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二鳥を見据えて

「ノア、ドニ爺って?」


 ノアの腰に腕を回して、必死にしがみつくインネが、耳元でその唇を震わす。


「ドニ・バール。帝国一の銃鍛冶(ガンスミス)で、技師。だった人だ。今はフリスタで手入れ屋をしてる。銃でもなんでも」


 ドニ・バールと聞いて、白髭の彼の老人を思い浮かべない軍人はいない。帝国一の腕を持ち、数々の名銃を生み出してきたドニ。今ノアが腰に下げている、軍正式採用の拳銃、グレイゴーグも、彼が設計したものだ。


「そう。で、軍からぶん盗った旧式の装甲車を改良してもらってる」


 並び立つ石造りの家を流し見ながらクロノスは頷く。


「旧式……隊長はドニ爺に会ったんですか?」

「ああ、ピンピンしてたぜ? それと、旧式っつっても結構しっかりしてる。ちっとの銃撃じゃビクともしねえ――ってうお!?」


 片手をハンドルから放し、装甲車の性能を力説していた、その時だった。

 つんざくような破裂音が、立て続けにノアの耳を穿った。


「……ッ! インネ、伏せて!!」


 クロノスが咄嗟にバイクを倒し、飛び出す。それを予期したノアは、インネを抱え、寸前でバイクから転げて近くの住居を遮蔽にする。


「なんだぁ!?」


 クロノスがバイクを盾にして匍匐しながら声を張り上げる。


「アテナに追いつかれた……ッ!?」


 クロノスに答えようと叫んだ瞬間、バイクから着弾音が響き、次の瞬間には爆風を伴って炎を上げた。


「ちっ…熱っちいな!?」


 上がる炎をカーテンにし、クロノスがノアの隣に転げてきた。居住区であり、戦火とは程遠い場所で火の手が上がり、暗くなりかけていた辺りを照らす。

 未だ止まない射撃音を尻目に、ノアはクロノスを見る。


「どうします?」

「俺とお前だけならどうってこたねえが……嬢ちゃんがな」

「インネ……?」


 はっとして、彼女を見ると、一点を見つめて硬直していた。身体はガタガタと震えている。違う、これは怯えだ。失念していた。当たり前だ、ただの少女が、いきなり戦場に連れ込まれた。先ほどは逃げるので手一杯で、現実を受け止め切れていなかったのかもしれないが、今はれっきとした戦場。


「インネ! しっかりするんだ!」

「……っ! ……ひっ!?」


 頬が強張り、ノアを見つめるその瞳はどこか虚ろだ。


(くそ)


 心中で悪態をついたノアは、腰のホルスターに手をかけた。

 銃声を聞き、その瞬間を見極める。そして、抜いた拳銃を構えて飛び出した。


「これで!」


 手ごろな兵士に向かって照準、引き金を引――


「――っ!?」


 引けなかった。

 トリガーを抱き込むはずだった指が硬直し、幾ら力を込めても動かない。

 銃弾の嵐の中で硬直するノア。それを一切許さない凶弾が、ノアのこめかみを撃ち抜く。その寸前、万力のような力で引き戻された。


「バカ野郎!! 死ぬ気か!?」

「……すみません、忘れていました」


 咄嗟の判断だった。思わず銃を抜いていた。


「ったく、()()()()モンを持っとくんじゃねえよ」


 呆れたように首を振ると、ノアから拳銃を奪い取り、自身の腰に差した。


「撃ち方やめ!」


 そのうちに、敵方から声が上がる。それに呼応して銃声が止んだ。


「師匠、私です。皇帝陛下の命により、『祈憶姫』を預かりに参りました。できれば師匠にもご同行願いたく存じます」


 凛とした、どこか幼さの残る声色が、ノアの敬称を口にする。眉を顰めながら、壁越しに叫び返す。


「断る。君じゃない、皇帝の方だ。インネに何があるかもわからないのに。引き渡すわけにはいかない」

「……どうしてですか。師匠は陛下に忠実だったではありませんか!?」


 分からないと首を振り、糾弾するように声を張り上げる。その言葉に顔を歪めながら、ノアは次の言葉を探した。


「僕は任務に忠実だっただけだ」

「師匠……!」


 一時の沈黙が訪れる。その隙に、クロノスはインネを抱えていた。アイコンタクトで理解する。


「隊長、インネを頼みます」

「わかった。……加減はするなよ」


 先ほど奪い取った銃のマガジンを空に変えて、ノアに手渡す。ハッタリ程度に使えれば十分だ。頷いて受けとる。先刻確認した限りでは、彼女の私兵は三人程だったはずだ。懐に入れれば、勝てる。

