隙間から見える、柵と屋根。
小さな村――リーフ村だ。
「帰れた……」
その声は、泣きそうだった。
村の入り口に近づくと、大人たちがこちらに気づく。
「ミーナ!?」
「どこに行ってたんだ!」
「お母さん!」
走り寄ってきた女性が、ミーナを強く抱きしめる。
遅れて、他の村人たちも集まってきた。
「……この板さんが、道を……」
ミーナは俺を差し出すように掲げる。
村人たちは、半信半疑で俺を覗き込んだ。
「光ってる……」
「魔道具か?」
警戒と好奇心が入り混じった視線。
俺はただ、静かに画面を表示したまま、
彼らを見返すことしかできない。
迷子の少女を助けただけ。
それだけのつもりだった。
だがもはやそれだけでは済まないだろう。
ミーナの手の温もりが、まだ画面越しに残っている気がする。
のんびり過ごすには、
少しだけ、目立ちすぎたかもしれない。
それでも――
彼女が無事に帰れたなら、今は不思議とそれでいいと思える。
思い描いているスローライフへの道は、
まだ遠い。
けど、確かに一歩は踏み出した。




