『隼』
「……よかったのか?」
「彼女が、やると言った。なら、アテナを信じるだけです」
ノアの背中を見つめるクロノスが、その瞳に後悔を覗かせる。クロノスにとっては愛娘も同然。心配なのは同感だ。だが、彼女もまた『七核』。ノアは彼女に全てを教えた、アテナならやってくれる。
「それにアテナは、任せろといいました。きっと、大丈夫です」
「……そうだな」
振り向かず、ただひたすらに前を往くノアを見て、クロノスは自身の杞憂に苦笑い。思えば、ノアとアテナは、とうにクロノスなど超えている。それをどうして、自分が不安がっているのか。
「……っ隊長」
思考に惚けたクロノスを、ノアが片手で静止する。城の中心、大広間に差し掛かった寸前だった。そして、その理由を肌で感じる。ソレが何者なのか、知っている者からすれば、違えることは無い。
「……来たか」
その中心で、ただ悠然と腕を組む人物。こちらを見ているだけだというのに、鳥肌が立ち、震えが止まらなくなる。というのは、あくまで一般兵の感想だ。
無論、どうしようもない絶望感。というものは、ノアも感じている。この存在を敵にすることはあまりにも無謀だと、本能が言っている。だが、それがどうした。孰れ、超えるべきとされていた相手。ただ、自身がそれを臨まなかっただけ。
やるしかない。しかしそれでも――
「――貴方とは、戦いたくなかった」
『英雄』それは、彼を表現するのに最もふさわしく、最も崇めやすい称号。敗北の一途を辿るはずだった帝国を、たった一人で救いあげて見せた救世主。或いは、民を救う光。
そんな存在を、敵に回したくなどなかった。今、『烏』と『隼』は対極にいる。革命を臨む逆賊と、それを叩きつぶす英雄。しかし、ノアは彼を『英雄』とは呼ばない。
「反旗を翻したお前が、それを言うのか?」
可笑しい。鼻を鳴らして一蹴すると、『隼』はため息を吐く。
「何故、拒む? 否定する? 皇帝の民でありながら、その意思に背く?」
「ジークにも、同じことを言われた」
何故、と。一度はその配下となり、皇帝にあだなす敵を倒してきた。今更どうしたと、疑問に思うのは当然のこと。それも、絶対の忠誠を置いて尚、その実力がなければ認められない地位に居た。帝国『七核』とは、そういうもの。であるならば、何故に叛逆の徒と化したのか。
「皇帝の目指す世界は、全てに置いて理想だ。何が気に入らない」
ただ一人、ノアに向けられた問い。横のクロノスに問うつもりはないと。彼が『アンタレス』であり、真の姫を玉座に納めることを望む人間だということはわかっている。ならば、その理念さえないノアは、どういうつもりなのか。
「それは、インネの力だ。好き勝手使わせはしない」
「たった一人だ、犠牲になるのは。これまでを見れば、圧倒的だろう?」
これまで、多くの人間が犠牲になってきた。自国も他国も。それを、嘆いているとでも言うのか。
「……まあいい。俺に、民など関係ない。――アリナが戻れば、それでいい」
「アリナ……?」
聞き慣れない名前に、ノアは首を傾げる。それを捕捉するように、クロノスが耳打ちしてくる。
「奴の、婚約者だ。軍医だった、もう、居ねえがな」
軍医、戦場で散ることもある。銃を持てず、その技術と知識を武器に戦う存在。『隼』は、それを求めているのか。
「……御託はいい。『烏』」
「……!」
くだらないと吐き捨てると、『隼』は組んでいた腕を解く。そうして、今まで左腕に隠れていた右腕が、その異形をあらわにする。二の腕から下が全て硬質の機械へと変わっている。帝国でただ一人、その右腕を戦闘用の義手に変えた男。
その異質さに、その殺気に、ノアは息を呑む。
「お前が、帝国を否定するのなら、示してみろ」
「……当然だ。僕は貴方に、勝つ」
ジャキンと、特殊機構が展開し、その義手から刀身が飛び出す。小手と近接武器の一体武装、戦場で負った理不尽を、無理解へと変えてしまう兵器。その片手に、拳銃を伴って、男は眼光を鋭くする。自身と同じ戦術を継承する存在が、今、敵と化す。
「『隼』テセウス・トルシィー」
「……『烏』ノア・クヴァルム」
逡巡の末、ノアはその名を口にする。例え、それが嫌った名だろうとも、この名が背負う意味は重い。ならば、今、ここで、背負わないでどうする。
「――超えてみせろ、叛逆者」