 ノアは銃を構え、ゆっくりと歩み出た。それを撃ち抜く無粋な真似は彼女はしない。


「師匠……」


 覚悟を決めたようにつぶやいたアテナが、両腰の拳銃に触れる。既に銃を抜いているノアにほんの少しのアドバンテージがあるが、アテナにその気はなくとも私兵が動くかもしれない。基本正々堂々を好む彼女、その意思に染まった彼らがそれをするとは考えられないが。


「あら、まだ初めてなかったの?」


 ――そこに、またしても闖入者が現れる。


「『鳰』ッ!?」

「『鳰』……貴様、もう追いついたのか!?」


 コツコツとヒールを鳴らして戦場を睥睨する女。


「あら、そんな言い方は無いんじゃないかしら? せっかく坊やを迎えに来てあげたのに」


 その視線を固まるノアに向ける。嬲るようにその双眸でノアの全身を見つめる。怖気が走ったノア、拳銃を握る力が強くなる。


「迎え……?」

「ええそうよ? 昇位試験の時から気に入ってたのよ。ワタシの『玩具兵(おもちゃ)』に加えたいの」


 妖艶に唇を舐める『鳰』。その豊満な胸を強調するように、腕を組んでノアを見る。

 やけに露出の多いドレス。それもそのはず。彼女を帝国『七核』六位――『鳰』たらしめんとするもの、それこそが、彼女の特技、篭絡だ。誘惑、懐柔、拷問。それが彼女の帝国最強の一人たる所以。彼女の従える私兵、『玩具兵(がんぐへい)』は、その全てが敵国の軍人だ。今は彼女を女王と崇め、着き従う最強の駒。


「貴様、師匠を愚弄するのか」


 そんな『鳰』の態度を余所に、『鶯』のアテナは吠える。


「あら、違うわよ。いい男だし、それにとってもワタシの好み。そばに置いておきたいのよ」


 口元を隠してくすっと笑う。どこまでも悪趣味。吐き捨てるようにアテナが言う。


「……。師匠、この女は無視してください」


 アテナの憤怒に巻き込まれて、ノアは現状が分からなくなる。なんだ、この状況は。敵は二人。自身はインネとクロノスを逃がさねばならない。だというのに、戦闘すら始まらない。


「ノア、どうやら無視はできねえみたいだ。『玩具兵』がどこに潜んでいるかもわからねえ。どうする?」


 震えるインネを抱えたクロノスが、警戒しながら問う。ノアの応えは決まっている。


「僕に聞くなら、結論は一つです」

「そりゃそうか」


 快活に笑ったクロノスが、どっかりとその場に腰を下ろした。戦場に置いてあまりの愚行。ではない。一応インネを背に庇っているし、その手には彼の拳銃が握られている。逃げようが逃げまいが、敵を倒さねば同じ道を辿るだけ。それを理解しての行為だ。クロノスは見かけによらず慎重派。


「ツレないのね。なら、こうしたら少しは可愛くなるかしら?」


 ノアが向き直った瞬間、フォリエラが腰に吊った銃を抜く。殺気を感じたノアは、とっさにアテナに接近し、突き飛ばす。


「なっ!?」


 アテナが悲鳴を上げて倒れる。つんざくような銃声が響き「ぐあっ!?」と悲鳴が続く。アテナの上からどいて後ろを見やれば、アテナの私兵、『正義の使者』の三人が血を流して倒れていた。

