戦火の足音
しばらくすると、ドアがノックされ、ノアは取っ手に手をかけた。
「インネ! よかった、イルファさんは余計なことをしなかった?」
「ええ、服を頂いただけ」
「……僕の服は洗濯中か」
「ごめんなさい、断れなくて……」
そういって俯くインネの姿に、ノアはしばし硬直する。先ほどまでの、ノアの着古した軍服ではなく、胸元に可愛らしくリボンの装飾が施された、純白のワンピースを纏っていた。
「いいよ、僕のはサイズが合わなかったし、似合ってるよ」
「……そう?」
「多分……」
産まれてこのかた、女の子の服装など褒めた経験の無いノアは、それらしく流れで口にしてみたが、正直なところ、そもそも何が似合っていて、何が似合わないか、その基準すら持ち合わせていなかった。
しかしまあ、ここで大きな違和感を感じないあたり、「似合っている」でいいのだろう。
微妙な雰囲気とコミュニケーションを続けるノアとインネ。ある意味では、二人が始めてまともに話した瞬間。協調性の無い二人の間が、少しは和やかになるかと思われた、その時だった。
「ノア・クヴァルム殿!! いらっしゃいますか?」
インネが今しがた入ってきたドアが、再度叩かれた。
「――ッ!?」
インネが肩を跳ねさせて、ノアは身構える。
「師匠!! いらっしゃるのでしたら御答えください!」
「誰……?」
若い、少女のような、しかし凛と張りのある声が、ノアの名を呼ぶ、イルファではない人物に、インネは不安そうにノアを見る。
「軍だ……何故彼女が……?」
「ぇ……?」
軍という言葉に、インネが肩を揺らす。
「私を追ってきたの……?」
「わからない、でも、そんな命令は出ていないはず……いや僕には来るはずないか。だとしても、軍が追う程だとしたら、指名手配ぐらいしそうだけど……」
何故、インネが自身を追うという発想に至ったのかはわからないが、その可能性は十分に考えられる。ノアはそもそも既に軍を抜けている、言わば退役軍人のようなものだ。
そんなノアの所へ、軍の人間がやってくる。この一か月、そんなことは一切なかった。軍との関わりは、皇帝との謁見きりだ。
ならば、唯一の差異点である、インネという存在が、この事態を引き起こしたというのならば、納得はできる。しかし、一切の関係がなく、たまたま、ということも十分考えられる。
「指名手配……!?」
その仰々しい響きに思わずといった様子で声を漏らす。
「あくまで可能性の話だよ。そもそも、そんな話は聞いていない」
元、とはいえ、『七核』だったという特殊な立場上、軍の無線は自由に扱えるため、めぼしい情報は聞いて入ればすぐに思いつくはずだ。
ノアはドアに設けられている覗き窓から、外の様子を覗う。
「アテナ……彼女がいるなら、既に囲まれてるか。『七核』を動かした以上、ただ事でもないだろうし、十中八九君を狙ってるよ」
「なんで……」
身に覚えのない追われる理由に、インネは頭を悩ませる。少し前を向きかけていた視線が、またも俯いてしまう。
「陛下のご命令です。御答え下さらないのでしたら、武力行使も視野にいれます」
いつまでも返事のない相手に、苛立ちを抑えた声がドア越しに届く。
「……インネ、逃げよう」
「え……?」
「このまま捕まるつもりもないだろう? 裏口から出る、君は先に行って、僕は時間を稼ぐ」
「でも……!」
「行って!!」
「――ッ!」
鋭く避けんだノアに気圧されて、インネは走りだす。おぼつかない足取りのインネを尻目に、ノアは覚悟を決めた。ゆっくりと、扉を開ける。
「僕だ、何があったんだ?」
「……! 探しものです、師匠のところに、少女が逃げてはきませんでしたか?」
丁寧ながらも、意図的に跳ねさせた襟足、陽光を照り返す程鮮烈な赤の髪。凛とした紅玉の瞳の少女が、尊敬と疑念の入り混じった視線を向けていた。
「知らないな、でも、最近見慣れない女の子がいるって噂は聞いた」
「……そう、ですか。失礼しました、では」
「知っている」そう答えて欲しかったと言外に目線で訴えたアテナ、しかしそれ以上の抵抗はせず、素直に踵を返す。
「うん、でも、君の部下も連れて行ってくれないか?」
しかし、ノアはそのチャンスを逃さなかった。
「――!? 気づい……うあ!?」
視線が外れたその瞬間、ノアは右腕を白く細い首筋に回し、右足で彼女の足を丸ごと払う。そうして崩れた体制を胸で受け止め、左腕をあらぬ方向へと曲げる。
予想外の事態に部下たちが気づき、軍人らしく素早く小銃の先をノアに集中させる。
「アテナ様!」
「動くな、君らがそれ以上動くなら、アテナの命は保証出来ない」
上司の危機に素早く対応した数人の部下に関心しながらも、ノアはアテナの首に爪を突き立てる。
「し、師匠……何を!」
「ごめん、少し眠ってて」
隊の統率を崩すため、アテナの首を打つ、その寸前、
「ぐッ!?」
「アテナ様をお放しください!! 『烏』殿ッ!」
左肩を弾丸が掠め、次弾を避けるためにアテナを離す。息吐く暇もなく、小銃の掃射がノアを襲う。
「くそッ!!」
計六本の小銃の掃射が、今しがたノアが陣取っていたドアを破り、壁を穿つ。
劈くような銃声に、ノアは顔を顰める。
「インネ! 走って!」
裏口から出たはずのインネに向けて、ノアは声を上げる。
「ノア!?」
名前を呼ばれ、加えて突然の銃声に驚いたインネが顔を出す。その瞬間、インネの顔スレスレを銃弾が飛ぶ。
「きゃぁ!?」
(まずい……)
掃射される弾丸を避け、半分がリロードのために銃撃を停止した、その隙をついて、インネの隣にかけよる。
「やめろ! 姫に当たる!」
アテナが我に返り、部下を叱責する。全ての銃が下ろされた、その間隙に、何かが割り込んだ。
「ノアぁぁああ!」
「……!?」
大型のバイクが、うるさいエンジン音をまき散らしながら、真っ直ぐインネとノアの方へと突っ込み、そのまま、二人を搔っ攫った。
突然の怪力に脳を揺さぶられながら、町の方へと走り去る。
こんな荒業にも程がある事をやってのけるのは誰かとハンドルを握る人物を見やる。
「隊長!」
「ったく、危なっかしいな!」
「何故あなたが……?」
ハンドルを握っていたのは、もう幾度となく見てきた、その傷跡の残る顔で快活に笑う、ノアの元上司だった。
「お前と、その嬢ちゃんを助けにきたのさ」
「インネを……?」
「え……」
驚愕と恐怖で顔がこわばっているインネを尻目に、闖入者は続ける。
「にしても、お前、この一ヶ月で鈍ったんじゃねえのか? 自分の弟子に負けかけるなんて、笑い話にもなんねえぞ?」
「別に、弟子をとった覚えはありません。ただ、少し技術を教えただけです」
「それを弟子と言うんだろうが」
「あの……あなたは?」
顔見知りである二人が話をする中、置いて行かれたインネが恐る恐るというように問う。それを見て、本気で忘れていたような顔をして、ノアに隊長と呼ばれた男は名乗った。
「おお、そうだったな、俺はノアの師匠みたいなもんさ、クロノス・ウォーリだ」
「インネ……? です」
「……いい名前だ」
それだけで終わらせようとするクロノスに、ノアは正式な称号を付け足す。彼がノアの師匠と紹介した以上、こちらも伝えてもらわなくては困る。
「帝国遊撃部隊クロノス隊隊長、それが抜けてます、隊長」
「――ぇ?」
「おいおい、嬢ちゃんが怖がっちまったじゃねえか」
「それは隊長の顔が怖いだけでは?」
「あのなぁ……ん、どうした、嬢ちゃん?」
明らかに様子のおかしいインネに、クロノスが振り向く、しかし
「ひっ……!」
それは逆効果で、余計にインネを怯えさせてしまう。
(軍関連のことにひどく怯えている?)