 カラカラと薬莢が転がる。


「フォリエラ……貴女は!」


 自然と彼女を糾弾する。少なくとも、アテナとフォリエラは、仲間のはずだ。


「あら坊や、それ以上動かないことね。次は『鶯』ちゃんを撃つわよ」

「……ッ」


 訳が分からない。この二人は、皇帝の命令を受けて、インネを、――フォリエラはノア自身が本命らしいが――狙っているはずだ。敵対する意味がない。


「まあでも、こうしている間にも、『鶯』ちゃんの大事な大事な働き蟻が死ぬかもしれないけれど」


 働き蟻……『正義の使者』のことか。


「アテナ、どういうことだ」


 立ち上がるアテナに、顔を向けずに問いかける。息を漏らしながら、アテナは応えた。


「残りの『正義の使者』を、『玩具兵』にぶつけてあります」

「君とフォリエラが敵対する理由は?」

「報酬に、師匠の自由権を。あの女はそれを狙っています」

「人聞きの悪いこと。『鶯』ちゃんだって、坊やが欲しくて欲しくてたまらないから、雌汁垂らしてワタシを出し抜こうとしたくせに」

「っ……!」


 赤面して口をつぐむアテナ。フォリエラの言い分はあながち間違っていないのか。

 だが、それ以上にわからない。何故彼女は、こうも余裕なのだろうか。


「昇位試験の時は気を抜いたけれど、坊やと『鶯』ちゃんで、やっと五分五分ってところかしら?」


 握る二丁のサブマシンガンを弄び、すっとその銃口をアテナとノアに向ける。

 トリガーには指をかけない。当然だが、動きに無駄はない。


 ――帝国最強は伊達ではない。


 今ここに、帝国最強の七人。そのうちの三人が奇しくも居合わせている。

 ノアは元だが、未だに二位の座が空席であることを鑑みれば、ノアの見解は間違ってはいない。

 しかし、その考えは改めなければならないかもしれない。


「せっかくの獲物に傷を付けたくないの、大人しくしてくれるかしら? 『祈憶姫』もね」


 戯言を紡ぐ口元を見つめて、ノアは握っていた銃を回す。銃身を握り、トリガーガードに人差し指をかける。


「いい子ね。じゃあ、それを捨てて――」

「――ッ!」


 音を置き去りにしたノアは、瞬時にフォリエラに肉薄すると、即席のハンマーで下から殴りつける。


「カハッ……!?」


 内臓を叩きつぶされ嗚咽する。腹を抱えて頽れた。


「勘違いするな。僕は昇位試験の時、本気の欠片も出していない」


 向き直るノアは吐き捨てる。


「そん……な……!?」


 驚愕に目を見開く。揺らぐ瞳は困惑に染まる。


「『鳰』、師匠が運で『七核』第二位になったと、本気で思っていたのか?」


 憐憫の眼差しを向けるアテナ。それにフォリエラは顔を赤く染める。


「『鶯』……ッ!!」

「五月蠅い」


 ノアが首筋を打ち、ガクっと首を落とす。静かになった敵を無視し、アテナを見る。


「師匠、申し訳ありません。お手を煩わせてしまい」

「別にいいよ。僕も『鳰』を放っておくわけにはいかなかった。それで、どうするの?」


 ノアは銃を握り直し、わざと意識させる。アテナはノアの弟子だ。自慢ではないが、負ける気はしない。


「……今、師匠と銃を向け合うのは愚策です」


 いつの間にか抜いていた銃をホルスターにしまうと、アテナは首を横に振った。


「ノア、ならアテナに一つ言ってやれ」


 いつの間にか陰から出てきていたクロノス。言葉の真意を理解したノアはアテナの腕を掴んだ。


「あ……」

「アテナ、君は僕らの捕虜になった。だから皇帝の命令を遂行できない。『鶯』は『烏』に喰われた。……これでいいかい?」

「……師匠」


 免罪符。彼女は正義や道理を好む。もはや戦う必要のないこの場に置いて、彼女が納得できる口実は必要だった。


「僕らは少しでも仲間が欲しい。だからを君をダシにして君の部下を従えたい。僕らが『正義の使者』のもとに行くのは当然だ」

「……ッ!! ありがとうございます……!」


 迂遠な言い回しだが、それでこそ意味がある。アテナが急いていた理由がこれだ。義理難い彼女は私兵を大事に想っている。それは、ノアが『七核』であった頃から知っている。

 彼女の従える私兵、『正義の使者』は、彼女と同じ孤児出身の者で構成されている。行く当てのない者を彼女が拾った。『鳰』の『玩具兵』とは違う。


「でも、いいのかい? 君は僕とインネを捕らえるつもりで……」

「師匠が『七核』に居ないのであれば、必要ありません。私は師匠についていくだけですから。師匠に恩を返すためにも」


 ノアに握られた腕をどこか愛おしそうに眺めながら、アテナは瞳を閉じる。しかし、次の瞬間には優しくノアの手を解き、顔を引き締めた。


「こちらです」



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