確かに、追われているのだから当然と言ええば当然だが、彼女はアテナ達が来るより前、ノアが軍人だと分かった時も似たような反応をしていたはずだが。
「……インネ、この人は軍人だけど、悪い人じゃないよ。少なくとも、君を捕まえたりはしない」
「……本当に?」
なるべく優しく、安心できるようにインネにささやく。そもそもノアにも心を許したかはわからないインネに大した効果は期待できなかったが、それでも少しは信じてくれたようだった、
「言ったろ嬢ちゃん、俺は嬢ちゃんを助けにきたんだ。まあ、聞きにきたともいうが……」
ノアに目くばせで礼を伝え、クロノスは前を向く。
「聞きたいのはこっちです、隊長、彼女に一体何が?」
「……さあ、俺にもわからん」
「は……?」
「ただ、嬢ちゃんを陛下の元に行かせるわけには行かねえ。それだけはわかってる」
肩を竦めて見せるクロノスに、ノアは声のトーンを落として訊く。
「……隊長、本当に知らないんですか?」
「……ああ」
しかし、どれだけ圧をかけても、クロノスは揺らがなかった。彼が語らないというのなら、それ以上聞くつもりもないが、知らないというのはあまりにも無理な話だった。
なぜなら、あの『七核』であるアテナが動かされた事態だ、とてもただ事とは思えない。それに、知らないだけで済むようなら、記憶喪失の女の子を追い回す軍など出くわすわけがない。
「……これからどこに?」
「帝国を出る、ここも十分辺境だけど、アテナが来たってことは、多分追ってくる」
「まあ、お前に邪魔された程度じゃ、皇帝様は諦めねえよ」
「皇帝……」
「機軍帝国ブレイン皇帝、ジェローム・ヘルシャ・ブレン十三世。我らが皇帝さ」
耳慣れない言葉に眉を顰めるインネに、ため息を吐きながらクロノスが語る。ただでさえ怪訝な顔をしているインネに、続けてノアは口を開く。
「インネ、君は皇帝に追われているらしい、だから、帝国にいる訳にはいかない」
「なんで、私が……」
「分からない、ただ、君に何かあるのは確かだ」
「……私に?」
「で、ノア、どうしてお前も着いてくる気でいるんだ?」
一層表情を曇らせたインネに、ノア自身も何を発するのが正解か決めあぐねていると、予想もしない一言がノアの鼓膜を打った。
「え?」
「お前は皇帝のお気に入りだ、そんなお前が一度裏切った。そもそもの話なんだが、どうしてお前は嬢ちゃんを引き渡さなかった?」
「あ……」
そういえばそうだ、別に、ノアはインネとは深い関わりはない。無論、助けた、という事実は存在する。あの状況で助けないという選択肢はノアにはなかった。
しかしだ、それが終わった今、彼女に固執する必要はない。それどころか、反逆者として仇名したクロノスを捕らえれば、裏切りの一件を帳消しにできるかもしれない。
しかし、ノアはそうせず、こうしてクロノスの背に掴まっている。
「僕は……」
「いや、特に理由もねえのに、俺に着いてくることはない」
「……ノア、私は大丈夫。一人でも逃げる。クロノスさんも、ノアと一緒に帰ってください」
「いや、それはちっとばかし無理があるぜ嬢ちゃん。第一、俺みたいな部隊の一隊長程度じゃ、ノア程の自由は効かねえよ、おいたが過ぎたって程度じゃねえんだ」
立場の話をするのならば、確かにクロノスの言うことは正しい。遊撃部隊の一隊長が任務を外れ、あろうことか指名手配されているであろうインネを逃がす。
その時点で、反逆罪で処刑されてもおかしくはない。仮に、部下に慕われ、戦績に置いても有能と評してしかるべきクロノスであっても、刑罰は免れられないだろう。
ノアにしても、立場はクロノスより一応上ではあるものの、彼ほど口がうまいとはお世辞にも言えない。独断行動が過ぎる『七核』も居ないではないが、それは相応の理由があるか、もしくはそんな奔放さを分かった上で、実力を評価され、ある程度許されている者だ。
生憎ノアは、そのどちらでもない。ただ単に、実力だけでその座に就いた、それだけだ。
「まあ、俺は別になんとでもなるが、嬢ちゃんこそ、帝国を一人で出るなんてそれこそ無理な話だ。今でこそ空席が一つあるが、それでも『七核』に追われたらとてもじゃねえが逃げきれねえ」
「……七核?」
「それは元第二位が教えてやれ、ノア」
海辺の荒道を走っている車体を器用に操りながら、クロノスは振り返る。
「……元ってつけた上で僕に振るんですか……帝国特務専門機関『七核』。帝国屈指の実力者かつ、皇帝に認めたられた人間しか所属を許されない、実質的な帝国軍のトップ、帝国の七柱」
ため息を吐きながらも、ノアは詳細かつ簡潔に告げる。それを、半分だけ理解して、もう少しは咀嚼の最中といった顔でインネが聞く。
「てなわけで、アテナ嬢が来たってことは、順にレベルが上がってく訳だ、今回はノアよりも低位かつ、ノアの妹分のアテナ嬢だったから良かったが、次はそう上手くはいかねえ」
「ノアもその『七核』だったんですよね?」
「おう、で抜けた理由は本人に」
「……大したことじゃないよ」
「へ、あれが大したことじゃ無いってんなら、お前が
ここに居る理由がなくなるんだけどな」
振り向かずに、そう悪態をつくクロノス。耳が痛いその言葉に顔を顰めながら、ノアは首を巡らせる。
「それより、今どこに向かってるんです?」
いつの間にか景色は変わり、港町の道路を走っていた。どういうわけか道路を走る影はノア達の乗るバイクだけで、がら空きの道路は車線の奥までよく見えた。
「このままコイツで逃げるんじゃ、流石にキツイだろ?」
「型落ち、フレームはあり合わせ、エンジンは……見たところ旧世代型のフランメⅢですか」
颯爽とノアとインネを掻っ攫い、危うかった二人を助け出したこのバイク。クロノスが用意したのだろうが、少々、いやかなり、ボロいという一点に置いては何の擁護のしようもなかった。
「てなわけで、一旦フリスタまで行く」
「なッ……!? それじゃアテナに追いつかれる。帝都に近い街まで行くなんて、自殺行為です」
機軍帝国ブレインがフリスタ。特にこれと言った特徴のない街ではあるが、それ故に帝国では稀有な場所でもあった。
貧富の差が激しい帝国では、豪華な施設や有名なランドマークがある街、逆に、貧民街のような荒れ果てた町などと、特色が濃い場所が多い。その中でも、何もなければ、何の曰くもない、かの街は、帝都に近いにも関わらず、ひっそりとかつ比較的平和な場所であった。
故に、向かう目的が先ほどのクロノスの発言と一致せず、ノアは首を横に振る。
「それよかこのオンボロで逃げてる方が危ういさ。つってもすぐさ、何も帝都に直接行こうって訳じゃねえ」
「……何か考えがあるんですか?」
「おうよ、嬢ちゃんは分からねえと思うが、ノア、お前はどうだ?」
問うた少女に答えを与えず、その先をまたもノアに振る。クロノスの性格は理解しているつもりだが、こうもノアに喋らせるのは何故か。
「……まさかドニ爺?」
そうしてノアが導きだした答えは、記憶の中で見知った、ある一人の帝国技師のことだった。
「そういうこった」
「でも、コレ以上の移動方法なんて……?」
「そりゃあ、行ってからのお楽しみだ」




